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6章、幸せのかたち
73、「これを、生命倫理の問いと名付けて申し上げる」
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73、「これを、生命倫理の問いと名付けて申し上げる」
妖精の輪をくぐった先には、小さな妖精がたくさん飛翔していた。
妖精界だ。
北西の主、フェアグリンの領域だ。
クレイは周囲を恐る恐る探り、彷徨った。
建物だ。
白くて、清潔で。少し殺風景で、部屋がたくさんある。
何かのデータを示す記録で溢れる小部屋、あやしい薬品や、呪術や魔術の書でいっぱいの部屋。
いつか黒竜が夢でみせた、透明な器もある。
(これは、これは――)
なるほど、研究。
なるほど、実験。
――ゴールを定めて、失敗と成功をつらねて、階段を築こうとしている。
……そんな場所だ。
クレイは近くの椅子に落ち着いて、無数の資料を読み漁った。
人の気配を感じれば、ふわりと微笑み言葉を連ねた。
「僕たちは、四本脚で野を駆けていた。やがて、二足で立つようになり、道具をつくるようになった。野生の獣が怖がる火を便利につかい、自然の冷えをしりぞけ、病の種を消毒して――言葉を話し、文字をおぼえ、記録を残した」
足音が近くで止まって、野性の獣みたいな、縄張りの中で獲物を見定めるような視線を感じる。
「一人の人生が終わっても、それで得た知識や技術が他者に、後世に引き継がれた。積み重なっていった」
クレイはそっと言葉を震わせて、顔をあげた。
「そしてどんどん、できなかったことができるようになっていく。自然を克服し、望みを叶えていく……」
視線の先には、伴侶がいる。
彼は、ここで研究している本人なのだ。
「クレイ様――貴方の『歩兵』はお外で大人しくしていますよ。ここはフェアグリンの支配圏ですから、黒竜も来れませんな――俺が貴方に酷いことをしても、誰も貴方を助けられないのです」
静かな声が二人だけの室内に響くと、なんだか冷え冷えとした冬みたいな気配が空間を浸すようだった。
「ニュクスは、たまにそういうことを言う。僕を怖がらせたいみたい」
「殿下も、たまに海を燃やしたり親を人質に取って脅したりなさいますね」
研究内容をひとつひとつ確認するようにして、クレイは首をかしげてみせた。
「これは、性交渉なしで子供をつくるための術だね」
「殿下が気になさっていたので――」
「なるほど。確かに僕は気にしていたね」
「生まれる前に、病や身体的特徴の確認もできるのです。さらに技術がすすめば、欠損した身体部位を補ったり、全身まるごとある程度の年齢まで育ててから生まれさせたり――心を入れ替えて、肉体を乗り換えてずっと生きることすら、可能になるやもしれません」
膝を床について、ニュクスフォスは困ったように微笑んだ。
それはいつものことで――クレイに敵対する意思がないのだ、味方なのだと教えてくれる。
同時に、従順に縮こまって覚悟するみたいな気配は――自分でも、それをどうかと疑問視する後ろ暗い心がどこかにあるのだ。
「身体的に創ることが難しいと悩む世界中の者への救済となりましょう。また、望まぬ行為を後継ぎ作りのために義務で行う必要も、なくなるわけです」
切々とした声に、クレイは微睡むように微笑んだ。
「うん、うん。これは、ちょっと繊細な問題のようだ。いっしょに考えようか」
――いっしょに考えて欲しいのだね。怖いんだろう。
ニュクスフォスという青年は、オスカーという少年は、こういうところがあるのだった。
清らかな自分で居たい気持ちがあって、他者に自分でもどうかと思う部分をちょっと議題提示してみて、NOをくれないかとチラチラするのだ。
それがもらえると、安心するのだ。
クレイは優しく頷いた。
「その技術を喜ぶ人が世の中には必ずいるだろう。君の研究は、人を救うことができるね――けれど、ちょっとだけ、怖いところもあるね」
そうだ。
そんな風に、紅色の目が頷いた。
