清らかに致すだけ~下剋上後の主従が「その一線を越えてこい」ってするだけだけどそれが本人たちには意外と難しいって話

浅草ゆうひ

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5章、マイノリティと生命の砂時計

51、普通の人には知られたくないのだ。僕が普通だと思ってほしいのだ

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 『騎士王』が出立する朝、都市の住人たちは買ったばかりの魔道具の灯りとシャベルを手に街道に集まり、雪かきをして道を整え、手を振った。
 犬のボーニャを撫でながら、宿の女将さんとその子供ジェミアンが雪だるまをこさえて並べている。

「みんな、元気でなあ!」
 混沌騎士団の末席に加わることになったマラートは新しい人生の始まりを揚々ようようと歌い上げ、仲間たちに祝福されて昂然こうぜんと顔をあげ、旅立った。
  

   51、普通の人には知られたくないのだ。僕が普通だと思ってほしいのだ
 

 呪術師のメルシムが馬車の中を暖めている。しらっとした顔でカードゲームに付き合わされながら。
「あー、いいな。この術。温い……器用な師弟め」
 暖かな空気に幸せそうにしつつ、ニュクスフォスがちらりと外を見た。
「奴らは……お別れをなさったのでは?」
 声には若干の不満がにじむ。
 
 何が不満かというと、一行の周りをうろつく騎馬民族の存在である。

 オーブル族の族長ジグジドとバヤンが馬を並べて東側に小隊を率い、西側にはキンメリア族のフレルバータルが『同志』を連れている。
 混沌騎士団は両部族に護衛される形となっているのだが。

「単なる護衛ではありますまい? 他にも散らばった小隊がいて、ケドニア人がやっていたように連動して伝令を交わしている……」
「おお、ニュクス。彼らの狩猟スタイルを知っているのだね」
「ちなみに先ほど見かけた蛮族めは従属の証めいた首輪なぞをつけていましたが。いかにもSMプレイに用いるような民族感も何もないブツでしたが」
 本当はわかっているが、クレイはそっと首を傾げていかにもピュアな感じで問いかけてやった。
「SMプレイってなあに」
 
 ――本当は、知っている。
 なにせクレイは10にも満たない時から、とびっきり刺激的な異母妹の洗礼を受けていたのだ……。
 
「……」
 ニュクスフォスはというと、なんともいえない顔で視線を逸らして黙ってしまっている。クレイはニコニコした。
「そういえば陛下は、お酒に酔って他にも変なことを仰っていましたね。セフレってなあに」
「……」 
「僕の知らない単語がいっぱいあるんだなぁ……陛下は珍しい単語をいっぱいご存じなのですね……僕、興味があるなぁ、知りたいなぁ……」
  
 呟きながら、クレイはお気に入りのカードをじっくりと鑑賞した。
 美麗な絵が描かれたカードは、単なる遊戯用の道具にするには勿体無い芸術品――絵画作品だ。

 好みの絵画は他人と勝ち負けを競うのではなく、できるならシンプルにただ飾って鑑賞したい――カードを視ていると、そんな思いが湧いてくる。
 
 戦わせて負けると、なんだか残念な気分になるからだ。
 戦わずに愛でていれば世界一だと思えるのに、負けたらなんだか自分の腕が悪いせいでモノの価値を下げてしまったみたいに思えて、カードに申し訳なくなるのだ。

 それは、『拾い物』に対してたまに感じる気持ちに似ている。

 自分以外がご主人様だったら、という思いだ。
 他者の貴重な人生の時間や、未来の可能性を自分という存在が潰してしまっていたら、という恐れだ。

 クレイは遊戯ゲームを好むし、人材拾いも大好きだが、たまに自分が残念に思えて仕方ないのだった。
(良いご主人様を気取って気持ちよくなれる人材拾いはともかく、僕は残念な思いをしながらどうして下手なゲームをするのだろう。『自分が下手で残念だ』と感じるため? いや、そうではないと思うのだ――)
 
