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3章、野性、飼いならし
27、自主自立、「ひとりでできるもん」(軽☆)
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オーブル族の群れる大地――自然の夜空には満天の星が輝いていた。
空と大地に抱かれて、同じ人間という種族の同胞同士が、家族的に身を寄せ合い、助け合い、生きている。
そこには中央の紅薔薇勢がしていたような世論操作や印象操作といったものが全くない。
27、自主自立、「ひとりでできるもん」
放牧中のタボン・ホショー・マル、ウヘル、モリ、テメィ、ホェニとイマーガ――その中で、この部族はウヘルを特に多く連れている。
朝から晩まで牛にまとわりついて、搾乳する。
眠気をまだ覚えながらかがんで牛のお乳を清めてあげる。
汚れた手で触れたり、乱雑に扱ってはいけないのだ。
こういった部分は炎症を起こしてしまいやすいらしい――人間と同じなんだな、と思う自分と、そんなのあたりまえじゃないかと思う自分がいて、クレイは「本で読んで知ったつもりになった知識と実際に触れてみての実体験は違うんだ」と感じたのだった。
根元からしぼってやると、ミルヒがぴるぴると出てくる。
これは、飲むだけでなく発酵食品などにもできて、オーブル族が生きている上でなくてはならない恵みなのだ。
これのおかげで生きていけるのだ。
ゆえに、オーブル族は家畜を大切に大切にお世話する。
まるで家畜がご主人様みたい――そんな感想を抱いたクレイは、「そもそも何かと何かの関係を、主と従で考えるのがおかしい気がする」とも考えるのだった。
「僕たち、いっしょに生きているんだ。そうではない?」
そっとウヘルの眼を覗き込めば、おだやかで優しい眼がぼんやりとクレイを映している。
それがクレイには、絢爛な中央貴族らのパーティで風流とか雅とかいわれていた詩歌や花宴よりもずっと貴くて、綺麗で、あったかく思えるのだった。
放牧する牛は、自分でのらりくらりと好き勝手草を食む。
名前すら知らない、どれも同じように視える牛たちは、元気に日々お乳をくれて、草を食べて、ふん尿を奔放に撒く。
すると、それが大地に還って土地の肥やしになるのだそうだ。
肥やしにまた草が生えて、それをまた食べて、また肥やす。
白と黒の斑模様の牛は、腿や腹の皮がゆるゆるしていて、お肉がたふたふしていて、腰のあたりはきゅっとしている。
定住の民が畜舎で飼う牛よりも、この放牧牛は長生きするらしい。
お耳はぴろんと薄くて、鼻がおおきい。
動きはのーんびりしていて、和む。
いつかはどの子も命の終わりを迎えるけれど、草を食べたり、鼻先に蝶々を止めたりしている牛たちは、きっと自分の命の終わりなんて全然、まったく、これっぽっちも気にしていない。
ただ、今日という一日をのんびり、ゆったり、生きている……。
――夜は、眠る時間だ。
傭兵扱いされている『歩兵』などは交代で周辺を見張ったりもしているが、バヤンに『可哀想な子』として境遇設定されたクレイは部族の一員のようになって子供のカテゴリーに分類されて生活を送っている――この部族は、13歳で一通り生存スキルを身に付けられていて、生きるために必要な事を理解していて、部族に貢献できる『一人前』という扱いらしい。クレイは実年齢的にはこの部族内では大人といえるのだが、『スキル』やら『貢献』やら言われると、全く自信がないのだった。
「僕は年下に劣る……」
――しかし、僕にも誇れることはちゃんとある。
クレイはもそもそと寝返りを打ちながら天幕天井を眺めた。
(計算も読み書きもできる、他国語だって扱えるのだから、交易する時に役に立つのだよ)
