清らかに致すだけ~下剋上後の主従が「その一線を越えてこい」ってするだけだけどそれが本人たちには意外と難しいって話

浅草ゆうひ

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5章、マイノリティと生命の砂時計

58、黒竜の夢とモヒ川の戦い

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 ラーシャ姫の劇には、夜にラーシャ姫と黒竜が語り合うシーンがある。
 それは象徴的なシーンで、実際に竜という生き物は自身が守護する王族に夢を見せ、何かを伝える事があるのだった。
 
 それは例えば異世界の風景だったり、過去だったり、現在だったりする。
 視点は風に舞う綿毛や空を飛ぶ鳥の視点だったり、自分ではない誰かの視点だったりする。
 
(ただでさえ不安定になりやすい血統で、そんな風に夢に浸かったらますます不安定になるのではない?)
 クレイは黒竜の見せる夢に浸かるたび――それがあまり楽しくない内容であればなおさら、不満を覚えるのだった。
(どうせ見せるなら、楽しい夢だけを見せよ。悲劇趣味の僕ではあるが、夢でくらいはどんよりした思いをせず『わぁ、楽しいなぁ~』ってニコニコしていてもバチは当たらないだろう?)

 ――けれど黒竜は、どうもクレイに『わぁ、楽しいなぁ~』なんて言わせる気はないみたいなのだった。

 
    58、黒竜の夢とモヒ川の戦い

 
 ……夢を観る。
 黒竜が見せる夢だ。

 白い建物の中、なんだかとっても清潔な感じで、ちょっとした汚れも許さないような四角い部屋の中。
 秘密を共有する気配をのぼらせて、人間たちが何かをしている。
 術者が数人がかりで複雑な術式を紙に書き、直している。
 透明な円筒の器が並び、液体に浸された器の中に何かが浮いている……。

「アスライトが僕に夢を見せるのは久しぶりだね……ああ、なんかエリックとニュクスが一緒にいるね……これは、何かなぁ」
 夢の中でクレイが呟く。
 

 その声に応えるように景色が変わる――、
 

 北の土地風景――イスファリア、デグレア、カンタータ……都市と都市の間を移動するランゲ一族の集団。
 その中には見慣れた顔がいる――イヴァンだ。

「先にあっちがちょっかい出してきたんで、やり返すわけでさあ」
 旗をひるがえして都市カンタータから一族を追い出すのは、クレイのよく知っているテオドールだった。

「どうも捕まえて身代金を要求するのがこの地域の喧嘩の仕方らしいんで、追いかけますぜ」
 
 ――数日かけての出来事が、夢ならではの速さで展開していく。
 まるで芝居でも観ているようだった。
 
 オーブル・キンメリア族が狩りをするように小隊を走らせる。
 ランゲ一族はモヒ川を渡り、建設途中の都市のひとつに押し入って、都市を占拠せんきょした。

「大義名分が増えたじゃねえか」
 テオドールは笑ってモヒ川を渡ろうとする。
「ええい、しつこい奴め!」
 川の向こう側で迎え打つ姿勢のランゲ一族から、矢が雨霰あめあられと降ってくる。

 水棲の妖精牛が川の水を操り、ざばりばしゃりと左右に割る。
 底の地面があらわになり、オーブル族とキンメリア族の馬が勢い付いてドドドッと水のない地面を駆けていく。

「妖精牛を狙え、あれを仕留めよ!」
 イヴァンの指示を受け、ランゲ一族の矢が妖精牛に集中して放てられ――怖がって妖精牛が逃げていく。
「あっ、やべえ。待てよお前、ポッチ~ポッチ~」
 テオドールが場違いに緊張感のない声をあげて妖精牛を追いかけていく。

(ポッチーってなんだ、テオドール? お前、牛に名前をつけたのか……お前らしいのほほんとした名前をつけたものだね。僕は良いと思うよ、その名前……)
 テオドールの主人であるクレイは夢うつつの中で従者と牛の追いかけっこを見守った。

「ふんっ、今のうちだ!」
 配下に足止めを命じてイヴァンが一目散に逃げていく。
 川を渡り、テオドールが追えぬようにと橋を落としている……。

(逃げられてるじゃないか、テオドール)
 牛にもイヴァンにも逃げられてるじゃないか。
 ――傭兵たちはどうしたんだ。見当たらないではないか。雇った傭兵も逃げたのか?

 クレイはこっそりテオドールを心配しつつ、ふわふわと夢から覚めた。
 

 そして、いつか見たのとよく似た呪術の術式が視界いっぱいに踊っていることに気付いて目を丸くしたのだった。

(ニュクスだ……また何かしている……)

 術を紡いでいるのは、ニュクスフォスだった。
 
 寝台の側に座ってまぶたを閉じ、真剣な表情で――集中している。
 没頭ぼっとうしている。
 クレイが目を覚まして自分を見つめていることには気付いていない様子で術を行使する整った顔立ちは、どきりとする男の色気みたいなものを感じさせた。

(ニュクスは格好良いなぁ……) 
 クレイはぼんやりとその顔に見惚れた。
(大人っぽいや。うん、大人だね……)
 
 健全な発育のお手本みたいに、クレイの知っていた少年は立派な成人男性に成長したのだ。
 立派な彼が当たり前の距離感で近くにいるのだと思うと、奇跡のようで嬉しくなる。
 
