清らかに致すだけ~下剋上後の主従が「その一線を越えてこい」ってするだけだけどそれが本人たちには意外と難しいって話

浅草ゆうひ

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5章、マイノリティと生命の砂時計

55、俺が大陸中に名の知れ渡る騎士になったら『欲しい』と仰るのかと

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 貴族たちのまとうそれぞれの香りがふわふわと混ざり合い空間を浸している。
 自分らしさの表現としての香りがごちゃ混ぜになり、ひとりひとりの個性が埋もれてしまいそうな中、エリック第二王子の香りは他と混ざることなく懐かしくクレイに感じられた。

「エリック」
 それは、クレイにとってかけがえのない友の名前だった。

 
   55、俺が大陸中に名の知れ渡る騎士になったら『欲しい』と仰るのかと

 
「久しぶりじゃないか、エリック」
 以前と変わらぬ温度感で名前を呼ぶと、クレイの胸に喜びが咲く。
 
 ――僕はエリックに会えて嬉しいのだな。
 エリックもそう思っていたら、もっと嬉しいな。
 いいや、思っているに違いないさ。
 だって、僕たち友達じゃないか?

 そんな思いが頭に過ぎる。

 エリックは、御伽噺おとぎばなしに出てきそうな清廉せいれん凛然りんぜんとした王子だ。
 真冬を思わせるてる白銀の髪に白皙はくせき、神々が丹精たんせい込めて造形ぞうけいしたような人形めいた美しいかんばせ
 背はすらりと高く、無駄なく付いた筋肉を感じさせる体躯たいくは男性的。
 ともすれば冷たく怖い印象を与えがちな釣り目の青い瞳が笑むと、とたんに優しい気配が強くなる。
 
 久しぶりに会うエリックは、誰が見ても立派な成人男性となっていた。
 高貴さや優美さの中に苦悩と努力に磨かれた芯の強さ、凛烈りんれつとした厳しさを秘めて――中央の国の次期王として皆に認められるカリスマ性を溢れさせている。

「クレイは相変わらず動かないな。お前、こっちに来てからずっと部屋にいて、パーティではずっと椅子の上か」
 親しい距離感でそう言って、エリックの手が伸びてくる。
 
 友人の気やすさで手を引かれるとずっと昔に返ったみたいな気分になる。
 
 ――なつかしい。したわしい。
 
 そんな想いが、胸の奥からあふれてくる。
 
「クレイ、あっちに俺の婚約者たちを集めて茶席を用意させたから、久しぶりに話そうじゃないか」
「いいね――『クレイは俺の婚約者を見てはいけない』とか言わないんだね、エリック?」
 
 笑う視界に、周囲の視線を気持ちよく受け止めながら堂々とこちらに近づくユンク伯が見える。
 ユンク伯は『騎士王』の実父だ。
 クレイはそっと『騎士王』の様子をうかがった。

「僕、ちょっとエリックの茶席にお邪魔してまいりますね、陛下」
 断りを入れて席を立てば、当たり前のように『騎士王』がついてこようとする。
「陛下、ユンク伯がいらしてますよ?」
 慌てて言えば、ユンク伯に視線を向けて『騎士王』が首を傾げる。『だから何だ?』とでも言いたげな雰囲気で。
「んっ? いや、……うん」

 クレイは眉尻を下げて口をつぐんだ。
 
 ユンク伯はお前の父ではないか、父と話をしたら良いではないか――そう思うのだが、それをそのまま言って良いのだろうか。
 『騎士王』がユンク伯の令息なのは、知っている者は知っている。
 けれど本人は今のところ顔を隠して名前も以前とは別の名を名乗り、出自不明にしているではないか。

 迷った末に周囲をはばりつつ小声で告げるのは、微妙に関係性をにごしての意見だった。
「ひさしぶりに会う誰かと直接お話する機会って、とても貴重で、大切ではありませんか。陛下がユンク伯とお話なさったら良いかと、僕は思うのです? 僕は少しだけエリックたちの茶席にお邪魔して戻るので……?」
 クレイの声に『騎士王』がこくこくと首を縦にする。

(伝わったようでなにより……お父さまとゆっくりするとよい)
 
