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1章、楽師、南海に囀りて
15、死者と踊る夜、船揺れて
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死霊とは、だいたいが未練を抱えて落命し、弔われることのなかった魂がなるものだ。
行き場のない悲しみや憤り、恨み辛みを全身から溢れさせる彼らは、恐ろしくもあり、哀しくもある――そんな存在だった。
15、死者と踊る夜、船揺れて
肩が胸の鼓動に合わせて小刻みに震える。
鼻腔に感じる匂いは、潮と死臭と鉄錆びの混ざるような匂いだった。
昏い空が稲光りを閃かせ、周囲一帯が一瞬、ぴかりと照らされる。
その船上は、そこかしこで斬風と打撃舞い踊る戦場だった。
屍人や透明な霊が怨嗟の籠もる唸り声を音の渦のごとく重ねて、アイザール兵や冒険者たちと入り乱れて争っている。
「さ、サリオン様……」
アレクセイが佳声を紡いで短く捧げるのは神聖な祈りの言葉のような、此処にいない誰かの名前だった。
(そういえば、人魚への挨拶でも言っていた。『サリオンのファミリエ』――部族の長とか、そんな位置付けなのかも知れぬ)
サミルはそっと青年の出自を思った。
(というか、サリオンって聞いたことある名前だな。東方の有名な射手じゃないか)
二つ名付きで知られる使い手だ。その部族だか血族だか、そんな身分なのではなかろうか。
サミルはアレクセイの血統の良さに内心で舌を巻きつつ、ミハイ皇子を抱き寄せて覆い被さるようにして、もろともに姿勢を低めた。
「失礼、皇子!」
片膝をつき、地面に手をつく。一瞬前まで肩から上があった空間を、屍人が奮う刃が過ぎていく。
「スリルがあるね」
間近に強気なミハイ皇子の呼吸を感じる。
怯えた気配は微塵もない。それどころか――、
(――なんと楽しげではないか!)
「殿下は肝が据わっておられる」
サミルは口元を笑みで彩り、脚元を踏み鳴らし、身を起こした。
立ち位置を変えようとする瞬間、風が鳴る。
射撃音が鋭く連続で空気を震わせている。
「気をつけろ、撃たれてる!」
耳を聾する射撃音は、他の船からだろうか。
鉛玉が打ち込まれて火の手が上がり、グリエルモが驚いている。
「おいっ、巻き込むなよ! どの船だ……っ?」
数名が射線に晒され、物陰に避難して隠れている。
「あっぶねえ。当たるとこだったぞ」
ぼやく顔は確か――サミルはそこに見覚えのある顔を見て、名前を思い出した。
(マクミランだ――先ほどの面白そうな術者の仲間ではないか。仲間とは別行動か?)
もう一人、身軽な仲間がいたはず……、
見渡せば、仔猿のように飛び回るニールがいる。あちらはひょいひょいと矢や鉛玉を避けていて、危なげない。
「サミルさん、気を付けてね」
ハルディアの大きな背中が眼前に立ち、盾を掲げて守ってくれている――それがなんとも頼もしい。
「名高い『堅牢』の盾に守って頂き光栄だね、ハルディアさん!」
軽い調子で声をかければ、笑む気配と共に肩が揺れる。
「じゃあ俺は『美人な楽師さんを守れて光栄だね』って返せばいいかい、サミルさん?」
「いいね」
軽口を交わせば、自然と笑顔が浮かぶ。
「いちゃいちゃしやがる」
ミハイ皇子が呟いて、開けっ放しになっている船内に繋がる扉を示す。
「船内に入ろう」
扉から通じる船内通路にも死霊の姿は当然、あった――、
「ウェアュクト」
「ボク、それ理解してるぞ、ハルディア」
ミハイ皇子がにこりとした。
「恐縮だね」
「こいつは謝らないんだ」
サミルは笑ながら視界に迫る敵に矢を放った。
「後ろッ」
何かが飛び出すのが視界に映るのと、誰の発したものかもわからぬ叫び声が耳を劈くのは同時だった。
槍兵の屍人が三体、槍を突き出してくる。
闇夜に鮮やかに煌めいたのは、敵味方の刃の軌跡だ。
「後ろ、了解?」
独り言めいて応え、ハルディアが独楽のように回り敵を迎え撃つかたちでアイザール勢から借りた長剣を走らせている。
