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2章、汝、善良であれ
21、公子のマシュマロ、教育の必要性とやら
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4歳の公子が、マシュマロを置いた皿を前に行儀よく座っている。
母が中央から招いた教師は、色素が薄い。
背筋はピンとしていて眼光鋭く、ユンク邸内に並ぶ多国籍な品々、異国被れの調度品を見ては眉を寄せている。
言葉遣いは丁寧で、発音正しき中央語はどこか冷たい印象を感じさせるのだ。
このマシュマロをどうするか、選ぶのだという。
公子は今すぐに手を伸ばし、ぱくりと食べて授業を終えることができる。
もしくは、20分間マシュマロをじっと見つめて待ち、2個に増やしてもらうことができる。
さらに20分間待てば、3個になるのだという。
「公子様は犬や猫ではありません。汚れた血が混ざれども、御身には竜血も確かに流れているのです。ならば、この授業の意味がおわかりですね」
母に呼ばれて金を貰っている癖に、中央から来た教師は母の血を平気で蔑み、貶める。
しかし、この教師に無礼を働くとどうなるかというと、「やはり汚れた血が混ざっている公子に中央の気品を持たせるのは無理ですね」云々と吹聴して、母を哀しませるに違いなかった。
「さて、この美味しそうなマシュマロを我慢する方法を先生がご指導申し上げましょう。それは、イメージです。よろしいですか公子様、目の前のマシュマロを『甘いマシュマロ』だと思って視ていると、食べたいと言う欲が出てしまいます。しかし、『空に浮かぶふわふわした雲』だと思えば、風景を楽しむように欲をおぼえずに時間を過ごすことができるのです」
行儀よく頷きながら、公子はおもった。
(先生、おれは『甘いマシュマロ』でも欲をおぼえないぞ)
そもそも公子は甘い食べ物が苦手なのだ。
これはとても楽な授業だった。
正直、目の前のふんにゃりした甘ったるい物体など、頼まれても食べたくないのだ……。
そんな時間を過ごしていれば、父が兄や姉を連れてずかずかとやってきて、「これは時間の無駄じゃないか?」と言って教師が止める暇もなくマシュマロを自身の口に放り込み、「我慢する必要などあるものか。おかわり!」と笑って吠える。兄たちは面白がり「この教師、生徒が甘味嫌いだって情報すら把握してないのか。上品なだけで中身は無能だな!」と煽って教師を怒らせた。
中央言葉のわからぬ母は教師が怒って帰ってしまうと「素敵な先生だったのに」とたいそう残念がり、代わりの教師をまた探すのだった。
21、公子のマシュマロ、教育の必要性とやら
「俺は今、教育の必要性を実感している――ちゃんと意味があるんだな……すなわち、『あれはマシュマロ』……」
ニュクスフォスはしみじみと呟き、自身も湯舟に浸かりながら『マシュマロ』に視線を向ける。
視線の先ですこし気怠そうに湯に身を浸しているのは、線がほそく、瑞々しく透き通るような肌をした、儚げな美少年めいた生き物だ。
湯面に覗く肩は頼りなく初々しい風情で、触れるのが怖くなるような繊細な空気がある。
湿った茶色の髪があどけなさの残る柔らかな頬にしっとりとかかっていて、色っぽい。
無邪気な顔でたわむれに花びらを撫でているクレイのいたいけな首筋から鎖骨のあたりには痕が散らされていて痛々しく、さらなる劣情を誘うようで――、だというのに本人は無自覚で、危機感のかけらもない。
そのほっそりとして綺麗な指先が穢れを知らぬ無垢の象徴めいていて、憂愁の気を漂わせる目元が情炎の余韻をおもわせる熱を孕み、紫水晶の瞳がほんのり潤んでいるのが――危うい。
柔らかい空気を纏っていて、無防備で、油断しきっていて、なんともハラハラさせるのだ。
ちょっと手を伸ばして引き寄せれば、いとも簡単に抱き寄せられて成すすべもなく食べられてしまうというのに、マシュマロは全く危機感なくほわほわしているのだ。
古妖精のフェアグリンが気を利かせて猫やアヒルの玩具をつんつんとつつき、クレイの周りに寄せてくれている。
すこし眠そうにしながら湯に浮かぶ玩具に囲まれるクレイの姿がぐっと幼く見えて、ニュクスフォスはホッとした。
(ナイスだフェアグリン。お前は俺の意をよく汲んでくれるな! いいぞ、もっとやれ!)
