清らかに致すだけ~下剋上後の主従が「その一線を越えてこい」ってするだけだけどそれが本人たちには意外と難しいって話

浅草ゆうひ

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2章、汝、善良であれ

23、カビ臭い時代遅れの価値観の本なんて投げうって

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「騎士の高貴さとは、血筋ではなく人格である」
 本のページがめくられて、窓から吹き込んだ風にしおりが攫われる。

 国教である創造多神教とは異なる一神教アラキの聖印がひそやかに、デザインの一部に使われている。

「心臓が動く間、ただ存在するだけの生と、積極的に生きる生は質が異なる。欲に振り回されることなく、自らの低い性質を高い性質で制御し、生ある限り善良を目指し続ける研鑽けんさんの道。それが騎士の生である。騎士の心は輝いており、腐食せず、純粋で、太陽のように無限に分け与える精神性で……」

 窓から顔をのぞかせた兄が、じろりと本を眺めて笑った。
「そんな清らかな人間、いるものか!」
 兄は太陽のように眩しく笑って、神のように告げるのだ。

「いいか、オスカー。世の中の人間ってのはな、善だの悪だの言いつつもドロッドロのごちゃ混ぜで、どっちつかずが9割なんだよ。『神はありのままを望まれる』――創造多神教はちゃらんぽらんで、気楽で、優しい! カビ臭い時代遅れの価値観の本なんて投げうって、外に出てたのしく遊ぼうぜ!」
 
 
 23、カビ臭い時代遅れの価値観の本なんて投げうって


「バヤン」

 クレイの目の前で、元奴隷の男がそう言って、自分を指さした。
 歳の頃は20代の後半ぐらいだろうか。野性の獅子が獲物を見定めるような、ちょっと怖い気配を感じさせる眼差しだ。
 片手の小爪に塗られた薄紅色の紋様は、近くで見るとやっぱり間違いなく『忠誠の証』だとわかる。
 『忠誠の証』がとても美しい紋様に思えて、クレイは恍惚となった。
 
「バヤンは、エインヘリア語でお話ができますよ」

 騎士兜を脱いだニュクスフォスがひざをついて教えてくれる。
 機嫌の良さそうな気配で。

「そうなんだ。……」
(僕、バヤンをご主人様のところに逃してあげようと思うんだ。どうかな? 喜ぶかな?)
 
 クレイは目の前のバヤンを逃す瞬間を想像して恍惚となった。

 こっそり逃すのだ。
 それが、気持ちいい――、
 できれば仲良くなって、「さようなら、幸せにおなり」ってするんだ。
 それが、美しい――。

 仲良くなるには、やはり好意を示すのだ。
 仲良くなりたいよ、と意思を示して、相手が喜ぶことをするのだ。

あげるフィオ・ディ
 クレイは淡く頬を染めて、まろやかな、カスタードクリームの上にチョコレートソースをかけたメレンゲの浮くイルフロッタントをスプーンですくい、差し出した。
 すると。

「いただきます」
「んっ?」
 
 溌剌とした声がして、何故かニュクスフォスがパクリとスプーンに食い付いたではないか。

「えっ、ニュクスっ?」
 クレイはびっくりして目を丸くした。

 だって、『オスカー』は甘いものが苦手なはずなのだ。
 実際、甘いものをくれることはあっても自分で食べているところは『オスカー』の時も『ニュクスフォス』も見たことがない。

 なにより、それはバヤンにあげると言ったのだ……?

「ッ……」
「これ、甘いデセール甘いデザートだよ……」
 
 ――これは、苦手な味なのでは?
 
 視線が集まる先で、ニュクスフォスは無言のまま顔を横にそむけて、口元に手を当ててうつむいた。

 そのまま、いかにも気分が悪そうに真っ白な髪の毛先を小刻みに揺らして、軽く涙目になっている。
 混沌騎士のレビエがささっと水を差し出して飲ませた。
 
「お水ですよ、フォス様」
「……」 
 フェアグリンが下のほうにひらりと飛んで、顔を覗き込む。
 ニュクスフォスは水をぐびぐびと飲んで、配下と妖精に頷きを返した。
 
(あっ、苦手だ。やっぱり苦手なんだ、これ)

