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1章、楽師、南海に囀りて

13、人魚の海域、妖精のご挨拶、歌交わし

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 遥か彼方で空と海がまじわる、無限につづくような世界を船が往く。
 海風と陽光を受ける帆を張って、柔らかな白波と戯れて。
 ――帆風と波を全身で感じながら一行が辿り着いたのは、妖精の集落があるという海域だった。

 
   13、人魚の海域、妖精のご挨拶、歌交わし

 
 アイザールの船団は、その後数日かけて逃げたイカに警戒しつつ、幽霊船が出没する海域に辿り着いた。

「私は妖精に挨拶してみますね。混沌騎士団もいるかもしれませんし」
 アレクセイが船首から声を響かせる。紡ぐ言葉は東方クレストフォレス言葉であった。その金糸を紡いだような髪が、くもりがちな陽射しにしとやかに艶めいて、きらきらしている。

「揺らめく波と泡沫の貴婦人、奔放なる人魚の皆様に森の妖精エレセフェー純血のピュアソアレクセイがご挨拶申し上げます。私はファン東の森クレストフォレス、サリオン様の枝葉ファミリエにて、混沌騎士団に預けられし身。海の血マーレンフェーに初めてお目にかかりたいのですが……」
 
 気弱で真面目そうな青年の声にこたえるように海がゆらりと不自然な波の揺らぎを見せたので、見守っていた船団の皆が好奇の視線を集中させた。

 うっすらと空に立ち込める暗い色の雲の隙間から、細く太陽の光の筋が差し込んでいる。
 揺らぐ波間と妖精青年の髪にそれが反射して煌めく視界は、どこか御伽噺おとぎばなしめいて、幻想的だった。

 長い黒髪、編み髪を背に遊ばせて、少ししめやかな空気の中でサミルはこの船旅の冒険譚をいつか自分の言葉で世界に伝え、後世まで語り継がせんとこころに思う。
(それはもう、美しく、多少大げさにってやろう。俺自身は、傍観者ぼうかんしゃの配役で!)

 アレクセイが海面の揺らぎに手応えを感じたように懐から黄金の果実を取り出し、海に差し出している。
 青年の手が目に見えて緊張だか何だかで震えていて、見守るサミルは謎の庇護ひご欲みたいなものを覚えた。
 
 この妖精青年アレクセイは、何をするにしてもなんだか経験の浅い感じがして、頼りない――、


 アレクセイの声が響いている。
 どこか神々しい雰囲気を纏って。
「森の恵みを、私から――我らは神々に自由なる奇跡を許されし民にて、そのこころは遊びてはからず、二つ心は良しとせず、この友好の意思は純水に似て濁らず、と申し上げます」


 曇り空の下で優しい色合いに艶を見せる金色の髪を振り、ハルディアがじれったそうにサミルに耳を寄せ、ささやいた。

「俺、何言ってるかわからん。わかる?」
「わかる必要もなし」
 サミルはうっすらと微笑んだ。

 ざわめきが大きくなる。海面に複数の人影めいたものが現れて、ざぱりと海棲かいせいの妖精が姿を現したからだ。

 人魚は、つるりとして水に濡れた繊細な肌、上半身はひとの女に似た容姿にて、肩や腕を大胆に露出している。体付きは総じて神々の造りし人形めいて美しく魅力的で、胸元は貝殻の胸飾りで覆い隠していた。
 
 妖精の感覚でも、そこは隠すものなのだな――と、サミルなどはしみじみ思ったものだ。
 
 ちなみにへその下は魚のような下半身になっていて、うろこの一枚一枚がしっとりと濡れた輝きを放ち、陽射しを浴びて可憐な花びらのように柔らかで繊細な色を魅せていた。
 濡れた髪は艶やかに水面に広がり、微笑みの形に端があがる唇はふっくらしていて、やさしく温かな印象。
 けれど、そのさえずる歌声は男を誘い、海に引き摺り込んで帰らぬ人にしてしまうこともある――そんな美しくも恐ろしいところのある妖精だ。

 そんな人魚の集落が近くにあり、群れが実際に現れたのだから、妖精種と不仲のアイザール勢は一気に緊張感を高めていた。


「人魚だ!」
「船が囲まれてるぞ、大丈夫か?」
 アイザール兵が血相を変えて声を上げている。
「武器を――」


「武器は取るな」
 自身も得物に伸びそうな利き手を逆の手で抑えつつ、グリエルモが飄々ひょうひょうとした声を響かせた。
「先に敵対の気配を見せてはいかんぞ、君たちぃ~、俺は友人ネクシにそれを常々怒られているッ」

 グリエルモの友人ネクシとは、アイザールの高官だ。奴隷だった彼を助けて傭兵になる手伝いをしてくれて、功績を重ねるのを支援してくれたのだという。彼らはとても仲が良く、互いの髪に揃いのリボンを結えて親友と呼び合っているらしい――。

