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2章、汝、善良であれ
22、赤と黒のミンネ、騎士見習い
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――芸術は時代を映す鏡といわれる。
博愛心、忠誠心、品格、正義、そして真実が世に陰る時、残虐さ、暴力、不実と偽りが姿を表す――これは有名な文句である。
人がたくさん集まって生きると、そこには『こんな行いが望ましい、こんな行いはいけない』という美徳や禁忌、ルールができていく。
貪欲、略奪、強姦、残虐行為――それを抑止するため、倫理規範、無私の勇気、優しさ、慈悲の心が説かれ、「騎士道」が生まれた。
騎士道は遵守することが難しく、故に騎士道に従って行動する騎士は賞賛と栄誉を一身に浴びるのである。
「馬を思い通り走らせるために目の前に人参をプラプラさせるようなものだろうか」
本を読んでいた少年は、のほほんとした風情で呟いた。
特に心に響いた様子もなく、どうでもいいやといった顔で。
あまり物事を深刻に捉えなくてもいいのだと、周囲は皆そう教えた。
暖かい太陽と大地があり、同じ風の気質持つ人の絆があり、笑っていれば世は明るく、短い人の生涯は割となんとかなるもんだ。
ならば思い悩むより風に吹かれて足を動かし、手を伸ばし、思うがまま楽しみ生きよ、善も悪も混ざりて深し――と、西から吹く風がうたうのだ。
――風に頬を撫でられながら、本のページをまためくる。
政略結婚が主な社会で、女性とは一回りも歳が離れた夫に従属する立場であった。
今よりさらに古い時代、人の愛は神にささげるべきという価値観があった。
人を堕落させた原罪が女性の誘惑により招かれたという見方により、女性蔑視があり、結婚は子孫を残すための必要悪であった。政略によらぬ単なる恋愛は悪しきものでしかなかったという。
しかし、女性の地位は高まっていった。
神の母が崇拝されるようになり、人々は貴婦人の中に『神の母』像をみるようになった。
力持つ者を制御するために騎士道、紳士道が推奨され、女性崇拝の風潮が生まれた。
政略結婚した貴婦人は若く美しい騎士とのロマンスをもとめ、土地を継げない次男などが成る騎士は裕福な女性との恋をもとめた。
吟遊詩人はパトロンである彼らの好みの歌をうたうようになった。
――すなわち、騎士道的恋愛、ミンネザング。
騎士は身分の高い女性を崇拝し、奉仕する。
恋する貴婦人のために自己研鑽をして、女性の理想、より優れた己、完璧な男を目指す。
物語では道ならぬ肉体的愛の果てに悲劇的最期を迎える者も多いが、現実ではそれを戒めとして『心の愛』、『自己抑制』の到達点としての『至純愛』がなにより美しいと言われており――、有名な詩人にも、かく文言を紡がれている。
『こよなく良きひとりのひとに自分の心をささげている』
『自分の心を恋しいひとにうち明けはしないが、この世に生きるいかなる女性よりその方は幸多かれと心から祈っているのは、わたしのほかにない』
22、赤と黒のミンネ、騎士見習い
愛らしい鳥の囀りが遠く聞こえる。
夜とは常に、明けるものだった。
かといって、昼が永遠というわけでもないのだけれど。
朝というのは、多くの人にとって『始まり』を想起させるものだとクレイは思う。
同時に、例えばかつて暗殺された者やそれを守りたかった者たちにとっては、『終わり』の象徴なのかも知れない。守れたにせよ、守れなかったにせよ、だいたい朝には終わっている事が多いのだ。
(僕は今、朝を『始まり』だと思ってぬくぬくと微睡んでいる)
実父アクセルも『何もしなくてもいい』とか『好きに遊べ』とか言ってくれたし。
――と、目覚めたクレイだが、その朝、その境遇は微妙に変化を迎えていた。
「……?」
目が覚めたクレイがまず目にしたものは、見慣れぬ天井、そして寝台を囲む天蓋、綺麗な薄紗のスリーピングカーテン……。
自分の腕に抱かれた小さなぬいぐるみは、白い馬……そして、少し離れたところに綿入りのふわふわしたフェルトの赤毛の騎士人形がちょこんと可愛らしく座っている。
――『私を拾ってください』と言わんばかりに、ひとりぼっちで。
「……っ?」
少年の眼が一瞬魅了されたように輝き、すぐに理性の色を濃く浮かべて静かになる。
(これは、なにかなぁ……、僕の憧れの騎士フィニックスとその愛馬プシュケーを模したぬいぐるみに見えて仕方ないなぁ……? ここは、エインヘリアのはずだなぁ――『騎士王』は確かフィニックスがあんまり好きではなかったはずだなぁ……っ?)
