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4章、差別と極夜の偶像崇拝
44、貢献と自己肯定、「これを言われた相手はどう思っただろうか」
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北端の都市イスファリアは、大雪に見舞われていた。
朝も夜も降り続ける雪の中、住人たちは籠るのではなく、むしろ忙しなく外に出て、大人も子供もいっしょになって、家や都市を守るために雪かきをするのだった。
おおゆきこゆき しんしんぼたぼた
蝋燭ゆらゆら おうちの暖炉
炎がゆらゆら おどっているよ
かあさん とうさん お外に出ては
おもたい雪さ かきわけて
木の皮はがして 煮込むのさ
積もった雪さ はこんでさ……
――北方につたわる歌が子供のあどけない声で口ずさまれると、汗をかいて疲労困憊といった気配をみせていた大人たちは、夜にふっと遊びに降りてきたあたたかで小さなおひさまに出会ったみたいな顔で、にっこりとした。
44、貢献と自己肯定、「これを言われた相手はどう思っただろうか」
大粒の雪がぼたぼたと降っている薄灯りの都市イスファリアに、荷馬車が次々やってくる。
あれは自称商人が手配したものらしく、蝋燭に代わって周囲を明るく照らす魔道具や呪術具、暖房用具や防寒毛布、食糧品などを運んできたらしい。
宿の三角屋根の端から雪が滑り落ちている。
大きなスコップを手にせっせと雪下ろし奉仕に努めているのは、自称商人の青年――ニュクスフォスだった。
傍では、マラートが一緒になってスコップを動かして軽口を叩いている。
「おい商人、お前の商会の商品は高いぞ。さては悪徳商人だな」
「人聞きの悪いことを言う。俺は値切る楽しみもサービスのうちにしてるだけだぞっ!」
「そんなサービスはいらん、最初から安くしとけ!」
仲の良い掛け合いに、下に積もった雪をはねて道を作っていた女将さんがニコニコしている。
――楽しそうではないか。
教会に顔を出さないので様子を見に来たクレイは、そんな光景に首を傾げた。
「あの商人は、何をしているのか」
「あれは雪かきという」
本日の『偽騎士王』の中の人、バヤンが教えてくれる。
「家の屋根に雪が溜まりすぎると重さで家が潰れてしまうんで、ああやって負荷を軽くする」
「家が潰れる……それは大変ではないか」
「もちろん、家の周りだってほっといたら埋まって出歩けなくなるので、みなで決めた雪捨て場に雪を運んで捨てるわけだ」
「雪捨て場! どこ、どこ」
女将さんの子供が、飼い犬と一緒にぽすぽすと女将さんに近づいていく。
時折雪に埋まる子供の袖を忠誠心高く引っ張ったりして助ける飼い犬は、シベリアンハスキーとかシビールスキー・ハスキーと呼ばれる犬種で、狼に似て精悍だ。
「ボーニャ、ありがと~」
林檎のような頬でいとけなく笑い、犬のボーニャを撫でる子供は、ジェミアンという名前らしい。
「ぼ、僕もやる……お兄さんが手伝ってあげる」
同じように赤く頬を染めて、クレイが雪をかき分けそりに近寄る。
「坊ちゃん、正気ですかい?」
「坊ちゃんは年下にお兄さんぶるのがお好きですねえ」
「健康的でいいじゃないですか、体力がつきますぜ」
『歩兵』たちが驚いたり微笑ましそうに嗾けたりしている。クレイはウンウンと頷いた。
「僕はお兄さんなのだよ」
これは、オーブル族の水汲みや搾乳と同じだ。
群れへの貢献ができるのだ――、
「僕はこの地域の共同体の一員になる。これはそういった儀式のようなものといえようね」
はしゃぐようにそう呟けば、ジェミアンは不思議そうにしている。
そりをぽふっと雪の上に置けば、女将さんがザクザクとシャベルで雪を乗せてくれる。
「ぼくも、のせる!」
「わふ、わふ!」
ジェミアンが母の真似をするように雪を追加して、あっという間にソリが雪でいっぱいになった。
犬のボーニャがふさふさ尻尾をぶんぶか振って楽しそうにしている。
「俺たちも奉仕するか」
「坊ちゃんがやるなら見てるだけってわけにもいかねえわな」
『偽騎士王』と『歩兵』がわらわらと周辺に散って、除雪を始める。