 コミュニケーションツールとして他者との時間を過ごすために遊戯ゲームをするのか。
 自分の趣味として、残念と思うよりもそれが楽しいと感じる気持ちがまさるから遊戯ゲームをするのか。
 それとも実は、遊戯ゲームに使わないカードにはやはり価値がないと感じているから遊戯ゲームをしてカードを活用するのだろうか。このカードは遊戯ゲームに使うために作られたものだから、遊戯ゲームをして使わないと宝の持ち腐れなのだと思って使うのだろうか。
 
 ――その考え方は、『子供を作る能力があるのだから子供を作らなければ』という義務に駆られるような思いに通じるのではあるまいか。

(僕はまたつまらない考えを巡らせているな……)
 クレイはそっと首を横に振り、ニュクスフォスが「世の中には知らなくて良いこともたくさんあって……」などと語っているのを耳に、おっとりと微笑んだ。

「ケドニア人は確か、キンメリア族と繋がりがあったのだったかな。彼らは広範囲に小隊を走らせて獲物を探し、見つけると輪を狭めて囲い込む。もしくは釣って囲い込む……上空から眺めたら、その狩りはさぞ美しいのだろうね」

 とろりと笑むクレイの紫の瞳がキンメリア族を『お気に入り』の温度で語ると、『知らなくて良いこと』から意識が反れた安堵をちらっと見せてから、ニュクスフォスは顔をしかめた。

「何を狩ると――」

 その褐色の手が手札を切ると、クレイは眉を寄せた。
 続いてメルシムが淡々と自分のカードを出して、クレイに視線を向ける。

「うむ……」
 手元のカードを未練がましく撫でて、クレイは首を振った。
「負けました」

 カードを手元に置いてその美しさを愛でながら、クレイは心の中でこっそり謝った。

(僕が下手なせいでお前を勝たせられなくてごめんよ)
 カードは変わらぬ美しさで手の内にある。
 なのに、やっぱり敗北がカードの価値を下げてしまったような気がして、クレイはそんな残念な気持ちに陶酔とうすいするのだった。

「クレイ様はいかがなさいましたかな……お元気がないではありませんか。馬車に酔われましたかな」
「いつものことです。強いて申し上げるなら自分に酔ってます」
「酔っ……?」
 
 ニュクスフォスとメルシムがそんなクレイを見て温度差を見せている。

(メルシムめ、調子に乗っているな。僕の性癖をバラしちゃダメなのだよ……帰ったらレネンに言い付けてやる)
 クレイはこっそりと決意した。
 
 そんな折、ふと馬車に知らせがもたらされる。

「一頭、発見したようで」
 バヤンが喜ばしい報告をする――なんと、妖精が見つかったというのだ。
 クレイは目を輝かせた。
「馬か、牛か」
「牛です」
「そうか、そうか。よし……」

 ニュクスフォスが『その会話はなんだ、嫌な予感しかしない』という顔をしている。

「馬車を止めよ」
 いつもの調子で偉そうに言ってから、クレイははたと『混沌騎士団は僕の配下ではなかった』と気づいて言い直した。
「馬車を停めていただきたいのです、僕の陛下?」

「別に言い直さなくても良いですがね、俺の殿下」
 苦笑するように言ってから、ニュクスフォスは馬車を停めた。さりげなくクレイの肩を抑えながら。

「妖精だ。妖精が捕まえられそうなのだ」
 クレイはソワソワとその袖を引っ張って外へと促した。
「あなた好みの珍しい妖精ですね、殿下?」
「そう、そう」
「欲しいのですな……?」
「うん、うん」
「探させていたのですな」
「う……」 
「なぜ俺に仰らずに他の者にお命じになるのでしょう」
 
 少しねたようなニュクスフォスが、バヤンを視た。
 紅色の瞳が妬心としん混じりに見やるのは、バヤンが引く馬、クレイのお気に入りの連銭葦毛れんぜんあしげ、『オスカー』だ。
 
「馬車を停めさせ、あの馬を用意させてどうなさるのですかな……それをバヤンはわかっているのですな……俺は何も聞かされてないのに」

 馬の『オスカー』とニュクスフォスを見比べて、クレイはそっと眉を下げた。
 ちょっと罪悪感をおぼえるのは、『歩兵』たちが以前、言っていたからだ。
 
 ――『公子が仲間に入れて欲しそうだったのに』と。
 
「ごめんね。ニュクスは忙しそうだったから」
 ――それはただの言い訳だけれど。

「思えば最初からそうでした! 殿下ときたらお父さまを仲間はずれにするだけでなく邪魔者扱いなさってからに、留守にすると申せば嬉しそうに……」
「僕はもう大人だぞ。『お父さま』にべったり依存するよりは、自立していて喜ばしいのではない?」
 ――これもただの言い訳だけれど。

