清らかに致すだけ~下剋上後の主従が「その一線を越えてこい」ってするだけだけどそれが本人たちには意外と難しいって話

浅草ゆうひ

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3章、野性、飼いならし

34、俺のミンネが低すぎる

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 ニュクスフォスが時折夢にみる光景は、遠い舞台。
 
 手の届かない勝者のステージ。
 『オスカー』は敗者としてそれを視ている。
 
 『こちらの伯爵公子はエリック殿下にぜひお仕えしたいと申しておりますゆえ、そちらでお役立てください。僕はこの駒、ほしくないので』
 そんな風に押し付けられた先で、自分オスカーの忠誠を『ほしくない』と拒絶した少年クレイを眺めている。
 
 大陸中に名を轟かす赤毛の英雄騎士フィニックスが少年に勝利を捧げ、王冠をかぶせて、盛大な拍手が湧く。会場中があの騎士と主を祝福している。

 その時、オスカーの胸にはエリック王子の声が蘇ったのだ。
 
 ――『君、自分がヒーローじゃないって顔してる』

 周りの拍手は、あの主従を讃えている。

 フィニックスにはシリルという主がいるというが、その主も行方不明というではないか。

 だから、あの騎士はクレイに仕えるといい。

 とてもお似合いではないか。強者に守ってもらえて、クレイも安全になるではないか。

 あの騎士は世界で一番立派で強くて高潔で、幼少期に読んだ本に出てくるような理想、血筋によらない高貴な騎士なのだ。
 肌は中央貴族にも受けの良い白皙はくせきで、実力も実績も世間からのイメージも何倍も何十倍も相手が上なのだ。
 真面目に下積をして修行して正道を歩んできて、誰からも認められる本物の騎士なのだ、フィニックスという騎士は。
 それは、自分などとは全くくらべものにしてはいけない――自分など、従騎士でもない。
 金と権力で子分らを引き連れた単なる、単なる――卑賎ひせんな脇役、やられ役がいいとこの悪徳貴族のガキではないか……。

 
 ああ、馬を駆りながら謡うクレイの声がきこえるのだ――
 
「風をきり馬で駆け行くのは誰? それは、騎士。フィニックス、フィニックス、何処へ行くの?」

「騎士様、騎士様! あれが見えないの? 暗がりにおばけがいるよ――ああ、お姫様。確かに見えますよ、あれは灰色の古い柳ですね」

「騎士たる者は優れた戦闘能力PROWESSを有し、武勇COURAGEに優れ、弱者の味方DEFENSEたらん。高潔であれHONESTY

誠実で、忠誠を違えることなくLOYALTY博愛精神CHARITYを持ち、信念を貫きFAITH礼節を知るCOURTESY……」

「――僕は、君のそういうところが、大好き!」

 ――純粋できらきらした、無垢な憧憬どうけいを溢れさせたあの声といったら!


   34、俺のミンネが低すぎる


 窓辺から自然な朝の光が差し込んでいる。
 柔らかな朝の光に自然と明るむ世界の片隅、居心地の良いエインヘリアの居室にて、クレイは目を覚ました。

 城で一夜過ごした翌朝は、外で遊んでいた時と比べて全身が清潔ですっきりとした感じがした。
 自分もたっぷりと洗い浄められているし、周りの寝具もふわふわのふかふかで、安心感がある。
 
 かたわらにはほんわかと温かなニュクスフォスの体温があって、嬉しくなる。
 
(当たり前みたいにくっついて、また一緒に寝られるんだ) 
 こんな贅沢ぜいたくな朝は数か月ぶりな気がした。
 柑橘系の果実めいた爽やかな香りが感じられて、『この香りに包まれたかったのだ』と思うのだ。
 
(これはきっと、中央貴族が好む自分だけの香り作り……調香による世界にただ一つの香り。つまり、ニュクスのにおい。僕は好き……調香レシピをきいて自分用に香袋を作りたいな。ああ、でも自分で作れないからこそこの香りに意味がある気もするね……)
 
 温もりに身を寄せるようにしてうっとりと目を開いたクレイは、視界に広がる光景に目を瞬かせた。
(んっ?)