「屍人には遅れは取らないさ!」
繰り出される一番槍の切っ先を剣身を廻して弾き飛ばす。
よどむことがない清流を思わせる剣の軌跡はそのまま、一体の足元を引っ掛けるようにして打ち倒した。
「奥から敵が……」
船内通路に魔法の矢を放ちながらアレクセイが、ミハイ皇子の進路を塞ごうとしている。
「どんどん出てきますよ。これじゃ、中に進むのはきついと思います……」
「肉体のある奴とない奴は、死に方に違いでもあったのかな」
ミハイ皇子は年齢に見合わぬ犀利な眼差しでそんなことを呟き、入り口から甲板側に出てから霊に向けて手を振った。
無邪気な風情で、あどけなく。
「ワーオ。そこのお前は、見覚えがあるっ。ルカ兄様の配下のヤートムだ。……お前、ボクがわかる?」
呼びかけられた霊に矢を射ろうとしていたアレクセイはその声を聞き、標的を変えた。
ヤートムと呼ばれた霊はミハイ皇子の声にゆらりと透明な体を揺らす。
他の霊が敵意を剥く中、その霊だけは、そろりそろりと敵意を静めるようだった。
その気配をはっきりと感じた様子で、ミハイ皇子はすこしだけ瞳の奥を揺らした。
「……この透明なのは、俺の矢も当たるのかね」
船内通路側からゆらゆら押し寄せる霊へと、サミルが試しに一矢を放つ。透明な体をするりと矢が抜けていく――、
背後では、ハルディアが甲板側からちょっかいを出す敵を淡々と捌いている。
「透明な奴は俺の剣も当たらないよ」
「ふうむ。透明なのは他に任せて俺らは屍人をやるとしよう」
「了解」
いつも通りの短い返答が、不思議な安心感を胸に呼ぶ。サミルは口の端をゆるく持ち上げた。
耳には、凛とした声がきこえる。
「ヤートム、お前はなんで死んだのさ。誰にやられたの。ボクと兄様は、お前の仇を討ってあげるよ」
ミハイ皇子の声が場違いに静かに響いている。
声は、親しい者に語りかけるようで、優しくて、哀し気だった。
戦いの音の中、その声は不思議なほどよく通り、サミルの心に染み込むのだった。
「……何年かけても、どんな手を使っても」
声に反応して全身を震わせるようにして、ヤートムと呼ばれた霊は低く床にくずおれた。
まるで跪くようにして、その姿が薄くなる。消えていく。
「言えよ――言えったら!」
少年の声が震えた。
感情の波を感じさせる声に、ハルディアが軽く振り返る。
「――冥福を」
すこし青臭さを感じさせる青年の声がそっと声をたむけた。
それは、真摯な響きだった。
声の直後、金属が悲鳴をあげる音が連なる。
ハルディアの繰り出す大きな盾が二つの槍を防いでいた。
「……っふッ」
盾で払い除けるようにして、ハルディアは鋭く呼気を吐き、前へ踏み出して胴打ち一閃、屍人を斬り伏せている。
あちらこちらから絶えず聞こえる金属の悲鳴が耳に痛い。
何より、死霊らの陰鬱で悲痛な気配が暗闇の中でひしひしと感じられるのだ。
「いやはや、今夜の舞台はまったく愉快さや痛快さからは程遠い戦場だね」
サミルは胸の熱を逃すように淡く吐息をつむいで、肩を竦めた。
「うんうん、気が滅入るな! 落ち込んでる子、だ~れだ! ミハ~イっ!」
グリエルモが全く空気を読まないのほほんとした声を高らかに響かせていた。
「……っ」
その声に、ミハイ皇子は唇を噛んで片手で目元を乱暴にぐいっと拭い、顔を上げる。
アレクセイが狼狽えた顔で、矢を変な方向に飛ばしていた。
「はい、今黙ってる子が落ち込んでる奴ッ!」
はしゃぐように、揶揄うように吠えて、グリエルモの愛剣『妖精殺し』が闇に一条の閃を引いた。
気付けば、雨は止んでいる。
雲間から薄く差し込む月光を照り返して一度輝いたかと思えば、『妖精殺し』の切っ先が船上に三日月めいた斬弧を描いて、屍人を薙ぎ斬った。
「お前ら、覚えておけよ――お前らの皇子は、お前らが死んだら落ち込んでくれるってよ!」
嬉々として叫ぶグリエルモの声に、ミハイ皇子がぎゅっと眉を寄せた。
「あいつめ、笑っても泣いてもああやって士気高揚に利用しやがる」