「炊き出しあったらいいんじゃねえか」
「誰かやってくれよ」
「言い出しっぺが手配しろ」
やいのやいのと言い合う中央語に、現地の人々は「この『混沌騎士団』たちは中央出身なのか?」と囁きを交わすのだった。
一方、クレイはといえば、年下のジェミアン相手に偉そうに肩をそびやかしている。
「お兄さんはこれを捨てる場所を知らない」
エインヘリア語で言えば、ジェミアンは人懐こい笑顔で一緒にソリを引いてくれる。
「わう、わう!」
犬のボーニャは二人の保護者みたいな顔をしてついてきた。
雪捨て場は盛り上がった山のようになっていて、細い登坂の道ができている。
ようやっと人ひとりが歩けるような、とても細い道だ。
この一帯の住民があちらこちらからやってきて、細い道を登っていく。
つまり、この道はその行き来によって踏み固められた道というわけだ。
「疲れたからって手前で捨てたらみんなが困るからね、できるだけ奥まで行って雪を捨てるんだよ」
ジェミアンがニコニコと教えてくれる。
「僕は思うのだけど、雪かきって、キリがないのではない? 雪をかきだした端から降ってくるのだもの……」
「お兄さん、言葉おかし」
「僕はお菓子じゃないよ」
「お菓子食べたいな~」
「僕たち、会話が成り立ってる? 僕には違和感が感じられるよ……僕のエインヘリア語って、そんなに拙いのかな……」
言葉と一緒に吐き出される息が真っ白で、足元は突然深いところにハマってずぶりと沈む。
「ふわぁ」
「やっはは、ハマったあ~!!」
助けようと腕を引っ張り、自分もハマるジェミアン。犬のボーニャがわふわふと騒いでいる。
深くハマったままジタバタすると、恐ろしい速さで体力が消耗されていく感覚がある。
下は雪まみれ、上からも降雪、視界は灰色の不明瞭で、風が巻き上げた雪の粉が上からも下からもぶわぶわと肌を叩いて冷やしていく。
「これ、周りに誰もいない場所でハマると死ねるのではない?」
クレイが雪の中でもがきながらワクワクしていると、ふいに伸びてきた第三者の手にひょいっと体が引き上げられる。
「俺の坊ちゃんときたら、また埋もれておられる……しかも嬉しそうに」
「ん」
見上げれば、ニュクスフォスが嘆かわしいといった顔をしていた。
足跡がいくつもついていて、何人もが通った結果に踏み固められたと思しき雪地に降ろしてもらい、クレイはふわふわとはにかんだ。
「ありがとう、ニュクス」
「坊やたち、保護者を連れて歩くようにしましょう」
「ボーニャがいるよ」
「クレイ様、犬は保護者に含まれませんぞ! あと、お手伝いを楽しまれるのもよいですが、ほどほどになさらないと風邪をひかれますよ。絶対、絶対に! 先日のフェーデで頂いた身代金を賭けてもいい!」
「うん、うん――身代金ってなに」
「無料で解放してはもったいないのですぞ。フェーデとはそもそも盗賊騎士、強盗騎士の常套手段、金稼ぎなのでして」
「うん……うん……?」
――さも不満そうに言うではないか。
「機会損失はならぬのです、貰えるものは貰わねば」
「そ、そ、そうか。うん」
よくわからないまま、クレイは曖昧に相槌を打ってジェミアンといっしょにソリをひっくり返す。
どさりと撒かれた雪がもともとの雪と一緒になって、雪山がすこし高くなる。
これを地域住人みんなして繰り返すことで、この小高い山が育つのだ。
「山をみんなで育てる感じがとても面白いね。いや、生活がかかっているのだから、面白がっている場合ではないのだろうけど」
しみじみと呟くクレイに、ニュクスフォスは心配そうに眉を寄せた。
「貴方の配下はなんでお止めするどころか一緒になって除雪なさってるんですかね。年々常識外れがレベルアップしているように思えますぞ」
「ニュクスが常識を語るのって、面白いね。それに、自分も除雪しているじゃないか」
「いやいや、俺は今、商人なんで……」
「僕は今、共同体の一員なのだ」
空っぽのソリを引いて女将さんのところに行けば、宿の周囲に積もっている雪山を崩してソリに新しい雪を積んでくれる。
「これはまさに水汲みに近いな」
クレイはほわほわと微笑み、ジェミアンと一緒に数回雪を運んだ。
