清らかに致すだけ~下剋上後の主従が「その一線を越えてこい」ってするだけだけどそれが本人たちには意外と難しいって話

浅草ゆうひ

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3章、野性、飼いならし

35、扉から出れないなら窓から出ればよいのだ

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 古妖精のフェアグリンがふわふわと果実を運ぶ。
 お皿に置かれたそれをニュクスフォスの手が取って、小さなナイフで器用にするすると皮をむく。
 とても珍しく滋養があるという果実の色は黄金色をしていて、部屋の照明を浴びてつやつやと表面が輝いてみえた。
 
「そうだ。今度フェアグリンのお人形もつくりましょうか」
 殿下は妖精がお好きですね、と知ったような顔で語るニュクスフォスの顔はいきいきとしていて、とても清らかなのだ――、

「お前……」
 クレイはその時、何ともいえない顔でプシュケーとフィニックスの人形を撫でた。

「これ、お前の手作りなの……」 

 嫌いと公言している相手の人形をつくるとは、どんなメンタル――クレイはちらちらと人形とニュクスフォスを見比べた。

「やはり贈り物とは気合が入るもの……喜んでくださるお顔を想像しながら制作する時間は実に楽しく、完成品を大切そうに抱っこするお姿には幸福感が湧いて俺の心が満たされるというもので」

(僕はこの者がやっぱり、いまいちよくわからない)

 ニュクスフォスはニコニコしていて、クレイは大いに戸惑った。そして、そっと提案したのだった。

「『騎士王』のお人形もつくったらいかが……僕は、なでなでして大切にするよ」

 するとニコニコしていた整った顔がふわふわと赤くなって、照れている。

「自分のお人形をつくるのは、ちと恥ずかしいですな……」
「そっか……それは、理解できる気がする」
「それに、本物の俺がいるではありませんか」

 はにかむように言ってひとくちサイズの果実を差し出す青年の肩にフェアグリンが留まる。

 それはとてもあたたかで、けれどニュクスフォスに「俺とフェアグリンが殿下のお父さまとお母さまですよ!」と言われるとクレイは「それは違う」と言い返さずにはいられないのだった。
 
 
   35、扉から出れないなら窓から出ればよいのだ


 数日が経ったが、ニュクスフォスは「顔色が優れない」とか「微熱が」と理由をつけてはクレイを寝台に押し込み、政務の合間にせっせと部屋を訪れてはお父さま気取りのお世話を続けていた。

「あの者はもしかして看病ごっこを楽しんでいるのだろうか」
 だとしたらすまない、僕は元気が有り余っているのだが――寝台の上で上体を起こして、クレイはすこし申し訳なくなった。
 
「特殊なプレイですね……」
 メイドのマナがしずしずと感想を述べながら紅茶を淹れてくれる。こぽこぽと液体の注がれる音がして、不思議と心が安らいだ。

「僕、軽く毒を煽って寝込んでみようかな。喜ぶと思う?」
「初恋のトラウマが蘇って泣いてくれるかもしれませんね」

 クレイは紅茶のカップを傾けた。湯気がほわりとして、格調高い香りがする。
 カップの内側で傾く湯面が透明感のある金色をきらきらさせていて、綺麗だ。
 味は生真面目で上品ぶっていて、中央らしい風味。自然と背筋がただされるような、そんな味だ。

「美味しい。こういうのを味わえるのも、当たり前に思っていたけど贅沢なことだな」

 紫の目を細めつつ、クレイはレネンが差し出した手紙と地図を広げた。羽ペンをり手紙と見比べながら地図に書き込む文字は神々の使用した文字だった。
 
 この世界で日常的に使われることがない特殊な文字は、多言語使いのニュクスフォスに見られても唯一読解されにくそうな文字だ。
 もっとも、地域を見ればそこについて何が書いてあるのか、読めなくてもだいたい予想されそうなものだけど。
 
 中央の国ファーリズと南の国アイザールの間、長城の位置にメモをする。

「ここは、いったんアイザールが引いたようだね。ミハイが手紙で文句を言ってるや。僕がそそのかすからにはエインヘリアは味方だと思ってた、だってさ……どうしてみんな僕とニュクスが足並み揃えて動くものと思い込むのだろう」

「普通はそう思うんじゃないですかね……」

「まあ、油断してると攻められる恐れがあるとわかったから、これで中央は安易な侵略をしにくくなるだろうか」
 マナがあまり興味なさそうにしている。かと言ってレネンに期待するわけにもいかない――クレイは部屋の中に視線を彷徨さまよわせ、ちょうどやってきたテオドールを近くに招いた。

「もし南西と中央とが直接相互侵攻できないと思い込んでいると、両国は互いを無警戒に放置できる。そして、その分だけ他に兵を向けやすくなるのだ」

 考えを整理するように言ってテオドールを見れば、神妙な顔で地図を見ている。

「長城が攻略できるものだとわかれば、それだけで両国の緊張が高まる。対応する兵を常に備えなければならぬから、抑止効果があるのだ」

「うちに利があるってわけですね、坊ちゃん」
 テオドールがふむふむと頷いている。
「おやテオドール、お前はエインヘリアをうちと呼ぶのだね」
「坊ちゃんがいるところが『歩兵』のうちですよ。他に居場所もないんで」
「おお……テオドール」
 