反射的に手を伸ばしたくなるのを堪えて、クレイは天蓋カーテンのゆったりしたひだの隙間からそろそろと顔を覗かせて、視線を室内に巡らせた。
近くにあるグレーペイントのシャビ―シックなサイドキャビネットには、清楚な雪白の薔薇と飾り皿が優雅な風情を醸し出していて、本が何冊か置いてある。
見知らぬ部屋は広々としていて、角が丸い。綺麗な緩衝材のようなもので壁が覆われていて、床は赤を基調としたカシャーン柄風の絨毯があたたかに敷かれている。
天井には妖精が出てくる神話の一部を描いたような絵が一面にあって、釣鐘状の花びらににた硝子シェードがひかりを咲かせるトラディショナルなデザインのシャンデリアが輝きを放っていた。
クッションの山みたいな空間にはいかにも幼児向けな玩具や絵本が揃えられていて、それを程よい距離感で眺める位置に座り心地の良さそうなソファが置かれていたりする。
そして、部屋の隅には黒ローブの呪術師レネンが調度品の一部みたいな存在感で控えていた。
「レネン」
その存在に安堵しながら名を呼ぶと、レネンが傍に寄ってきて、水を飲ませてくれた。
「ここは何処だろう」
顔を洗って着替えを手伝ってもらい、呟くとつるりとした言葉が返される。
「『騎士王』の御子のお部屋です」
「……」
二つ名をきくと、昨日の出来事が思い出される。
恥ずかしいことをしてしまった――黒歴史ってどんどん増えるんだな、とクレイは自分の黒歴史を数えた。
生きていると過去の恥ずかしさをどんどん上塗り更新していくように恥ずかしいことを重ねていく。
人間ってすごい。
(それにしても、『騎士王』の御子とは。なんだそれは。なんて魅惑的な単語だろう)
その時、クレイはラーシャ姫の信奉者が『ラーシャの御子』という呼称に価値を感じる気持ちがすこしわかってしまった。
ひとつだった偶像がふたつになったような感覚――まるごとセットで大切にしたい感覚だ。
「『騎士王』、子供いたんだ。いや、いてもおかしくないなと僕は思っていた……ちなみに、何人いるの?」
格好良いもの。
モテるだろう。
王様なんだぞ。
女遊びもし放題――子供が何人でもできちゃうね、でもそんな彼も良いと思うの――英雄、色を好むというではないか。
クレイの頭の中で無数の女性でハーレムを築く『騎士王』が輝いている。
レネンは『そんな反応だろうと思いました』という気配で淡々と頷く。
その様子に嫌な予感がふわふわと湧く。
「今のところお一人のようで」
「僕はお世話したい……何歳くらいかな。2歳? 3歳? もっと上……?」
「坊ちゃんはおいくつですか。ちなみにお母様はフェアグリンとほざいていましたよ」
「……」
寝起きの頭で言わんとすることが理解できて、クレイは押し黙った。
――お母さまがフェアグリンだと、僕は『ラーシャの御子』ではなくなるのだけれど、それでも良いのだろうか……?