「クレイときたら、いかにも深層のお姫さま風にお部屋で寝てばかりかと思いきや、突然妙に活動的になられる……」
ぼやくニュクスフォスの近くでマラートがカマクラをつくっている。
ふわりと風にのり食欲を刺激するにおいが届いたのは、そんな折だった。
「おーい、炊き出しだぞー」
「『騎士王』陛下のご厚意だぞ」
偽の混沌騎士団たちが声を張り上げ、牛肉を野菜とともに煮込んで焼いたカルヤランパイスティとグリューワインを配っている。
「っくしゅ」
小さくくしゃみをしつつ、ほかほかの器を手にしたクレイがジェミアンと一緒にカマクラに潜り込んでいる。
「中はちょっと暖かいね。ちいさなハウスだ」
「秘密基地だ~!」
犬のボーニャが尻尾をぽふぽふさせながら大人しくお座りしている。
「俺の殿下ときたら、くしゃみまでお上品で可愛らしいときたもんだ。でもって、そうしていると平民のお子さんのよう……それを召しあがったらお部屋まで送りますからね」
グリューワインを手にカマクラを鑑賞するニュクスフォスに手を伸ばし、ジェミアンが無邪気に中に引っ張り込む。
「商人のお兄ちゃんもおいでよ!」
「いや、俺が混ざるにはちょっと狭いんじゃないか。壊れるぞ」
マラートが「壊すなよ」と念押ししている。
「お兄ちゃん……」
犬のボーニャの首を抱き寄せるようにして温まっていたクレイがちょっと眉を寄せる。
「ジェミアン、それは君のお兄ちゃんではない。僕のである」
服の端をくいくいと引っ張って所有権を主張するようにすれば、驚いたような声が返ってくる。
「おおクレイ様っ、なんて可愛らしいことを……そして大人げなくて子供っぽい……」
ジェミアンは不思議そうに『二人のお兄ちゃん』をみて、「あんまり似てないね」と首をかしげていた。
「それはそう。僕が言ったのはつまり、つまり――、っくしゅ」
言いかけてくしゃみをしたクレイの額に、慌てた様子の褐色の手が当てられる。
「ああ、ほら。熱があるじゃないですか」
さっと血相を変えたニュクスフォスがクレイをカマクラの外に引っ張り出した。
「おおい。無能な『歩兵』ども!」
――怒鳴るような声が少し怖い。
「混沌騎士団と呼べ!」
「なにが混沌騎士団だ、勝手に名乗りやがって」
抱きかかえられて運ばれる感覚がふわふわとして、集まる視線が気恥ずかしい。
「お前らがお止めしないから虚弱な学者殿下が熱を出されたではないか!」
――誰が虚弱な学者殿下だ。
クレイはそっとつっこみを胸にしまい込んだ。
中央語で放たれる大声が注目を集めている。
喋っている内容こそわからないが、何度も中央語でやりとりするのを耳にしていたマラートは「商人は中央出身の北西人なんだな」と呟くのだった。
呟きを耳にしたニュクスフォスはハッとした顔でマラートを見て、しっかりと頷いた。
「そう、それだ」
その声は、おぼつかないふわふわとした雪を少しずつ踏んで足元を固めるようだった。
「俺は元中央人で、今は北西人なのだ」
呟く青年の表情を間近に見上げるクレイは、その瞬間に胸の奥が突かれたような心地がした。
(ああ、そうか……そうか)
思い出すのは、紅薔薇勢に手を回させて『騎士王』がアイザール系だと噂を広めたこと。
誕生日祝いにとアイザール料理フェスの屋台を並べさせたこと。
母方の言葉に親しみがあるのだろうと思って、アイザール語で話したこと。
――『騎士王』がアイザール系だという噂が潰されて、再び出自不明にされたこと。
(彼は中央人だったのだ。そのように扱って欲しかったのだ。考えて見れば、当たり前ではないか……)
けれど、けれど。
母親の故郷とは、親しみのあるものではあるまいか。
いかにも南の気風を感じさせる土地柄で、素晴らしい文化の数々を持ち、あたたかで陽気で快い。
けれど、けれど。
純血の他者に何かにつれて「アイザール混ざりだ」と指摘されていたら、それが嫌になったりするのも自然な心理かもしれない。
他者に言われ続ければ、一見気にしていないように見えても、実は内心では気にしてしまうものかもしれない。
その回数が多ければ多いほど、日常的であればあるほど、降り積もり底に溜まるストレスがあるかもしれない。
そうではない? そうではあるまいか?