 騎士兜がユンク伯を見つめるのを微笑ましく見て、クレイは『騎士王』から離れた。

「ユンク伯も迎賓館に泊まっているんだ」
 エリックが教えてくれる。
おおやけには出自が明かされてないとはいえ、アーサー王にも有力貴族にもユンク伯の公子が北西を獲ったのだと知られているからね。伯ご本人もほのめかしていて、最近はなかなか幅を利かせているよ」
「ふうん……」
 ユージェニーがそっと耳打ちしてくれる。
「あんまり調子に乗るから、暗殺の話もあるんですよ」
「あっ、そうなんだ。うんうん、ありそうだね。暗殺以外にも、ご家族だもの、人質に取ったりしたくなりそうだよね」
 
 クレイは目を瞬かせ、『そういえばユンク一族は利用価値のある立場だな』と思うのだった。
 クレイ自身も中央にいた頃に、北西を警戒して成り上がり皇帝の父母を北西との国境防衛砦に置き、『肉親の情を盾に南下を防ぐように』などと命じたことがあったのだった。
 
「そういえば僕も以前、ユンク夫妻を北西への牽制けんせいに立てたのだった。ふふ……あいつ、僕が親を盾にして海を燃やしておどしたのに止まらなかった……ふふふ……」
 ユージェニーが呆れた眼をして言葉を続ける。
「ついでに申し上げておきますが、最近ユンク一族を狙ってるのは他ならぬ我が家のお父様ですよ」
「んっ?」
 クレイはまじまじとユージェニーを見つめた。
「アクセルがそんなことを……最近は本当に活動的なのだね。その……コルトリッセンの後継ぎを作ろうともしているようだよね?」
「ええ。そのせいでお父様、またトラウマを発症して不安定になられてますけどね」
「ふっ……そ、そうなのか……アクセル……」
 
 呆れた様子の異母妹ユージェニーに、クレイは兄らしく微笑んだ。
「ユージェニーは、僕たちと血が繋がっていなくてよかったね。精神の不安定さって、血統のせいもあると思うんだ」
 
 親等の近い者同士、血族間の婚姻を繰り返していると、その血は生まれつきの心身虚弱や異常を得やすくなるのだという。
 祖先を辿たどれば臣籍に下った王族公爵で、頻繁ひんぱんに王家と婚姻こんいんを繰り返すコルトリッセン家の血は、その条件を満たしていると思われた。
 
「それはあるかもしれませんけどね。心を病まれる原因はやはり、病むような辛い事が起きるのが大きいんじゃないでしょうか」
 ユージェニーはさかし気にそう言って、「ご自分で過去の傷をえぐって、お父様も馬鹿ね」と愛情のにじむ目を見せるのだった。

「それは、僕のせい……」
 クレイはそっと呟いた。
 
 ――僕が後継ぎとして機能するかわからないから、実父アクセルはコルトリッセンの血脈けつみゃくを守ろうとしているのだ。
 
「まあ、お兄様。それでお兄様が気に病まれては共倒れですよ。家のしがらみを気にせずご自分の人生をお好きに楽しんでください」
 ユージェニーはリーガンとは対照的に、全然貴族の美徳などを気にしない性格だ。
「貴族って本当に面倒」
 彼女らしくそんなこと言って肩をすくめる姿は愛らしく、毅然きぜんとしていて、クレイにはまぶしく映るのだった。

「ううっ、僕の妹はなんて輝いているのだろう。兄さんは眩しい……」
 じめじめとした風情でそう言ってそっと物陰に身を寄せれば、ユージェニーはその袖を引っ張ってくれる。
「クレイは何をやってるんだ」
 エリックが呆れたようにそれを見守り、茶室の扉をあけている。

「レネン、一応手の空いている者にユンク伯の護衛をさせておくように」
 クレイはこっそりとレネンに指示を出しつつ、茶席に落ち着いたのだった。
 
 

 案内された部屋は、大きな硝子ガラス窓が燦燦さんさんとした自然光を室内に引き入れつつ王都の緑を魅せていて、明るい空間となっていた。
 中央の貴色である白を基調に、金混じりの装飾が統一性を持たせる食器カトラリーと人と植物の花が並ぶ席に笑顔が連なる。
 
「久しぶりですね、クレイ様」
 そこにはエリックの婚約者であるラーフルトンの令嬢ネネツィカと、リーガンが揃っていて、クレイに一瞬『ハーレム』という単語を想起そうきさせたのだった。

「ああ、エリック。僕、言うのを忘れていた……」
「なんだいクレイ」
「三股おつかれさま……」
「あはは、なんならクレイとオスカーを混ぜて四股五股にしてやってもいいぞ」
 