――というか、僕、お引越しするのだろうか? この変な部屋に? あれっ。それって、どうなの。
とても不思議なことを言っている、と頭をひねりながら食事にのぞむと、卓上にずらりと料理を並べたレネンは「今日からはお召し上がりノルマがあります」などという。
艶めくオレンジのキャロットラペに家庭的な印象をあたえる素朴な野菜のテリーヌ、焼き色香ばしい雉のソテー、オリーブオイル浸け刻みアッチューガ、あかるい黄緑の野菜と赤海老のぷるんとしたアスピックゼリー、薔薇褐色のオリオスープ、マッシュポテトに溶けるチーズを混ぜたガルニチュール・アルゴ――
「生活習慣を改めて体質改善しましょうね、おちびさん」
部屋の隅から声がして、びくりと肩を揺らして振り返る。
そこには、キンメリアだかオーブルだか混ざり者だか知れぬあの奴隷を連れた『騎士王』がいた。
全身を騎士鎧に包み、今は顔もすっぽりと兜で隠して。
「……」
奴隷の傍に立つ混沌騎士が緑葉のさわやかな白花のブーケを持っている。
花弁のちかくには、ちいさな古妖精のフェアグリンがふわふわしていた。
白花はつまり、本日の花なのだろう。
花言葉は知っていた――『幸せな家庭』などというのだ。
「朝は徐々に明るむそらを眺め、夜はやすらぎに身を休め、食事は定時にしっかりとバランスよく、適度な運動もしましょうね――」
床に膝をつく様子もなく扉付近で言う声はいかにも保護者然としていた。
(あれえ……)
クレイは曖昧な微笑をたたえてリアクションに戸惑った。
(僕、やっぱり昨日のあれは大失敗だったのかな。なんか、違う方向に舵を切られた感じがする)
「さあ、スープをひとくち召し上がれ」
促すように言われておずおずとスープを口に含むと、美味しいけど重い。
「おいしい!」
「はっ?」
エインヘリア語であかるく言われて、クレイが目を瞬かせると、『騎士王』は繰り返した。
「はい。俺のあとに繰り返して――おいしい」
「……おいしい」
流されるように繰り返せば、陽気な声が室内にひびく。
「すばらしい! おいしいですね、元気がでますね!」
フェアグリンが釣られてはしゃぐようにひらひらと部屋中を飛び回った。
「な、な、なに? その……なに?」
「さあ、おかわりしましょう、もう一杯!」
ハイテンションに食事が促される。
奇妙な食事がひとくち、またひとくち進むと、段々とクレイの胸に危機感が湧いた。
「もうひとくち~、はいっ、あーん」
「あ、あーん」
「よくできました! 美味しいですね! 食事は楽しいですね!」
「の、ノリがおかしい」
(これはだめだ。なんか、ストレスがどんどんたまる)
『騎士王』はというと、顔が見えないというのに嬉しそうにはしゃいでいる気配がありありと伝わる声色で、「ご褒美をあげましょう」なんて言っている。
「僕、そろそろ言わないといけない気がする……」
クレイはフォークとナイフを置いて、口元を拭った。
「何か夢をみているなら申し訳ないのだけど、僕、じつは大人で、貴方の子供でもない……子供扱いをされて居心地がわるいのです、陛下」
(あと、あの『フィニックスとプシュケー』も意図がわかりかねて気味がわるい)
『騎士王』は首をかしげている。
「子ども扱いじゃなくて大切にしたいんですよ、俺の殿下」
「子どもって『設定』にして接するのが子ども扱いでなくてなんだというのか」
クレイはひょこりと椅子から立ち上がった。
「僕、孤児院を所有している。ちいさな子と家族ごっこをしたいなら、子どもをここに呼ぶこともできるよ」
「子どもは間に合ってますぞ! しかし、『ちいさな子と家族ごっこ』というのがなかなか変態味のある言葉に聞こえる俺……捉えようによっては微笑ましいはずなのに……毒されてるな」
小声で後半をつぶやく声は独り言めいていた。
「こほん、」
しかし、すぐに気を取り直した様子の『騎士王』は、花より先に奴隷をみせた。
「さあさあ、どうぞ。こちらをご覧なさい! ご褒美です!」
怪我は手当がされて、身を清められ、昨日見たときよりも清潔感がぐっと増していて、新品の騎士服を着せられている。
「……そのひとは、どうしたのかなぁ……」
「こちらは新入りの騎士見習いとなりました。鮮やかで美しい赤毛ですね、貴方の好きなフィニックスになかなか似ている気もしますね」
あやすように、機嫌を取るように言われて、クレイはまじまじと、表情の窺えぬ騎士兜を視た。
「触れても構いませんぞ! 好きなだけ可愛がるとよろしい! なんなら、フィニックスと呼んでも構いません……! ただし、この新入り騎士と遊べるのは、お父さまと一緒のときだけです。危ないですからな」
快活な声がそう言って、視線の温度を気にした様子で兜を脱いだ。
