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3章、野性、飼いならし

28、エラステースがエローメノスにアレテーをくれるんだって

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 夜の空気はひんやりとしていて、人の吐く息がほわりと白い。

 二つの部族が夜に挨拶を交わしている。

「夜襲かと思ったけど、思ってたより平穏ですね」

 『歩兵』の者らが武器を下げて首をかしげた。

「そうだね。中央などではよく遠い土地の民族を『蛮族』と呼んで蔑むけれど、実際に会ってみると意外と悪意的に色々誇張されていただけで、僕たちと価値観のそう変わらぬ相手なのかもしれぬ」

 クレイはおっとりと微笑んだ。

 
  28、エラステースがエローメノスにアレテーをくれるんだって


 バヤンがこっそりと教えてくれた話によると、きっかけは、おそらくキンメリア族が馴染みの牧草地を使えなくなってしまった事だという。

「おや、おや。それはとっても困るよね。定住の民でいうところの『おうちがなくなっちゃった』状態ではないだろうか」
 クレイはその瞬間、心にグッとくる感覚を覚えた。

 もはや病気のようなもの――「かわいそう」スイッチが入ったのである。
 おうちがなくなった可哀想なならず者とは、つい拾いたくなる佳さをもっている――それは、常々クレイが配下に語る言葉だった。
  
「この牧草地は、俺たちが毎シーズン立ち寄っている牧草地ではないか。勝手に荒らして、けしからん」

 と、そんな事を言って、キンメリア族はオーブル族にちょっかいを出してきたらしい。

「キンメリア族は、『それともあれか、俺たちの部族に吸収されたいとでもいうのか。傘下に入るから俺たちの牧草地を使わせてほしいというわけか?』と圧を加えてくる。どうもオーブル族を自分たちに吸収したいのだな、あれは」

 あれ、と呼ばれた男は、フレルバータル。
 キンメリア族の若長だ。
 若長といっても中年の年頃で、短い髪と目が共に真っ黒で、肌は浅黒い。体格はよく、筋骨隆々としていて、いかにも野生の戦士といった雰囲気。

「お前ら、まだ此処に留まっていたか。やっぱり全員そろってキンメリアの旗を掲げたいんだな」  
 フレルバータルは不遜に言い放ち、オーブル族の長が迷惑顔で「ここは元々うちが使ってたんで、言いがかりはよしておくれ」と言うのをスルーした。

「あれで、殴り合いになったりはしないんですねえ」

 テオドールが馬乳酒を手に見守っている。

「うん、うん。すぐに武器を抜かずに話し合いを何度も繰り返して互いの納得する着地点を探ろうというのだ。文明的だね」
 のほほんとクレイが頷けば、その視線の先でキンメリア族の者たちが手近な移動式住宅に無遠慮に押し入って中から子供を担ぎ出した。

「ビシ!」
 ドルマ―おばあさまが声をあげた。

「乱暴はしないさ。この偉大なるエラステース年長の男が今宵のエローメノス善き少年アレテーをくれてやろうってんだ。喜べ」

 フレルバータルはそう言って、次々とオーブル族の子供たちを集める。
 集めた後は何をするのかと思えば、後方に控えていた部族の者らが馬に乗せて、さっさと何処かに連れて行く。

「あれ、なんか連れ去られてませんかい」

 『歩兵』のアドルフが首をかしげている。

「不穏な感じですぜ」
 クレイは幾つか聞き取れた単語の意味について考えた。

「いいかい、エラステースとは、『慈愛溢れる先輩の英雄』という意味なのだ。エローメノスは、『善良で見込みがあり、これからに期待される若い雄』なのだ。アレテーは『いものを授けるぞ』って意味なのだよ。すなわち、うーん。あの者たちは、『オーブル族の未来を担う若者に、英雄が良いものをあげる』と言っている」

 外国語とは、暗号のようだ。
 クレイはしみじみと実感しながら、「けれど僕は解読できたぞ!」と肩をそびやかして自らの手をサッとあげた。

「ここにも、エローメノス若い雄がいるのである。僕もアレテーよいものがほしい」
 
 声は思いがけずよく通った。

「お前、何を……!?」
 バヤンが「信じられない」といった顔で目を見開いている。
  
 二つの部族の視線が一気に集まる。
 フレルバータルが「面白い生き物がいる」といった顔で近寄って来て、まじまじと全身を見つめた。
 じっと見つめる眼は黒瑪瑙のようで、なかなか美しい。

「僕、しってるよ。フレルバータルとは、青き英雄という意味なのだ。格好良いね」
 
 英雄は何をくれるのだろう。
 盗賊行為を働いたりしているらしいけれど、『歩兵』の連中だってそうだった。

 この英雄を僕がしつけて、一族もろとも『騎士王』の臣下に贈ってあげたらどうだろうか。
 だって、行く場所がなくて困っているのだろう?

 貴方が遊んでる間に、僕も遊んできたのです。そして、これはお土産だよ――そう言って、ぽんっと英雄を贈るのだ。

(この者たちが定住生活を望むかはわからぬが、もしお持ち帰りできたら、とてもいのではない? キンメリア族をただ討伐するよりハッピーでウィンウィンなのではない?)

 うっとりとしていると、黒い眼差しに好感のようなものが浮かんだ。
 そして、言うのだ。
 
「ひよわだな。どういう育ち方をしたらこうなるんだってくらい、筋肉がぜんぜんついてない。よく生きて来れたな――それでだまされる奴も多そうだけど、お前は子供じゃないな」

「!!」

 クレイは目を見開いた。
 未だかつてない感動が胸に咲く――『この者は、ひとめで僕を大人だと判じた』!!

「そ、その通り――いかにも! 僕は実は、大人」

「とはいえ、上玉ではある。俺はスポルス美しい者には惜しみなくアレテーよいものを注いでやろう」
「おお……?」

 逞しい腕にさっさと担ぎ上げられて、馬に乗せられる。

 このあたりの馬は、中央にいた馬よりも体が小さくて、筋肉ががっちりとついている。

 中央では同じ食べ物ばかりだと栄養が偏るからと飼育する馬の餌に栄養剤を混ぜるようにしているが、放牧されて育つ馬は自然と体が欲するものを食べ、移動することで多種類の食べ物を取り入れるらしい。

 また、狭い環境でじっとしている時間も影響しているのだとか、なんとか――

「坊ちゃん、それ、攫われかけてません? そいつ、やばいやつじゃないですかねえ?」 

 テオドールが慌てている。

「問題ない。僕を信じよ」

 クレイは凛とした声を返しつつ、そっと付け足した。

「暇だったら、レネンに頼んで以前つかった呪術罠を送ってもらうといい。あれ、役に立つんじゃないかな」
 
 獲物を捕らえたり、天幕のまわりを守ったり。
 レネンが時間をかけてつくった呪術具は、とても使い勝手が良い。

(冒険するって、楽しいな。なるほど、夢中になってあちらこちらで遊ぶ気持ちがわかるよ)
 未知のものとの出会い、知らない何かを知る感覚。
 それはとっても、ドキドキするのだ。

(ニュクスも知らない土地で冒険した時、こんな風にワクワクしたのかな? きっと、とっても楽しそうに笑ってはしゃいで、いろんな経験をしたのだね……、今も、楽しく遊んでいるのかな)

 以前はそんな想像をするよりも『死んだのだ』と思って塞いだものだったが、今はそんな風に楽しそうな姿を想像することができる。

 それがクレイには、なんとなく嬉しいのだった。
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