 クレイはあわあわと慌てつつ、口直しになるものをと視線を彷徨さまよわせ、仔牛のアショアをひとくちすくい差し出した。
 それを無言のままひとくち食べ、また水を飲んで息をついたニュクスフォスは、何もなかったような顔で笑顔を取り繕った。

「……ごちそうさまでした」
「……ちゃんと食べて、えらいワフテヒウムですねレン陛下Loulou
 
 クレイはニュクスフォスの頭を両手で包むようにして、バヤンをちらりと視た。
 燃えるような赤い瞳は、『なにやってんだこいつら』的に、興味深そうな色を浮かべて居並ぶ面々を視ている。
 
 つつみこんだ顔に視線を移せば、何かを期待するようなニュクスフォスの眼差しが待っていた。

 右手だけそっと移動させて、まぶたを閉じるよう前にかざしてから長い睫毛まつげを上から下へなでるようにしてまなじりに指を滑らせれば、軽く柳眉が寄って、くすぐったそうな顔をする。

 指先にあたたかな潤いを感じると、どきりとした。
 
 これは涙と呼ばれる類のしずくではないか。
 目の前の青年のそれは、とても希少レアなものではあるまいか。
 

 ――そっと秘密を舐めとるみたいにチロリと舌でそれを舐めて微笑む。
 特別な欠片を自分の中にしまいこんだみたいで、嬉しくなって。

おいしいシュワス
 宝物を愛でるように呟けば、腕のうちがわに照れるような体温が感じられて、楽しくなってしまうのだ。

 ――僕はこれが、好き。

 クレイは上機嫌になった。
 
「バヤンは馬に乗るのが好きなんだ。そうではない?」
 気持ちを切り替えるように目の前の白頭を撫でながら言ってやれば、抱えた頭が軽く肯定を返してくる。
「ええ、ええ、そうですね」
 
 さっきまであんなにはしゃいでいたのに、微妙に歯切れが悪くて、大人しい。これは――照れているのだ。
(僕、今、ちょっと優位に立っている。これは、気持ちいい) 
 クレイは頬をゆるゆるとさせた。
 
「僕は、バヤンを馬に乗せてあげたらよいと思うの。毎日のように馬に乗る生活をしていたのだろう? お魚にとってのお水のようなものなのではない? ……ちなみに、僕も馬に乗れるよ」

 両手のうちの顔が何かを思い出したように微妙な顔になった。

 おそらくは、以前クレイが自分の命を狙うフィニックス敵対騎士を挑発して追いかけっこを楽しんでいた時のことを思い出したのだ。

「落馬なさった……」

 それはそれは沈痛な表情で、残念そうな声が呈された。
 乗れるというが、落馬したじゃないかと、そう言いたいらしい。

「馬が倒れたんだよ」

 ――矢が刺さったんだよ。馬術の腕は関係ない落馬だよ。

 クレイは心の中で自己弁護を連ねた。

「僕も馬が欲しい。そうだ。乗馬は良い運動になるのではない?」
 おねだりするように言えば、厩舎きゅうしゃに連れて行ってもらえる。
 

 厩舎きゅうしゃに着くと、バヤンの眼が嬉しそうに輝いた。
 それを視てクレイは「やっぱり騎馬民族だけあって、馬は彼にとっての『日常』なのだ」と思うのだった。
 
「こちらはいかがです? 気性も穏やかで、癖もない」 
 連銭葦毛れんぜんあしげの一頭をみせてもらうと、クレイは一目で気に入った。

 表情は生き生きしていて、毛艶はたいそうよく、黒肌に生えた灰白の毛がふわふわした優美なまだら模様を魅せている。
 人をよく観ていて、馬房を綺麗に使う賢い気配がある。
 