レネンにそう手紙で語れば、『念願のスローライフですね、坊ちゃん』などと言っていたが。
(血統や容姿って、生きるのにあんまり意味がないんだ。肌の色が白かったり、身なりが良くても、獣を狩ったりお水を汲むのにはなんの関係もないのだ)
――『政治の揉め事と無縁の自然の中で、何のご心配もなくゆったりとした時間を過ごせば、そんな癖もなくなりますとも』
クレイの憧れの騎士、フィニックスに過去に言われた言葉が思い出される。
人の社会には、毒がたくさんあった。
毒は刺激的で甘くて、うんざりするほどそこいら中に溢れていて、気付けば自分自身も毒になっていくようだった。
この自然の中にいても、過去がなくなったり消えたりするわけでは決してない。
人間のこころは魔法みたいに毒気を抜かれて綺麗になったりしない。
けれど、錯覚することは、ある。
牛のあたたかな肌に手を添えて、えい、えい、と恵みをもらう時。
のんびりとした牛たちを視ながら桶に水を汲み、草地のなかを歩く時。
まるで自分が別の生き物になったみたいで、その『非日常』はとても楽しいのだった。
ごそごそと荷から取り出してランプの灯りの下で眺めるのは、レネンが届けてくれたニュクスフォスからのお手紙だった。
お誕生日のお祝いの文言がひとことだけ書かれた紙は東方の花の香りがして、綺麗に丁寧につづられた文字をじっと見つめていると、嬉しい気持ちが湧いてくる。
フィニックスが手紙を送るときは、日常の細々としたことをなんでも書いて、他人の日常をみせてもらう日記を読んでいる気分になるのだけれど、ニュクスフォスが送る手紙は日常がまったく見えない。
無駄なことは一切書かれていなくて、ただ、必要なことだけが書かれている。
それはなんとなく、無骨で効率主義のエインヘリアらしい感じがした。
けれど、中央貴族が好む『風流』の気――香料を調合して自分好みの香りを焚きしめる趣向はあるようで、それが面白い。
もともと彼の出身であるユンク領は、中央の国の中でもユニークだった。
竜の加護を笠に着て閉鎖的、他国を見下しがちな中央の中で、ユンク領は開放的に他国と交易し、文化を取り入れていたのだ。
中央貴族の中にはそれを蔑む者も多かったが。
(いろんな国の文化が混ざっているのが、おもしろい)
ネイティヴのようにいろいろな言葉をあやつるニュクスフォスは、ものの考え方や価値観もクレイが知っている中央貴族とは違っていて、予想を外したリアクションをすることも多々あるし、「どうしてそんなことを言うのか」と思考が読めない言動も多い。
それはきっと、生まれ育った環境が多様な文化や価値観の坩堝みたいな南の領地だったからなのだ。
(ああ、僕の友達。僕のお父さま、僕の騎士。僕の王様――僕、このお手紙だけでおなかがいっぱいになれるよ)
だって、君は元気で、生きているのだもの――それがなにより大切なことではないか。
その上で僕を忘れずにお手紙をくれるのだ――それはとっても、幸せではないか!
中央の学院に通っていた時や、エインヘリアの離宮にいた時は、毎日のように顔をあわせて、傍にいるのが当たり前に思っていた。
けれど、クレイがそれを当たり前に思ってきた頃、お約束のようにオスカーはするっと離れていって、「別に一緒にいるのは当たり前ではないのだ」という顔をするのだった。
例えば、音楽室から落とそうとして逃げて行ったあととか。
国を出ていったあととか。
(人と人って、一緒にいるのが奇跡みたいなもので、離れているのが当たり前なのだ、そもそも)
――保護者だとか婚約だとか、そんなものはきっと『一緒にいる理由』をつくっているだけなのだ。
(このお祝いに、僕はなんてお返事を書こう?)
クレイはのんびりと文面を考えた。
(僕、牛とあそんでいるよって書いてみようかな? ニュクスもこっちにおいでよって書いたら、僕といっしょにあそんでくれるかな?)