「身体的都合で子供がつくれないけど、つくりたい。そんな人には、喜んでいただくとよいのではないだろうか。一方、世の中には子供をつくりたくない人もいる。けれど、つくれる――つくれるなら、つくれ。つくるのが当たり前で、つくらないのはおかしい……と、そんな同調圧力、無言の了解が生まれるおそれが、まずあるわけだ。つくらないのもおかしくないのだ、それもひとつの生き方だと、影響力のある者や権力者が代表例になるのはいかが。僕たちは適しているだろう……誰も、文句言えないもの」
クレイはそっとニュクスフォスの表情を窺った。
(ニュクス、君は子供好きだね。君の子供は、さぞ可愛いのだろうな。子供を可愛がる君は――きっと、赤竜のときと比較にならないくらい微笑ましいのだろうね。ああ、そんな幸せを君に贈ることができたら、僕はどんなに幸せだろうか……)
愛しさがこみあげて、同時に切なさが眦を熱くする。
「僕の中には、たしかに間違いなく、君との子供に夢見る気持ちは、あるよ。……そりゃあ、あるよ。愛しているのだもの……ないなんて言ったら、嘘になるよ」
それを言うのは、もじもじとしてしまうけれど。
気持ちをつたえるのは大切だと思うから、クレイは真剣な声をありのままに響かせた。
「僕は子供をつくれなくてもいいんだ。むしろ、僕の子供というのは子供が可哀想に思えてしまうな。自分の傷を我が子に無意識に刻むようにしてしまって、きっと真っ当に愛することはできないだろうし、……うん。義務でも作りたくない。義務じゃないなら、作らないで自分の血統を絶やしたほうが、僕は『僕の人生で絶やしてやったぞ』と幸せな気分になる……僕、歪んでるんだ。自分の中に流れる血統が嫌いなんだ。ごめんね」
クレイはそう言って、申し訳ない気分で頭を下げた。
「不快にさせたら、すまないね。子供って、親の人生を彩るためのペットじゃない。つくらないといけないからって理由で、家のため、政治の駒として作りたくない。子供がいる夫婦ごっこしたい欲を満たすための脇役ではない……――僕は、この世に生まれることが、社会的責任に問われる身分に生み落とされるのが、割と不幸な事件だと思っている人間だから。親や生い立ちは選べないから、救済の後、そのエンディングの続きを考えてしまう」
(だって、人生はつづくじゃないか)
クレイはそう思うのだ。
(子供の人生が、つづくじゃないか)
「僕は、自分が気付いたら生まれてしまっていて、死ぬまで生きないといけない人生が、正直今現在も、ちょっといやだよ。死ぬのも楽じゃない。世の中は理不尽がいっぱいで、悩ましいことがたくさんで、楽しさにはつらさも絶対にいっしょにいる――でも生まれてしまったから、死ぬまでは生きている。生きている時間、たまたま君と一緒にいるのが嬉しくて、楽しくて、幸せを感じている……わかる? 僕の伴侶。僕は、君と二人でいる人生で満ち足りている……」
(一緒になって「いいね」って言えなくてごめんね。きっと、僕が喜ぶと思ってた。僕のために頑張ってくれていた――いつも、いつも)
「僕は、君と二人でいるのが幸せ。……僕が誤解をさせやすいのがいけないんだ。ごめんね」
……玉座に座らせたときも、そうだった。
褒めてほしいというように玉座の前でニコニコしていた。
ニュクスフォスはすごく苦労して、王様になるエンディングにクレイを連れていってくれたのだ。
だけど、クレイは「ありがとう」とは言えないのだ――、
(でも、そっちのほうが君も嬉しいんだろう。ほんとうは)
……現在のクレイは、そう思うのだ。
「でもって、僕はこれからちょっと酷いことを言うのだけれど……」
クレイはそっと睫毛を伏せた。
「……気軽に苦労もなく子供をつくれるようになる。つくって、一定の年齢まですぐに成長させられるようになる。すると、子供とはいつでも不良品を破棄して新しい代替品と交換できるものになるだろうか……君のお母様が白い肌の子供を欲しいと思って、もし君の研究が役立てていたら? 肌の色を見た瞬間に君は捨てられて、お母様は新しい白い肌のオスカーを作っただろうか」
そんなことはないと思いながらも、それを想像してしまって、クレイの胸はずきずきと痛んだ。
「……そうでなくてよかった。僕は、自然にありのままに君が生まれて育ってくれた現在が嬉しいよ」
眼差しを寄せれば、真摯な瞳は気分を害した様子もなく、しずかに言葉をきいている。
この人は僕の言葉をきいてくれるのだ――クレイはそれを心地よく愛しく思って、『ならばサボるまい、自分なりの全力の誠実さを返そうではないか』と頭を動かすのだった。