――僕は軽率に「その色が好き」とか「差別されてかわいそう」などと言っていたけれど、それはとても上から目線で、相手を見下していて、無神経で、ひどい発言だったのではあるまいか。
――偉ぶって、いかにも善人ぶって、話題を振られたわけでもないのに「この色を気にする者もいるけれど」などとわざわざ特徴を取り上げてコメントする僕が、一番差別的な振る舞いをしていたのではあるまいか。
(うむむ……どうなのだろう。お花の花弁を「この色もいいね」と言ったり、猫さんに「縞々模様が綺麗」と言ったり、お馬さんの「連銭葦毛が見事」というのと、誰かの肌色を「この色は美しいね」というのは、一緒の気持ちではいけないのだろうか)
――それはなんだか繊細で、きっと「自分が良いと思うから良いのだ」とは言えないことなのだ。
熱がぽかぽかと内側を炙るようにして、同時に脇や首のあたりがぞわぞわと悪寒に襲われる。
これは、体調不良というものだ――頭もぼんやりとして、くらくらと眩暈がしてくるではないか。
(ああ、考えがまとまらない。僕、わからなくなってきちゃった)
ふわふわと熱に浮かされながら、クレイは己の言動をひとつひとつ振り返る。
そして、そのひとつひとつに対して「これを言われた相手はどう思っただろうか」という思考の渦に溺れるのだった。
朝も夜も降り続ける雪の中、住人たちは籠るのではなく、むしろ忙しなく外に出て、大人も子供もいっしょになって、家や都市を守るために雪かきをするのだった。
おおゆきこゆき しんしんぼたぼた
蝋燭ゆらゆら おうちの暖炉
炎がゆらゆら おどっているよ
かあさん とうさん お外に出ては
おもたい雪さ かきわけて
木の皮はがして 煮込むのさ
積もった雪さ はこんでさ……
――北方につたわる歌が子供のあどけない声で口ずさまれると、汗をかいて疲労困憊といった気配をみせていた大人たちは、夜にふっと遊びに降りてきたあたたかで小さなおひさまに出会ったみたいな顔で、にっこりとした。
44、貢献と自己肯定、「これを言われた相手はどう思っただろうか」
大粒の雪がぼたぼたと降っている薄灯りの都市イスファリアに、荷馬車が次々やってくる。
あれは自称商人が手配したものらしく、蝋燭に代わって周囲を明るく照らす魔道具や呪術具、暖房用具や防寒毛布、食糧品などを運んできたらしい。
宿の三角屋根の端から雪が滑り落ちている。
大きなスコップを手にせっせと雪下ろし奉仕に努めているのは、自称商人の青年――ニュクスフォスだった。
傍では、マラートが一緒になってスコップを動かして軽口を叩いている。
「おい商人、お前の商会の商品は高いぞ。さては悪徳商人だな」
「人聞きの悪いことを言う。俺は値切る楽しみもサービスのうちにしてるだけだぞっ!」
「そんなサービスはいらん、最初から安くしとけ!」
仲の良い掛け合いに、下に積もった雪をはねて道を作っていた女将さんがニコニコしている。
――楽しそうではないか。
教会に顔を出さないので様子を見に来たクレイは、そんな光景に首を傾げた。
「あの商人は、何をしているのか」
「あれは雪かきという」
本日の『偽騎士王』の中の人、バヤンが教えてくれる。
「家の屋根に雪が溜まりすぎると重さで家が潰れてしまうんで、ああやって負荷を軽くする」
「家が潰れる……それは大変ではないか」
「もちろん、家の周りだってほっといたら埋まって出歩けなくなるので、みなで決めた雪捨て場に雪を運んで捨てるわけだ」
「雪捨て場! どこ、どこ」
女将さんの子供が、飼い犬と一緒にぽすぽすと女将さんに近づいていく。
時折雪に埋まる子供の袖を忠誠心高く引っ張ったりして助ける飼い犬は、シベリアンハスキーとかシビールスキー・ハスキーと呼ばれる犬種で、狼に似て精悍だ。
「ボーニャ、ありがと~」
