上 下
32 / 46
2章、黒豹の王子と惑乱の妖狐

31、妖狐さん、尻尾を出して、マハトゥ城

しおりを挟む
 鳥の騒ぐ声が窓のそとから聞こえる。
 風の吹き渡る音が窓につたわる。
 ひとが今日という一日を始める気配と声が、そこかしこに充ちている――


   31、妖狐さん、尻尾を出して、マハトゥ城

 気持ちがやすらぐミルヒミルクの香りが二人と一匹の過ごす部屋を穏やかに浸している。
「昨夜は途中で寝てしまってすまんな」
 サミルが身支度を整えながら礼を言えば、ハルディアは軽く頬を染めつつ「襲わなかったぞ」などとほこるような声でドヤ顔をする。
「別に襲ってもよかったが……運んでくれたようで、ありがとう、ハルディア」
「いや、いや。……サミル。あれの続きを夜にしよう」
「そうだなぁ……俺はもっと、あとくされなくガッとやって終わるのが好きなタチなんだが……」
 2日目は何をするのだったか――思い出しつつうなずいて二人部屋で朝食をつついていると、子狐がミルヒミルクを呑む音が平穏の象徴のように室内に響いた。
 ほこほことした狐尾が揺れるさまを見ていると、ついつい触れたくなってしまう。
 そーっと手を伸ばしたとき、コン、コンと扉が叩かれた。
 来客だ。

「俺が出るよ」
 ハルディアがさっと扉に向かう。

(ハルディアが一緒にいると、色々と楽でいいな。しかし、なにやら甘えすぎてしまう気もする)
 サミルは子狐を撫でながらふわふわと戸口から聞こえる声をきいた。

「ケアヌ王子殿下が旅の楽師殿を招聘しょうへいしたいと」
 視線を向けると、声の主は青い腕章わんしょうの兵だ。
(おお。そういや『使いを宿に寄越よこすゆえ、今度ゆっくりと調べを献上せよ』とか言ってたなあ!)
「どうすんだい、旅の楽師殿サミル?」
「ハルディア。てっきり『帰れ』と反射で言うかと思ったが、俺の意見をきいてくれるのだな」
 サミルはちょっと感動した。
「俺を何だと思ってるんだ」
 リュートを手に取れば、馴染なじんだ感触が頼もしい。
 軽く音を調べて、サミルは微笑んだ。
「参じよう」
 そして、一瞬考える。
「ハルディアも行くつもりなのだろうな?」
「まあ、そうさ。ひとりだと心配だろ」
 
 ――言葉は頼もしく、嬉しい。
 
(とはいえ、大丈夫だろうか。あの妖狐さん、魅了の術香テンプテーションを使っていたのだが……?)
 まさか兵の前で「実はあの王子、妖狐」と説明するわけにもいかない。サミルは子狐を撫でながら、兵を視た。
(昨日のうちに話しておくべきだったかな。まあ、いいか) 
 
 外は変わらぬ晴天せいてんで、昨日と変わらぬ暑気が不思議と安心感をくれる。
 日光除けにフードを被って子狐を抱くサミルの隣で、ハルディアは白い花をかざった麦わら帽子を被っていた。
「ハルディア。それ、どうしたんだい」
「昨日の連中に貰ったんだよ。日差しが強いからって」
「へえ……あの赤い花の首飾りも首からさげてみろよ、ちゃらさが上がるぞ」
「首飾りは日差し除けにならないだろ……」
 
 案内されたマハトゥ城という名の城は、大陸の主要国の王都でみかけるような城と比べれば、こじんまりとしている――もちろん、島の住人が暮らすような家屋と比べれば段違いに立派だが。
 円柱形の幅広の塔が前方後方に3つずつ並び、塔と塔の間に壁のような塀が聳えて連結させていて、高所の通路には窓が等間隔に並んでいる。
 その塔や塀にぐるりと囲まれ、守られるようにして、塔よりだいぶ背の低い本城がある。それが、塀や塔のほうが立派で、主役のはずの城が結構見劣りしてしまう小ささなのだ。

「あれ、これが本城かあ」
 ハルディアが正直な感想を零そうとしていた。
「囲いのほうが立派……」
「こほん、こほん」
 兵士が咳払いをしている。 
 
「すいませんね――」
 初見の城内を物珍しく見渡しつつ、取りなそうとしてサミルが笑いかけた時、城という場所に不似合いな怒号がきこえてきた。
「何?」
めてるようだが」
 サミルとハルディアが視線を合わせていると、会話がすこし聞き取れる。
 どうも、近隣のどこかの島で何かがあったようなのだが。
「きいたことのある声がするなあ」
 ハルディアが眉を寄せた。アウティー王子の声がして、「俺はそんなもん知らん」とか「弟がやるよ」みたいなことを言っているのだ。
「王子がなにかやれと言われて断ってるようにきこえるんだ」 
「おう。俺もそう思うぞ――丸聞こえでいいのかね」
 これも南国気質ゆえなのだろうか――壁があっても筒抜けとは。