「世の中の人たちがもし、逆に南国風の肌をよしとする風潮に目覚めたらどうだろう。それが人権で、それを持っているのがステータスとなったら、どうだろう。人々は子供の肌色を選んでつくり、流行世代はみんな同じ色に染まるみたいになって、多様性を失うだろうか? 少数派になってしまった子供はどんな風にその世の中で生きるだろうか? みんなと違う自分を捨てずに育てる自分の親を恨んだりするだろうか――もし、その体質だけに発現する遺伝病が発現したら、多様性を失った人間は絶滅の危機に瀕することになるだろうか?」
羽根にあこがれて、気軽に背に羽根が生やせるようになったらどうだろう。
異性になりたいとおもって、気軽に異性になれるようになったらどうだろう。
自然に生まれた人間が、もてる技術でそれを成す。ならば、それも自然のうちなのだろうか。
人間って、どこまでが自然でどこからが自然じゃないのだろう。
「帝国の太陽、全能の陛下……僕はこれを、生命倫理の問いと名付けて申し上げる。技術向上の便利の先には、何があると、陛下は思われますか――」
クレイはロザリオを握り、真剣に迷路に向き合うのだった。
「性交しなくても子供がつくれるなら、社会は性交の位置づけをどのように定義するようになるだろう。嗜好品のように、スポーツのようになる? 性を厭う傾向がつよくなる? 性衝動なんて僕たちにはありません、いりませんってなっていく? ――性機能は衰えたりするだろうか? 性がなくなったりする?」
世の中には可能性がたくさんある。
……それはワクワクするし、同時に怖いとも思うのだった。
「希むまま、病の種を絶やし、リスクを減らし、長寿になって老いを克服し、もしかしたら永遠に命を続かせる術も生まれるかもしれない。凄い、夢のようだね! ……そして、その後どうなるだろう……」
トーンダウンして立ち上がる足がふらりと縺れれば、当然のようにニュクスフォスが抱き留めてくれる。
その体温は、あたたかかった。
「世界中に死なない人たちが溢れて、永遠に生きて、望みをなんでも叶えて……そこに、誰もが認める理想郷があるのだろうか? そこにいる人たちの心は、どのようであろうか? それは、今現在の僕たちと同じ人間といえる生き物だろうか」
呼吸にあわせて、視界がかすかにふるえている。
自分も、相手も――たまたま今を一緒に、生きている。
それが死ぬまでの有限なのだと思うと、クレイは切なく愛しく、たまらない気分になる。
「『騎士王』――君は、他の人よりいろんなことができてしまう。それは、ちょっと怖いことだね。騎士の騎士道は、力持つ武人が思いのままにそれを奮うのを怖れたがゆえに、倫理道徳でそれを制御しようと唱えられたのである。それは、術の技術においても同じといえよう。軽率に思うがまま力を扱うことは、とても怖いことだ。慎重に考えたほうがよいのだ。僕は、そう思う」
その生涯が終わった後も、この時代の歴史書のページには彼の名は残るだろう。
それを思うと、クレイは少しこの人物の隣にいる自分が怖くなる。
――きっと、ニュクスもそうなのだろう。そんな気をおぼえる時があるのに、違いない。
そんな想いを胸に、髪を撫でる。
少年のころ、ありふれた日常にそうしたように。
「僕、一緒になっていろんなことを考えるよ。僕の王様なのだもの。僕の騎士なのだもの。これからもずっと、どんなことでも。隣にいるって、そういうことなんだ――僕達、伴侶なのだもの」
唇に自分の吐息を押し付けるようにすれば、神聖な誓いみたいなキスになる。
髪が優しく撫でられて、日常の気配が強くなる。
(ああ、喋って。君もなにか喋って、『騎士王』――僕のニュクスフォス)
クレイがそれを求める吐息をつくと、ニュクスフォスはほわりと微笑んで柔らかにクレイを抱き上げた。
「殿下のお考えは、わかり申した。誓いましょう――俺の力は殿下の夜をお守りするためにあるのであり、怖がらせるために奮うことは致しません」
優しい声がそう言って、眦にキスをする。
クレイはほっと安堵した。
「ちなみに俺の研究は、これだけではありませんぞ!」
「うん、……うん?」
溌剌とした声は陽気で、悪びれない。
深刻だった空気が言葉がつづくたび、ゆるゆるとしていく――、
(あれ? ニュクスぅ?)