林檎のような頬でいとけなく笑い、犬のボーニャを撫でる子供は、ジェミアンという名前らしい。
「ぼ、僕もやる……お兄さんが手伝ってあげる」
同じように赤く頬を染めて、クレイが雪をかき分けそりに近寄る。
「坊ちゃん、正気ですかい?」
「坊ちゃんは年下にお兄さんぶるのがお好きですねえ」
「健康的でいいじゃないですか、体力がつきますぜ」
『歩兵』たちが驚いたり微笑ましそうに嗾けたりしている。クレイはウンウンと頷いた。
「僕はお兄さんなのだよ」
これは、オーブル族の水汲みや搾乳と同じだ。
群れへの貢献ができるのだ――、
「僕はこの地域の共同体の一員になる。これはそういった儀式のようなものといえようね」
はしゃぐようにそう呟けば、ジェミアンは不思議そうにしている。
そりをぽふっと雪の上に置けば、女将さんがザクザクとシャベルで雪を乗せてくれる。
「ぼくも、のせる!」
「わふ、わふ!」
ジェミアンが母の真似をするように雪を追加して、あっという間にソリが雪でいっぱいになった。
犬のボーニャがふさふさ尻尾をぶんぶか振って楽しそうにしている。
「俺たちも奉仕するか」
「坊ちゃんがやるなら見てるだけってわけにもいかねえわな」
『偽騎士王』と『歩兵』がわらわらと周辺に散って、除雪を始める。
「炊き出しあったらいいんじゃねえか」
「誰かやってくれよ」
「言い出しっぺが手配しろ」
やいのやいのと言い合う中央語に、現地の人々は「この『混沌騎士団』たちは中央出身なのか?」と囁きを交わすのだった。
一方、クレイはといえば、年下のジェミアン相手に偉そうに肩をそびやかしている。
「お兄さんはこれを捨てる場所を知らない」
エインヘリア語で言えば、ジェミアンは人懐こい笑顔で一緒にソリを引いてくれる。
「わう、わう!」
犬のボーニャは二人の保護者みたいな顔をしてついてきた。
雪捨て場は盛り上がった山のようになっていて、細い登坂の道ができている。
ようやっと人ひとりが歩けるような、とても細い道だ。
この一帯の住民があちらこちらからやってきて、細い道を登っていく。
つまり、この道はその行き来によって踏み固められた道というわけだ。
「疲れたからって手前で捨てたらみんなが困るからね、できるだけ奥まで行って雪を捨てるんだよ」
ジェミアンがニコニコと教えてくれる。
「僕は思うのだけど、雪かきって、キリがないのではない? 雪をかきだした端から降ってくるのだもの……」
「お兄さん、言葉おかし」
「僕はお菓子じゃないよ」
「お菓子食べたいな~」
「僕たち、会話が成り立ってる? 僕には違和感が感じられるよ……僕のエインヘリア語って、そんなに拙いのかな……」
言葉と一緒に吐き出される息が真っ白で、足元は突然深いところにハマってずぶりと沈む。
「ふわぁ」
「やっはは、ハマったあ~!!」
助けようと腕を引っ張り、自分もハマるジェミアン。犬のボーニャがわふわふと騒いでいる。
深くハマったままジタバタすると、恐ろしい速さで体力が消耗されていく感覚がある。
下は雪まみれ、上からも降雪、視界は灰色の不明瞭で、風が巻き上げた雪の粉が上からも下からもぶわぶわと肌を叩いて冷やしていく。
「これ、周りに誰もいない場所でハマると死ねるのではない?」
クレイが雪の中でもがきながらワクワクしていると、ふいに伸びてきた第三者の手にひょいっと体が引き上げられる。
「俺の坊ちゃんときたら、また埋もれておられる……しかも嬉しそうに」
「ん」
見上げれば、ニュクスフォスが嘆かわしいといった顔をしていた。
足跡がいくつもついていて、何人もが通った結果に踏み固められたと思しき雪地に降ろしてもらい、クレイはふわふわとはにかんだ。
「ありがとう、ニュクス」
「坊やたち、保護者を連れて歩くようにしましょう」
「ボーニャがいるよ」
