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3章、野性、飼いならし
38、俺の代わりはたんといるのですよ!
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毒を取り上げられたクレイが寝台に上体を起こしてめくるのは、分厚い本。
それは、小難しくて哲学的な本だった。
例えば、人という生き物が考える植物なのだとか。
その一方で獣なのだとか。
そんなことをつらつら並べて、人についての考えをこねくり回している。
それを読むには川から水を汲むよりずっと時間がかかる。
清潔な白い紙に印字された文字は整っていて、眺めていると知的な気分に浸ることができる。
自分が賢い生き物なのだと思えてくる。
けれど、けれど。
じっと座ってページをめくっているだけの時間は、牛の搾乳をしていた時間を思い出させるのだ。
群れのために貢献しているのだと実感するあの匂い、あの感触、あの泥臭い感じ――、
「この本を読んで、僕は何をしたと申せるのか。この哲学でどのように人間社会に貢献するというのか」
呟いた手がロザリオを手繰る。
耳には、テオドールが囀る噂話が届いていた。
いわく、紅薔薇が流した『騎士王』がアイザール系という噂話はいつの間にかデマ扱いされるようになったらしい。では『騎士王』はどんな人種なのかといえば、相変わらずよくわかっていないようなのだけれど。
38、俺の代わりはたんといるのですよ!
『騎士王』によるクレイの監禁だか軟禁だかはしばらく続いた。
部屋からは出してもらえないし、以前のように規則正しい生活管理をされている。
そして、父子のスタンスでの接し方なのだ――、
「僕はアレか。何か試されているのか」
アフタヌーンティーの席に付く少年の前にお菓子と紅茶が並べられる。
ケーキスタンドは透明で、フリルめいて揺らめく縁取りプリーツが可憐。
並ぶデザートプレートは白を基調として、緩く縁が波打っている。
よく見ると縁には白のマーガレットをモチーフにした花が咲き並ぶ装飾が施されていて、爽やかで清潔感に溢れていた。
お皿には見た目も楽しく華のあるお菓子が並ぶ。
ふっくらとした明るい色のスコーンにはクロテッドクリームとメープルシロップが添えられていた。
クッキーにはピスタチオクリームクリームが挟まって、タータンチェックの柄のマカロンが愛らしく、ライチとバラのムースにカシスジュレは部屋の灯りにつやつやとして、これでもかと甘味が揃えられている。
「俺の可愛い殿下はご不満のご様子……お外に出たいのですかな」
手ずからカフェインレスティーを注いで、ニュクスフォスが目を伏せる。
「しかし、俺は疑問なのです。いと高雅なるファーリズの王甥殿下は、お部屋の外に出てどこに行くというのでしょう。お国に帰りたいとでも?」
(それはもっともな疑問でもあるね)
クレイは明るい生地色のスコーンを取った。
「ニュクスの知っている通り、僕は他に行き場がない。ゆえに自由に何処か行けと言われても困るのは事実だよ……その上で、では自由がなくても良いだろうと言われれば反論したくなるものだ」
(このスコーンは甘いか甘くないかで言うと甘い食べ物だけど、ニュクスは食べられるのだろうか)
好奇心を抱きつつ、舌が回る。
「当たり前ではない? いつでも出歩ける環境で自主的に籠るのと出たくなっても出られないのとでは気持ちが違うのだよ」
言いながらスコーンの端っこをちょっとだけカットしてひとくちサイズをフォークにさせば、軽く身構える気配が伝わる。フィオ・ディと言われるのではないか、俺は食うぞ、と心の準備をする気配だ。
(苦手らしい)
無言で察したクレイはそれをそのまま自分の口に運んだ。
それを見てホッと安堵する気配が微笑ましい。
「つまり、俺が申したいのは……こほん」
一瞬視線を彷徨わせ、ニュクスフォスが言葉を続ける。
「場所を仰い、お父さまがお供しましょう、と。そう申したいわけです」
「なるほど」
クレイはほんのりと理解した。
――要するに一緒に遊びたいのだ、この者は。
