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2章、黒豹の王子と惑乱の妖狐
31、妖狐さん、尻尾を出して、マハトゥ城
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鳥の騒ぐ声が窓のそとから聞こえる。
風の吹き渡る音が窓につたわる。
ひとが今日という一日を始める気配と声が、そこかしこに充ちている――
31、妖狐さん、尻尾を出して、マハトゥ城
気持ちがやすらぐミルヒの香りが二人と一匹の過ごす部屋を穏やかに浸している。
「昨夜は途中で寝てしまってすまんな」
サミルが身支度を整えながら礼を言えば、ハルディアは軽く頬を染めつつ「襲わなかったぞ」などと誇るような声でドヤ顔をする。
「別に襲ってもよかったが……運んでくれたようで、ありがとう、ハルディア」
「いや、いや。……サミル。あれの続きを夜にしよう」
「そうだなぁ……俺はもっと、あとくされなくガッとやって終わるのが好きなタチなんだが……」
2日目は何をするのだったか――思い出しつつ頷いて二人部屋で朝食をつついていると、子狐がミルヒを呑む音が平穏の象徴のように室内に響いた。
ほこほことした狐尾が揺れるさまを見ていると、ついつい触れたくなってしまう。
そーっと手を伸ばしたとき、コン、コンと扉が叩かれた。
来客だ。
「俺が出るよ」
ハルディアがさっと扉に向かう。
(ハルディアが一緒にいると、色々と楽でいいな。しかし、なにやら甘えすぎてしまう気もする)
サミルは子狐を撫でながらふわふわと戸口から聞こえる声をきいた。
「ケアヌ王子殿下が旅の楽師殿を招聘したいと」
視線を向けると、声の主は青い腕章の兵だ。
(おお。そういや『使いを宿に寄越すゆえ、今度ゆっくりと調べを献上せよ』とか言ってたなあ!)
「どうすんだい、旅の楽師殿?」
「ハルディア。てっきり『帰れ』と反射で言うかと思ったが、俺の意見をきいてくれるのだな」
サミルはちょっと感動した。
「俺を何だと思ってるんだ」
リュートを手に取れば、馴染んだ感触が頼もしい。
軽く音を調べて、サミルは微笑んだ。
「参じよう」
そして、一瞬考える。
「ハルディアも行くつもりなのだろうな?」
「まあ、そうさ。ひとりだと心配だろ」
――言葉は頼もしく、嬉しい。
(とはいえ、大丈夫だろうか。あの妖狐さん、魅了の術香を使っていたのだが……?)
まさか兵の前で「実はあの王子、妖狐」と説明するわけにもいかない。サミルは子狐を撫でながら、兵を視た。
(昨日のうちに話しておくべきだったかな。まあ、いいか)
外は変わらぬ晴天で、昨日と変わらぬ暑気が不思議と安心感をくれる。
日光除けにフードを被って子狐を抱くサミルの隣で、ハルディアは白い花をかざった麦わら帽子を被っていた。
「ハルディア。それ、どうしたんだい」
「昨日の連中に貰ったんだよ。日差しが強いからって」
「へえ……あの赤い花の首飾りも首からさげてみろよ、ちゃらさが上がるぞ」
「首飾りは日差し除けにならないだろ……」
案内されたマハトゥ城という名の城は、大陸の主要国の王都でみかけるような城と比べれば、こじんまりとしている――もちろん、島の住人が暮らすような家屋と比べれば段違いに立派だが。
円柱形の幅広の塔が前方後方に3つずつ並び、塔と塔の間に壁のような塀が聳えて連結させていて、高所の通路には窓が等間隔に並んでいる。
その塔や塀にぐるりと囲まれ、守られるようにして、塔よりだいぶ背の低い本城がある。それが、塀や塔のほうが立派で、主役のはずの城が結構見劣りしてしまう小ささなのだ。
「あれ、これが本城かあ」
ハルディアが正直な感想を零そうとしていた。
「囲いのほうが立派……」
「こほん、こほん」
兵士が咳払いをしている。
「すいませんね――」
初見の城内を物珍しく見渡しつつ、取りなそうとしてサミルが笑いかけた時、城という場所に不似合いな怒号がきこえてきた。
「何?」
「揉めてるようだが」
サミルとハルディアが視線を合わせていると、会話がすこし聞き取れる。
どうも、近隣のどこかの島で何かがあったようなのだが。
「きいたことのある声がするなあ」
ハルディアが眉を寄せた。アウティー王子の声がして、「俺はそんなもん知らん」とか「弟がやるよ」みたいなことを言っているのだ。