そして、そわそわと下衣に手を入れる。
ゆるゆると膨れたそれに軽く触れると、そこから甘やかな感覚が広がって、気持ちが良い。
もっとその感覚がほしいとおもうのだ。
それは、自然現象だ。肉体が生命活動をしている証左だ。
生理現象だ。催すものは催す。出るものは出る。
物を食べて呼吸をしていたら、体はそのエネルギーをもとにあれやこれやして、勝手にいろんなものをつくるのだ。
動物なのだもの、僕とて定期的に精を生産して、溜まったそれを吐く生き物なのだ。
『敏感で大切な場所ですから、ご自分で触れるときも傷付けないようにやさしくゆっくり扱ってくださいね』
――声がふわふわと蘇る。
「ン……」
強く刺激したくなるのを堪えてゆるゆると撫でれば、もどかしくて心地よい。
『気持ちがよいのですね? ゆっくり、このように撫でられるのが気持ちよいのですね……』
煽るような声が蘇って、熱が高まっていく。
(僕、思い出だけで発情できる……僕、思い出だけで自分を慰められる……)
それはとても恥ずかしいようで、背徳感があって、けれど気持ちが好くて、不思議な誇らしさみたいなものがあるのだ。
(こういうの、こういうのを……)
のぼせた頭に記憶が蘇る。
「いいかいクレイ、ここにいる間は使用人に頼らず、身の回りの事を自分たちだけでするんだ。自主自立……』
いつか部屋から使用人を全員追い出して笑いかけてきた、中央の第二王子エリックの声だ。
(こういうのを――『自主自立』というのだね)
それはとっても凄いことのようで、俺たち凄いよなって顔で、あの時、王子は悦に浸っていたけれど、オーブル族の一員みたいに大地に抱かれて過ごしてみれば『そんなのあたりまえなんだよ」と笑ってしまいたくなる。
――自分たちは甘ったれていて、『お坊ちゃん』だったのだ。
「ん、……ふっ……」
そろそろと指先で夜着の胸元を引く。
ぷくりと膨れた胸の尖りを内側の布生地がこすって、ほんのすこしの淡い快感が掠める。
『触れるとどんな感じがするのですか』
また声が蘇るようで、肩があがる。
首をすくめて、羞恥に顔を染めながら自分の雄への刺激をもとめて腿がぷるぷると小さく震えていた。
(ほ、ほ、……欲しい……っ)
あの体温に、当たり前みたいに後ろから抱きしめて欲しい。
触れてほしい、慈しんでほしい、――僕を求めてほしい……っ!
「……ん、ん、……ンン……ッ」
背徳感と羞恥に染まる夜に自分を慰めると、どんどんと野生の動物みたいになっていく。
出したい、達したい、すっきりしたい、熱い、渦巻いていて、出口を求めているようで、なんとかしたい――そんな衝動の渦の中に溺れていると、貴族のお上品さだとか、雅やかとか、そんなものよりも『今昂るこの欲を満たす』という刺激のほうがよっぽど、よっぽど、価値があるように思えてならないのだった。
指先に濡れた感触が感じられて、射精感が強まっているのを自覚する。
(あ、服を汚さないようにしないといけないよ……)
前は服も寝台も汚しても気にすることはなかったが、今は違うのだ。
クレイはごそごそと清潔な布をとり、それで自身を包むようにした。
「ん……っ」
(――出る……っ)
声を押し殺すようにして忍びやかに達する瞬間、全身がぎゅっと縮こまってそれを出すだけに特化した生き物になったみたいだった。
出すのは、気持ちが良い――独特の開放感というか、我慢していたものを吐きだす感覚が病みつきになりそうなのだ。
(これは、快欲に溺れる者が多いというのも、うなずける……)
吐き出した液体で汚れた手を拭き、なんとなく情けない気持ちになりながら天幕の外に出る。
一生懸命川で汲んで、桶をたぷたぷさせながら運んだ水をこの汚れた手を清めるのに使うというのが、なんだか悪いことをしたような気分になるのだった。
(こ、このお水は自分で汲んだから……自分で……明日またいっぱい働こう……)
真っ赤に火照った頬が夜気にふわふわと冷やされていく。
頭上に広がる星空は絢爛で、とても幻想的で美しくて、迫力があって、空気がとても澄んでいた。
