清らかに致すだけ~下剋上後の主従が「その一線を越えてこい」ってするだけだけどそれが本人たちには意外と難しいって話

浅草ゆうひ

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2章、汝、善良であれ

25、ロザリオを陽光にかざし、野生

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 『神はありのままを望まれる』。

 それは、中央で主流の創造多神教の有名な聖句である。
 けれど、ありのままとはどういった状態なのか。

 クレイはそれをよく考える。
「例えば、狼が兎を食べようとしているとする。そして、そこに僕が通りかかるとする。そのとき、僕は関与せず『弱肉強食、自然の摂理、ありのまま』と言うべきだろうか。それとも、『僕という第三の動物が偶然とおりかかり、気紛れをおこして兎を助けるのもまた自然の流れ、ありのまま』と言うべきだろうか」

 そして、クレイは思うのだ。

「例えば、人間が獣のように発情して性衝動をおぼえたとする。そのとき、人間とは獣のようにその欲に身をまかせるのが『ありのまま』だろうか。しかし、人の社会とはそうならぬ。街中で、とつぜん誰かが発情して無差別に交尾を求めてきても困るもの。ゆえに人間は社会に生きるみんなが困らないようルールを定めて、それもまた自然の流れで、『ありのまま』なのだね」
 
 ならば、ならば、――二つの事柄はどちらも正しくて、結局どちらも『ありのまま』といえるのではないか。
 それなら『ありのまま』というのは、この世界のすべてを認めてくれるとても便利で優しい言葉なのでは、あるまいか。
 
 ――クレイはそんな風に考えて、己のロザリオを陽光にかざしたのだった。

「僕の神様は、何でも許すんだ。たとえ他人や自分が許せないと思うことであっても。神様という心の拠り所みたいな存在しない偶像というものは、きっと『そんな貴方も自然の産物、ありのままだ』といってくれるんだ」
 
 

   25、ロザリオを陽光にかざし、野生



   SIDE クレイ

 先祖代々、寒冷地に生きる遊牧騎馬民族は、定住と移動を繰り返して暮らしている。

 居住する場所は、年間を通じて何度も変える。
 主に牧畜を行って生活する彼らは部族単位で家畜の群れを率い、家畜が牧草地の草を食べ尽くさないように、定期的に別の場所へと移動を行うのだ。
 
 部族にはそれぞれ野生の獣でいう『縄張り』に似た馴染みの夏営地、冬営地などがある。
 定期的に訪れる占有的牧地は、食い減らした草の回復を待ち不在にする間に万一、他部族が食い荒らせば争いは必至であった。
 
 夏営地と冬営地をある程度定まったルートで巡回する彼らは、交易活動も活発で、岩塩や毛皮、遠方の定住地から遊牧民の間を伝わって送られてきた遠隔地交易品などを隊商を組んで運び金に換えたり物々交換などをして、定住民から生活必需品を入手していた。

 広大な大地を移動しながら生活していた遊牧民のおかげで、点在していた文明圏は各々孤立することをまぬがれ、広がりを可能にしたのだという。

 朝は『日の出と共に出発して先を急ぐため』という理由で早起きする。
 夜は『日が落ちたから日が昇るまで休む』といって寝る。

 移動すれば自然と疲労して、疲労すると腹がすく。

 食べなければ移動に耐えられないとも思うから、栄養を摂取する。
 眠らなければ翌日つらいと思うから、夜も寝る。
 
「僕は野生を感じている……つまり、自然に生きる感覚ってこんな感じなのかなって」

 のほほんと言いながらオーブル族のあつまる移動式住居ゲル群を遠目に眺めるクレイの肩にはレネンが送った呪術製の鳥がとまっている。
 背後には、『歩兵』らがそれぞれ馬に乗って従っていた。

 呪術でそっくりの替え玉クレイに成りすましたレネンは、今のところヘルマンを騙せているようだった。

 白い円天幕みたいな移動式住居ゲルのまわりにチラホラと部族の者がみえて、バヤンが顔を顔をほころばせた。

「俺の仲間たちだ」

 馬をはしらせ、バヤンが駆けていく。
 部族の者らはそれに気付いて、つぎつぎと明るい声と笑顔で出迎えた。

「おーい、おーい!!」
「バヤン! バヤンじゃないか!」
  
「坊ちゃん、めでたしめでたしってことで帰りません?」

 テオドールが馬を寄せてそんなことを言っているが、クレイはおっとりと微笑んだ。

「あれはオーブル族だね。そして、揉めている相手はキンメリア族である。キンメリア族は、盗賊行為を働くことの多い部族らしい」

「盗賊上がりの僕の『歩兵』らは、騎乗盗賊に遅れは取るまいな? 定住の民をおびやかす盗賊を討伐することは、国益にもつながる善行といえような?」

 すこし乾いた風が、少年の髪をさらさらと靡かせる。

「ところで、騎馬民族というのは実力主義らしい。そして、僕には実力と呼べるものがまったく何に関してもないのだ。これについてどう思う」

 『歩兵』らは皆して顔を見合わせて、「帰ったらいいんじゃないですかね」と声を揃えたのだった。
 
 
   SIDE ニュクスフォス

 
 木々の葉天蓋の隙間にオリーブの雫めいた木漏れ日がきらきらと輝く幻想的な森の佳景を背景にして、『妖精射手』という二つ名を持つ森妖精、サリオンが難しい顔をしていた。

 痩身長躯のサリオンは、若く視えても長い時を生きている古妖精だ。

 長くて先の尖った妖精種らしい耳をしていて、白金のうつくしい長い髪はさらさらと微風に揺れて、ミモザ色の瞳は優しげ。
 妖精種のなかでも人間に慣れていて、人間と比較的ナチュラルな温度感で交流できる、そんな妖精なのだった。