 淡い光が文字の形を成して、幾つも連なり並んでいる。
 ゆるく曲線を描く文字列がクレイの体をぐるりと囲むように流れて消えていく。
 紡ぎ手は言うまでもなく、ニュクスフォスだ。

(ニュクス、呪術だね? これは呪術の式だね?)
 ――ニュクスが僕にかけている。僕が呪術をかけられている。

(ふぅむ。これはどういう種類の術かなぁ……?)

 寝起きの頭がリアルタイムに紡がれて消えていく文字列を読む。
 何事においてもそうだがクレイは実技はからっきしな代わりに、座学はそこそこできるのだ。

(レネンが書く式よりも回りくどくて、まだるっこしいな。害意のある式ではなさそうだけど)
 ――本人がいるのだから、ストレートに問いかけてみようか。
 
 クレイはそっと傍らの青年を見上げた。

 昨日より顔色の良くなった様子で、紅の目が明るい室内にキラキラと輝いて見える。
 機嫌は良さそうで、呪術を紡ぐ指先は軽快に踊るよう。

「おや」 
 ニュクスフォスは見上げる視線に気づいた様子で目を瞬かせ、笑みを浮かべた。
 いかにも『優しいお兄さま』といった雰囲気で。
 
「お父さまの呪術が気になりますかな、俺の殿下?」
 その第一声はお父さまアピールであった。
 
 昨日あんなに恋人っぽくむつみあったのに――クレイは半眼になった。
 
「一般的な父子は昨夜みたいなことをするの」
「南の土地ではよくあることですぞ!」
 
 からりとした声と『何を当たり前のことを』みたいな笑顔が眩しい。
 
「絶対、うそだ……」
「俺のミンネが低すぎて、ぜひ『そういうこと』にして頂きたいと――ちなみにさっきのは浄化に似た術ですぞ」
「お前には高いミンネより低いミンネが似合うと僕は思うの」
「ははあ、俺を知る者は皆それを言いますね! なぜでしょう!」
「日頃の行い、かなぁ……」 
 
 ――開き直って笑う声が明るい。
 
 クレイは術式を思い出した。
 短時間だけ一部を目視できた術式は、言われてみればそんな風に機能しそうにも思える。
 
「お父さまは遠方から帰ってきましたし、殿下もどこぞで遊ばれていらしたようなので抗体のない病の種を感染させていたら一大事かと思い、精査スキャンしてあやしい種をメッしていたわけです」
「ふ、ふうん……それは、ありがとう……」 
 
 それにしてもしつこく父アピールをするではないか。

 そして、どこぞで遊んできたのがバレているではないか――どこで遊んでいたかまではバレていないだろうか?
 クレイはそわそわした。 
 
「バヤンは逃げてしまったと報告がありましたが、殿下が『探さなくてもよい』と仰ったそうですね」
 ニコニコと笑うニュクスフォスの顔はなんだかとても嬉しそうで、頭を撫でる手の指先はちょっとひんやりとしている。
(レネンがそう言い繕ってくれたのだろうな。探されると面倒だから)
 クレイはレネンと口裏を合わせようと思い、そっと頷いた。
 
「このあたり……」
 するりと伸びたニュクスフォスの片手がクレイの腕を撫でる。

 もう片方の手では、ちいさな容器を取り出して。

「脚のあたりも。そして、この少し荒れた手」
 手を取り上げられ、指の付け根に容器からすくった軟膏が塗られる。

「まるで毎日重いものを運び続けたかのよう……運動をなさったのは素晴らしい事ですが、ヘルマンは貴方に何をさせたのでしょう。俺は運動にしても、軽いストレッチをと申していたのに」

(これは、抜け出して遊んでいたのを告白しないとヘルマンを罰するぞって言っているのかな)

 クレイは眉をさげた。
「怒っているわけではないのですよ?」
 
 ――優しい声があやすように言う。

「僕はヘルマンに内緒で下働きごっこを楽しんでいたのです、陛下」

 クレイはもじもじと言い訳をした。

「ほう、ほう。下働きごっこ……なんですかな、それは」
「『歩兵』と一緒になって、こっそりとお城のお掃除とかをしたのです。綺麗好きな陛下に喜んでいただきたくて」
 
 ――もちろん、お城のお掃除なんて全然していないけれど!
 