(しかし、僕の『偽騎士王』遊びを本物に見せるのは……)
クレイの脳裏に『歩兵』のリアクションが蘇る。
『坊ちゃん、坊ちゃん。そのお人形遊びはちょいとアイタタタな気分になりますや』
『お寂しいんですかい。なんか見てる方が恥ずかしかなりますが』
――あれはやっぱり、アイタタタで恥ずかしい感じのお人形遊びなんじゃないだろうか。
(黒歴史は量産しているしいくつも把握されているが……どうなの? 自分に成りすましして遊んでるというのは……どうなの)
考えれば考えるほど微妙に思えて仕方ない。
押し黙って難しい顔をするクレイに、ニュクスフォスはやがて譲歩するような気配を見せた。
「ちなみにお父さまは、出かける用事もないわけではありませんぞ」
「んっ、そうなの」
クレイは目を瞬かせた。
いつ出かけるのだろう。
どれくらい出かけるのだろう。
(この心理はなんだろう。寂しいような、望ましいような――)
複雑な心境を自己分析するクレイだが、一方でニュクスフォスもそんな少年の気配を読んで眉尻を八の字に下げていた。
「なんということでしょう。お父さまが留守にするというのに、このお坊ちゃんは嬉しそうにしておられる……」
しおしおとした風情で言われると、クレイの胸には罪悪感がじくじくと湧いた。
『歩兵』の言葉が胸に蘇る――、
『俺はあの公子も「拾い物」の仲間になりたいんだな~って思って見てたけどな』
『坊ちゃんが仲間に入れてあげないからグレて皇帝になっちゃったじゃないすか』
古妖精のフェアグリンが慰めるみたいに頭をツンツンしてるのが、また面白くない。
「い、いや、いや。そんなことはないよ」
クレイはすっくと席を立ち、回り込むようにしてニュクスフォスの隣に立った。
じっと視線を注げば、フェアグリンが見つめ返してくる。
(僕は退かないぞ)
僕は撫でるのだ。
そこを退くがよい――そんな意思をこめて睨んでいれば、視線の下から声がかけられた。
「で、俺はいつ、どれくらい不在にしましょうか?」
(その時に遊びに行けと言われてるようなものではないか。そして帰ってくる日までに戻っておけと言われている……)
「ん……ニュクスは、不在にしようと思って簡単に不在にできるの」
「ふっ、……何を隠そう、俺の代わりはたんといるのですよ!」
「それ、誇ることかな……」
なんとも不思議な打合せである。
クレイは馬鹿馬鹿しくなってきた。
「正直に、ありのまま?」
いかにも『俺はその通りにしますよ』と言った声が先を促す。
クレイは少し考えて、フェアグリンから視線を外して希望を伝えた。
(僕は何かにつけてすげない対応をしているかも知れぬが、別にニュクスと遊びたくない訳ではないのだよ。ただちょっと、色々……その都度、都合がつかぬ状況だったりするだけで)
そして、希望通りにニュクスフォスは城を不在にしてくれた。
「『騎士王』は交代制とするッ! 今日はシュナ、明日はレビエ、明後日はショー! あとは適当に中の人を交代でまわせ!」
――と、そんな謎なことを言いながら。
それは、小難しくて哲学的な本だった。
例えば、人という生き物が考える植物なのだとか。
その一方で獣なのだとか。
そんなことをつらつら並べて、人についての考えをこねくり回している。
それを読むには川から水を汲むよりずっと時間がかかる。
清潔な白い紙に印字された文字は整っていて、眺めていると知的な気分に浸ることができる。
自分が賢い生き物なのだと思えてくる。
けれど、けれど。
じっと座ってページをめくっているだけの時間は、牛の搾乳をしていた時間を思い出させるのだ。
群れのために貢献しているのだと実感するあの匂い、あの感触、あの泥臭い感じ――、
「この本を読んで、僕は何をしたと申せるのか。この哲学でどのように人間社会に貢献するというのか」
呟いた手がロザリオを手繰る。
耳には、テオドールが囀る噂話が届いていた。
いわく、紅薔薇が流した『騎士王』がアイザール系という噂話はいつの間にかデマ扱いされるようになったらしい。では『騎士王』はどんな人種なのかといえば、相変わらずよくわかっていないようなのだけれど。
38、俺の代わりはたんといるのですよ!