「俺は貴方の騎士ですよ……恋人ですよ。いつも申していますが、俺を一番に頼りなさい」

(ああニュクス。お前はそうやって意識的だか無意識だか知らないが、命令するみたいに上から目線で言うんだね)

 クレイはふっと微笑んだ。

 ――そうだ。

 胸の奥に、自覚があった。
 
 ――僕は他の『拾い物』たちとニュクスフォスとを同じようには思っていないのだ。最初から。

(だって、お前) 
 かつての思いがゆらゆら、ぐつぐつと自分の中で煮詰まっていた。
(だって、お前は……) 
 
 その感情は、とうの昔に過ぎ去って終わった過去の感情のようでいて、実は現在進行形でそう思っているのだ。
 そう気づいて、どきりとした。

 『ニュクスは他の連中と違って、混血とはいえ貴族の生まれで、血統がよいではないか』

 『ニュクスは僕より社会的地位が高いではないか』

「っ……」
 発作のように喉が鳴る。
 肩が震える。

 思い出すのは、過去に自分がオスカーに対して考えていたこと。

『この公子を一度、紅薔薇の真ん中にポイっと投げ出して、痛い目に合わせてやるのが良いかもしれない』
 
『放り込んでやれば、大人たちはこぞってこの公子を軽侮し、蔑んで苛めるだろう』
 
『きっといろんなことを言われるに違いない。あんなことやこんなことを言われるのだろう、言われそう。とても言われそう。だって、見た目からして中央のお爺様たちに受けの悪そうなアイザール系なのだもの』
 
 クレイはオスカーを見ながら、気持ちよく想いを巡らせていたのだ。
 ――でもね、と。
 
 『でもね、僕は綺麗だと思うの。僕はアイザール系の肌の色が好きだよ』
 
 『紅薔薇のみんなはいじめるかもしれないけど、僕は、差別はいけないと思うのだ……僕が守ってあげよう。みんなにいじめられたところで、言ってあげるの。この公子をいじめてはならないよ、そんな風に言ってあげるの……』
 
「ふ、ふふ……」
 
 おかしい。
 おかしい。
 ああ、おかしい。
 
 ――そう。僕は自分より下だと思っている人間を集めて、そいつらの優しいご主人様をするのが、大好きなんだ!
 
 だから自分より上だと思っているニュクスのことは、なんだかんだ理由をつけて輪の中に入れてあげないのだ……!
 
 ニュクスがアイザール人扱いされて、それをよしよしとしてあげると、とっても気持ちがよくなったのだ……!
 
 ……ああ――僕って、最低だな!
 
「殿下?」
 肩を抑えていたニュクスフォスが怪訝けげんな顔をしている。
 
「ああ、ニュクス……」
 
 クレイはほわほわと微笑んだ。
 そして、柔らかな声でおねだりをした。
 
「ごめんね。それでは早速、僕はニュクスを頼ることにする――僕をこの馬に乗せてほしい」

 一瞬戸惑う気配が濃く感じられて、けれどニュクスフォスはおねだりに応えてクレイを馬に乗せてくれた。
 手綱を引く顔はちらちらと馬上の主の表情を気にしている。
 背筋を正して『清らか』な顔をしつつ、クレイは捕獲した牛を連れてくるフレルバータルを視た。

 中央社会では、『汚らわしい』とか『変態』とか言われそうな、ちょっぴり特殊でアブノーマルなフレルバータルは、自分への理解を深めるにつれ不思議と安心できる存在に思えてくる。
 たまに引くこともあるが――、
 