「俺のために! それは嬉しいお言葉ですね」
「僕は、陛下のご帰還をずっと良い子で待っていたの」 

 殊勝しゅしょうに言って、ちゃっかりとおねだりも混ぜてみる。

「実は、逃げたバヤンをお見送りもしたの。バヤンが住んでいる肥沃な南東のふたつ川の周辺は、最近放牧がしにくくて困ってるって言ってたよ。僕は、家畜が飢えることなく過ごせるといいなって思ったなぁ……」
 言ってからふと思う――半分『肥沃な南東のふたつ川の周辺で遊んでました』と自白しているようなものだろうか?

ふたつ川のくだりは、まずかったかもしれない。誤魔化そう。もう全力で誤魔化そう) 
 
 クレイははらはらしながら睫毛を伏せた。
 ニュクスフォスの好みに添うよう、楚々そそとして奥ゆかしく恥じらうように俯いて。
 
「僕、そんなことより……おはようのキスをしてほしい。挨拶は大切だと思うの」

 思い出すのは、昨夜の事。
 目を閉じて待つ相手を前にしたときの気分。

(あれは、よかった)
 クレイは思った。
(ああいうのを『ぜん感』と呼ぶのだ。受け身の相手に何かするというのは、それだけで高揚するのだね)

 軽く肩に触れ、おずおずと見上げるようにしてから目を閉じる。

(これ、ちょっと恥ずかしいな。そして、ちょっと緊張する)
 胸のうちで鼓動がとくんとくんと騒ぐ。
 唇が震えてしまいそう。

「ん……」
 おとなしく待っていれば、指先をおいた肩が動くのがわかった。
 右側の頭から耳をあたたかな手のひらが撫でて、鼻先が軽く擦れる感覚をおぼえる。
 唇にはふわりと羽根が触れる程度の接触が一瞬感じられて、錯覚かと思うくらいあっさりと引いていった。
 
(ふわっとした……)
 ほんわかとはにかむように目を開ければ、ニコニコとしたニュクスフォスの笑顔がある。
 なぜかその手にフェルト不織布の赤毛の騎士人形を持って……。

「おはようございます、と申しましょう。そして、朝食を運ばせましょう。昨夜は俺がおいたをいたしましたから、お体もお疲れでしょう。本日は何もなさらず、ゆっくりとお過ごしください」

 いかにも『この人形がお好きですよね、わかってます!』といった感じでフェルト不織布の赤毛の騎士人形を抱えさせられる。

「さあ、さあ。お父さまが『貴方のレネン』を呼んできますから、『大好きなフィニックス』と良い子で待っていてくださいね!」
「な、な、なに」
 さっさと寝台から抜け出して部屋から出ていくニュクスフォスは、足取り軽やかで隙がなかった。

(これ、やっぱりフィニックスの人形なんだな)
 そして、全力で線を引いていったな……。

 いつも通りの黒ローブ姿で部屋に現れるレネンと運ばれてくる食事を見て、クレイは複雑な心境でフィニックスの人形に視線を落とした。

「レネン、この人形についてどう思う」 

 大陸に名を馳せる英雄騎士フィニックスは、清廉高潔なイメージが強くて少年の憧れだった。
 その主はシリルという王子で、主持ちのフィニックスをクレイは確かに『欲しい』と言ったことがある。

 おねだりされたオスカーはフィニックスを勧誘しにいって、あれやこれやと適当な口説き文句でクレイに仕えるよう説得したこともあった。
 ……結果は、フィニックスを獲り損ねて帰ってきたのだが。

「――それを引きずってるのだろうか。けれどその時はフィニックスが騎士団を辞して在野にくだり、他国に逃げようとしていた。だから僕の『欲しい』は、あくまでも『他国にやるくらいなら僕がゲットする』という意味だったのだよ?」

 それとも、その後だろうか?
 クレイは剣術大会の折にフィニックスに取引を持ち掛けたのだ。
 主であるシリル王子が行方不明になったのに、エリック第二王子に束縛されて身動きができない彼をあわれんで。