「のぼせてしまっては大変ですし、そろそろあがってお休みしましょうか。クレイ様はそちらの玩具を拾ってあげてくださいますか」
ニコニコと言えば、クレイがコクコクと素直にうなずき、猫とアヒルを拾っている。
それがいかにも「ぼくが拾ってあげよう」といったちょっと子どもっぽくて偉そうな感じで、猫とアヒルの頭を撫でてやるというサービス付きである。
(俺の期待を裏切らない子供っぽさ……さすがでございますぞ、クレイ様!)
うっかり年齢相応に意識してしまう女装には戸惑ったが、やはりまだまだ子供なのだ。
こうしているとそれがよくわかるではないか。
子供っぽい。
クレイは子供っぽいのだ。
(あんな風に艶めかしい声をあげて乱れても――あんな風に――あれは刺激的だった……はっ、いかん)
湯舟からあがった体はほかほかとしていて、疲労を窺わせ、くったりと弛緩気味に身を任せてくれる体重はかるく、体温は温い。
水分を摂らせながら濡れた体を拭いて夜着につつみ、髪を乾かしてやれば、ふわふわと喜びが胸に咲く。
独占感――『この生き物を今、自分だけが独占しているのだ』という実感が湧いて、はしゃいでしまいそうになるのだ。
その一方で、『以前はこういった世話を別の者が毎日毎晩していたのだろう』という思いも湧いて、その覆せない過去が悔しくも思える。
そんな思いを胸に世話をしていると、クレイが乾いたタオルでニュクスフォスの髪を拭く仕草をみせる。これは『お父さま』の真似をしているのだ。可愛らしいではないか。
「俺の髪を拭いてくださるのですね、クレイ様」
「うん、うん」
当たり前のように頷いて腕を伸ばすのがやはり可愛らしい。
「よろしいですか」
ふとニュクスフォスの口を突いて出るのは、あまり考えることなく、自然とつむがれる言葉だった。
「俺は話を盛りがちですから、あまり俺の言うことを真に受けちゃだめですよ」
ぴくりとクレイの肩が動いて、何かを気にするような眼が瞬く。
その繊細なこころが動く気配がすると、胸の奥がそわそわとした。
この生き物はきっと思いもよらぬことで簡単に傷ついてしまうのだろう――そんな気配があるのだ。
「俺は悪い男なので、適当なことを申してばかりでございまして、素行も良いと言えるかというと正直……」
「でも、ほんとうなのだろう」
話をまとめるように言い切る声が潔くて、何も言えなくなる。
一瞬脳を過ぎるのは、夜の景色、冷たい海に差し出された指輪のビジョン――あの時も、クレイは当然のように『お前の宝物だろう』と言ってくれたのだ。
(なんて純真なのだろう。そして、子供っぽい――そう、これは子供を子供として純粋に微笑ましく思う念なのだ。決して疚しいアレではないぞ。なぜならこれは『マシュマロ』だから! 『お父さま』は、我が子に劣情を抱いたりはしないものだっ……)
自分に暗示をかけるように思考しながらニコニコと抱き上げて寝台に寝かせれば、そうされるのに慣れた様子でほたりと寝転がり、背や頭を撫でてやると安心したように目を閉じる。
「お父さまがついていますから、安心してお休みくださいね」
本物の父にでもなったような気分で微笑めば、一瞬小生意気な眼がちらりとして、閉じられる。
「アクセル……」
「そんな父はいません」
ぴしゃりと現実を拒否してやれば、諦めるように無言が返ってくる。
(諦めが早くてなにより!)
