清らかに致すだけ~下剋上後の主従が「その一線を越えてこい」ってするだけだけどそれが本人たちには意外と難しいって話

浅草ゆうひ

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2章、汝、善良であれ

19、『君の初恋の女の子ごっこ』をしたかった

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 火点ひともころのそらに鳥影はなく、夜天のずっと上のほうは暗い冷たさをみせていて、太古の昏さをふいに連想させる。
 そんな暗さをちいさな無数の光で和らげるように、世界の夜には色鮮やかな宝石めいた星が広がっていた。
 星々を抱く夜空はキラキラ光る粉をまぶした濃藍の天鵞絨ビロードのようで、とても優しいうつくしさで、人々は安心して地上からそれを見上げることができるのだった。


   19、『君の初恋の女の子ごっこ』をしたかった


 迫るような星空の下、帝都シュテルンツエレに生きるひとびとのともす赤や橙の灯りが明るく周辺を照らしていた。

 屋台料理のソースや肉の焼けるにおいが湯気とともにふわふわ漂っていて、たくさんのあしおとと、楽し気な音楽や笑い声がきこえている。

 誰かが転がしたカネットびんが道の端で別の誰かに拾われて、気紛れの善行精神を起こしたみたいにくずかごにポイっと放られる。

 北のすずしい夜気を肌に感じさせつつも、木造りの出店が並ぶ雰囲気は南風――そんな不思議な空間を眺めるクレイのこころには、達成感みたいなものが湧いて、うちこもる熱がふわふわと掻き立てられるよう。
 
 ――このお祭りは、僕が手配したのだ。

 そう思うと、自分がとても偉いのだ、という気持ちが湧いて気持ちがいい。

 ――でも、僕が手配したという事実は、ひみつにするのだ。

 そんな思いで目を伏せると、自分がとても美しく風流な生き物に思えて、心地よいのだ。


(さっきは釣られてつい父と呼んだが、僕がしたいのはそれではなかった)

 すっかりつられてしまった、と反省しつつクレイが目的の店に向かうと、連れ立つ青年ははっきりとした保護者感を漂わせつつ、古妖精のフェアグリンをふわふわ肩に留めて周囲の注目を集めている。

(目立ってる。目立ってるよ……)
 妖精は無邪気で、支配者然としたオーラがあって、見るからに特別なのだ。

 しかし、ニュクスフォス本人は気にした様子もない。

「まるで異国のようですねえ」
 手を繋いで歩くニュクスフォスは、おそらく今は『お父さま』の気分でそわそわと声をこぼしている。

 クレイが感じるその気配は倒錯的で、心地よくて一緒になって『お父さま』と甘えたくなる一方で、ふっと正気に返っては「それじゃだめなんじゃないかな」と思うのだった。

(異国のよう、ということは、ニュクスは『ここが異国じゃない』と思ってるんだ。僕は、どうだろう……)

 そういう感覚は、たしか帰属意識と呼ぶのだったか。
 クレイはふわふわと淡く息をつむいだ。

「クレイ、お店はどちらです? ご体調は……? お疲れでしょう? 大丈夫ですか?」 

 ちらちらと気にされる視線を感じると、軽い罪悪感が胸をさいなむ。

(ああ、なんだか、ちょっとだましてるみたいな気分になってしまう)
「大丈夫。僕はちょっとホカホカとあったまってるだけ……」
 それも、発『熱』ではなく『情』と文字をあてるほうのあたたまり方で――気分は比較的高まっているのに、つような気配はないけれど。

(僕の『あれ』もよくわからないな。気持ちは割とやる気なのに、『あれ』にやる気を感じない。さすが僕のからだ――人体とはふしぎなものである……) 

 ニュクスフォスが貴いと呼ぶ濃い王族の血統は、心身の不安定さの原因にもなると言われていた。
 貴い血とは、それを濃く保ち守ろうとし続けると、子孫に障がいを招きやすいのだ。

(そんな無理やりに貴く保つ血を「貴い」と呼ぶのはやめて、薄めるなり絶やしてしまうなりしたほうが健全だと僕は思う)
 そんな考えは、オープンには口に出しにくいが――実は皆が思っているのではないだろうかとクレイには思えるのだった。