(お手紙に『僕、ひとりでできるようになったよ』って書いたら、どんな反応するだろう。いや、書かないけれど――ニュクスは僕がちょっと子どもっぽく、だけど王侯貴族らしく、雅やかに上品に振る舞うのが好きなのだ……)
吐く息がほわりと白い。
遠くに篝火のゆらめきが視えて――警笛が空気を裂くように鳴り響いたのは、そんな時だった。
「――キンメリアだ!」
誰かがそう吠える声がする。
地平線の辺りに幾つもの灯りが揺れていて、近づいてくる。
(なんと、なんと。夜中にとつぜん訪ねてくるのだね)
クレイはおっとりとそれを視て、濡れた手を拭いた。
(僕のあれが終わってからきてくれてよかった。途中だったら、ちょっと困ったかもしれぬ)
キンメリアとは空気が読める部族であった――別に空気を読んだわけでもないだろうが、クレイはこの時タイミングのよさに感謝した。
あちらこちらで人が起き出す気配がして、外に人が集まってくる。
そうすると、静かで眠る時間だった夜が一転して特別さを感じさせ、非日常の気配がぐんと強まっていくようで、クレイのこころはワクワクするのだった。
空と大地に抱かれて、同じ人間という種族の同胞同士が、家族的に身を寄せ合い、助け合い、生きている。
そこには中央の紅薔薇勢がしていたような世論操作や印象操作といったものが全くない。
27、自主自立、「ひとりでできるもん」
放牧中のタボン・ホショー・マル、ウヘル、モリ、テメィ、ホェニとイマーガ――その中で、この部族はウヘルを特に多く連れている。
朝から晩まで牛にまとわりついて、搾乳する。
眠気をまだ覚えながらかがんで牛のお乳を清めてあげる。
汚れた手で触れたり、乱雑に扱ってはいけないのだ。
こういった部分は炎症を起こしてしまいやすいらしい――人間と同じなんだな、と思う自分と、そんなのあたりまえじゃないかと思う自分がいて、クレイは「本で読んで知ったつもりになった知識と実際に触れてみての実体験は違うんだ」と感じたのだった。
根元からしぼってやると、ミルヒがぴるぴると出てくる。
これは、飲むだけでなく発酵食品などにもできて、オーブル族が生きている上でなくてはならない恵みなのだ。
これのおかげで生きていけるのだ。
ゆえに、オーブル族は家畜を大切に大切にお世話する。
まるで家畜がご主人様みたい――そんな感想を抱いたクレイは、「そもそも何かと何かの関係を、主と従で考えるのがおかしい気がする」とも考えるのだった。
「僕たち、いっしょに生きているんだ。そうではない?」
そっとウヘルの眼を覗き込めば、おだやかで優しい眼がぼんやりとクレイを映している。
それがクレイには、絢爛な中央貴族らのパーティで風流とか雅とかいわれていた詩歌や花宴よりもずっと貴くて、綺麗で、あったかく思えるのだった。
放牧する牛は、自分でのらりくらりと好き勝手草を食む。
名前すら知らない、どれも同じように視える牛たちは、元気に日々お乳をくれて、草を食べて、ふん尿を奔放に撒く。
すると、それが大地に還って土地の肥やしになるのだそうだ。
肥やしにまた草が生えて、それをまた食べて、また肥やす。
白と黒の斑模様の牛は、腿や腹の皮がゆるゆるしていて、お肉がたふたふしていて、腰のあたりはきゅっとしている。
定住の民が畜舎で飼う牛よりも、この放牧牛は長生きするらしい。
お耳はぴろんと薄くて、鼻がおおきい。
動きはのーんびりしていて、和む。
いつかはどの子も命の終わりを迎えるけれど、草を食べたり、鼻先に蝶々を止めたりしている牛たちは、きっと自分の命の終わりなんて全然、まったく、これっぽっちも気にしていない。
ただ、今日という一日をのんびり、ゆったり、生きている……。
――夜は、眠る時間だ。
傭兵扱いされている『歩兵』などは交代で周辺を見張ったりもしているが、バヤンに『可哀想な子』として境遇設定されたクレイは部族の一員のようになって子供のカテゴリーに分類されて生活を送っている――この部族は、13歳で一通り生存スキルを身に付けられていて、生きるために必要な事を理解していて、部族に貢献できる『一人前』という扱いらしい。クレイは実年齢的にはこの部族内では大人といえるのだが、『スキル』やら『貢献』やら言われると、全く自信がないのだった。