「クレイ様、犬は保護者に含まれませんぞ! あと、お手伝いを楽しまれるのもよいですが、ほどほどになさらないと風邪をひかれますよ。絶対、絶対に! 先日のフェーデで頂いた身代金を賭けてもいい!」
「うん、うん――身代金ってなに」
「無料で解放してはもったいないのですぞ。フェーデとはそもそも盗賊騎士、強盗騎士の常套手段、金稼ぎなのでして」
「うん……うん……?」
――さも不満そうに言うではないか。
「機会損失はならぬのです、貰えるものは貰わねば」
「そ、そ、そうか。うん」
よくわからないまま、クレイは曖昧に相槌を打ってジェミアンといっしょにソリをひっくり返す。
どさりと撒かれた雪がもともとの雪と一緒になって、雪山がすこし高くなる。
これを地域住人みんなして繰り返すことで、この小高い山が育つのだ。
「山をみんなで育てる感じがとても面白いね。いや、生活がかかっているのだから、面白がっている場合ではないのだろうけど」
しみじみと呟くクレイに、ニュクスフォスは心配そうに眉を寄せた。
「貴方の配下はなんでお止めするどころか一緒になって除雪なさってるんですかね。年々常識外れがレベルアップしているように思えますぞ」
「ニュクスが常識を語るのって、面白いね。それに、自分も除雪しているじゃないか」
「いやいや、俺は今、商人なんで……」
「僕は今、共同体の一員なのだ」
空っぽのソリを引いて女将さんのところに行けば、宿の周囲に積もっている雪山を崩してソリに新しい雪を積んでくれる。
「これはまさに水汲みに近いな」
クレイはほわほわと微笑み、ジェミアンと一緒に数回雪を運んだ。
「クレイときたら、いかにも深層のお姫さま風にお部屋で寝てばかりかと思いきや、突然妙に活動的になられる……」
ぼやくニュクスフォスの近くでマラートがカマクラをつくっている。
ふわりと風にのり食欲を刺激するにおいが届いたのは、そんな折だった。
「おーい、炊き出しだぞー」
「『騎士王』陛下のご厚意だぞ」
偽の混沌騎士団たちが声を張り上げ、牛肉を野菜とともに煮込んで焼いたカルヤランパイスティとグリューワインを配っている。
「っくしゅ」
小さくくしゃみをしつつ、ほかほかの器を手にしたクレイがジェミアンと一緒にカマクラに潜り込んでいる。
「中はちょっと暖かいね。ちいさなハウスだ」
「秘密基地だ~!」
犬のボーニャが尻尾をぽふぽふさせながら大人しくお座りしている。
「俺の殿下ときたら、くしゃみまでお上品で可愛らしいときたもんだ。でもって、そうしていると平民のお子さんのよう……それを召しあがったらお部屋まで送りますからね」
グリューワインを手にカマクラを鑑賞するニュクスフォスに手を伸ばし、ジェミアンが無邪気に中に引っ張り込む。
「商人のお兄ちゃんもおいでよ!」
「いや、俺が混ざるにはちょっと狭いんじゃないか。壊れるぞ」
マラートが「壊すなよ」と念押ししている。
「お兄ちゃん……」
犬のボーニャの首を抱き寄せるようにして温まっていたクレイがちょっと眉を寄せる。
「ジェミアン、それは君のお兄ちゃんではない。僕のである」
服の端をくいくいと引っ張って所有権を主張するようにすれば、驚いたような声が返ってくる。
「おおクレイ様っ、なんて可愛らしいことを……そして大人げなくて子供っぽい……」
ジェミアンは不思議そうに『二人のお兄ちゃん』をみて、「あんまり似てないね」と首をかしげていた。
「それはそう。僕が言ったのはつまり、つまり――、っくしゅ」
言いかけてくしゃみをしたクレイの額に、慌てた様子の褐色の手が当てられる。
「ああ、ほら。熱があるじゃないですか」
さっと血相を変えたニュクスフォスがクレイをカマクラの外に引っ張り出した。
「おおい。無能な『歩兵』ども!」
――怒鳴るような声が少し怖い。
「混沌騎士団と呼べ!」
「なにが混沌騎士団だ、勝手に名乗りやがって」
抱きかかえられて運ばれる感覚がふわふわとして、集まる視線が気恥ずかしい。