「お買い物をしたら、すぐ帰りましょうね」

 額に手があてられる。
 おそらく理解されていないに違いない。

「熱はないよ」
「ちょっとあついですよ。これからもっと上がるかもしれません」
(思い出をなぞるなら、病弱っぽいほうが効果は高いのだろうか。けれど、それはあんまりよくない気がする……)

 きっとこの感覚を『良心の呵責かしゃく』と呼ぶのだ。クレイはそう思った。

 出店に近付くにつれて、ワクワクするような思いと、やめたほうがいいんじゃないかなという思いが自分の中で衝突するようだった。
 何をやめるかというと、『思い出をなぞる』という計画だ。

 放埓ほうらつな夜の風が頬と髪を撫でていく感触に眼を細めて、生地を扱う店の前を通り過ぎる。

 縦長の板が置かれていて、展示される冬空と天突く樹木の点描柄てんびょうがらのルースコスタや草木染料の糸のイカットが暖かみのある風情で揺れていた。

「ここ……」
 ペンダントライトが上の方で揺れている出店を覗けば、綺麗で華やかな世界が広がっている。

「ほう、ほう? このお店が気になっていたのですね。そういえば奴隷騒ぎのときもアクセサリーとか仰ってましたね」
「うん、うん」

 ひらひらと品々の間を物色するように舞う古妖精のフェアグリンが愛らしい――店の主は『どう対応したらよいのかわからない』といった顔で固まっているが。
 
「やあやあご主人、ちとお品を拝見しますぞ」
 愛想よく、人懐こい笑顔で声をかけて、ニュクスフォスが商品を見ている。

「中央ではあまり見ないような、めずらしい異国の石がありますね。さてはこれが気になっていらした――そうですかな?」
 彩を光に煌めかせ、品物が魅力を放っている。それが確かに、中央ではあまり見ないようなラインナップなのだ。
「クレイはどれが好いのですか、こちら? あちら? 店ごと全部? 店主もひっくるめて『欲しい』?」

 店主がぎょっとした顔をしている。
 
 並ぶのは、どれも魅力的な商品だった。
 たとえば、潔い青色をした、月の雫みたいな銀縁に飾られたお守りの石。
 たとえば、夜空から零れ落ちた星の涙滴るいてきみたいな煌めきを放つ首飾り。
 瑠璃や翡翠、珊瑚に真珠、春花色の石英に遊色鉱石、様々な宝石のブレスレット。
 奥側の棚には藍水晶の鉱石ランプに、温かみのあるソルトランプ、モザイクガラスが華やかなランプも並んで彩を添えている。
 
「こちらの石は、『悪魔の眼』と呼ばれていて魔除けの効果があるのですよ」
「そうなの。あまり見かけない石だね……でも、ちょっと怖いね」

 石はぺったりとした色をしていて、目玉のようで、すこし怖い。
 社交場で身を飾る中央貴族がつけてくる姿が余り想像できない雰囲気だ。
 魔除けというのがしっくりとくる、身を飾るためというよりはまじないごとの意味合いで持つような気配。

「こちらの『星の涙』などはいかがです? 妖精にまつわる伝承があるだけに、あまり中央では好まれませんが」
「……妖精?」
「ええ、ええ。貴方はお好きでしょう」 

 いかにも好みな石の話に耳を傾けつつ、以前みた『玩具みたいな』指輪にめられていたのとよく似た雰囲気の石が盛られた小箱を覗くと、「綺麗な硝子玉ですね」とニコニコした声が関心の変化についてくる。

 赤い色の石をひとつ摘まみ上げてランプの灯りに照らすと、きらきらとした。
 すこしきずがついていて、それもいい。

(身につけるような石ではないけど、なんだか僕はこれが気に入っちゃったな……雰囲気も似ていることだし)
 クレイは目の前の石を見つめながら、以前オスカーが見せていた思い出の指輪を思い出していた。