 この何気ない日常はとても得難く――大切なのだ。
 
 のんびりと鑑賞するクレイは、紡がれて視界を流れる術式が以前と似ているようでいて少し違っていることに気付いた。
(回りくどいなと思ってた部分が公式でまとめられてシンプルになってるや。ここの文字列は新しい式だね。学術書にもまだ掲載されてない――公爵家がお抱え呪術師団に研究させた短略術式ショートカットだ)
 
「こほん」
 咳払いの声が壁際から聞こえる。
 ――レネンだ。

 すると、ふっと術式が途切れてちょっと慌てた様子のニュクスフォスが紅色の視線をクレイに移ろわせた。
「クレイ……」
「ん」
 視線がぱちりと絡まると、不思議な気まずさみたいなものが一瞬流れた。
「……クレイ様」
「うん」 
「おはようございます!!」
「おはよう、ニュクス」
 取りつくろうような明るい大きな声がちょっとわざとらしい。
 
(レネンは今、『僕が起きてるよ』ってニュクスに教えたんだ)
 壁際の呪術師レネンに視線を向けると、いつも通りの静かで空気みたいな存在感に戻っている。
(呪術もレネンが教えたのかな……? まだるっこしい部分をもっと短くできるよって教えたのだろうか?)

「僕、邪魔しちゃった?」
 そっと上目がちに問えば、ニュクスフォスは大袈裟おおげさなほど大きくふるふると首を横に振る。
 そして、褐色の手が壊れ物でも扱うかのようにクレイの手を取り、うやうやしく指先に唇を落とすのだ。

「おお、殿下ユア・ハイネス俺の殿下ma lune。俺の恋人シェリ――邪魔なんて全然、まったく! ありえませんともっ!? 貴方様のすべてが俺の歓び、本日も健やかなお目覚めが喜ばしく、俺の名を呼んでくださるのが幸せでならぬのです。このまま襲ってしまいたい……」
「最後」
 壁際のレネンが冷ややかな声を放っている。
 
「俺は今なにか不埒ふらちな発言をしたか? したな……不適切であったな……驚けレネン、今のは無意識だ……」 
 ニュクスフォスは手を離して自分の口元を覆い、いかにも『うっかりであった』的な顔をしている。
 
 それがなんとも愛嬌あいきょうがあって、クレイはくすくすと笑ってしまった。
「二人はもしかして、仲が良い?」
 言いながらこそりと視線を彷徨わせて黒竜を探してみれば、どうも姿が見えない。
 クレイを守護する黒竜は夢を見せるだけ見せてどこかに行ってしまったようだった。

(エリックと約束したから、また呼ぶ予定があるんだけどな。来るかな……来ないとだめだよっていっぱい念じておこう)
 クレイが本日の予定を思って眉を寄せていると、ニュクスフォスが顔をのぞき込むようにしてくる。

「クレイ様」
「っ!」
 息が触れあう距離で目を見つめられる――なんだか『ちょっと真剣です』って感じなのだが、その真剣さと近さに変に意識させられてしまって、クレイの頬が淡い桜色に上気した。

(中央に滞在する間、別々のお部屋で過ごしていたし……)
 正直、ちょっと『あったまっている』のだ。
(僕は割と今、ぎゅっとしたい……恋人っぽい触れ合いをしたい)

 しかし、ニュクスフォスはあまりそっちの気配ではなく、なんだか『俺は大事なことをお話しますよ、真面目にお聞きなさい』って雰囲気なのだ。  

「ちなみに、さきほどの術は……ご体調をちょっとばかりさせていただいておりまして」
「うん、うん……」 
 
 近い距離で言葉が紡がれるがクレイの頭には内容があまり入ってこない。
(ああ、なんだろう。僕だけ意識しまくっているみたいで、なんだか恥ずかしいではないか)
 
 クレイはそっと視線を逸らして、頭を冷静にさせようと呼吸を繋いだ。 
 その頬が大きく暖かな手で包み込まれるようにされて、優しく視線を戻される。

 再び視線を合わせたニュクスフォスの眼が驚くほど懸命で真摯しんしな感情を浮かべていて、クレイは息を呑んだ。
(な、な、なんだ)
 ――胸がどきどきして、落ち着かなくなる。
(その眼は、何――) 
 
「クレイ様はとても、俺は安心しておりました」
 
 神聖な誓いでも述べるようにまっすぐで誠実な声が、ゆっくり慎重にそう言った。
 
「ん……」
 クレイは何度か瞬きをして、小さく頷いた。

「そう」
「ええ、ええ」

 なんでもない日常めいたやり取りが、胸の奥をむずむずさせて、睫毛のあたりをじわじわくすぐるようだった。

(そ、そんなことを言いたかったんだ)
 クレイは困ったように眉を下げた。 

「僕も、ニュクスが今日も元気そうで嬉しい」
 ふわりと愛しくささやけば、吐息をうばうように唇が寄せられる。
 
 やわらかな触れあいは、いやらしい感じが全くなくて、さやかだ。
 ぬくもりは優しくて、羽毛が触れるように柔らかに吐息を寄せて離れる気配は、心地よい。
 
 ……そして、ちょっとだけ焦れったくて、もどかしい感じがするのだった。
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