ニュクスフォスはニコニコしながらクレイを抱えて部屋を巡り、自分が作ったという呪具の山をみせたのだった。
「これは……玩具、かなぁ……」
クレイは気の抜けた声でぽつりと呟いた。
「以前没収した玩具をみて、俺は思ったのです。たとえ玩具であっても他者がつくったもので貴方が悦ぶのは許しがたい、と……」
「……そ、そう。そうか」
つまり、自分がつくった玩具で僕を悦ばせるというのか――あれ? さっきまでの話と随分温度差があるような……クレイはじっとりとした半眼になって、不思議な現実を咀嚼した。
「陛下。僕は、真剣――」
「俺は、貴方が生まれてくれて嬉しいですよ」
お説教をするように言葉を選んだ瞬間、不意打ちみたいに声が降る。
「生きていてくれて、嬉しいですよ」
慈しむような眼が近くで瞬いていて、クレイは何も言えなくなったのだった。
そして、「研究をどうするかは中央の方々ともよくよく話し合うことにして、お部屋に戻りますかな」と告げたニュクスフォスがさっそく玩具を選ぶのを見て、どきどきするのだった。
妖精の輪をくぐった先には、小さな妖精がたくさん飛翔していた。
妖精界だ。
北西の主、フェアグリンの領域だ。
クレイは周囲を恐る恐る探り、彷徨った。
建物だ。
白くて、清潔で。少し殺風景で、部屋がたくさんある。
何かのデータを示す記録で溢れる小部屋、あやしい薬品や、呪術や魔術の書でいっぱいの部屋。
いつか黒竜が夢でみせた、透明な器もある。
(これは、これは――)
なるほど、研究。
なるほど、実験。
――ゴールを定めて、失敗と成功をつらねて、階段を築こうとしている。
……そんな場所だ。
クレイは近くの椅子に落ち着いて、無数の資料を読み漁った。
人の気配を感じれば、ふわりと微笑み言葉を連ねた。
「僕たちは、四本脚で野を駆けていた。やがて、二足で立つようになり、道具をつくるようになった。野生の獣が怖がる火を便利につかい、自然の冷えをしりぞけ、病の種を消毒して――言葉を話し、文字をおぼえ、記録を残した」
足音が近くで止まって、野性の獣みたいな、縄張りの中で獲物を見定めるような視線を感じる。
「一人の人生が終わっても、それで得た知識や技術が他者に、後世に引き継がれた。積み重なっていった」
クレイはそっと言葉を震わせて、顔をあげた。
「そしてどんどん、できなかったことができるようになっていく。自然を克服し、望みを叶えていく……」
視線の先には、伴侶がいる。
彼は、ここで研究している本人なのだ。
「クレイ様――貴方の『歩兵』はお外で大人しくしていますよ。ここはフェアグリンの支配圏ですから、黒竜も来れませんな――俺が貴方に酷いことをしても、誰も貴方を助けられないのです」
静かな声が二人だけの室内に響くと、なんだか冷え冷えとした冬みたいな気配が空間を浸すようだった。
「ニュクスは、たまにそういうことを言う。僕を怖がらせたいみたい」
「殿下も、たまに海を燃やしたり親を人質に取って脅したりなさいますね」
研究内容をひとつひとつ確認するようにして、クレイは首をかしげてみせた。
「これは、性交渉なしで子供をつくるための術だね」
「殿下が気になさっていたので――」
「なるほど。確かに僕は気にしていたね」
「生まれる前に、病や身体的特徴の確認もできるのです。さらに技術がすすめば、欠損した身体部位を補ったり、全身まるごとある程度の年齢まで育ててから生まれさせたり――心を入れ替えて、肉体を乗り換えてずっと生きることすら、可能になるやもしれません」
膝を床について、ニュクスフォスは困ったように微笑んだ。
それはいつものことで――クレイに敵対する意思がないのだ、味方なのだと教えてくれる。