 その瞳は戦況をあらわす卓上の地図に向けられていたが、ふいに近付いてきた人の気配に視線をうごかし、瞬かせる。

「サリオン、大変だ! 大変だぞ!」
 そんな風に大声をあげてやってきたのは、金属鎧で全身をかっちりと固めたサリオンの友人騎士、ニュクスフォスだった。
 
 すわ中央の軍勢に急激な動きでもあったかとサリオンとその配下が緊張をあらわにする中、騎士の手が紙切れを見せてくる。

「それは何だ、我が友よ」
 書かれているのは異国語で、サリオンにはあまり馴染みのない文字だった。

「おお、俺の友サリオンよ! いいか、これは俺の子が書いてくれた手紙なのだ。ちょっと見てくれ、この単語は『お父さま』という意味なんだ。そしてここ! これだ、これ。この単語わかるか? これは『だいすき』と書いてある!」

 さも大事件のように騒ぐ声が木々の間に木霊する。
 
「そ、そうか。それはよかったな……」
 サリオンがおずおずと頷き、異国語の文字に視線を向けて「気持ちは理解する。子に慕われるのは嬉しいものだ」と共感を示す。

 サリオンも長く生きており、実の子もいれば血を分けた子のように可愛がる親戚の同じ部族の子らも多くいて、愛情を注ぎ可愛がっているのだ。

「少し会わぬ間に子供ができていたのだな。人間とは短命であるが、その短い時間を我らの何倍も濃く過ごしているものだと実感するよ」
 
 サリオンは人間の友人を過去に何人もつくったが、彼らは皆、花火のように生命のかがやきを咲かせて、綺麗にせつなく散らしたものだった。

 その限られた人生は、長命の古妖精からするとあっけなく、人と関わるのがむなしい、情がわくと失ったときに辛いのだ、と言って交流を避ける者もいる。

 けれどサリオンは、そんな短命の友らと過ごす時間をかけがえのない貴重なものと考えて、こころに一瞬一瞬を大切に刻むのだった。
 
「いやいやサリオン! それは違う、違うぞっ! この手紙の差出人は、前も言ったラーシャの御子だ。俺のクレイだ。つまりこれはクレイの手紙というわけだ! すごいだろう? お前ならわかってくれるだろう、このすごさを!」

 サリオンは目を瞬かせた。

「……? 『ラーシャの御子』をなぜ『俺の子』と呼び、『お父さま』と呼ばれるのか」
「そういうことにしたのだ!!」
 
 確か、前回話を聞かされた時は「俺はクレイ様の騎士になったのだ!」と言っていた。
 さらに、その前に話を聞かされた時は「俺はクレイの恋人になったのだ!」と言っていた。
 つまり、時系列順に整理すると恋人になってから騎士になり、そしてお父さまになったという奇妙なことになるではないか。
 
「いやっ、もともと恋人になる前に『お父さま』とは呼ばれていたのだ。それがやはり『お父さまではない』となり、その後『恋人』になったのだが、その後『騎士』になって、そしてもう一度『お父さま』と……」
 
 軽くはしゃぐようにしながら朗々と語る青年の声は明るい。
 しかし、聞く者にとっては、いまいち何を言っているのかわからないのだった。

「ここを見てくれ! 『けがをしないでくださいね』と書いてあるのだ。そしてここ! 『はやくかえってきてください』だと。なんて可愛らしいのだろう! 愛を感じる! そう思うだろう、な、な! これを複製して義父殿に送りつけてやったらどんなお顔をなさるかな! な!? 俺は帰る」

 声は無邪気で、裏表のない陽気な心を見せている。
 サリオンは相槌あいづちを打った。

「そうか。引き止めることはすまい。我が友がこの戦場を離れるのは残念だが、今日まで留まってくれただけでも十分だ」
「えっ? いや、離れないぞ」

 いかにも『何を突拍子のないことを言うんだ』といった声が返される。
 サリオンは首を傾げた。

「今、『俺は帰る』と言ったではないか、友よ?」
「帰らないぞっ」

 ニコニコとした声が当然の温度で返してくる。

「……そうか」

 どうもよくわからないが、とりあえず帰らないらしい――周囲をふわふわと舞う北西の古妖精フェアグリンを視界におさめながら、サリオンは地図に視線を戻すのだった。
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