 クレイはほわほわと手を伸ばしてテオドールを撫でた。

 クレイが拾う者は、だいたい他に身の置き所がない者だ。
 テオドールの場合は罪人同士の間にできた子供で、母親を置いて逃げて盗賊となり、クレイに拾われてから母親に会いに戻ったが、その時には時遅く母親は他界していた……という過去がある。
 
「テオドールは良い子だね、僕はちょっとしんみりとしてしまった……僕はテオドールを幸せにしてあげたい。どうやったら幸せになれるかな。悲劇なら思いつくのだけど」

 幸せって難しい。

「何か欲しいものはあるだろうか」

「いやあ、それが現状に満足しちまってて」
「ふうむ。難しいね」
「俺は坊ちゃんの配下で幸せですよ。長生きしてくだせえ」
「それは嬉しい事を言うではないか。お前も長生きするのだよ」 
  
 微笑ましい主従のやり取りを、マナとレネンが一緒に肩を竦めて見守っている。
 
「坊ちゃん、そういえば俺の報告ですが」
「ああ、うん」

 テオドールは何か知らせにきたんだな――クレイは今更ながらに気付いて先を促した。
「その……中央からエリック殿下が訪ねてきてますぜ」
「へっ」

 エリック殿下、というのはクレイの出身国、中央の国の第二王子だ。
 
 クレイの従弟であり、4歳の時からの学友である。

 『ぼくときみの間は、飾らぬ仲であれかし』
 『すなわち、きみはぼくを呼び捨てで呼んで構わないし、敬語も使わなくてよろしい。仲良くしようじゃないか、我が友よ!』

 そう言って友人と呼んでくれた二歳年上のエリック王子とは、微妙な仲になった事もある。
 けれどクレイは今でも彼を親友だと思っているのだ。
 
「エリック?」
 唐突に出てきた懐かしい名前に、クレイはびっくりした。
「へい」
「いるの?」
「俺は見かけました」
「な、な、なんと。ぼ、……僕は、着替える。手伝うように」

 常になく俊敏に寝台から飛び出して自ら衣装棚に向かうクレイは、はしゃぐように独り言めいた呟きを連ねた。

「僕に会いに来たんだね。あいつ、手紙も送らないでいきなり会いに来るんだ、困ったやつ、仕方のないやつ!」
 嬉しそうに目を輝かせ、そわそわと着替えを済ませて部屋を出れば、警備兵が部屋の外に出さぬよう引き止める。
 
「部屋の外に出れないというのは、監禁というのではない?」
 室内に戻ったクレイはふと未遂に終わったラーシャの劇の台本を思い出して眉を寄せた。

「劇の通りですね坊ちゃん。あとは暗転でしょうか」
 マナがしみじみと同意した。

「話が逸れた――僕はエリックに会いに行く」
 クレイが視線を向けると、呪術師レネンが意を汲んだように近付いてきて膝を付く。

「扉から出れないなら窓から出ればよいのだ。レネン、術を」

 レネンが呪術を綴る。
 レネンの綴る式は、あっさりスッキリしていて無駄というものが一切ない。

 それが年々洗練されて、少年が目にする最近のレネンの呪式は「これでどうして機能するのだろう」と不思議なシンプルさに纏められているものもあるくらいだった。

 術によりクレイとテオドール、そしてレネンの体が常人には視えない透明な状態になると、マナがしずしずと頭を下げた。

「私は時間稼ぎをすればよろしいでしょうか?」
「うーん」
 
 マナに問われて、クレイはちょっと考えた。
 このメイドは、ニュクスフォスがオスカーだったころに色仕掛けをさせたことがあり、今もなかなか親しくしているようなのだ。
 
「ニュクスが部屋にきたら、正直に言うのでも誤魔化すのでも思うままにするといい。なんなら二人でお茶を飲んでベッドで戯れるのでも、マナの好きなようにするといいよ。僕はなんでも許す」
 
 マナが目を瞬かせている。
 クレイはちょっと頬を染めて咳ばらいをした。
 
「こほん。僕は妹が二股をかけられる分には『許せん』となるが、自分がされる分にはよいのだ……」
こじらせてますね、坊ちゃん。ですが、あのパステノスとはせいぜい睡眠導入や幻夢の術を掛け合うのが関の山かと」
「不思議な事を言うじゃないか」 
 
 テオドールが縄を窓から垂らしている。
 
「坊ちゃん、俺が抱えておりますからおぶさってくだせえ」
「うん、うん」
 
 クレイを抱え、テオドールがするすると縄を降りる。
 そのあとをレネンが続き、縄が上から回収された。

「エリックはどこにいるのかな」
 周囲を行き交う人間たちは、3人にまったく気づく様子がない。

 呪術は中央で栄えている論理思考を要する技術であり、その中でも特に高度な術を使うのがコルトリッセン家のお抱え呪術師たちなのだ。

 北西の国は妖精とは縁があるものの、呪術の人材においては質も量も中央に遠く及ばない。
 たまに古妖精フェアグリンの配下らしき小さな妖精が気付いて周囲をふわふわ飛び回るけれど、臨機応変にその都度対応できる一流の呪術師が一緒なのだ。
 3人は人間たちに気取られず忍ぶことができた。

「このお城は以前も思ったけれど、隙が多いね。暗殺し放題ではない?」

 クレイは不穏なことを呟きながらわくわくと目を輝かせ、テオドールを急かした。
 
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