『騎士王』によるクレイの監禁だか軟禁だかはしばらく続いた。
部屋からは出してもらえないし、以前のように規則正しい生活管理をされている。
そして、父子のスタンスでの接し方なのだ――、
「僕はアレか。何か試されているのか」
アフタヌーンティーの席に付く少年の前にお菓子と紅茶が並べられる。
ケーキスタンドは透明で、フリルめいて揺らめく縁取りプリーツが可憐。
並ぶデザートプレートは白を基調として、緩く縁が波打っている。
よく見ると縁には白のマーガレットをモチーフにした花が咲き並ぶ装飾が施されていて、爽やかで清潔感に溢れていた。
お皿には見た目も楽しく華のあるお菓子が並ぶ。
ふっくらとした明るい色のスコーンにはクロテッドクリームとメープルシロップが添えられていた。
クッキーにはピスタチオクリームクリームが挟まって、タータンチェックの柄のマカロンが愛らしく、ライチとバラのムースにカシスジュレは部屋の灯りにつやつやとして、これでもかと甘味が揃えられている。
「俺の可愛い殿下はご不満のご様子……お外に出たいのですかな」
手ずからカフェインレスティーを注いで、ニュクスフォスが目を伏せる。
「しかし、俺は疑問なのです。いと高雅なるファーリズの王甥殿下は、お部屋の外に出てどこに行くというのでしょう。お国に帰りたいとでも?」
(それはもっともな疑問でもあるね)
クレイは明るい生地色のスコーンを取った。
「ニュクスの知っている通り、僕は他に行き場がない。ゆえに自由に何処か行けと言われても困るのは事実だよ……その上で、では自由がなくても良いだろうと言われれば反論したくなるものだ」
(このスコーンは甘いか甘くないかで言うと甘い食べ物だけど、ニュクスは食べられるのだろうか)
好奇心を抱きつつ、舌が回る。
「当たり前ではない? いつでも出歩ける環境で自主的に籠るのと出たくなっても出られないのとでは気持ちが違うのだよ」
言いながらスコーンの端っこをちょっとだけカットしてひとくちサイズをフォークにさせば、軽く身構える気配が伝わる。フィオ・ディと言われるのではないか、俺は食うぞ、と心の準備をする気配だ。
(苦手らしい)
無言で察したクレイはそれをそのまま自分の口に運んだ。
それを見てホッと安堵する気配が微笑ましい。
「つまり、俺が申したいのは……こほん」
一瞬視線を彷徨わせ、ニュクスフォスが言葉を続ける。
「場所を仰い、お父さまがお供しましょう、と。そう申したいわけです」
「なるほど」
クレイはほんのりと理解した。
――要するに一緒に遊びたいのだ、この者は。
(しかし、僕の『偽騎士王』遊びを本物に見せるのは……)
クレイの脳裏に『歩兵』のリアクションが蘇る。
『坊ちゃん、坊ちゃん。そのお人形遊びはちょいとアイタタタな気分になりますや』
『お寂しいんですかい。なんか見てる方が恥ずかしかなりますが』
――あれはやっぱり、アイタタタで恥ずかしい感じのお人形遊びなんじゃないだろうか。
(黒歴史は量産しているしいくつも把握されているが……どうなの? 自分に成りすましして遊んでるというのは……どうなの)
考えれば考えるほど微妙に思えて仕方ない。
押し黙って難しい顔をするクレイに、ニュクスフォスはやがて譲歩するような気配を見せた。
「ちなみにお父さまは、出かける用事もないわけではありませんぞ」
「んっ、そうなの」
クレイは目を瞬かせた。
いつ出かけるのだろう。
どれくらい出かけるのだろう。
(この心理はなんだろう。寂しいような、望ましいような――)
複雑な心境を自己分析するクレイだが、一方でニュクスフォスもそんな少年の気配を読んで眉尻を八の字に下げていた。
「なんということでしょう。お父さまが留守にするというのに、このお坊ちゃんは嬉しそうにしておられる……」
しおしおとした風情で言われると、クレイの胸には罪悪感がじくじくと湧いた。
『歩兵』の言葉が胸に蘇る――、
『俺はあの公子も「拾い物」の仲間になりたいんだな~って思って見てたけどな』
『坊ちゃんが仲間に入れてあげないからグレて皇帝になっちゃったじゃないすか』
古妖精のフェアグリンが慰めるみたいに頭をツンツンしてるのが、また面白くない。
「い、いや、いや。そんなことはないよ」
クレイはすっくと席を立ち、回り込むようにしてニュクスフォスの隣に立った。
じっと視線を注げば、フェアグリンが見つめ返してくる。
(僕は退かないぞ)
僕は撫でるのだ。
そこを退くがよい――そんな意思をこめて睨んでいれば、視線の下から声がかけられた。
「で、俺はいつ、どれくらい不在にしましょうか?」
(その時に遊びに行けと言われてるようなものではないか。そして帰ってくる日までに戻っておけと言われている……)
「ん……ニュクスは、不在にしようと思って簡単に不在にできるの」
「ふっ、……何を隠そう、俺の代わりはたんといるのですよ!」
「それ、誇ることかな……」
なんとも不思議な打合せである。
クレイは馬鹿馬鹿しくなってきた。
「正直に、ありのまま?」
いかにも『俺はその通りにしますよ』と言った声が先を促す。
クレイは少し考えて、フェアグリンから視線を外して希望を伝えた。
(僕は何かにつけてすげない対応をしているかも知れぬが、別にニュクスと遊びたくない訳ではないのだよ。ただちょっと、色々……その都度、都合がつかぬ状況だったりするだけで)
そして、希望通りにニュクスフォスは城を不在にしてくれた。
「『騎士王』は交代制とするッ! 今日はシュナ、明日はレビエ、明後日はショー! あとは適当に中の人を交代でまわせ!」
――と、そんな謎なことを言いながら。
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