「王子がなにかやれと言われて断ってるようにきこえるんだ」
「おう。俺もそう思うぞ――丸聞こえでいいのかね」
これも南国気質ゆえなのだろうか――壁があっても筒抜けとは。
「……アウティー殿下!!」
「ははっ、ケアヌにやらせときなよ。俺には、無理! 俺に期待しちゃいかんて」
通路の向こうから走ってくるのは、浅黒い肌に黒髪の若者。
王家の血筋をあらわすと思しきタトゥーを魅せつつ、今日も派手派手しく歌舞いた格好で、サミルとハルディアに気付いて一瞬手を振り、すれ違うようにして駆けていく。
「ノーブレスオブリージュとか、ないんだ?」
ハルディアがその背を見送り、呟いた。
アウティー王子が一瞬、ハルディアを視て、何も言わずに視線をそらして走り去る。
(おや、おや……)
サミルは視えなくなる背中を見送り、無言で肩を竦めた。
「客人には、大変失礼いたしました」
ふと、柔らかな声がかけられる。
視線を向けて見れば、上品な雰囲気のある文官風の中年男性がいた。
腕には青い腕章がある。
「我が君、ケアヌ様は奥でお待ちです」
エノハ、と名乗った男性は、場内まで案内してくれた兵を労い、引き継ぐようにしてサミルとハルディアを奥へと案内してくれた。
エノハは精緻な獅子と鷲の紋が刻まれた扉の前で止まり、扉を守っていた兵士らに声をかけて中の主に客人の到着を知らせる。
すると、内側から許しが出たようで、手持ちの武器を預けるよう求められて、二人は中に通されたのだった。
中に入ると、ふわりとした香しい術香が充ちている。
花めいて、甘やかで、蜜のごとく、蠱惑的で――ふわふわ、とろりと脳を揺らすような。
そんな危うさのある、佳い香りだ。
「くるるるる」
抱っこしていた子狐がちいさく唸っていた。
見れば、鼻にしわをよせて、愛らしくも野生を感じさせる顔付きをしている。
正直、ちいさい子狐だけに、そんな顔をしていても可愛いが。
(うーん。閉め切った部屋とは、あまりよろしくないな)
サミルが軽く危機感をおぼえていると、隣にいたハルディアが「なんか、この臭いは俺苦手だな。窓開けて貰ってもいい?」などと怖い者知らずな発言を堂々と悪びれず発した。
「な、っ、なんだと!?」
兵士らが驚いている。サミルもまったくの同感だった。
「おお、は、ハルディアよ……お前……」
(王子の部屋にはいって開口一番に『臭いが嫌だから窓を開けろ』とは!! す、すごいな、お前という奴は)
「無礼な!!」
「い、いやいや。すまん。この男、田舎者で礼儀を知らず、加えて言うと感性が常人と異なる野蛮趣向ゆえ、上品な香りなどが苦手なようで」
(本能のようなもので『この香りが普通ではない』と感じたのだろうか。俺は尊敬するぞ、ハルディア)
言い繕いながら感心していると、部屋の主がふわりと笑う気配がする。
「苦手なら同席せずともよかろう、外にて待たせよ」
玲瓏とした声、浅黒い肌。腰あたりまで伸びた薄紅の髪、赤い瞳の青年――アウティー王子の弟ケアヌ王子のものだった。
大陸風カウチにクッションを並べ、その中に埋もれるようにして上品に腰掛けたケアヌ王子が口の端をつりあげると、ちらりと八重歯めいたものが真珠めいた白さを魅せて覗く。
上品さの中に野生味のギャップを魅せつつ、その瞳がハルディアの碧眼と一瞬衝突して、視えない火花のようなものを散らすのが、サミルには感じられた。
「俺は中で同席する」
ハルディアはハルディアで譲らないらしい。
「窓が開かない王子様の部屋ってのも、不便だな」
「つまみ出せ」
遠慮知らずの声に端的な指示がつづき、兵士らがハルディアに集る。
そして、外に押し出そうとした腕がつかまれ、恐るべき膂力で床に投げ飛ばされた。
「おい、暴れるな!!」
「知らないね」
「おい、おい」
兵士がどんどんと増えていき、乱闘騒ぎになっていく。
「あーっ、こいつ! 噛みやがった!!」
「おさえろ、おさえろ! うわあ!!」
集まり囲い込むような兵士の隙間から、その暴れようが視える――兵の腰にタックルをかますように頭からつっこみ、引き倒し。もろともに倒れ込んだ全身をぐるりと仰向けに倒して、上からのしかかり抑えようとする武装兵を蹴り上げ、横に転がって跳ぶように起き上がるハルディアの姿が。
(まあ、そういう奴よな、お前さん!!)