 シリル王子の捜索隊を結成し、フィニックスが自分で主を探しに行けるようにすること。
 その代わりに友達になってほしいと、そんな取引をしたのだ。

 それを受けたフィニックスは、剣術大会でクレイの騎士を名乗って優勝してくれて、ステージの上、大衆の前でクレイの頭に王冠をかぶせてくれた……。

「あれは、取引だったのだ。ふふ……あの時は気持ちが良かった」

「坊ちゃん……」

 それともそれとも、その後も気にしているのだろうか。
 エインヘリアに保護されたクレイのもとを『騎士王』不在中にフィニックスがたずねてきて、二人でアイザールに逃亡しようとしたのだ。
 そして、政治の舞台から降りて人里を離れ、スローライフをしようと話したりした……。

「その話ってニュクスは知っているのかな? レネン、知ってる?」
「それは知られていないかもしれませんね……そして、知られない方がいいと思いますね」 
 レネンの声は冷静だった。
  
 その後の思い出は、クレイにとっては苦くもあり、楽しくもある黒歴史だ。
 発見されたシリル王子が敵対関係にまわると、フィニックスは『本日より敵対する、戦場で見かけたら殺す』と手紙をよこしてきた。

 そしてその宣言通り、王都で馬を駆って追いかけっこをしたのだ。
 フィニックスの格好良さが胸に熱く思い出される。

 あれは、死の恐怖より強烈だった。

 思わず自我が揺らいだほど――あの時は、ニュクスフォスが助けてくれなかったら殺されていたことだろう。

 追いかけっこの末に落馬したクレイは、自分に槍を向けてくるフィニックスに恍惚と見惚れていたのだから……。
 
「あれはとても凄かったね。彼、罠にかかって絡め取られた馬からぴょーんって跳んだんだ。こう……こんなふうにだよ」
 人形のプシュケーフィニックスの馬とフィニックスで死にかけたシーンを再現するクレイの目はキラキラしていた。
「僕、あの時最高にどきどきしたよ。レネン、フィニックスがなんて言ったと思う? 『かような嘘をもう必要とせぬようにして差し上げます、このフィニックスが殿下をしいたてまつる』……僕はきゅんってなったよ」
 
 はしゃぐようなクレイの声が熱く想いを吐き出し、室内によく響いた。
 
「あのような……いかにも正義って感じのりんとした英雄に追いかけまわされて殺してもらえるなんて、なかなか美しくて良いエンディングだって思ったね……」

 そんなクレイの耳に、低い声が届いた。

「ほう、ほう……殿下は英雄に追いかけまわされて殺してもらいたいというわけですな?」
「ふぁっ……」

 弾かれたように顔をあげれば、いつもの全身騎士鎧と騎士兜姿の『騎士王』がいた。

 顔が視えない『本物』は、不穏な気配をのぼらせている。
 さっきはあんなに機嫌がよかったのに、今は顔が視えないのにひしひしと剣呑な空気が伝わってくる。

 『騎士王』の鋼に覆われた手が無言で魔剣を抜く。
 素人目にも業物わざものとわかる重厚で鋭利なくろがねの切っ先が予告なくまっすぐに突き出されて、クレイの首元にあてられた。

「……!」
 肌にぴたりと当てられた切っ先に、クレイの鼓動が速まる。

(わあ! 魔剣アルフィリオンだ。僕、魔剣アルフィリオンを首にあてられている! 死にそう! そうか、恋人に殺されるエンディングも美しいね……悲劇的で、いとゆかし……)

 きっと痛みもなく一瞬で殺してくれる。
 死ぬのは怖いけれど、自分という意識が消えるのは怖いけれど――これに殺されるのは、僕はい!
 
「だから、なんで嬉しそうにするっ?」
 ささっと魔剣が引かれて、『騎士王』から呆れた様子の声が放たれる。

「坊ちゃん……」 

 それに同調するように呆れた気配をのぼらせるレネンは、メイドのマナが乗り移ったように「これはもうダメですね」と呟いたのだった。
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