顔がみえると、その笑顔が一瞬知らないひとのようで、けれど見慣れた日常の気配でニコニコしていて、確かめたい気持ちになってクレイはそっと手を伸ばした。
やわらかな白頭をなでなですると、ふわふわとした触れ心地に心もつられてほわほわとする。
「いや……俺ではなく」
意表をつかれたように呟く声は親しみを覚える声色で、クレイは「これがアクセルとは違う類の生き物なのは、確かなのだ」と思うのだった。
博愛心、忠誠心、品格、正義、そして真実が世に陰る時、残虐さ、暴力、不実と偽りが姿を表す――これは有名な文句である。
人がたくさん集まって生きると、そこには『こんな行いが望ましい、こんな行いはいけない』という美徳や禁忌、ルールができていく。
貪欲、略奪、強姦、残虐行為――それを抑止するため、倫理規範、無私の勇気、優しさ、慈悲の心が説かれ、「騎士道」が生まれた。
騎士道は遵守することが難しく、故に騎士道に従って行動する騎士は賞賛と栄誉を一身に浴びるのである。
「馬を思い通り走らせるために目の前に人参をプラプラさせるようなものだろうか」
本を読んでいた少年は、のほほんとした風情で呟いた。
特に心に響いた様子もなく、どうでもいいやといった顔で。
あまり物事を深刻に捉えなくてもいいのだと、周囲は皆そう教えた。
暖かい太陽と大地があり、同じ風の気質持つ人の絆があり、笑っていれば世は明るく、短い人の生涯は割となんとかなるもんだ。
ならば思い悩むより風に吹かれて足を動かし、手を伸ばし、思うがまま楽しみ生きよ、善も悪も混ざりて深し――と、西から吹く風がうたうのだ。
――風に頬を撫でられながら、本のページをまためくる。
政略結婚が主な社会で、女性とは一回りも歳が離れた夫に従属する立場であった。
今よりさらに古い時代、人の愛は神にささげるべきという価値観があった。
人を堕落させた原罪が女性の誘惑により招かれたという見方により、女性蔑視があり、結婚は子孫を残すための必要悪であった。政略によらぬ単なる恋愛は悪しきものでしかなかったという。
しかし、女性の地位は高まっていった。
神の母が崇拝されるようになり、人々は貴婦人の中に『神の母』像をみるようになった。
力持つ者を制御するために騎士道、紳士道が推奨され、女性崇拝の風潮が生まれた。
政略結婚した貴婦人は若く美しい騎士とのロマンスをもとめ、土地を継げない次男などが成る騎士は裕福な女性との恋をもとめた。
吟遊詩人はパトロンである彼らの好みの歌をうたうようになった。
――すなわち、騎士道的恋愛、ミンネザング。
騎士は身分の高い女性を崇拝し、奉仕する。
恋する貴婦人のために自己研鑽をして、女性の理想、より優れた己、完璧な男を目指す。
物語では道ならぬ肉体的愛の果てに悲劇的最期を迎える者も多いが、現実ではそれを戒めとして『心の愛』、『自己抑制』の到達点としての『至純愛』がなにより美しいと言われており――、有名な詩人にも、かく文言を紡がれている。
『こよなく良きひとりのひとに自分の心をささげている』
『自分の心を恋しいひとにうち明けはしないが、この世に生きるいかなる女性よりその方は幸多かれと心から祈っているのは、わたしのほかにない』
22、赤と黒のミンネ、騎士見習い
愛らしい鳥の囀りが遠く聞こえる。
夜とは常に、明けるものだった。
かといって、昼が永遠というわけでもないのだけれど。
朝というのは、多くの人にとって『始まり』を想起させるものだとクレイは思う。
同時に、例えばかつて暗殺された者やそれを守りたかった者たちにとっては、『終わり』の象徴なのかも知れない。守れたにせよ、守れなかったにせよ、だいたい朝には終わっている事が多いのだ。
(僕は今、朝を『始まり』だと思ってぬくぬくと微睡んでいる)
実父アクセルも『何もしなくてもいい』とか『好きに遊べ』とか言ってくれたし。
――と、目覚めたクレイだが、その朝、その境遇は微妙に変化を迎えていた。
「……?」
目が覚めたクレイがまず目にしたものは、見慣れぬ天井、そして寝台を囲む天蓋、綺麗な薄紗のスリーピングカーテン……。
自分の腕に抱かれた小さなぬいぐるみは、白い馬……そして、少し離れたところに綿入りのふわふわしたフェルトの赤毛の騎士人形がちょこんと可愛らしく座っている。
――『私を拾ってください』と言わんばかりに、ひとりぼっちで。
「……っ?」
少年の眼が一瞬魅了されたように輝き、すぐに理性の色を濃く浮かべて静かになる。
(これは、なにかなぁ……、僕の憧れの騎士フィニックスとその愛馬プシュケーを模したぬいぐるみに見えて仕方ないなぁ……? ここは、エインヘリアのはずだなぁ――『騎士王』は確かフィニックスがあんまり好きではなかったはずだなぁ……っ?)