「ははっ、ケアヌ殿下! この喧噪を伴奏として、俺は楽を献上しましょう」
サミルはリュートを面白おかしく奏でて、謳いあげた。
♪ふわふわ尻尾のおきつねさん
♪ちょいと お澄まし おでかけよ
♪東の森のはしっこに 綺麗なおべべのおひめさま
♪ひとり 迷子で 泣いている
♪こりゃこりゃ ひめさま どうしたの
♪おきつねさんは まよったけれど やさしく声をかけたのさ……
「……皆、静かにせよ」
ケアヌ王子がぽふぽふと『尻尾』を揺らしている――いつの間にか、背に三本の尻尾が出ている。
「……!?」
それに気付いた兵士らが戸惑いの表情を浮かべ、目を擦った。
エノハが兵士らの想いを代表するように、おそるおそる声をかける。
「で、殿下……、我が君……」
半端におさまった乱闘騒ぎに入り口の扉はひらかれっぱなしの状態となっている。
リュートの音は騒ぎなど知らんとばかりに、美しくあたたかにつづいていた。
赤い瞳の『ケアヌ王子』は若干の苛立ちをにじませ、エノハを睨んだ。
「同じ事を言わせるか、エノハ?」
「し、失礼いたしました――」
ふわふわと漂う甘い香りは部屋の奥のほうに行くほど濃く、そちら側に控える侍従たちは恍惚とした顔でケアヌ王子に見惚れている。
無礼者をつまみだそうと入り口付近で騒いでいた者たちは、互いにそっと顔を見合わせた。
彼らの表情は、『何か恐ろしい現実が目の前にある気がするが、それを現実と受け止めていいものか』、と語るようで、一様に蒼褪めていた。
そんな連中を見て、サミルは喉を震わせ、リュートを鳴らしながら想う。
――あのアウティー王子は何処に走って行ったものだか。
もう弟を頼りにしていちゃいかんぞ、王子はお前しかいないのだ、と言ってやらねばなるまいな。
そして、この演奏を終えた後、俺たちはどうなっちゃうのだか!
(演奏で暴れた分をチャラにしてくれと言ったら、してくれるかねえ? どうかね、妖狐さん! 俺のうたで許しておくれっ!)
機嫌を取り繕うように狐好みの連曲を献上して、サミルはニコニコとケアヌ王子に微笑みかけるのだった。
風の吹き渡る音が窓につたわる。
ひとが今日という一日を始める気配と声が、そこかしこに充ちている――
31、妖狐さん、尻尾を出して、マハトゥ城
気持ちがやすらぐミルヒの香りが二人と一匹の過ごす部屋を穏やかに浸している。
「昨夜は途中で寝てしまってすまんな」
サミルが身支度を整えながら礼を言えば、ハルディアは軽く頬を染めつつ「襲わなかったぞ」などと誇るような声でドヤ顔をする。
「別に襲ってもよかったが……運んでくれたようで、ありがとう、ハルディア」
「いや、いや。……サミル。あれの続きを夜にしよう」
「そうだなぁ……俺はもっと、あとくされなくガッとやって終わるのが好きなタチなんだが……」
2日目は何をするのだったか――思い出しつつ頷いて二人部屋で朝食をつついていると、子狐がミルヒを呑む音が平穏の象徴のように室内に響いた。
ほこほことした狐尾が揺れるさまを見ていると、ついつい触れたくなってしまう。
そーっと手を伸ばしたとき、コン、コンと扉が叩かれた。
来客だ。
「俺が出るよ」
ハルディアがさっと扉に向かう。
(ハルディアが一緒にいると、色々と楽でいいな。しかし、なにやら甘えすぎてしまう気もする)
サミルは子狐を撫でながらふわふわと戸口から聞こえる声をきいた。
「ケアヌ王子殿下が旅の楽師殿を招聘したいと」
視線を向けると、声の主は青い腕章の兵だ。
(おお。そういや『使いを宿に寄越すゆえ、今度ゆっくりと調べを献上せよ』とか言ってたなあ!)