ちいさな声は、すこし元気を取り戻したようだった。
甲板に飄風が駆け抜ける。
「いいじゃん。心ない旗頭よりかは、俺らも働き甲斐があるってもんだ!」
ニールだ。
身軽な冒険者は、すっと姿勢を下げ、夜風を裂いてひゅっと跳んだ。
暗闇の中、敵船の帆柱を伝い登り、柱を足場に蹴ってましらの如くに飛び回るその手から、何かが放たれている。
「呪術がかけられた暗器かな。いいもの持ってるね」
さてはあのメルシムが術をかけたのだろうか――サミルは口笛を鳴らした。
「その暗器は透明な奴に頼むよ!」
「おう」
頭上から快活な声が返る。
「中には入れそうかい」
軽やかな飛燕のような剣先を翻し、ハルディアが問いかける。
前進しながら迷いなく突きを放ち、盾を横に立てて屍人の体当たりを跳ねのけるようにして斬り抜けた一拍後に、倒れる音がつづく。
「ああ、落としましたよ、兵士さん」
珍しく丁寧な言葉で倒した屍人に語り掛けるハルディアに、サミルは視線を向けた。
義烈な青の瞳に柔らかな光を刹那に浮かべ、青年の手が倒れた屍人の手に持たせてやるのは、こぼれおちたお守り袋だった。
袋の表面にアイザール語で手書きの文字がある――、
『だいすきな おとうさんへ』――それを見て、サミルはちいさく祈りの文言を呟いた。
♪……、
♪エゥ アウラ ユエラ……、
そんな戦場に、ふと淡くこころを寄り添わせるような切々とした歌声が聞こえた。
薄い曇り空を思い出すような、柔らかで、少し妖しい、言葉の聞き取れない歌声――人魚の歌だ。
「お前ら――」
さきほどから何か叫んでるのは、青年剣士のマヌエルだ。
「な、なんで! 妖精――」
言いかけの言葉が途切れる。ずしん、ぐらりと衝撃が船を襲ったのは、ちょうどその時だった。
「うわっ――!?」
混乱の声に混ざり、国籍にばらつきのある声が幾つか名乗り上げるようだった。
(え……援軍? よくわからんが)
サミルの耳は「助太刀」だの「漁夫」だの、そんな単語を聞き取っていた。
賑々しい足音を鳴らし、後背から援軍と思しき人影が近寄る。
「おう、アレクセイ! 生きてたか!」
声をかけて、サミルやミハイ皇子を押しのけるように通路の先に突っ込むのは、二人――酒場で見かけたアレクセイの仲間だ。名前は確かウラフティーノとアンディネスだっただろうか。
ウラフティーノは炎を纏う魔剣を携え、アンディネスは薄い白光を放つ清廉な剣を突いている。
どちらも、剣の使い手はもちろん、剣を使わぬ者でも欲しがるような、一眼でわかる特別な剣だった。
「ウラフティーノ、アンディネス!」
アレクセイがパァッと顔を輝かせ、二人の名を呼んだ。
特別な剣が振るわれて、通路の霊が見る見る数を減らされていく。
ミハイ皇子はそれを神妙に見届け、さりげなく自然に、祈りを捧げる仕草をした。
「おい、アレクセイ。お前の皇子様はなんでこんな所に突っ込んでるんだ。うちの若様じゃあるまいし」
髭面を顰めてウラフティーノが言う。
「男はみんな突っ込むのが好きだろ、違うか?」
ミハイ皇子が普段の調子を取り戻したように生意気に言って、無邪気な顔で笑う。
サミルは肩を揺らして破顔し、陽気に声を寄り添わせた。
「――違いない! まあ、俺は突っ込まれるのも好むがな」
「ヒュウ……!」
アンディネスが口笛を吹きつつ、通路を掃除している。
「サミルさん、後ろはもう来ないかも」
甲板側に立って後ろを守っていたハルディアが後方からそう言って、霊を駆逐する剣にすこし羨ましそうな目を向けた。
「俺も剣を海に落としてなけりゃなぁ」
「おお、ハルディアさん。それを言うなら、俺だって落としたさ」
サミルは共感を湛えてその肩をぽんと叩いて労った。
そして、努めて明るく声を張り上げる。
「アレクセイの仲間が来てくれたなら、頼もしいね!」
「同感」
ハルディアは素直に頷き、若干窮屈そうにしながら横合いの部屋の扉からぬうっと顔を出した屍人に盾を押し込み、部屋に押し戻して剣を奮った。