 からりと笑うエリックは爽やかで、まったくいやらしさと縁がなさそうだった。
 
「ひどい冗談を言うじゃないか」
「いや、俺は実は最近試したけど男もたしなめる」
 
 ――なんと、真顔でそんなことまで言ってのけるではないか。
 クレイは目を丸くした。
 
「試したの」
「軽く、教養を深める程度にね。やはり、知らないより知っているほうが余裕が出るし、困っている友の気持ちも理解しやすく、助言もしやすい」
「そ、そう。教養……奇遇きぐうだね。僕も最近豊かな感受性をつちかおうと思って教養としてその、それをたしなんでいるところなんだ」

 エリックがきらきらとした眼で勝気に笑う。
「俺、うまいぜ」
 クレイはムムッと眉を寄せた。
「ぼ、僕も下手ではないさ」
「ははっ、クレイは下手そう。お前はまず体力がないもんな」
「僕、最近は体力がついたんだ。エリックはやったことないだろうけど水桶みずおけを運んだり牛の搾乳さくにゅうをしたりできるんだよ」
「クレイお前、エインヘリアで普段何してるんだ?」 
 
 ――僕たちは令嬢たちの耳目がある場所でなにを語り合っているのかっ。
 クレイの紅茶のカップを持つ手が軽く震えた。

「……エリック。君ときたら本当に『馬鹿王子』だね……下品。下品だ。この会話、やめよう」
「なんだよ。お前だってノリノリで返してきたじゃないか。『莫迦ばか道楽貴族』め」

 令嬢たちはそんなやりとりに悪戯っぽく顔を見合わせて笑ってから、好奇心に輝く瞳をクレイに向けた。
 
「クレイ様、『騎士王』陛下とはいかがですの?」
 クレイはゆらゆら揺れる紅茶の湯面を見つめて一瞬遠い目をした。
「いかがって……何がかな……」
 ふんわりと曖昧な微笑を湛えて優雅に紅茶のカップを傾ける手が小刻みに震えている。

「兄は、先ほど『騎士王』に『僕にれてくれないの』って不満をていしていました」
「っ、!」
 スパッと異母妹ユージェニーが情報提供をしてのけて、クレイは危うく紅茶を吹き出しそうになった。
「ユージェニー!」

「まあ」
「あら、あら」
 令嬢たちの声が暢気のんきに続く。
 
 ――ああ、このたち、喜んでいる。
 恋話コイバナに興味深々だ!
 なんなら言いふらされて広められてしまいそう……!
 
「言ってない。僕はそんな風には、言っていないよ」 
 クレイは平然を装ってぷるぷる震えながら微笑をたたえた。
「僕の妹ったら、想像力がたくましいんだ。困ったね……」

 エリックはそんな友人に微妙に意地悪な目を見せて、「そうだ」と声を響かせる。
「クレイ、すごく盛り上がりそうな演出を考えたんだけど聞いてくれるかな?」
 それが以前、クレイを追い詰めた時のようで、クレイは懐かしい気分で相槌あいづちを打った。
「うん。何を考えたの?」
「パーティは明日もあるだろ。明日のパーティでオレがティーリーを呼ぶから、クレイはアスライトを呼ぶんだ。双竜そうりゅうが揃って呼ばれて並んだら、すごく盛り上がるよ」
「……」

 ティーリーというのはエリックを溺愛する白竜の名前で、アスライトというのはクレイと微妙な仲の黒竜の名前だ。
 双竜は現在、共に人の世界を離れて空の上にある『竜の巣』で竜の卵をあたためたり、もしかしたら孵化ふかした子竜たちの子育てをしているのかもしれないのだが。

「呼べるかなぁ」
 クレイはふんわりと微笑んだ。

 以前、同じ提案をされた時には、絶対にそれはできないのだと思っていた。
 そして、クレイはその頃――竜を呼ぶことができないのを世間に隠して、黒竜を呼べるふりをしていた。
 だから、以前はエリックの提案に『エリックは僕の嘘を世間に明らかにするつもりなのだ』と絶望したのだった。

 けれど今は、そうではない。

「俺も呼べるかわからない!」
 エリックはにっこりと笑ってそう言った。
「エリックはティーリーに愛されてるから、きっと呼んだらくるよ」
「いや、いや。この前呼んだけど、来なかったんだよ」
「へえ。僕、この前アスライトを呼びつけたよ」
「なんだよ。自信なさそうにしておいて、しっかり呼べるんじゃないかこいつめ」
「っはは!」