「僕は、この子が気に入った」
 
 馬の毛並みを愛でながら、思いついた名前をすこし迷ってから口にする。
 
「オスカー」
 
 傍らにいる全身鎧姿の『騎士王』が軽く身じろぎをする気配がした。
 
「……僕は、この子にそう名前をつけてあげる」
 
 優しく首を撫でてやれば、あたたかい。
 視線を馬に向けてうごかさないのは、騎士兜をかぶった『騎士王』にじっと見つめられている気配を感じるから。

 そろそろと空気が動く気配がして、その無機質で硬質な鎧が近く寄る。
 後ろから軽く身を屈めるようにして、耳もとでちいさな声が囁かれた。
 

「此処に『ほんもの』がいるじゃないですか」


 それが確かに『ほんもの』っぽい、やんちゃな風情の少年の気配を濃く浮かべていたから、クレイは一瞬時間が戻ったような心地になった。

 ――けれど、振り返ったら、そこにはオスカーである彼ではなく、『騎士王』がいるのだと思われた。

 だから、クレイは振り返るまいと己に念じて目の前の馬を見つめつづけた。
 そうすると、『ほんもの』と、それが当たり前だった自分が馬の前に居続けることができるような気がしたのだ。
 

「……ちなみに俺はちと明日から出かけますからなっ」

 明るい調子で言って、『騎士王』が頭をぽんぽんと撫でて『お父さま』の気配をのぼらせる。

「……どちらへ?」
 クレイが首を傾げれば、日常の気配濃く、平和で穏やかな声で「サリオンと遊びに」と言うのだ。

 サリオンとは東方クレストフォレスの英雄射手であり、『騎士王』と特別親しい森妖精エルフとして有名な人物だった。

「ふむ……」

 ――サリオン『と』『遊ぶ』。

 クレイはすこし考えた。

(僕、実父アクセルの事も最近は割とそれほど嫌いではないんだ。僕、中央に友人がいる。僕、中央も実は、それほど恨みがあるとか、嫌いというわけでもない……そこにいる人に不幸になってほしいとは、思わない)

 だけど、ニュクスフォスはエインヘリアを『異国ではない』と思っている。

(僕も、此処をおうちだと思っているよ。居心地が良くて、好きだよ。帰る場所だと思っているよ……) 
 
 こころの中で、みえない天秤が傾いていくよう。

「アクセルも、サリオンと遊ぶかもしれない」
 クレイはそっと声を紡いだ。
 
 ――僕が以前、国土をホイホイとくれてやったのだ。

 神の箱庭をありのままから変えたのだ、といいたくて。
 そして、アクセルは、それを好ましく思っていないのだ。
 
「俺はサリオンと一緒に遊びますぞ」

 ニコニコとした声がそう返してくる。

「うん。わかった」
 クレイは理解の色を浮かべて、頷いた。

「夜の加護は僕の騎士にある。常に」

 ――ここで実際に黒竜を呼び出して「これが君を守護するからね」と言ってあげられたら、どんなに格好良いだろう!

 しかし、先日の静寂を思い出すと、呼ぶ気になれないのだった。

 翌朝、出立を見送ってから、クレイはいそいそと手紙をしたためた。

 あて先は、自分では友達だと思っているミハイにあてて。
 レネンが呪術の鳥を飛ばしてくれれば、きっとすぐに手元に届くだろう。
 

『美しい血染めの剣 僕の友人ミハイへ

 君が故国にかえってしまったので、僕は武勇伝をもてあましています。
 手紙で書くにはもったいないので、今度ちょくせつ会いませんか。
 
 そういえば、建造物とは壊せるものですが、僕がいぜん国境に築いた長城、あれは、人の手で破壊が可能です。
 けれど、あまり壊そうとするひとがいないようですね。
 きっと、得体の知れない奇跡みたいなものによって守られているのではないか、とか、バチが当たるのではないかとか、怯えているのかな。
 ただの建築物なのに、原始人みたいで、かわいいですね。
 自分で築いておいてなんですが、やっぱり、『神はありのままを望まれる』というではありませんか。
 地続きなのに自由に行き来できない場所って不自然かなって僕は思うのですが、いかが。

 それと、僕の実父アクセルは東の森を取り戻したいみたい。
 アーサー王はアクセルに引け目があるから、ご自分の騎士団をうごかしてアクセルの好きにさせるかもしれませんね。
 東の森といえば、君の大事なアレクセイのご親戚、サリオンが守っている土地とききました。
 アレクセイの長いお耳に風の妖精が噂話を吹き込んだら、さぞ心配することでしょうね。
 
 僕は今、すこし暇です。
 君のやさしいおじさんにも、よろしくお伝えください……』

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