「お前らがお止めしないから虚弱な学者殿下が熱を出されたではないか!」
――誰が虚弱な学者殿下だ。
クレイはそっとつっこみを胸にしまい込んだ。
中央語で放たれる大声が注目を集めている。
喋っている内容こそわからないが、何度も中央語でやりとりするのを耳にしていたマラートは「商人は中央出身の北西人なんだな」と呟くのだった。
呟きを耳にしたニュクスフォスはハッとした顔でマラートを見て、しっかりと頷いた。
「そう、それだ」
その声は、おぼつかないふわふわとした雪を少しずつ踏んで足元を固めるようだった。
「俺は元中央人で、今は北西人なのだ」
呟く青年の表情を間近に見上げるクレイは、その瞬間に胸の奥が突かれたような心地がした。
(ああ、そうか……そうか)
思い出すのは、紅薔薇勢に手を回させて『騎士王』がアイザール系だと噂を広めたこと。
誕生日祝いにとアイザール料理フェスの屋台を並べさせたこと。
母方の言葉に親しみがあるのだろうと思って、アイザール語で話したこと。
――『騎士王』がアイザール系だという噂が潰されて、再び出自不明にされたこと。
(彼は中央人だったのだ。そのように扱って欲しかったのだ。考えて見れば、当たり前ではないか……)
けれど、けれど。
母親の故郷とは、親しみのあるものではあるまいか。
いかにも南の気風を感じさせる土地柄で、素晴らしい文化の数々を持ち、あたたかで陽気で快い。
けれど、けれど。
純血の他者に何かにつれて「アイザール混ざりだ」と指摘されていたら、それが嫌になったりするのも自然な心理かもしれない。
他者に言われ続ければ、一見気にしていないように見えても、実は内心では気にしてしまうものかもしれない。
その回数が多ければ多いほど、日常的であればあるほど、降り積もり底に溜まるストレスがあるかもしれない。
そうではない? そうではあるまいか?
――僕は軽率に「その色が好き」とか「差別されてかわいそう」などと言っていたけれど、それはとても上から目線で、相手を見下していて、無神経で、ひどい発言だったのではあるまいか。
――偉ぶって、いかにも善人ぶって、話題を振られたわけでもないのに「この色を気にする者もいるけれど」などとわざわざ特徴を取り上げてコメントする僕が、一番差別的な振る舞いをしていたのではあるまいか。
(うむむ……どうなのだろう。お花の花弁を「この色もいいね」と言ったり、猫さんに「縞々模様が綺麗」と言ったり、お馬さんの「連銭葦毛が見事」というのと、誰かの肌色を「この色は美しいね」というのは、一緒の気持ちではいけないのだろうか)
――それはなんだか繊細で、きっと「自分が良いと思うから良いのだ」とは言えないことなのだ。
熱がぽかぽかと内側を炙るようにして、同時に脇や首のあたりがぞわぞわと悪寒に襲われる。
これは、体調不良というものだ――頭もぼんやりとして、くらくらと眩暈がしてくるではないか。
(ああ、考えがまとまらない。僕、わからなくなってきちゃった)
ふわふわと熱に浮かされながら、クレイは己の言動をひとつひとつ振り返る。
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ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
仮面の王子と優雅な従者
emanon
BL
国土は小さいながらも豊かな国、ライデン王国。
平和なこの国の第一王子は、人前に出る時は必ず仮面を付けている。
おまけに病弱で無能、醜男と専らの噂だ。
しかしそれは世を忍ぶ仮の姿だった──。
これは仮面の王子とその従者が暗躍する物語。
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