 今は、クレイは自分が「呼べる」のだとわかっているのだ。
 若干、やる気のない黒竜は呼び出しをスルーしがちではあるけれど。

「楽しみですわね」
 二人の以前を知る令嬢たちは、優しく見守る顔をして友人同士のやりとりを見守っていた。

「父王がさ、コルトリッセン公爵が活動的なものだから妙に影響されて欲を出しちゃってるんだよ」
 エリックは何気ない世間話でもするように不穏なことを言い、「でも、これからは俺たちの時代なんですよって教えてやらないとね」と笑っていた。

「俺たちの時代、ね……」

 令嬢たちに囲まれてきらきらした笑顔を浮かべるエリックは、いかにも日の当たる場所の住人、晴れ舞台が似合う主役といった感じのオーラが出ていて、クレイは眩しくその姿を眺めてはんなりと微笑んだ。

(ああ、エリックは本当に眩しいな。でも、僕はこいつの悪口を言えるぞ。まず恋愛関係がゆるい……すぐ責任取るって言っちゃう……あと意外に繊細メンタルなんだ。こいつも王族の血の影響かな)
 
 
 そんな風にして穏やかな時間を過ごし、クレイが茶室の外に出ると扉の前で無骨な騎士鎧がうずくまるように膝をついて待っていた。
 
「――『騎士王』」

 呟きに弾かれたように視線が集まると、置物みたいに静止していた『騎士王』が軽く顔をあげる。
 騎士兜に覆われた顔はわからないが、彼の『中身』を知る旧友たちは懐かしそうに微笑んだ。

「あら、オスカー」
「久しぶりですねオスカー様」

(みんな、普通に名前を呼ぶんだな)
 クレイはそれをみてソワソワと心配した。
 バラしてしまっていいのか、隠してあげたり、知らないふりをしてあげた方がいいのではないのか、と。

 そんな心配を尻目に、すすっと立ち上がった『騎士王』は――さっさと兜を脱いで素顔を晒し、少年めいた明るい笑顔で挨拶をするではないか。
「やあやあ皆さん! お久しぶりですね! 俺を覚えていてくださったようで光栄のいたり――」
 そして、やれラーフルトンの姫君が微笑んだだけで世界中に春風が吹くだの、クヴェルレの姫君の所作が物語から飛び出てきた夢のように優雅だとか、微妙にひねりのなくて雑感のある褒め言葉を大声でぺらぺらと吐き出し、ひとしきり褒めちぎってから爽やかに「それではまたッ!」と若干無理やりに締めくくって扉を閉めてささっと兜をかぶり直すのだった。

「……」

 奇妙な沈黙のあと、『騎士王』の手がクレイの背に添えられて、戻ろうとうながされる。

 ほてほて、とろとろと通路を歩く靴音がちょっと硬い感じで響いていて、会話のない時間がのんびりと続いた。
 後ろから差した陽光が陰を伸ばして、揺れるマントの影が足元をすっぽりと覆うよう。
 
 クレイは静かな『騎士王』に喋ってほしくなって、話題を探した。
中央ファーリズはひさしぶりですね、陛下」
 ちいさな声が柔らかに話題を振ると、影がゆらりと頷く気配を返してくる。

「帰りたいですか」
 『騎士王』がぽつりと問いかける。
 控え目な温度でそう問われると、クレイの胸には不思議な切なさがこみ上げた。

 その『帰りたい』が『中央に』という意味なのがわかったのだ。

「陛下は以前、おっしゃったではありませんか。僕が帰りたいと言っても帰さない、僕を放さないと」
 
 ――気が変わったとでもいうのだろうか。
 僕が彼を惑わす『期間限定』がもう終わって、遊びの終わりがきたとでもいうのだろうか?

「一緒に中央貴族社会を……」
 言いかけ、クレイは「別にそれは中央でもできるのだ」と気づいた。
 むしろ、北西エインヘリアに身を置いていたほうが『北西エインヘリアが裏で手をまわして中央ファーリズに内政干渉している』と言われてしまう分、暗躍あんやくがバレた時が面倒なのだ。
 
 ――それとも、実は自分が帰りたいのだろうか。
 みんなに『オスカー』と呼ばれて、戻りたくなったりしたのだろうか。

「……ご自分が帰りたい? 以前のように戻りたい?」
 ゆっくり振り返りかけたクレイの体が抱き上げられて、兜に覆われた顔に見下ろされる気配がする。
「俺は殿下のお気持ちをうかがっただけですぞ」
 