同時に、従順に縮こまって覚悟するみたいな気配は――自分でも、それをどうかと疑問視する後ろ暗い心がどこかにあるのだ。
「身体的に創ることが難しいと悩む世界中の者への救済となりましょう。また、望まぬ行為を後継ぎ作りのために義務で行う必要も、なくなるわけです」
切々とした声に、クレイは微睡むように微笑んだ。
「うん、うん。これは、ちょっと繊細な問題のようだ。いっしょに考えようか」
――いっしょに考えて欲しいのだね。怖いんだろう。
ニュクスフォスという青年は、オスカーという少年は、こういうところがあるのだった。
清らかな自分で居たい気持ちがあって、他者に自分でもどうかと思う部分をちょっと議題提示してみて、NOをくれないかとチラチラするのだ。
それがもらえると、安心するのだ。
クレイは優しく頷いた。
「その技術を喜ぶ人が世の中には必ずいるだろう。君の研究は、人を救うことができるね――けれど、ちょっとだけ、怖いところもあるね」
そうだ。
そんな風に、紅色の目が頷いた。
「身体的都合で子供がつくれないけど、つくりたい。そんな人には、喜んでいただくとよいのではないだろうか。一方、世の中には子供をつくりたくない人もいる。けれど、つくれる――つくれるなら、つくれ。つくるのが当たり前で、つくらないのはおかしい……と、そんな同調圧力、無言の了解が生まれるおそれが、まずあるわけだ。つくらないのもおかしくないのだ、それもひとつの生き方だと、影響力のある者や権力者が代表例になるのはいかが。僕たちは適しているだろう……誰も、文句言えないもの」
クレイはそっとニュクスフォスの表情を窺った。
(ニュクス、君は子供好きだね。君の子供は、さぞ可愛いのだろうな。子供を可愛がる君は――きっと、赤竜のときと比較にならないくらい微笑ましいのだろうね。ああ、そんな幸せを君に贈ることができたら、僕はどんなに幸せだろうか……)
愛しさがこみあげて、同時に切なさが眦を熱くする。
「僕の中には、たしかに間違いなく、君との子供に夢見る気持ちは、あるよ。……そりゃあ、あるよ。愛しているのだもの……ないなんて言ったら、嘘になるよ」
それを言うのは、もじもじとしてしまうけれど。
気持ちをつたえるのは大切だと思うから、クレイは真剣な声をありのままに響かせた。
「僕は子供をつくれなくてもいいんだ。むしろ、僕の子供というのは子供が可哀想に思えてしまうな。自分の傷を我が子に無意識に刻むようにしてしまって、きっと真っ当に愛することはできないだろうし、……うん。義務でも作りたくない。義務じゃないなら、作らないで自分の血統を絶やしたほうが、僕は『僕の人生で絶やしてやったぞ』と幸せな気分になる……僕、歪んでるんだ。自分の中に流れる血統が嫌いなんだ。ごめんね」
クレイはそう言って、申し訳ない気分で頭を下げた。
「不快にさせたら、すまないね。子供って、親の人生を彩るためのペットじゃない。つくらないといけないからって理由で、家のため、政治の駒として作りたくない。子供がいる夫婦ごっこしたい欲を満たすための脇役ではない……――僕は、この世に生まれることが、社会的責任に問われる身分に生み落とされるのが、割と不幸な事件だと思っている人間だから。親や生い立ちは選べないから、救済の後、そのエンディングの続きを考えてしまう」
(だって、人生はつづくじゃないか)
クレイはそう思うのだ。
(子供の人生が、つづくじゃないか)
「僕は、自分が気付いたら生まれてしまっていて、死ぬまで生きないといけない人生が、正直今現在も、ちょっといやだよ。死ぬのも楽じゃない。世の中は理不尽がいっぱいで、悩ましいことがたくさんで、楽しさにはつらさも絶対にいっしょにいる――でも生まれてしまったから、死ぬまでは生きている。生きている時間、たまたま君と一緒にいるのが嬉しくて、楽しくて、幸せを感じている……わかる? 僕の伴侶。僕は、君と二人でいる人生で満ち足りている……」