「また落ちるかな?」
 ハルディアがすぐ隣で何か言っている。おそらく独り言だろう――、
「落ちてもいいように縛っとく?」
 青年の声がそんな事を言って縄などをつかんでいる。
「ん? 命綱?」
「そうそう、そのへんの柱にでもくくって」
「いらん」

 サミルはリュートを爪弾いた。
「海の貴婦人らに一曲捧げよう! 即興曲、タイトルは『海に落ちる英雄』これだなっ」
 軽い調子で楽しく奏でた始まりの音がまあまあ気に入ったので、サミルはその後を適当に続けた。

「それって自分の事?」
 ミハイ皇子が冷静なツッコミをしてから、アレクセイに優しく声をかけている。
「アレクセイ、大丈夫そう?」
 アレクセイは船の近くに寄ってきた人魚に黄金の果実を落とし、じっと瞳を覗いた。
 人魚が聞き取れない言葉で海のせせらぎみたいに喉を震わせ、何かを歌っている。
 意味のわからない不思議な発音の言葉は、耳に気持ちよい。
 未知の妖精世界を感じさせ、心に異国情緒みたいな新鮮な感覚を呼び起こすのだ。

 柔らかに紡がれた声が何人分も重なる中、アレクセイは振り返った。
「音楽は楽しい、と言ってます」
 青年の薄荷緑の瞳が宝石のようにきらきらして、内心の高揚を伝えている。
 この気弱な青年がそんな顔をみせると、年上の冒険者たちは不思議と「よかったな」と言いたくなるのだった。

「やはり、音楽とは種や言葉を越えて友好の架け橋となるものよな――俺はわかってた!」
 サミルはしたり顔でリュートを奏でて適当な歌を歌い始めた。それはもう、適当に。

「♪英雄さん 海に落ちたァ~
 ♪鎧を脱いでぱしゃりと落ちたぁ
 ♪ついでに船が傾いて
 ♪最後はみんながどんぶらこ~」

 人魚たちが喜んで尾鰭おひれをぱしゃぱしゃさせている。
 喜んでくれている――サミルはニコニコした。

「歌詞がひどい」
 ミハイ皇子がけらけらと笑っている。
「でも、ウけてる! いいぞ!」

 グリエルモはそんなミハイ皇子を肩に抱え上げて揺らし、「それミハイ、傾いたぞ~」と緊張感なくふざけ始めた。グリエルモの配下兵、ジャクレンは戸惑いがちな真面目な顔で、心配そうにしているが。
「人魚は襲ってこないようですね……?」
 どうやら、人魚は船を襲う気がない様子で、綺麗に歌声を響かせている。

「おーいみんなぁー、なんか歌っとけー」
「おじさんは適当だなぁ」
 アイザールの主従がのほほんとした声を響かせる中、冒険者たちは思い思いに適当な歌を歌い始めた。

「これは良いや。祭りだ、祭り」
 ハルディアが楽しそうに足を慣らしてリズムを刻んでいる。
「っていうか、混沌騎士団の連中は? あいつら海に沈められてたりして?」
 何やら個人的に混沌騎士団が気になるらしい青年剣士マヌエルが手すりにつかまり、人魚たちや海を戸惑いがちに見ている。
 褐色の指先がぎゅっと強く震えるように手すりを掴んで、肩が震えている。
「うぅ……っ、気に入らん奴らだったが、いざ死んだかもしれないと思うとちょっと複雑……」
 複雑そうな声がそんな事を呟いていた。

「妖精の群れとは、これまた……」
 マヌエルの近くにいる冒険者のチームが顔を見合わせている。
「歌わないのかい、マクミラン?」
 帆柱マストに手をかけて今にも登っていきそうな気配のニールが人懐こく笑っている。

「俺は音痴なんだ。人魚が機嫌悪くしても知らねえぞ」
「ふーん」

 するすると仔猿のようにニールが帆柱マストを登っていく。
莫迦ばかとなんとかは高いところが好きっていうが、あいつはそれかね」
 呆れたように言って、マクミランが肩をすくめた。
 ローブ姿の術者、メルシムはそんな二人から少し距離を取るようにして、ひそやかな空気感でたたずんでいた。

「メルシム殿はどう思う」
 マクミランが愛想よく笑顔を向ける。
 メルシムは応えず、沈黙を返した。
「寝てんじゃねえの」
 ニールが上から茶々を入れている。
「こら、ニール」

 マクミランは弟をしかる兄みたいな顔で、帆柱マストの上のニールを睨んだ。


 しばらくそんな暢気のんきな時間を過ごすうちに、人魚たちは海の中に引き上げていった。

「この船は、沈めないでくれるようです」
 アレクセイはそう言って皆を安心させたのだった。
 
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