「ご婦人の屍人だね――」
眉を顰めつつ言い、汚れの目立つ部屋に踏み込む足には迷いがない。
火花を散らして受け流し、くるりと順手に持ち替えて手に持った短剣を斬り飛ばし、もう一歩踏み込んで屍人を突き、直ぐさま剣先を引く。
「ごめんよ」
倒れ込む屍人に短く謝り、碧眼が見るのはベッドに寝かされ息絶えている幼子の遺体だった。
細く頼りない骨がのぞく、ぼろぼろに朽ちた幼子に大切そうに布がかけられていて、傍らには繕われた布の端から綿が飛び出たぬいぐるみがいっしょに寝ていた。
「……一緒に葬るよ」
青年の声は紛れもない優しさを浮かばせていて、サミルはしっかりと頷いた。
「そのために来たのだろうしな――そうでしょう、ミハイ殿下?」
幼子と屍人を順に見て、ミハイ皇子は迷いなく頷いた。
「なんならボクが子守唄だか……葬送歌だか……を歌ってやるよ」
声は、優しかった。
「――安らかに、眠れ」
ひとつひとつ、部屋を巡るようにして死に対面するうち、敵はいつしかその姿を見せることなくなっていて、どうやら全てを倒したようだった。
隅々まで船内を見て上に戻れば、船は人魚に囲まれていた。
人魚には敵意がなく、どちらかといえば友好的な気配を濃く漂わせて、不思議で綺麗な歌をゆらゆら、ふわふわと響かせている。
それが死者への鎮魂歌のようで、戦っていた者達は皆、厳かな表情になって、それぞれの故郷のやり方で敵味方の犠牲者へと祈りを捧げるのであった。
――死体を集め、怪我人を手当して、援軍だか漁夫だかを迎えて、忙しなく時間が過ぎていく。
淡くに緋色がかった紫色。
清らかに澱みを洗うような青。
人が燈す灯りみたいに橙がかった儚く優しい色。
――様々なグラデーションを描きながら、やがて、朝日は昇るのだった。
行き場のない悲しみや憤り、恨み辛みを全身から溢れさせる彼らは、恐ろしくもあり、哀しくもある――そんな存在だった。
15、死者と踊る夜、船揺れて
肩が胸の鼓動に合わせて小刻みに震える。
鼻腔に感じる匂いは、潮と死臭と鉄錆びの混ざるような匂いだった。
昏い空が稲光りを閃かせ、周囲一帯が一瞬、ぴかりと照らされる。
その船上は、そこかしこで斬風と打撃舞い踊る戦場だった。
屍人や透明な霊が怨嗟の籠もる唸り声を音の渦のごとく重ねて、アイザール兵や冒険者たちと入り乱れて争っている。
「さ、サリオン様……」
アレクセイが佳声を紡いで短く捧げるのは神聖な祈りの言葉のような、此処にいない誰かの名前だった。
(そういえば、人魚への挨拶でも言っていた。『サリオンのファミリエ』――部族の長とか、そんな位置付けなのかも知れぬ)
サミルはそっと青年の出自を思った。
(というか、サリオンって聞いたことある名前だな。東方の有名な射手じゃないか)
二つ名付きで知られる使い手だ。その部族だか血族だか、そんな身分なのではなかろうか。
サミルはアレクセイの血統の良さに内心で舌を巻きつつ、ミハイ皇子を抱き寄せて覆い被さるようにして、もろともに姿勢を低めた。
「失礼、皇子!」
片膝をつき、地面に手をつく。一瞬前まで肩から上があった空間を、屍人が奮う刃が過ぎていく。
「スリルがあるね」
間近に強気なミハイ皇子の呼吸を感じる。
怯えた気配は微塵もない。それどころか――、
(――なんと楽しげではないか!)
「殿下は肝が据わっておられる」
サミルは口元を笑みで彩り、脚元を踏み鳴らし、身を起こした。
立ち位置を変えようとする瞬間、風が鳴る。
射撃音が鋭く連続で空気を震わせている。
「気をつけろ、撃たれてる!」
耳を聾する射撃音は、他の船からだろうか。
鉛玉が打ち込まれて火の手が上がり、グリエルモが驚いている。
「おいっ、巻き込むなよ! どの船だ……っ?」
数名が射線に晒され、物陰に避難して隠れている。
「あっぶねえ。当たるとこだったぞ」
ぼやく顔は確か――サミルはそこに見覚えのある顔を見て、名前を思い出した。
(マクミランだ――先ほどの面白そうな術者の仲間ではないか。仲間とは別行動か?)