「……アウティー殿下!!」
「ははっ、ケアヌにやらせときなよ。俺には、無理! 俺に期待しちゃいかんて」
 通路の向こうから走ってくるのは、浅黒い肌に黒髪の若者。
 王家の血筋をあらわすと思しきタトゥーを魅せつつ、今日も派手派手しく歌舞いた格好で、サミルとハルディアに気付いて一瞬手を振り、すれ違うようにして駆けていく。
 
ノーブレスオブリージュ高貴なお方の地位に付随する義務とか、ないんだ?」
 
 ハルディアがその背を見送り、呟いた。
 アウティー王子が一瞬、ハルディアを視て、何も言わずに視線をそらして走り去る。
 
(おや、おや……) 
 サミルは視えなくなる背中を見送り、無言で肩を竦めた。
 
 
「客人には、大変失礼いたしました」
 ふと、柔らかな声がかけられる。
 視線を向けて見れば、上品な雰囲気のある文官風の中年男性がいた。
 腕には青い腕章がある。
「我が君、ケアヌ様は奥でお待ちです」
 エノハ、と名乗った男性は、場内まで案内してくれた兵を労い、引き継ぐようにしてサミルとハルディアを奥へと案内してくれた。

 エノハは精緻せいちな獅子とわしの紋が刻まれた扉の前で止まり、扉を守っていた兵士らに声をかけて中の主に客人の到着を知らせる。
 すると、内側から許しが出たようで、手持ちの武器を預けるよう求められて、二人は中に通されたのだった。
 中に入ると、ふわりとしたかぐわしい術香が充ちている。
 花めいて、甘やかで、蜜のごとく、蠱惑的で――ふわふわ、とろりと脳を揺らすような。
 そんな危うさのある、い香りだ。

「くるるるる」
 抱っこしていた子狐がちいさく唸っていた。
 見れば、鼻にしわをよせて、愛らしくも野生を感じさせる顔付きをしている。
 正直、ちいさい子狐だけに、そんな顔をしていても可愛いが。
 
(うーん。閉め切った部屋とは、あまりよろしくないな)
 サミルが軽く危機感をおぼえていると、隣にいたハルディアが「なんか、この臭いは俺苦手だな。窓開けて貰ってもいい?」などと怖い者知らずな発言を堂々と悪びれず発した。
「な、っ、なんだと!?」
 兵士らが驚いている。サミルもまったくの同感だった。
「おお、は、ハルディアよ……お前……」
(王子の部屋にはいって開口一番に『臭いが嫌だから窓を開けろ』とは!! す、すごいな、お前という奴は) 
 
「無礼な!!」
「い、いやいや。すまん。この男、田舎者で礼儀を知らず、加えて言うと感性が常人と異なる野蛮趣向ゆえ、上品な香りなどが苦手なようで」
(本能のようなもので『この香りが普通ではない』と感じたのだろうか。俺は尊敬するぞ、ハルディア)
 言いつくろいながら感心していると、部屋の主がふわりと笑う気配がする。

「苦手なら同席せずともよかろう、外にて待たせよ」
 
 玲瓏れいろうとした声、浅黒い肌。腰あたりまで伸びた薄紅の髪、赤い瞳の青年――アウティー王子の弟ケアヌ王子のものだった。
 大陸風カウチにクッションを並べ、その中に埋もれるようにして上品に腰掛けたケアヌ王子が口の端をつりあげると、ちらりと八重歯めいたものが真珠めいた白さを魅せて覗く。
 上品さの中に野生味のギャップを魅せつつ、その瞳がハルディアの碧眼と一瞬衝突して、視えない火花のようなものを散らすのが、サミルには感じられた。

「俺は中で同席する」
 ハルディアはハルディアで譲らないらしい。
「窓が開かない王子様の部屋ってのも、不便だな」
「つまみ出せ」

 遠慮知らずの声に端的な指示がつづき、兵士らがハルディアにたかる。
 そして、外に押し出そうとした腕がつかまれ、恐るべき膂力りょりょくで床に投げ飛ばされた。
「おい、暴れるな!!」
「知らないね」
「おい、おい」 
 兵士がどんどんと増えていき、乱闘騒ぎになっていく。
「あーっ、こいつ! 噛みやがった!!」
「おさえろ、おさえろ! うわあ!!」
 集まり囲い込むような兵士の隙間から、その暴れようが視える――兵の腰にタックルをかますように頭からつっこみ、引き倒し。もろともに倒れ込んだ全身をぐるりと仰向けに倒して、上からのしかかり抑えようとする武装兵を蹴り上げ、横に転がって跳ぶように起き上がるハルディアの姿が。