反射的に手を伸ばしたくなるのを堪えて、クレイは天蓋カーテンのゆったりしたひだの隙間からそろそろと顔を覗かせて、視線を室内に巡らせた。
近くにあるグレーペイントのシャビ―シックなサイドキャビネットには、清楚な雪白の薔薇と飾り皿が優雅な風情を醸し出していて、本が何冊か置いてある。
見知らぬ部屋は広々としていて、角が丸い。綺麗な緩衝材のようなもので壁が覆われていて、床は赤を基調としたカシャーン柄風の絨毯があたたかに敷かれている。
天井には妖精が出てくる神話の一部を描いたような絵が一面にあって、釣鐘状の花びらににた硝子シェードがひかりを咲かせるトラディショナルなデザインのシャンデリアが輝きを放っていた。
クッションの山みたいな空間にはいかにも幼児向けな玩具や絵本が揃えられていて、それを程よい距離感で眺める位置に座り心地の良さそうなソファが置かれていたりする。
そして、部屋の隅には黒ローブの呪術師レネンが調度品の一部みたいな存在感で控えていた。
「レネン」
その存在に安堵しながら名を呼ぶと、レネンが傍に寄ってきて、水を飲ませてくれた。
「ここは何処だろう」
顔を洗って着替えを手伝ってもらい、呟くとつるりとした言葉が返される。
「『騎士王』の御子のお部屋です」
「……」
二つ名をきくと、昨日の出来事が思い出される。
恥ずかしいことをしてしまった――黒歴史ってどんどん増えるんだな、とクレイは自分の黒歴史を数えた。
生きていると過去の恥ずかしさをどんどん上塗り更新していくように恥ずかしいことを重ねていく。
人間ってすごい。
(それにしても、『騎士王』の御子とは。なんだそれは。なんて魅惑的な単語だろう)
その時、クレイはラーシャ姫の信奉者が『ラーシャの御子』という呼称に価値を感じる気持ちがすこしわかってしまった。
ひとつだった偶像がふたつになったような感覚――まるごとセットで大切にしたい感覚だ。
「『騎士王』、子供いたんだ。いや、いてもおかしくないなと僕は思っていた……ちなみに、何人いるの?」
格好良いもの。
モテるだろう。
王様なんだぞ。
女遊びもし放題――子供が何人でもできちゃうね、でもそんな彼も良いと思うの――英雄、色を好むというではないか。
クレイの頭の中で無数の女性でハーレムを築く『騎士王』が輝いている。
レネンは『そんな反応だろうと思いました』という気配で淡々と頷く。
その様子に嫌な予感がふわふわと湧く。
「今のところお一人のようで」
「僕はお世話したい……何歳くらいかな。2歳? 3歳? もっと上……?」
「坊ちゃんはおいくつですか。ちなみにお母様はフェアグリンとほざいていましたよ」
「……」
寝起きの頭で言わんとすることが理解できて、クレイは押し黙った。
――お母さまがフェアグリンだと、僕は『ラーシャの御子』ではなくなるのだけれど、それでも良いのだろうか……?