もう一人、身軽な仲間がいたはず……、
見渡せば、仔猿のように飛び回るニールがいる。あちらはひょいひょいと矢や鉛玉を避けていて、危なげない。
「サミルさん、気を付けてね」
ハルディアの大きな背中が眼前に立ち、盾を掲げて守ってくれている――それがなんとも頼もしい。
「名高い『堅牢』の盾に守って頂き光栄だね、ハルディアさん!」
軽い調子で声をかければ、笑む気配と共に肩が揺れる。
「じゃあ俺は『美人な楽師さんを守れて光栄だね』って返せばいいかい、サミルさん?」
「いいね」
軽口を交わせば、自然と笑顔が浮かぶ。
「いちゃいちゃしやがる」
ミハイ皇子が呟いて、開けっ放しになっている船内に繋がる扉を示す。
「船内に入ろう」
扉から通じる船内通路にも死霊の姿は当然、あった――、
「ウェアュクト」
「ボク、それ理解してるぞ、ハルディア」
ミハイ皇子がにこりとした。
「恐縮だね」
「こいつは謝らないんだ」
サミルは笑ながら視界に迫る敵に矢を放った。
「後ろッ」
何かが飛び出すのが視界に映るのと、誰の発したものかもわからぬ叫び声が耳を劈くのは同時だった。
槍兵の屍人が三体、槍を突き出してくる。
闇夜に鮮やかに煌めいたのは、敵味方の刃の軌跡だ。
「後ろ、了解?」
独り言めいて応え、ハルディアが独楽のように回り敵を迎え撃つかたちでアイザール勢から借りた長剣を走らせている。
「屍人には遅れは取らないさ!」
繰り出される一番槍の切っ先を剣身を廻して弾き飛ばす。
よどむことがない清流を思わせる剣の軌跡はそのまま、一体の足元を引っ掛けるようにして打ち倒した。
「奥から敵が……」
船内通路に魔法の矢を放ちながらアレクセイが、ミハイ皇子の進路を塞ごうとしている。
「どんどん出てきますよ。これじゃ、中に進むのはきついと思います……」
「肉体のある奴とない奴は、死に方に違いでもあったのかな」
ミハイ皇子は年齢に見合わぬ犀利な眼差しでそんなことを呟き、入り口から甲板側に出てから霊に向けて手を振った。
無邪気な風情で、あどけなく。
「ワーオ。そこのお前は、見覚えがあるっ。ルカ兄様の配下のヤートムだ。……お前、ボクがわかる?」
呼びかけられた霊に矢を射ろうとしていたアレクセイはその声を聞き、標的を変えた。
ヤートムと呼ばれた霊はミハイ皇子の声にゆらりと透明な体を揺らす。
他の霊が敵意を剥く中、その霊だけは、そろりそろりと敵意を静めるようだった。
その気配をはっきりと感じた様子で、ミハイ皇子はすこしだけ瞳の奥を揺らした。
「……この透明なのは、俺の矢も当たるのかね」
船内通路側からゆらゆら押し寄せる霊へと、サミルが試しに一矢を放つ。透明な体をするりと矢が抜けていく――、
背後では、ハルディアが甲板側からちょっかいを出す敵を淡々と捌いている。
「透明な奴は俺の剣も当たらないよ」
「ふうむ。透明なのは他に任せて俺らは屍人をやるとしよう」
「了解」
いつも通りの短い返答が、不思議な安心感を胸に呼ぶ。サミルは口の端をゆるく持ち上げた。
耳には、凛とした声がきこえる。
「ヤートム、お前はなんで死んだのさ。誰にやられたの。ボクと兄様は、お前の仇を討ってあげるよ」
ミハイ皇子の声が場違いに静かに響いている。
声は、親しい者に語りかけるようで、優しくて、哀し気だった。
戦いの音の中、その声は不思議なほどよく通り、サミルの心に染み込むのだった。
「……何年かけても、どんな手を使っても」
声に反応して全身を震わせるようにして、ヤートムと呼ばれた霊は低く床にくずおれた。
まるで跪くようにして、その姿が薄くなる。消えていく。
「言えよ――言えったら!」
少年の声が震えた。
感情の波を感じさせる声に、ハルディアが軽く振り返る。
「――冥福を」
すこし青臭さを感じさせる青年の声がそっと声をたむけた。
それは、真摯な響きだった。
声の直後、金属が悲鳴をあげる音が連なる。
ハルディアの繰り出す大きな盾が二つの槍を防いでいた。
「……っふッ」
盾で払い除けるようにして、ハルディアは鋭く呼気を吐き、前へ踏み出して胴打ち一閃、屍人を斬り伏せている。