「僕は年下に劣る……」
――しかし、僕にも誇れることはちゃんとある。
クレイはもそもそと寝返りを打ちながら天幕天井を眺めた。
(計算も読み書きもできる、他国語だって扱えるのだから、交易する時に役に立つのだよ)
レネンにそう手紙で語れば、『念願のスローライフですね、坊ちゃん』などと言っていたが。
(血統や容姿って、生きるのにあんまり意味がないんだ。肌の色が白かったり、身なりが良くても、獣を狩ったりお水を汲むのにはなんの関係もないのだ)
――『政治の揉め事と無縁の自然の中で、何のご心配もなくゆったりとした時間を過ごせば、そんな癖もなくなりますとも』
クレイの憧れの騎士、フィニックスに過去に言われた言葉が思い出される。
人の社会には、毒がたくさんあった。
毒は刺激的で甘くて、うんざりするほどそこいら中に溢れていて、気付けば自分自身も毒になっていくようだった。
この自然の中にいても、過去がなくなったり消えたりするわけでは決してない。
人間のこころは魔法みたいに毒気を抜かれて綺麗になったりしない。
けれど、錯覚することは、ある。
牛のあたたかな肌に手を添えて、えい、えい、と恵みをもらう時。
のんびりとした牛たちを視ながら桶に水を汲み、草地のなかを歩く時。
まるで自分が別の生き物になったみたいで、その『非日常』はとても楽しいのだった。
ごそごそと荷から取り出してランプの灯りの下で眺めるのは、レネンが届けてくれたニュクスフォスからのお手紙だった。
お誕生日のお祝いの文言がひとことだけ書かれた紙は東方の花の香りがして、綺麗に丁寧につづられた文字をじっと見つめていると、嬉しい気持ちが湧いてくる。
フィニックスが手紙を送るときは、日常の細々としたことをなんでも書いて、他人の日常をみせてもらう日記を読んでいる気分になるのだけれど、ニュクスフォスが送る手紙は日常がまったく見えない。
無駄なことは一切書かれていなくて、ただ、必要なことだけが書かれている。
それはなんとなく、無骨で効率主義のエインヘリアらしい感じがした。
けれど、中央貴族が好む『風流』の気――香料を調合して自分好みの香りを焚きしめる趣向はあるようで、それが面白い。
もともと彼の出身であるユンク領は、中央の国の中でもユニークだった。
竜の加護を笠に着て閉鎖的、他国を見下しがちな中央の中で、ユンク領は開放的に他国と交易し、文化を取り入れていたのだ。
中央貴族の中にはそれを蔑む者も多かったが。
(いろんな国の文化が混ざっているのが、おもしろい)
ネイティヴのようにいろいろな言葉をあやつるニュクスフォスは、ものの考え方や価値観もクレイが知っている中央貴族とは違っていて、予想を外したリアクションをすることも多々あるし、「どうしてそんなことを言うのか」と思考が読めない言動も多い。
それはきっと、生まれ育った環境が多様な文化や価値観の坩堝みたいな南の領地だったからなのだ。
(ああ、僕の友達。僕のお父さま、僕の騎士。僕の王様――僕、このお手紙だけでおなかがいっぱいになれるよ)
だって、君は元気で、生きているのだもの――それがなにより大切なことではないか。
その上で僕を忘れずにお手紙をくれるのだ――それはとっても、幸せではないか!
中央の学院に通っていた時や、エインヘリアの離宮にいた時は、毎日のように顔をあわせて、傍にいるのが当たり前に思っていた。
けれど、クレイがそれを当たり前に思ってきた頃、お約束のようにオスカーはするっと離れていって、「別に一緒にいるのは当たり前ではないのだ」という顔をするのだった。
例えば、音楽室から落とそうとして逃げて行ったあととか。
国を出ていったあととか。
(人と人って、一緒にいるのが奇跡みたいなもので、離れているのが当たり前なのだ、そもそも)
――保護者だとか婚約だとか、そんなものはきっと『一緒にいる理由』をつくっているだけなのだ。
(このお祝いに、僕はなんてお返事を書こう?)
クレイはのんびりと文面を考えた。
(僕、牛とあそんでいるよって書いてみようかな? ニュクスもこっちにおいでよって書いたら、僕といっしょにあそんでくれるかな?)