(まあ、そういう奴よな、お前さん!!) 
「ははっ、ケアヌ殿下! この喧噪けんそうを伴奏として、俺は楽を献上しましょう」
 サミルはリュートを面白おかしく奏でて、うたいあげた。

 ♪ふわふわ尻尾のおきつねさん
 ♪ちょいと お澄まし おでかけよ
 ♪東の森のはしっこに 綺麗なおべべのおひめさま
 ♪ひとり 迷子で 泣いている
 ♪こりゃこりゃ ひめさま どうしたの
 ♪おきつねさんは まよったけれど やさしく声をかけたのさ……

「……皆、静かにせよ」
 ケアヌ王子がぽふぽふと――いつの間にか、背に三本の尻尾が出ている。
 
「……!?」
 それに気付いた兵士らが戸惑いの表情を浮かべ、目を擦った。
 エノハが兵士らの想いを代表するように、おそるおそる声をかける。

「で、殿下……、我が君……」

 半端におさまった乱闘騒ぎに入り口の扉はひらかれっぱなしの状態となっている。
 リュートの音は騒ぎなど知らんとばかりに、美しくあたたかにつづいていた。
 赤い瞳の『ケアヌ王子』は若干の苛立ちをにじませ、エノハを睨んだ。

「同じ事を言わせるか、エノハ?」
「し、失礼いたしました――」

 ふわふわと漂う甘い香りは部屋の奥のほうに行くほど濃く、そちら側に控える侍従たちは恍惚とした顔でケアヌ王子に見惚れている。
 無礼者をつまみだそうと入り口付近で騒いでいた者たちは、互いにそっと顔を見合わせた。
 彼らの表情は、『何か恐ろしい現実が目の前にある気がするが、それを現実と受け止めていいものか』、と語るようで、一様いちよう蒼褪あおざめていた。


 そんな連中を見て、サミルは喉を震わせ、リュートを鳴らしながら想う。
 
 ――あのアウティー王子は何処に走って行ったものだか。
 もう弟を頼りにしていちゃいかんぞ、王子はお前しかいないのだ、と言ってやらねばなるまいな。
 そして、この演奏を終えた後、俺たちはどうなっちゃうのだか!

(演奏で暴れた分をチャラにしてくれと言ったら、してくれるかねえ? どうかね、妖狐さん! 俺のうたで許しておくれっ!)
 機嫌を取り繕うように狐好みの連曲メドレーを献上して、サミルはニコニコとケアヌ王子に微笑みかけるのだった。 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

出戻り聖女はもう泣かない

たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。 男だけど元聖女。 一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。 「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」 出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。 ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。 表紙絵:CK2さま

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

男子学園でエロい運動会!

ミクリ21 (新)
BL
エロい運動会の話。

【R18】孕まぬΩは皆の玩具【完結】

海林檎
BL
子宮はあるのに卵巣が存在しない。 発情期はあるのに妊娠ができない。 番を作ることさえ叶わない。 そんなΩとして生まれた少年の生活は 荒んだものでした。 親には疎まれ味方なんて居ない。 「子供できないとか発散にはちょうどいいじゃん」 少年達はそう言って玩具にしました。 誰も救えない 誰も救ってくれない いっそ消えてしまった方が楽だ。 旧校舎の屋上に行った時に出会ったのは 「噂の玩具君だろ?」 陽キャの三年生でした。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

誰よりも愛してるあなたのために

R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。  ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。 前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。 だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。 「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」   それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!  すれ違いBLです。 ハッピーエンド保証! 初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。 (誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります) 11月9日~毎日21時更新。ストックが溜まったら毎日2話更新していきたいと思います。 ※…このマークは少しでもエッチなシーンがあるときにつけます。 自衛お願いします。

隠しキャラに転生したけど監禁なんて聞いてない!

かとらり。
BL
 ある日不幸な事故に遭い、目が覚めたら姉にやらされていた乙女ゲームの隠しキャラのユキになっていた。  ユキは本編ゲームの主人公アザゼアのストーリーのクリアまで隠されるキャラ。  ということで、ユキは義兄に監禁され物理的に隠されていた。  監禁から解放されても、ゲームではユキは心中や凌辱、再監禁、共依存など、バッドエンドばかりが待っているキャラ…  それを知らないユキは無事にトゥルーエンドに行き着けるのか!?

処理中です...