(一緒になって「いいね」って言えなくてごめんね。きっと、僕が喜ぶと思ってた。僕のために頑張ってくれていた――いつも、いつも)
「僕は、君と二人でいるのが幸せ。……僕が誤解をさせやすいのがいけないんだ。ごめんね」
……玉座に座らせたときも、そうだった。
褒めてほしいというように玉座の前でニコニコしていた。
ニュクスフォスはすごく苦労して、王様になるエンディングにクレイを連れていってくれたのだ。
だけど、クレイは「ありがとう」とは言えないのだ――、
(でも、そっちのほうが君も嬉しいんだろう。ほんとうは)
……現在のクレイは、そう思うのだ。
「でもって、僕はこれからちょっと酷いことを言うのだけれど……」
クレイはそっと睫毛を伏せた。
「……気軽に苦労もなく子供をつくれるようになる。つくって、一定の年齢まですぐに成長させられるようになる。すると、子供とはいつでも不良品を破棄して新しい代替品と交換できるものになるだろうか……君のお母様が白い肌の子供を欲しいと思って、もし君の研究が役立てていたら? 肌の色を見た瞬間に君は捨てられて、お母様は新しい白い肌のオスカーを作っただろうか」
そんなことはないと思いながらも、それを想像してしまって、クレイの胸はずきずきと痛んだ。
「……そうでなくてよかった。僕は、自然にありのままに君が生まれて育ってくれた現在が嬉しいよ」
眼差しを寄せれば、真摯な瞳は気分を害した様子もなく、しずかに言葉をきいている。
この人は僕の言葉をきいてくれるのだ――クレイはそれを心地よく愛しく思って、『ならばサボるまい、自分なりの全力の誠実さを返そうではないか』と頭を動かすのだった。
「世の中の人たちがもし、逆に南国風の肌をよしとする風潮に目覚めたらどうだろう。それが人権で、それを持っているのがステータスとなったら、どうだろう。人々は子供の肌色を選んでつくり、流行世代はみんな同じ色に染まるみたいになって、多様性を失うだろうか? 少数派になってしまった子供はどんな風にその世の中で生きるだろうか? みんなと違う自分を捨てずに育てる自分の親を恨んだりするだろうか――もし、その体質だけに発現する遺伝病が発現したら、多様性を失った人間は絶滅の危機に瀕することになるだろうか?」
羽根にあこがれて、気軽に背に羽根が生やせるようになったらどうだろう。
異性になりたいとおもって、気軽に異性になれるようになったらどうだろう。
自然に生まれた人間が、もてる技術でそれを成す。ならば、それも自然のうちなのだろうか。
人間って、どこまでが自然でどこからが自然じゃないのだろう。
「帝国の太陽、全能の陛下……僕はこれを、生命倫理の問いと名付けて申し上げる。技術向上の便利の先には、何があると、陛下は思われますか――」
クレイはロザリオを握り、真剣に迷路に向き合うのだった。
「性交しなくても子供がつくれるなら、社会は性交の位置づけをどのように定義するようになるだろう。嗜好品のように、スポーツのようになる? 性を厭う傾向がつよくなる? 性衝動なんて僕たちにはありません、いりませんってなっていく? ――性機能は衰えたりするだろうか? 性がなくなったりする?」
世の中には可能性がたくさんある。
……それはワクワクするし、同時に怖いとも思うのだった。
「希むまま、病の種を絶やし、リスクを減らし、長寿になって老いを克服し、もしかしたら永遠に命を続かせる術も生まれるかもしれない。凄い、夢のようだね! ……そして、その後どうなるだろう……」