「どうすんだい、旅の楽師殿?」
「ハルディア。てっきり『帰れ』と反射で言うかと思ったが、俺の意見をきいてくれるのだな」
サミルはちょっと感動した。
「俺を何だと思ってるんだ」
リュートを手に取れば、馴染んだ感触が頼もしい。
軽く音を調べて、サミルは微笑んだ。
「参じよう」
そして、一瞬考える。
「ハルディアも行くつもりなのだろうな?」
「まあ、そうさ。ひとりだと心配だろ」
――言葉は頼もしく、嬉しい。
(とはいえ、大丈夫だろうか。あの妖狐さん、魅了の術香を使っていたのだが……?)
まさか兵の前で「実はあの王子、妖狐」と説明するわけにもいかない。サミルは子狐を撫でながら、兵を視た。
(昨日のうちに話しておくべきだったかな。まあ、いいか)
外は変わらぬ晴天で、昨日と変わらぬ暑気が不思議と安心感をくれる。
日光除けにフードを被って子狐を抱くサミルの隣で、ハルディアは白い花をかざった麦わら帽子を被っていた。
「ハルディア。それ、どうしたんだい」
「昨日の連中に貰ったんだよ。日差しが強いからって」
「へえ……あの赤い花の首飾りも首からさげてみろよ、ちゃらさが上がるぞ」
「首飾りは日差し除けにならないだろ……」
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「あれ、これが本城かあ」
ハルディアが正直な感想を零そうとしていた。
「囲いのほうが立派……」
「こほん、こほん」
兵士が咳払いをしている。
「すいませんね――」
初見の城内を物珍しく見渡しつつ、取りなそうとしてサミルが笑いかけた時、城という場所に不似合いな怒号がきこえてきた。
「何?」
「揉めてるようだが」
サミルとハルディアが視線を合わせていると、会話がすこし聞き取れる。
どうも、近隣のどこかの島で何かがあったようなのだが。
「きいたことのある声がするなあ」
ハルディアが眉を寄せた。アウティー王子の声がして、「俺はそんなもん知らん」とか「弟がやるよ」みたいなことを言っているのだ。
「王子がなにかやれと言われて断ってるようにきこえるんだ」
「おう。俺もそう思うぞ――丸聞こえでいいのかね」
これも南国気質ゆえなのだろうか――壁があっても筒抜けとは。
「……アウティー殿下!!」
「ははっ、ケアヌにやらせときなよ。俺には、無理! 俺に期待しちゃいかんて」
通路の向こうから走ってくるのは、浅黒い肌に黒髪の若者。
王家の血筋をあらわすと思しきタトゥーを魅せつつ、今日も派手派手しく歌舞いた格好で、サミルとハルディアに気付いて一瞬手を振り、すれ違うようにして駆けていく。
「ノーブレスオブリージュとか、ないんだ?」
ハルディアがその背を見送り、呟いた。
アウティー王子が一瞬、ハルディアを視て、何も言わずに視線をそらして走り去る。
(おや、おや……)
サミルは視えなくなる背中を見送り、無言で肩を竦めた。
「客人には、大変失礼いたしました」
ふと、柔らかな声がかけられる。
視線を向けて見れば、上品な雰囲気のある文官風の中年男性がいた。
腕には青い腕章がある。
「我が君、ケアヌ様は奥でお待ちです」
エノハ、と名乗った男性は、場内まで案内してくれた兵を労い、引き継ぐようにしてサミルとハルディアを奥へと案内してくれた。
エノハは精緻な獅子と鷲の紋が刻まれた扉の前で止まり、扉を守っていた兵士らに声をかけて中の主に客人の到着を知らせる。
すると、内側から許しが出たようで、手持ちの武器を預けるよう求められて、二人は中に通されたのだった。
中に入ると、ふわりとした香しい術香が充ちている。
花めいて、甘やかで、蜜のごとく、蠱惑的で――ふわふわ、とろりと脳を揺らすような。
そんな危うさのある、佳い香りだ。
「くるるるる」
抱っこしていた子狐がちいさく唸っていた。
見れば、鼻にしわをよせて、愛らしくも野生を感じさせる顔付きをしている。
正直、ちいさい子狐だけに、そんな顔をしていても可愛いが。
(うーん。閉め切った部屋とは、あまりよろしくないな)
サミルが軽く危機感をおぼえていると、隣にいたハルディアが「なんか、この臭いは俺苦手だな。窓開けて貰ってもいい?」などと怖い者知らずな発言を堂々と悪びれず発した。