あちらこちらから絶えず聞こえる金属の悲鳴が耳に痛い。
何より、死霊らの陰鬱で悲痛な気配が暗闇の中でひしひしと感じられるのだ。
「いやはや、今夜の舞台はまったく愉快さや痛快さからは程遠い戦場だね」
サミルは胸の熱を逃すように淡く吐息をつむいで、肩を竦めた。
「うんうん、気が滅入るな! 落ち込んでる子、だ~れだ! ミハ~イっ!」
グリエルモが全く空気を読まないのほほんとした声を高らかに響かせていた。
「……っ」
その声に、ミハイ皇子は唇を噛んで片手で目元を乱暴にぐいっと拭い、顔を上げる。
アレクセイが狼狽えた顔で、矢を変な方向に飛ばしていた。
「はい、今黙ってる子が落ち込んでる奴ッ!」
はしゃぐように、揶揄うように吠えて、グリエルモの愛剣『妖精殺し』が闇に一条の閃を引いた。
気付けば、雨は止んでいる。
雲間から薄く差し込む月光を照り返して一度輝いたかと思えば、『妖精殺し』の切っ先が船上に三日月めいた斬弧を描いて、屍人を薙ぎ斬った。
「お前ら、覚えておけよ――お前らの皇子は、お前らが死んだら落ち込んでくれるってよ!」
嬉々として叫ぶグリエルモの声に、ミハイ皇子がぎゅっと眉を寄せた。
「あいつめ、笑っても泣いてもああやって士気高揚に利用しやがる」
ちいさな声は、すこし元気を取り戻したようだった。
甲板に飄風が駆け抜ける。
「いいじゃん。心ない旗頭よりかは、俺らも働き甲斐があるってもんだ!」
ニールだ。
身軽な冒険者は、すっと姿勢を下げ、夜風を裂いてひゅっと跳んだ。
暗闇の中、敵船の帆柱を伝い登り、柱を足場に蹴ってましらの如くに飛び回るその手から、何かが放たれている。
「呪術がかけられた暗器かな。いいもの持ってるね」
さてはあのメルシムが術をかけたのだろうか――サミルは口笛を鳴らした。
「その暗器は透明な奴に頼むよ!」
「おう」
頭上から快活な声が返る。
「中には入れそうかい」
軽やかな飛燕のような剣先を翻し、ハルディアが問いかける。
前進しながら迷いなく突きを放ち、盾を横に立てて屍人の体当たりを跳ねのけるようにして斬り抜けた一拍後に、倒れる音がつづく。
「ああ、落としましたよ、兵士さん」
珍しく丁寧な言葉で倒した屍人に語り掛けるハルディアに、サミルは視線を向けた。
義烈な青の瞳に柔らかな光を刹那に浮かべ、青年の手が倒れた屍人の手に持たせてやるのは、こぼれおちたお守り袋だった。
袋の表面にアイザール語で手書きの文字がある――、
『だいすきな おとうさんへ』――それを見て、サミルはちいさく祈りの文言を呟いた。
♪……、
♪エゥ アウラ ユエラ……、
そんな戦場に、ふと淡くこころを寄り添わせるような切々とした歌声が聞こえた。
薄い曇り空を思い出すような、柔らかで、少し妖しい、言葉の聞き取れない歌声――人魚の歌だ。
「お前ら――」
さきほどから何か叫んでるのは、青年剣士のマヌエルだ。
「な、なんで! 妖精――」
言いかけの言葉が途切れる。ずしん、ぐらりと衝撃が船を襲ったのは、ちょうどその時だった。
「うわっ――!?」
混乱の声に混ざり、国籍にばらつきのある声が幾つか名乗り上げるようだった。
(え……援軍? よくわからんが)
サミルの耳は「助太刀」だの「漁夫」だの、そんな単語を聞き取っていた。
賑々しい足音を鳴らし、後背から援軍と思しき人影が近寄る。
「おう、アレクセイ! 生きてたか!」
声をかけて、サミルやミハイ皇子を押しのけるように通路の先に突っ込むのは、二人――酒場で見かけたアレクセイの仲間だ。名前は確かウラフティーノとアンディネスだっただろうか。
ウラフティーノは炎を纏う魔剣を携え、アンディネスは薄い白光を放つ清廉な剣を突いている。
どちらも、剣の使い手はもちろん、剣を使わぬ者でも欲しがるような、一眼でわかる特別な剣だった。
「ウラフティーノ、アンディネス!」
アレクセイがパァッと顔を輝かせ、二人の名を呼んだ。
特別な剣が振るわれて、通路の霊が見る見る数を減らされていく。