トーンダウンして立ち上がる足がふらりと縺れれば、当然のようにニュクスフォスが抱き留めてくれる。
その体温は、あたたかかった。
「世界中に死なない人たちが溢れて、永遠に生きて、望みをなんでも叶えて……そこに、誰もが認める理想郷があるのだろうか? そこにいる人たちの心は、どのようであろうか? それは、今現在の僕たちと同じ人間といえる生き物だろうか」
呼吸にあわせて、視界がかすかにふるえている。
自分も、相手も――たまたま今を一緒に、生きている。
それが死ぬまでの有限なのだと思うと、クレイは切なく愛しく、たまらない気分になる。
「『騎士王』――君は、他の人よりいろんなことができてしまう。それは、ちょっと怖いことだね。騎士の騎士道は、力持つ武人が思いのままにそれを奮うのを怖れたがゆえに、倫理道徳でそれを制御しようと唱えられたのである。それは、術の技術においても同じといえよう。軽率に思うがまま力を扱うことは、とても怖いことだ。慎重に考えたほうがよいのだ。僕は、そう思う」
その生涯が終わった後も、この時代の歴史書のページには彼の名は残るだろう。
それを思うと、クレイは少しこの人物の隣にいる自分が怖くなる。
――きっと、ニュクスもそうなのだろう。そんな気をおぼえる時があるのに、違いない。
そんな想いを胸に、髪を撫でる。
少年のころ、ありふれた日常にそうしたように。
「僕、一緒になっていろんなことを考えるよ。僕の王様なのだもの。僕の騎士なのだもの。これからもずっと、どんなことでも。隣にいるって、そういうことなんだ――僕達、伴侶なのだもの」
唇に自分の吐息を押し付けるようにすれば、神聖な誓いみたいなキスになる。
髪が優しく撫でられて、日常の気配が強くなる。
(ああ、喋って。君もなにか喋って、『騎士王』――僕のニュクスフォス)
クレイがそれを求める吐息をつくと、ニュクスフォスはほわりと微笑んで柔らかにクレイを抱き上げた。
「殿下のお考えは、わかり申した。誓いましょう――俺の力は殿下の夜をお守りするためにあるのであり、怖がらせるために奮うことは致しません」
優しい声がそう言って、眦にキスをする。
クレイはほっと安堵した。
「ちなみに俺の研究は、これだけではありませんぞ!」
「うん、……うん?」
溌剌とした声は陽気で、悪びれない。
深刻だった空気が言葉がつづくたび、ゆるゆるとしていく――、
(あれ? ニュクスぅ?)
ニュクスフォスはニコニコしながらクレイを抱えて部屋を巡り、自分が作ったという呪具の山をみせたのだった。
「これは……玩具、かなぁ……」
クレイは気の抜けた声でぽつりと呟いた。
「以前没収した玩具をみて、俺は思ったのです。たとえ玩具であっても他者がつくったもので貴方が悦ぶのは許しがたい、と……」
「……そ、そう。そうか」
つまり、自分がつくった玩具で僕を悦ばせるというのか――あれ? さっきまでの話と随分温度差があるような……クレイはじっとりとした半眼になって、不思議な現実を咀嚼した。
「陛下。僕は、真剣――」
「俺は、貴方が生まれてくれて嬉しいですよ」
お説教をするように言葉を選んだ瞬間、不意打ちみたいに声が降る。
「生きていてくれて、嬉しいですよ」
慈しむような眼が近くで瞬いていて、クレイは何も言えなくなったのだった。
そして、「研究をどうするかは中央の方々ともよくよく話し合うことにして、お部屋に戻りますかな」と告げたニュクスフォスがさっそく玩具を選ぶのを見て、どきどきするのだった。
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