冷血な魔教の君は令和の倫理とハピエン主義に目覚められたようで

浅草ゆうひ

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2章、ヒーローはオメガバースに抗いたい。

38、魅惑のフェロモンと理性の戦い(SIDE:憂炎)

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 SIDE 憂炎ユーエン

 音繰オンソウがふわふわとした危うい気配で宿の部屋に引き上げていく。
 送ろうとする弟弟子や憂炎ユーエンの申し出を断り、ひとりだけで――。

(以前は、あんな風に無防備な姿を見せたことなんてなかったが……)
 音繰オンソウには隙がある……隙だらけだ。
 
 憂炎ユーエンは、元師匠が以前と異なる姿を見せるたびに落ち着かない気分になってしまう。
 心配なような、以前のように戻って欲しいような――変わった現在が好ましく、嬉しいと思うような。
 
「あんなにふらふらで……魔人をよく思わぬ道士もいるというのに」
 自身もそれなりに酒気を帯びている憂炎ユーエンは、そっと宴席を離れて音繰オンソウの後を追った。

 憂炎ユーエンは足音を忍ばせ、音繰オンソウに気付かれないようにそろりそろりとついていき――やがて柱にもたれかかるようにして音繰オンソウが座り込んで眠ってしまうと、ため息をついて抱きかかえ、部屋まで運ぶのだった。
 
 以前の音繰オンソウは『外道な邪派魔人』という単語から想起される人物像にそう遠くない、人の情を知らぬような――冷酷で超然としたオーラのある師匠だった。

 ……それが今は、全然違う生き物みたいだ。
 
 憂炎ユーエンの心の奥底に常にくすぶ瞋恚しんいの炎が最近の音繰オンソウを見ていると鎮火されてしまいそうで、逆にそれが怖いような気もするのだった。
 
 そおっと寝台に音繰オンソウを寝かせると、憂炎ユーエンの鼻腔にはふわりと甘やかな香りが感じられた。
 それは、酩酊を誘う本能を揺さぶる香り。

 ――信息素フェロモン

 憂炎ユーエンの瞳がハッと見開かれた。
(これは――)
  
 ごくり、と憂炎ユーエンの喉が鳴る。

(あの術だ。症状が出ている)

 頭の中では術のもたらす体の変化について考えながら、視線は外すことができない。

乾元アルファ坤泽オメガ――だったか)
 第二の性だ。
 乾元アルファは身体機能がより向上する代わりに、坤泽オメガ信息素フェロモンに抗えず欲情してしまう。
 
 坤泽オメガは子宮と同じ機能を持つ生殖器を持ち、定期的に発情期ヒートを迎えるのだという。
 
(これはいけない。この感じは――お、襲ってしまいそうだ。理性が蕩けてしまいそうだ)

 憂炎ユーエンは薄灯りに浮かび上がる音繰オンソウの端正な顔を見つめながら、口元に袖を当てた。

 匂いを防ごうとした行為はあまり功を奏さず、刻一刻と下半身に熱が集まっていく――、

 音繰オンソウの薄く淡く色づいた唇がかすかに開いて、呼気が室内の空気と混ざって溶けていく。
 抱き運んだ時に触れた布ごしの体の感触が、その体温が蘇る。

 本能のままこの唇を奪い、むさぼってしまいたい――精気を捧げるためではなく、生殖の行為として。

 ――そう。生殖本能だ。激しく高められたそれが私の理性を崩そうとしている。

 ――それは、それは……愛ではない。

 それは――獣が単に肉体の欲求に従うだけの……。

「ふ、……んン……」
 甘い吐息をこぼして、少し上気して汗ばんだ音繰オンソウの手が夢うつつに惑うようなおぼつかなさで憂炎ユーエンの衣装の袖をつまむ。

(っ、こ、これは……)
 ――理性が崩れていく音が聞こえるようだった。

 無防備に眠っている。
 寝惚けている。
 すがってくる――、

「ん……」
 愛らしい声をこぼして、発情期の兆候ちょうこうをみせている――あの音繰オンソウが。

 ……あの音繰オンソウが!!

 ――抱きたい……、
 
(だ……ダメだ、ダメだっ……!!)

 ――犯したい……!
 
 止められない。
 自分で自分が制御できない。

 震える手が頬を撫で、その感触にくすぐったそうに身じろぎする音繰オンソウに興奮している。発情していく。

 ――抗えない。
 ――自分が原始的な獣畜生に成り果てたように、鼻息を荒げて劣情に股間を熱くしている。

 脳裏に声が蘇る。

憂炎ユーエン
 
 
(ダメだ……っ!!)

 咄嗟とっさに懐から短刀を抜き、憂炎ユーエンは自身の手を斬りつけて痛みで本能に抗った。

「――!!」
 脳天を痛みが突き抜ける。

「ふ……ふーっ、ふーっ……!」

 一瞬、暴力的なまでの性衝動が痛みに押される。
 その隙に、憂炎ユーエンは全力でその場を逃げ出した。

 駆けながら、心のうちでは狂おしい想いが暴れ狂っていた。

 
 ――お師匠様。

 ――小香主様。

 ――音繰オンソウ
 

 外に出て、人目を忍び夜闇へ駆けた。
 駆けて駆けて、獣の本性に必死に抗ったのだった。

 
(俺は、本能なんかであの人を抱いたりしない……) 
 

 荒ぶる呼吸の狭間に、想いが揺らぐ。


 ――あの音繰オンソウを抱くのなら、本人にちゃんと愛されて、合意の上で行為に及ぶのでなければならない!

 ――本能に突き動かされるまま一方的に乱暴して良い相手じゃないんだ……!!
 

 しばらくして理性の気配が濃く戻る自分を自覚しながら、憂炎ユーエンは変容をもたらす術の恐ろしさにぶるりと身震いするのだった。
 
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