ミハイ皇子はそれを神妙に見届け、さりげなく自然に、祈りを捧げる仕草をした。
「おい、アレクセイ。お前の皇子様はなんでこんな所に突っ込んでるんだ。うちの若様じゃあるまいし」
髭面を顰めてウラフティーノが言う。
「男はみんな突っ込むのが好きだろ、違うか?」
ミハイ皇子が普段の調子を取り戻したように生意気に言って、無邪気な顔で笑う。
サミルは肩を揺らして破顔し、陽気に声を寄り添わせた。
「――違いない! まあ、俺は突っ込まれるのも好むがな」
「ヒュウ……!」
アンディネスが口笛を吹きつつ、通路を掃除している。
「サミルさん、後ろはもう来ないかも」
甲板側に立って後ろを守っていたハルディアが後方からそう言って、霊を駆逐する剣にすこし羨ましそうな目を向けた。
「俺も剣を海に落としてなけりゃなぁ」
「おお、ハルディアさん。それを言うなら、俺だって落としたさ」
サミルは共感を湛えてその肩をぽんと叩いて労った。
そして、努めて明るく声を張り上げる。
「アレクセイの仲間が来てくれたなら、頼もしいね!」
「同感」
ハルディアは素直に頷き、若干窮屈そうにしながら横合いの部屋の扉からぬうっと顔を出した屍人に盾を押し込み、部屋に押し戻して剣を奮った。
「ご婦人の屍人だね――」
眉を顰めつつ言い、汚れの目立つ部屋に踏み込む足には迷いがない。
火花を散らして受け流し、くるりと順手に持ち替えて手に持った短剣を斬り飛ばし、もう一歩踏み込んで屍人を突き、直ぐさま剣先を引く。
「ごめんよ」
倒れ込む屍人に短く謝り、碧眼が見るのはベッドに寝かされ息絶えている幼子の遺体だった。
細く頼りない骨がのぞく、ぼろぼろに朽ちた幼子に大切そうに布がかけられていて、傍らには繕われた布の端から綿が飛び出たぬいぐるみがいっしょに寝ていた。
「……一緒に葬るよ」
青年の声は紛れもない優しさを浮かばせていて、サミルはしっかりと頷いた。
「そのために来たのだろうしな――そうでしょう、ミハイ殿下?」
幼子と屍人を順に見て、ミハイ皇子は迷いなく頷いた。
「なんならボクが子守唄だか……葬送歌だか……を歌ってやるよ」
声は、優しかった。
「――安らかに、眠れ」
ひとつひとつ、部屋を巡るようにして死に対面するうち、敵はいつしかその姿を見せることなくなっていて、どうやら全てを倒したようだった。
隅々まで船内を見て上に戻れば、船は人魚に囲まれていた。
人魚には敵意がなく、どちらかといえば友好的な気配を濃く漂わせて、不思議で綺麗な歌をゆらゆら、ふわふわと響かせている。
それが死者への鎮魂歌のようで、戦っていた者達は皆、厳かな表情になって、それぞれの故郷のやり方で敵味方の犠牲者へと祈りを捧げるのであった。
――死体を集め、怪我人を手当して、援軍だか漁夫だかを迎えて、忙しなく時間が過ぎていく。
淡くに緋色がかった紫色。
清らかに澱みを洗うような青。
人が燈す灯りみたいに橙がかった儚く優しい色。
――様々なグラデーションを描きながら、やがて、朝日は昇るのだった。
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◆◇◆
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◆◇◆
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【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
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ハッピーエンド保証!
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11月9日~毎日21時更新。ストックが溜まったら毎日2話更新していきたいと思います。
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