 すこし困ったような声がふわふわしている。
 まるで、『望むならそうしてもよい』と言い出しそうな気配――クレイは腕を伸ばし、冷たい鎧にぎゅっとしがみついた。

「ニュクスはさ、あの時どうしたかったの」
 ふと思いついた言葉を舌にのせて音に変えると、困ったような気配が濃くなるのがわかった。
「僕を玉座に座らせて、そのあと自分はどうしたかったのさ……なんであんなことをしたの」
「……いや、いや。それが」
 ふわふわした声が人間らしく耳朶じだをくすぐる。

 ――ああ、『日常』の声だ。

 クレイはホッと安心した。
「うん、うん。それが?」
 先を促すと、照れたような声がやっぱり人間臭い温度感で返される。

「あまり考えていませんでしたな……」
「……」

 クレイはじっとりとした眼で兜を見つめた。
「俺は、俺の手でクレイ様を玉座に座らせてやったらどんなお顔で俺をご覧になるのかと――俺が大陸中に名の知れ渡る騎士になったらクレイ様は俺を『欲しい』と仰るのかと……その一心で」

 そっと視線が外される気配がして、歩く速度がはやくなる。
 照れている――クレイはそれを感じながら、何故だか自分もつられて恥ずかしくなってうつむいた。

「なんだそれ。なんだそれ……『ざまぁ』なの? 僕に『俺を欲しがってももう遅い』ってしたかったの?」
「いや、いや。ち、違いますぞ。たぶん」
「たぶんって……」

 
 部屋に送られて丁重に礼をされて扉をしめられれば、閉め切られた室内に呪術師がはべる気配がする。
 クレイは静寂がちる部屋の中で乱れた情緒を持て余しながら、ちらちらとあちらの部屋とつながる扉を気にした。

 
(そんな理由で。そんな理由で。魔王が現れて魔物が沢山出てきてて、大陸中が戦争してる危険な情勢の中で国外に出て行って、あっちこっち駆け巡って国盗りしたりする? そんな理由で?)
 頭の中を思考が流れてまとまらない。
(別に大陸中に名の知れ渡る騎士になる必要ないじゃないか。普通に傍にいて、僕の日常の中にいてもよかったんじゃないか。そしたら、そうしたら……)

 ――そうしたら、どんな未来につながっていただろう。


 そんな風にしていたら、今自分たちは騎士の誓いなどもしたりしなかったかもしれない。

 クレイは死んでいたかもしれないし、オスカーはうまいことどこぞの富豪の娘の心を射止めて愛人なり婿なりに落ち着いていたかもしれない。

 あるいは、エリックの騎士になっていたかも。


 ――そんな未来でも、別によかったのではあるまいか。

 クレイはそっとそう思うのだった。
(僕は、君が幸せならよかった。別に僕のものだなんて思っていなかった。僕のものじゃなくても、よかった)


 なのに、自分のものだと思ったのはいつが最初だっただろう。
 それを思うと、よくわからないのだった。

 
 『騎士王』はクレイにとって突然現れた正体不明の英雄で、保護者で、父のように思えたものだった。
 この王様はどうしてこんなに優しくしてくれるのだろうと不思議に思ったのを覚えている。

 『騎士王』が父だったらいいなと思って、「お父さま」と呼んだのを覚えている。
 その正体が亡くなったと思い込んでいた友人のオスカーだとわかり、彼が窮地きゅうちにいると知った時、不思議なほど心が乱れて、失いたくないと思ったのを覚えている。

 クレイはその時、憧れの騎士フィニックスと世俗から逃げようとしている途中だった。
 これから表舞台から退場しようとしているまさにその時、『騎士王』の危機を知り、フィニックスとの未来を捨ててでも「『騎士王』は自分のものであり、勝手に死んではいけないのだ、僕が死なせない」と思ったのだ――、

 

 壁にかけられた時計の針が生真面目に時間を刻んで、ぐるぐると決められた進路を巡回する。

 室内のクレイは、「扉のあちら側で今ニュクスは何をしてるだろう」とか「今にも扉が開いてこっちにくるんじゃないだろうか」とか考えながら、レネンが呆れて見守る中をそわそわしながら無為な時間を過ごした。

 
 ――そして、ろくに何もしないまま時間はゆるゆると過ぎて、夜は静謐せいひつに訪れるのだった。
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