(僕は、自覚がある。僕は、ちょっと悲劇趣味をこじらせていて、ピュアではなく、性根はあまりよろしくなくて、割と最低な感じで、さらに縛られてドキドキするようなちょっとアブノーマルな性癖もあるかもしれない。僕はそんな自分に気付いていて、普通の人には知られたくないのだ。後ろめたいのだ。普通の人には、僕が普通だと思ってほしいのだ。マイノリティでアブノーマルと言われる類の同志の存在が安心できて、心強いのだ……それは、『好き』とはまた別の感情なのだ)

 フレルバータルと視線が合えば、嬉しそうに微笑まれる。
 馬体が寄せられると、クレイの馬を引くニュクスフォスがピリピリとしている。
「近い。近いぞ、なんでそんなに近付く必要がある」

 そこに新たな報告が届く――、
 
「我が君、牛が捕まりましてございます。比較的おとなしい牛のようで味方に被害は出ていません」
「はやいね。被害がないのも、素晴らしい」
 
 妖精牛のもとに向かう道中で、フレルバータルの浅黒い手がナナカマドのむちを恭しく差し出して「これを使うと妖精牛が言う事をきくのです」と教えてくれた。
 受け取ると、こそりと顔を寄せて囁かれる。
「俺にもぜひ今度むちを打ってください」
 クレイは内心でたじろぎつつ、悩ましくささやきをお返した。
「フレルバータル、それはSMプレイという。つまり、浮気に当たるのではないかと僕は思うのである……」
「そんな……どこまでなら浮気にならないのです?」
「そのラインは、難しいな……」 
 
 二人は悩ましく顔を見合わせた。
 縛るだけならセーフなのか、首輪をつけるところまでならセーフなのか、どこからアウトなのか、と言われれば、それもまた悩ましい。
 
「結局、そういうのって『なんとなく自分的にダメな気がする』とか『他の人が見たときにダメと言われそうな気がする』というぼんやりしたラインしかないのだ……そして、そのラインで考えると僕的に縛るまではセーフで鞭を打つのはなんとなくアウトなのだ」
「我が君がアウトと思われるなら、仕方ありませんね」

 近い距離でこそこそと真剣に語り合っていれば、馬頭がくいっと引かれて距離を強制的に離れさせられる。
 見ると、たいそう不機嫌なオーラをあらわにしてニュクスフォスがフレルバータルをにらんでいる。

「我が君、内緒話はアウトでしたね」
「そうだね、フレルバータル」
 軽口を交わすうち、騎馬民族たちが集まる狩猟後の輪に着いて、クレイは無事に妖精牛と初対面を果たしたのだった。

「なるほど、透き通る水の肌。まあるいお耳に、硝子玉みたいなキトンブルーの目。大人しく牧草を食む姿、とてもいね」
 馬から降りてのんびりとした牛に近寄ろうとすると、「危ないですよ」とニュクスフォスに止められる。
 その気配が不機嫌で、ねている感じがひしひしと伝わってくるので、クレイはすこし反省した。

「それじゃあ、それでは……手を繋いでくれる?」
 片手を揺らして言えば、少しびっくりした様子でニュクスフォスが目を瞬かせている。
「……手? 手?」
「そう。手だ」

 そっと手を繋がれて、軽く揺らすと子供みたいな気分になった。

 ――弱者だ。子供だ。

 『クレイ様は、俺のお姫様ですッ』
 前にニュクスフォスから言われたのを思い出して、クレイは一瞬、睫毛を伏せた。
 
(僕は、子供扱いされて、お姫様扱いされて、弱者だと思われて――喜ぶおすなのか)
 ……そうではない、とニュクスに言ってみたらどうだろう。
 そんな思いがふと湧いて、けれど繋いだ手はあたたかくて、寄り添う体温は愛しいのだった。

「ニュクス、この牛は水でできているのだから、寒さに強い。魔法も使えるのではない? 僕はこれを飼ってみたいのだ」
 手をぷらぷらと揺らして賢し気に言えば、ニュクスフォスが思案気に呟く。
「これはフェアグリンの配下ではない妖精ですから……まあ、ひとまず確保しておいて、フェアグリンが戻ってきたら『飼ってみたい』と伝えてみましょうか」
 
 ――ニュクスは、フェアグリンに命令したりはできないのだな。

「うん、うん。そうしてほしい」
 事実をひとつ確認するようにして、クレイは頷いたのだった。
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