そっと額に手をあてれば、今のところ発熱はしていないようだった。
フェアグリンがふわふわと周りを飛んで、いっしょになって見守る気配をみせている。
これは――この雰囲気は、家族っぽいのではないか? 何かそんな感じじゃないか? ニュクスフォスはふと思いついて手を打った。
「クレイ様は、俺とフェアグリンの子です」
それはなかなかの名案に思えた。
あるいは、迷案か――幸か不幸かクレイはすでに微睡みの淵にいる様子で、なにも言い返すことはなかった。
母が中央から招いた教師は、色素が薄い。
背筋はピンとしていて眼光鋭く、ユンク邸内に並ぶ多国籍な品々、異国被れの調度品を見ては眉を寄せている。
言葉遣いは丁寧で、発音正しき中央語はどこか冷たい印象を感じさせるのだ。
このマシュマロをどうするか、選ぶのだという。
公子は今すぐに手を伸ばし、ぱくりと食べて授業を終えることができる。
もしくは、20分間マシュマロをじっと見つめて待ち、2個に増やしてもらうことができる。
さらに20分間待てば、3個になるのだという。
「公子様は犬や猫ではありません。汚れた血が混ざれども、御身には竜血も確かに流れているのです。ならば、この授業の意味がおわかりですね」
母に呼ばれて金を貰っている癖に、中央から来た教師は母の血を平気で蔑み、貶める。
しかし、この教師に無礼を働くとどうなるかというと、「やはり汚れた血が混ざっている公子に中央の気品を持たせるのは無理ですね」云々と吹聴して、母を哀しませるに違いなかった。
「さて、この美味しそうなマシュマロを我慢する方法を先生がご指導申し上げましょう。それは、イメージです。よろしいですか公子様、目の前のマシュマロを『甘いマシュマロ』だと思って視ていると、食べたいと言う欲が出てしまいます。しかし、『空に浮かぶふわふわした雲』だと思えば、風景を楽しむように欲をおぼえずに時間を過ごすことができるのです」
行儀よく頷きながら、公子はおもった。
(先生、おれは『甘いマシュマロ』でも欲をおぼえないぞ)
そもそも公子は甘い食べ物が苦手なのだ。
これはとても楽な授業だった。
正直、目の前のふんにゃりした甘ったるい物体など、頼まれても食べたくないのだ……。
そんな時間を過ごしていれば、父が兄や姉を連れてずかずかとやってきて、「これは時間の無駄じゃないか?」と言って教師が止める暇もなくマシュマロを自身の口に放り込み、「我慢する必要などあるものか。おかわり!」と笑って吠える。兄たちは面白がり「この教師、生徒が甘味嫌いだって情報すら把握してないのか。上品なだけで中身は無能だな!」と煽って教師を怒らせた。
中央言葉のわからぬ母は教師が怒って帰ってしまうと「素敵な先生だったのに」とたいそう残念がり、代わりの教師をまた探すのだった。
21、公子のマシュマロ、教育の必要性とやら
「俺は今、教育の必要性を実感している――ちゃんと意味があるんだな……すなわち、『あれはマシュマロ』……」
ニュクスフォスはしみじみと呟き、自身も湯舟に浸かりながら『マシュマロ』に視線を向ける。
視線の先ですこし気怠そうに湯に身を浸しているのは、線がほそく、瑞々しく透き通るような肌をした、儚げな美少年めいた生き物だ。
湯面に覗く肩は頼りなく初々しい風情で、触れるのが怖くなるような繊細な空気がある。
湿った茶色の髪があどけなさの残る柔らかな頬にしっとりとかかっていて、色っぽい。
無邪気な顔でたわむれに花びらを撫でているクレイのいたいけな首筋から鎖骨のあたりには痕が散らされていて痛々しく、さらなる劣情を誘うようで――、だというのに本人は無自覚で、危機感のかけらもない。
そのほっそりとして綺麗な指先が穢れを知らぬ無垢の象徴めいていて、憂愁の気を漂わせる目元が情炎の余韻をおもわせる熱を孕み、紫水晶の瞳がほんのり潤んでいるのが――危うい。
柔らかい空気を纏っていて、無防備で、油断しきっていて、なんともハラハラさせるのだ。
ちょっと手を伸ばして引き寄せれば、いとも簡単に抱き寄せられて成すすべもなく食べられてしまうというのに、マシュマロは全く危機感なくほわほわしているのだ。
古妖精のフェアグリンが気を利かせて猫やアヒルの玩具をつんつんとつつき、クレイの周りに寄せてくれている。
すこし眠そうにしながら湯に浮かぶ玩具に囲まれるクレイの姿がぐっと幼く見えて、ニュクスフォスはホッとした。
(ナイスだフェアグリン。お前は俺の意をよく汲んでくれるな! いいぞ、もっとやれ!)