「な、っ、なんだと!?」
兵士らが驚いている。サミルもまったくの同感だった。
「おお、は、ハルディアよ……お前……」
(王子の部屋にはいって開口一番に『臭いが嫌だから窓を開けろ』とは!! す、すごいな、お前という奴は)
「無礼な!!」
「い、いやいや。すまん。この男、田舎者で礼儀を知らず、加えて言うと感性が常人と異なる野蛮趣向ゆえ、上品な香りなどが苦手なようで」
(本能のようなもので『この香りが普通ではない』と感じたのだろうか。俺は尊敬するぞ、ハルディア)
言い繕いながら感心していると、部屋の主がふわりと笑う気配がする。
「苦手なら同席せずともよかろう、外にて待たせよ」
玲瓏とした声、浅黒い肌。腰あたりまで伸びた薄紅の髪、赤い瞳の青年――アウティー王子の弟ケアヌ王子のものだった。
大陸風カウチにクッションを並べ、その中に埋もれるようにして上品に腰掛けたケアヌ王子が口の端をつりあげると、ちらりと八重歯めいたものが真珠めいた白さを魅せて覗く。
上品さの中に野生味のギャップを魅せつつ、その瞳がハルディアの碧眼と一瞬衝突して、視えない火花のようなものを散らすのが、サミルには感じられた。
「俺は中で同席する」
ハルディアはハルディアで譲らないらしい。
「窓が開かない王子様の部屋ってのも、不便だな」
「つまみ出せ」
遠慮知らずの声に端的な指示がつづき、兵士らがハルディアに集る。
そして、外に押し出そうとした腕がつかまれ、恐るべき膂力で床に投げ飛ばされた。
「おい、暴れるな!!」
「知らないね」
「おい、おい」
兵士がどんどんと増えていき、乱闘騒ぎになっていく。
「あーっ、こいつ! 噛みやがった!!」
「おさえろ、おさえろ! うわあ!!」
集まり囲い込むような兵士の隙間から、その暴れようが視える――兵の腰にタックルをかますように頭からつっこみ、引き倒し。もろともに倒れ込んだ全身をぐるりと仰向けに倒して、上からのしかかり抑えようとする武装兵を蹴り上げ、横に転がって跳ぶように起き上がるハルディアの姿が。
(まあ、そういう奴よな、お前さん!!)
「ははっ、ケアヌ殿下! この喧噪を伴奏として、俺は楽を献上しましょう」
サミルはリュートを面白おかしく奏でて、謳いあげた。
♪ふわふわ尻尾のおきつねさん
♪ちょいと お澄まし おでかけよ
♪東の森のはしっこに 綺麗なおべべのおひめさま
♪ひとり 迷子で 泣いている
♪こりゃこりゃ ひめさま どうしたの
♪おきつねさんは まよったけれど やさしく声をかけたのさ……
「……皆、静かにせよ」
ケアヌ王子がぽふぽふと『尻尾』を揺らしている――いつの間にか、背に三本の尻尾が出ている。
「……!?」
それに気付いた兵士らが戸惑いの表情を浮かべ、目を擦った。
エノハが兵士らの想いを代表するように、おそるおそる声をかける。
「で、殿下……、我が君……」
半端におさまった乱闘騒ぎに入り口の扉はひらかれっぱなしの状態となっている。
リュートの音は騒ぎなど知らんとばかりに、美しくあたたかにつづいていた。
赤い瞳の『ケアヌ王子』は若干の苛立ちをにじませ、エノハを睨んだ。
「同じ事を言わせるか、エノハ?」
「し、失礼いたしました――」
ふわふわと漂う甘い香りは部屋の奥のほうに行くほど濃く、そちら側に控える侍従たちは恍惚とした顔でケアヌ王子に見惚れている。
無礼者をつまみだそうと入り口付近で騒いでいた者たちは、互いにそっと顔を見合わせた。
彼らの表情は、『何か恐ろしい現実が目の前にある気がするが、それを現実と受け止めていいものか』、と語るようで、一様に蒼褪めていた。
そんな連中を見て、サミルは喉を震わせ、リュートを鳴らしながら想う。
――あのアウティー王子は何処に走って行ったものだか。
もう弟を頼りにしていちゃいかんぞ、王子はお前しかいないのだ、と言ってやらねばなるまいな。
そして、この演奏を終えた後、俺たちはどうなっちゃうのだか!
(演奏で暴れた分をチャラにしてくれと言ったら、してくれるかねえ? どうかね、妖狐さん! 俺のうたで許しておくれっ!)
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