清らかに致すだけ~下剋上後の主従が「その一線を越えてこい」ってするだけだけどそれが本人たちには意外と難しいって話

浅草ゆうひ

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1章、その一線がわからない

1.5、ニュクスのトラウマスイッチ

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   1.5、ニュクスのトラウマスイッチ


「僕は病気なのかもしれない……」
 エインヘリアの離宮にて、国主の婚約者として不自由なく暮らすクレイが最近思い悩んでいるのは、自分の体についてだった。
 
 紅茶の香りが漂う室内は、あたたかい。
 窓の外からは、平穏の象徴みたいな明るい日の光が注いでいる。
 
「殿下、ご不調なのですか? 医者を呼びましょうか」
 護衛につけられている『混沌騎士』のレビエが血相を変えて問いかける。

 『混沌騎士』というのは、クレイの婚約者であるニュクスフォスの配下騎士だ。
 『混沌騎士』の一部はニュクスフォスが『オスカー』という名前だったころからの子分で、メンバーによっては主を『雑魚』と呼ぶのが許されるほど親しい。
 レビエは、その中でも最初期からいる古参で、かつ主を『雑魚』と呼ばずに敬っているという忠臣なのだった。

「いいや、医者はいい」
 クレイは慌てて首を横に振った。

 そして、『僕は何も悩んでいません』という顔をして分厚い本を手に取り、紅茶とスコーンをお供に優雅な読書タイムを始めるのだった。


「医者は不要と仰せですが、よろしいのでしょうか?」
 レビエが心配そうにささやく相手は、壁際に空気みたいに控える黒いローブ姿の男。

 フードをすっぽりと頭からかぶっていて顔もわからない黒ローブ男は、クレイの配下呪術師だ。
 名をレネンといい、クレイが幼少のころから朝も夜もそばはべり、尽くしてきた従者である。
 
「坊ちゃんのお悩みは、死ぬようなご不調ではありませんよ」
 きっぱりと言い切るレネンは、主人クレイの悩みを知っていた。
 
「こちらに来てだいぶ経ちますが、あの坊ちゃん、何年経ってもあまり身体が発育してる感じがないでしょう」
「ああ、それはまあ、そうですね」
「ひとことで言うとそれです」

 レネンの回答はすっきり、シンプルだった。

 うなずいたレビエは詳しく話をきいて目を瞬かせた。
「えっ、おちあそばせたことがないんですか? 精を吐かれたこともない……?」
「私が知る限りは」 
 
 声が聞こえたらしく、本を読んでいるクレイの手がぴくっと止まった。
 
 ――何をお話しているのかなぁ……?

 そんな視線がちらりと向けられる。

「あっ……こ、こほん、こほん」
 レビエは慌てて咳払いをしてごまかした。
「なるほど、それは……ご心配ですね」

 レビエは眉を寄せ、護衛を交代してから主であるニュクスフォスのところに寄って情報を共有するのであった。


 混沌騎士団のたまり場は、メンバーが思い思いに余暇の時間を過ごす文字通り『混沌』とした空間だ。
 酒の匂いや、あやしい薬の匂い、談笑の声に怒号、あまり巧いと言えない楽器演奏、床を転がる賭けカードにサイコロ――、


「若様、フォス様、大変ですよ」
 たまり場の隅っこで針と糸を手にフェルト人形作りに勤しんでいたニュクスフォスを見つけて、レビエが報告すればニュクスフォスは深刻な表情をした。

「えっ、クレイ様が……、」
 それを言葉にして良いのかとハッとした顔で口をつぐみ、頬を赤くする顔は初心うぶな少年のようだった。

「い、意外なことではないだろ。だってあの方、性的なやらしいあれこれと無縁な生き物って感じだろ。別に、精……、……気にしていらっしゃるのかぁ……病気。病気……」

 その単語がとても心を揺さぶる様子で、ニュクスフォスは『病気』という言葉を繰り返した。

「なにを悩んでるんだ? 雑魚がちょっと扱いて初体験させてやれば『なーんだ、病気じゃなかったね』で終わりじゃないのか」
「そうそう、試しに薬でもつかってさ。反応するか見てみろよ」 
 耳を澄ませていたらしき他のメンバーたちが盛り上がる。
「お前が手を出さないから~」
「卒業しよう童貞。ヨシッ」

 ――盛り上がる騎士たちに囲まれて、『雑魚』と呼ばれる彼らの主君リーダーは頭を抱えるのであった。

「病気。病気……」

「なんかスイッチ入ってるぞ」

「病気……」

「ちなみにこの人形なに?」
「プレゼントだそうです」
「可愛いプレゼントつくってんな~」

 緊張感のないやり取りがたまり場の空気をほんわかさせている。
 しかしこの時、ニュクスフォスの心中では『少年だったオスカーが、病気の町娘を医者にせてあげようとさらおうとして、事故で死なせてしまった』という暗い思い出がぐるぐると蘇っていた。

 これをひとつのきっかけにして、この日以降、二人の関係は少しずつ進展するのである。

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