そして、そわそわと下衣に手を入れる。
ゆるゆると膨れたそれに軽く触れると、そこから甘やかな感覚が広がって、気持ちが良い。
もっとその感覚がほしいとおもうのだ。
それは、自然現象だ。肉体が生命活動をしている証左だ。
生理現象だ。催すものは催す。出るものは出る。
物を食べて呼吸をしていたら、体はそのエネルギーをもとにあれやこれやして、勝手にいろんなものをつくるのだ。
動物なのだもの、僕とて定期的に精を生産して、溜まったそれを吐く生き物なのだ。
『敏感で大切な場所ですから、ご自分で触れるときも傷付けないようにやさしくゆっくり扱ってくださいね』
――声がふわふわと蘇る。
「ン……」
強く刺激したくなるのを堪えてゆるゆると撫でれば、もどかしくて心地よい。
『気持ちがよいのですね? ゆっくり、このように撫でられるのが気持ちよいのですね……』
煽るような声が蘇って、熱が高まっていく。
(僕、思い出だけで発情できる……僕、思い出だけで自分を慰められる……)
それはとても恥ずかしいようで、背徳感があって、けれど気持ちが好くて、不思議な誇らしさみたいなものがあるのだ。
(こういうの、こういうのを……)
のぼせた頭に記憶が蘇る。
「いいかいクレイ、ここにいる間は使用人に頼らず、身の回りの事を自分たちだけでするんだ。自主自立……』
いつか部屋から使用人を全員追い出して笑いかけてきた、中央の第二王子エリックの声だ。
(こういうのを――『自主自立』というのだね)
それはとっても凄いことのようで、俺たち凄いよなって顔で、あの時、王子は悦に浸っていたけれど、オーブル族の一員みたいに大地に抱かれて過ごしてみれば『そんなのあたりまえなんだよ」と笑ってしまいたくなる。
――自分たちは甘ったれていて、『お坊ちゃん』だったのだ。
「ん、……ふっ……」
そろそろと指先で夜着の胸元を引く。
ぷくりと膨れた胸の尖りを内側の布生地がこすって、ほんのすこしの淡い快感が掠める。
『触れるとどんな感じがするのですか』
また声が蘇るようで、肩があがる。
首をすくめて、羞恥に顔を染めながら自分の雄への刺激をもとめて腿がぷるぷると小さく震えていた。
(ほ、ほ、……欲しい……っ)
あの体温に、当たり前みたいに後ろから抱きしめて欲しい。
触れてほしい、慈しんでほしい、――僕を求めてほしい……っ!
「……ん、ん、……ンン……ッ」
背徳感と羞恥に染まる夜に自分を慰めると、どんどんと野生の動物みたいになっていく。
出したい、達したい、すっきりしたい、熱い、渦巻いていて、出口を求めているようで、なんとかしたい――そんな衝動の渦の中に溺れていると、貴族のお上品さだとか、雅やかとか、そんなものよりも『今昂るこの欲を満たす』という刺激のほうがよっぽど、よっぽど、価値があるように思えてならないのだった。
指先に濡れた感触が感じられて、射精感が強まっているのを自覚する。
(あ、服を汚さないようにしないといけないよ……)
前は服も寝台も汚しても気にすることはなかったが、今は違うのだ。
クレイはごそごそと清潔な布をとり、それで自身を包むようにした。
「ん……っ」
(――出る……っ)
声を押し殺すようにして忍びやかに達する瞬間、全身がぎゅっと縮こまってそれを出すだけに特化した生き物になったみたいだった。
出すのは、気持ちが良い――独特の開放感というか、我慢していたものを吐きだす感覚が病みつきになりそうなのだ。
(これは、快欲に溺れる者が多いというのも、うなずける……)
吐き出した液体で汚れた手を拭き、なんとなく情けない気持ちになりながら天幕の外に出る。
一生懸命川で汲んで、桶をたぷたぷさせながら運んだ水をこの汚れた手を清めるのに使うというのが、なんだか悪いことをしたような気分になるのだった。
(こ、このお水は自分で汲んだから……自分で……明日またいっぱい働こう……)
真っ赤に火照った頬が夜気にふわふわと冷やされていく。
頭上に広がる星空は絢爛で、とても幻想的で美しくて、迫力があって、空気がとても澄んでいた。
(お手紙に『僕、ひとりでできるようになったよ』って書いたら、どんな反応するだろう。いや、書かないけれど――ニュクスは僕がちょっと子どもっぽく、だけど王侯貴族らしく、雅やかに上品に振る舞うのが好きなのだ……)
吐く息がほわりと白い。
遠くに篝火のゆらめきが視えて――警笛が空気を裂くように鳴り響いたのは、そんな時だった。
「――キンメリアだ!」
誰かがそう吠える声がする。
地平線の辺りに幾つもの灯りが揺れていて、近づいてくる。
(なんと、なんと。夜中にとつぜん訪ねてくるのだね)
クレイはおっとりとそれを視て、濡れた手を拭いた。
(僕のあれが終わってからきてくれてよかった。途中だったら、ちょっと困ったかもしれぬ)
キンメリアとは空気が読める部族であった――別に空気を読んだわけでもないだろうが、クレイはこの時タイミングのよさに感謝した。
あちらこちらで人が起き出す気配がして、外に人が集まってくる。
そうすると、静かで眠る時間だった夜が一転して特別さを感じさせ、非日常の気配がぐんと強まっていくようで、クレイのこころはワクワクするのだった。
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