――というか、僕、お引越しするのだろうか? この変な部屋に? あれっ。それって、どうなの。
とても不思議なことを言っている、と頭をひねりながら食事にのぞむと、卓上にずらりと料理を並べたレネンは「今日からはお召し上がりノルマがあります」などという。
艶めくオレンジのキャロットラペに家庭的な印象をあたえる素朴な野菜のテリーヌ、焼き色香ばしい雉のソテー、オリーブオイル浸け刻みアッチューガ、あかるい黄緑の野菜と赤海老のぷるんとしたアスピックゼリー、薔薇褐色のオリオスープ、マッシュポテトに溶けるチーズを混ぜたガルニチュール・アルゴ――
「生活習慣を改めて体質改善しましょうね、おちびさん」
部屋の隅から声がして、びくりと肩を揺らして振り返る。
そこには、キンメリアだかオーブルだか混ざり者だか知れぬあの奴隷を連れた『騎士王』がいた。
全身を騎士鎧に包み、今は顔もすっぽりと兜で隠して。
「……」
奴隷の傍に立つ混沌騎士が緑葉のさわやかな白花のブーケを持っている。
花弁のちかくには、ちいさな古妖精のフェアグリンがふわふわしていた。
白花はつまり、本日の花なのだろう。
花言葉は知っていた――『幸せな家庭』などというのだ。
「朝は徐々に明るむそらを眺め、夜はやすらぎに身を休め、食事は定時にしっかりとバランスよく、適度な運動もしましょうね――」
床に膝をつく様子もなく扉付近で言う声はいかにも保護者然としていた。
(あれえ……)
クレイは曖昧な微笑をたたえてリアクションに戸惑った。
(僕、やっぱり昨日のあれは大失敗だったのかな。なんか、違う方向に舵を切られた感じがする)
「さあ、スープをひとくち召し上がれ」
促すように言われておずおずとスープを口に含むと、美味しいけど重い。
「おいしい!」
「はっ?」
エインヘリア語であかるく言われて、クレイが目を瞬かせると、『騎士王』は繰り返した。
「はい。俺のあとに繰り返して――おいしい」
「……おいしい」
流されるように繰り返せば、陽気な声が室内にひびく。
「すばらしい! おいしいですね、元気がでますね!」
フェアグリンが釣られてはしゃぐようにひらひらと部屋中を飛び回った。
「な、な、なに? その……なに?」
「さあ、おかわりしましょう、もう一杯!」
ハイテンションに食事が促される。
奇妙な食事がひとくち、またひとくち進むと、段々とクレイの胸に危機感が湧いた。
「もうひとくち~、はいっ、あーん」
「あ、あーん」
「よくできました! 美味しいですね! 食事は楽しいですね!」
「の、ノリがおかしい」
(これはだめだ。なんか、ストレスがどんどんたまる)
『騎士王』はというと、顔が見えないというのに嬉しそうにはしゃいでいる気配がありありと伝わる声色で、「ご褒美をあげましょう」なんて言っている。
「僕、そろそろ言わないといけない気がする……」
クレイはフォークとナイフを置いて、口元を拭った。
「何か夢をみているなら申し訳ないのだけど、僕、じつは大人で、貴方の子供でもない……子供扱いをされて居心地がわるいのです、陛下」
(あと、あの『フィニックスとプシュケー』も意図がわかりかねて気味がわるい)
『騎士王』は首をかしげている。
「子ども扱いじゃなくて大切にしたいんですよ、俺の殿下」
「子どもって『設定』にして接するのが子ども扱いでなくてなんだというのか」
クレイはひょこりと椅子から立ち上がった。
「僕、孤児院を所有している。ちいさな子と家族ごっこをしたいなら、子どもをここに呼ぶこともできるよ」
「子どもは間に合ってますぞ! しかし、『ちいさな子と家族ごっこ』というのがなかなか変態味のある言葉に聞こえる俺……捉えようによっては微笑ましいはずなのに……毒されてるな」
小声で後半をつぶやく声は独り言めいていた。
「こほん、」
しかし、すぐに気を取り直した様子の『騎士王』は、花より先に奴隷をみせた。
「さあさあ、どうぞ。こちらをご覧なさい! ご褒美です!」
怪我は手当がされて、身を清められ、昨日見たときよりも清潔感がぐっと増していて、新品の騎士服を着せられている。
「……そのひとは、どうしたのかなぁ……」
「こちらは新入りの騎士見習いとなりました。鮮やかで美しい赤毛ですね、貴方の好きなフィニックスになかなか似ている気もしますね」
あやすように、機嫌を取るように言われて、クレイはまじまじと、表情の窺えぬ騎士兜を視た。
「触れても構いませんぞ! 好きなだけ可愛がるとよろしい! なんなら、フィニックスと呼んでも構いません……! ただし、この新入り騎士と遊べるのは、お父さまと一緒のときだけです。危ないですからな」
快活な声がそう言って、視線の温度を気にした様子で兜を脱いだ。
顔がみえると、その笑顔が一瞬知らないひとのようで、けれど見慣れた日常の気配でニコニコしていて、確かめたい気持ちになってクレイはそっと手を伸ばした。
やわらかな白頭をなでなですると、ふわふわとした触れ心地に心もつられてほわほわとする。
「いや……俺ではなく」
意表をつかれたように呟く声は親しみを覚える声色で、クレイは「これがアクセルとは違う類の生き物なのは、確かなのだ」と思うのだった。
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