「のぼせてしまっては大変ですし、そろそろあがってお休みしましょうか。クレイ様はそちらの玩具を拾ってあげてくださいますか」
ニコニコと言えば、クレイがコクコクと素直にうなずき、猫とアヒルを拾っている。
それがいかにも「ぼくが拾ってあげよう」といったちょっと子どもっぽくて偉そうな感じで、猫とアヒルの頭を撫でてやるというサービス付きである。
(俺の期待を裏切らない子供っぽさ……さすがでございますぞ、クレイ様!)
うっかり年齢相応に意識してしまう女装には戸惑ったが、やはりまだまだ子供なのだ。
こうしているとそれがよくわかるではないか。
子供っぽい。
クレイは子供っぽいのだ。
(あんな風に艶めかしい声をあげて乱れても――あんな風に――あれは刺激的だった……はっ、いかん)
湯舟からあがった体はほかほかとしていて、疲労を窺わせ、くったりと弛緩気味に身を任せてくれる体重はかるく、体温は温い。
水分を摂らせながら濡れた体を拭いて夜着につつみ、髪を乾かしてやれば、ふわふわと喜びが胸に咲く。
独占感――『この生き物を今、自分だけが独占しているのだ』という実感が湧いて、はしゃいでしまいそうになるのだ。
その一方で、『以前はこういった世話を別の者が毎日毎晩していたのだろう』という思いも湧いて、その覆せない過去が悔しくも思える。
そんな思いを胸に世話をしていると、クレイが乾いたタオルでニュクスフォスの髪を拭く仕草をみせる。これは『お父さま』の真似をしているのだ。可愛らしいではないか。
「俺の髪を拭いてくださるのですね、クレイ様」
「うん、うん」
当たり前のように頷いて腕を伸ばすのがやはり可愛らしい。
「よろしいですか」
ふとニュクスフォスの口を突いて出るのは、あまり考えることなく、自然とつむがれる言葉だった。
「俺は話を盛りがちですから、あまり俺の言うことを真に受けちゃだめですよ」
ぴくりとクレイの肩が動いて、何かを気にするような眼が瞬く。
その繊細なこころが動く気配がすると、胸の奥がそわそわとした。
この生き物はきっと思いもよらぬことで簡単に傷ついてしまうのだろう――そんな気配があるのだ。
「俺は悪い男なので、適当なことを申してばかりでございまして、素行も良いと言えるかというと正直……」
「でも、ほんとうなのだろう」
話をまとめるように言い切る声が潔くて、何も言えなくなる。
一瞬脳を過ぎるのは、夜の景色、冷たい海に差し出された指輪のビジョン――あの時も、クレイは当然のように『お前の宝物だろう』と言ってくれたのだ。
(なんて純真なのだろう。そして、子供っぽい――そう、これは子供を子供として純粋に微笑ましく思う念なのだ。決して疚しいアレではないぞ。なぜならこれは『マシュマロ』だから! 『お父さま』は、我が子に劣情を抱いたりはしないものだっ……)
自分に暗示をかけるように思考しながらニコニコと抱き上げて寝台に寝かせれば、そうされるのに慣れた様子でほたりと寝転がり、背や頭を撫でてやると安心したように目を閉じる。
「お父さまがついていますから、安心してお休みくださいね」
本物の父にでもなったような気分で微笑めば、一瞬小生意気な眼がちらりとして、閉じられる。
「アクセル……」
「そんな父はいません」
ぴしゃりと現実を拒否してやれば、諦めるように無言が返ってくる。
(諦めが早くてなにより!)
そっと額に手をあてれば、今のところ発熱はしていないようだった。
フェアグリンがふわふわと周りを飛んで、いっしょになって見守る気配をみせている。
これは――この雰囲気は、家族っぽいのではないか? 何かそんな感じじゃないか? ニュクスフォスはふと思いついて手を打った。
「クレイ様は、俺とフェアグリンの子です」
それはなかなかの名案に思えた。
あるいは、迷案か――幸か不幸かクレイはすでに微睡みの淵にいる様子で、なにも言い返すことはなかった。
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