「そちらがお気に召されたんですかな」

 自分が売り手みたいな顔をして、ニュクスフォスが顔を覗き込んでくる。
 別段なにかを思い出した気配もなく、いつも通りの日常の空気で。

 クレイはすこしもじもじして、もうひとつを選んだ。

「これも」
「二つ買うんですな」
「そう、そう」

 ――『お揃い』と言いかけて、クレイは口を噤んだ。
 
 初恋の町娘の真似するみたいに、その思い出と同じことをしたかったのだとバレるのが、なんだかとても恥ずかしい気がしたのだ。
 町娘の装いなどをして、浮かれきって『それ』をする自分が滑稽こっけいで、みっともない生き物のように思えたのだ。

 会計を済ませて渡された石を二ついっしょに仲良く並べるように両手でつまんで光に透かして見つめると、とても綺麗で、なんだか痛々しい感じがする。
 
 それが不思議で、特別に思えてクレイが見惚れていれば、ふいに大きな体に後ろから遠慮がちに抱きしめられた。

 あまり力をいれると壊れてしまう、と加減するようなニュクスフォスの体温が控え目に寄せられて、もどかしいような柔らかな抱擁の感覚に誘われて、からだのうちにこもっている熱がまたうずくよう。

 熾火おきびに似たほてりが切ない感覚を強めていく。
 早鐘はやがねのように打つ心臓の音がうるさい。

 熱を高めるクレイの耳元にうしろから、ふわふわとしたとろけるような甘い声色が囁かれる。

「俺に片方をくださるのですね」

 クレイはカッと赤くなった。
「あ、あ、……あげる」
「お揃いですね」
 ニュクスフォスの柔らかな声に、動揺がこみあげる。

(ば、ばれている? ばれていた? 僕が、僕が……)

(僕が、『君の初恋の女の子ごっこ』をしてたのが、わかっちゃった?)
 途轍とてつもない羞恥があふれて、せり上がって、全身が震える。
 
「……っ」

(僕は、綺麗で悲しい思い出をけがすような真似をした。こんな滑稽こっけいな恰好で、劣情に身を火照らせて、調子に乗って、君の思い出に泥を塗ったんだ)

 けれど、「そんなことない、僕は綺麗な生き物です」って顔をしていたかったのだ。
 恥ずかしい自分にふたをして、ただ自分が気持ちよく、楽しい気分でいたかったのだ。

「素敵な思い出ができましたね」
 後ろから抱きしめていたニュクスフォスがふと前に回り、長身をかがめて顔を近づけ、笑ってくれる。

「お買い物も済みましたし、『お父さま』と帰りましょうね」
 あたたかな手が頭を撫でて、背をぽんぽんと叩いてから抱き上げ、さらうように馬車へと連れて行く。

「……」
 クレイはあやすような手付きに背中を撫でられながら心の中でぐるぐるといろんなことを考えていた。

 ――僕、人間って、そんなに清らかでなくてもよいと思うの。


 『かわいそうだね』
 『かなしいんだね』
 『僕がなぐさめてあげる』
 『僕がいっしょにいてあげる』
 
 『


 ――僕、ぜんぜん清らかな生き物じゃないんだ。


 刺激的だった時間が通り雨の粒のように底に落ち、流れて呆気なく幕をおろして、砂に描いた夢のように過ぎていく。
 夜空でとろりとした白い月が見守る中、二人を乗せた馬車が城につく――離宮ではなく、距離のそれほど離れていない皇帝のフォルトシュリテン城に。

 
「今夜はお父さまのお部屋で寝ましょうね」

 医師に診せながらふわふわとあやすように言って、ニュクスフォスが髪を撫でる。

「新鮮な装いもよろしいですが、お父さまには少々刺激が強すぎるので、元の殿下に戻しても構いませんかな?」
 頬を染めて軽く許しを請うように言われ、ちいさく頷けば魔法が解けるみたいに装いが解かれて、ナイトローブでくるまれる。

「以前の緋扇水仙モントブレチアを用意しましたので、香りを楽しみましょうか」
「うん」

 ――以前のってなんだっけ。

 ぼんやりと頷けば、また抱き上げられる。
 慣れた体温があたたかくて、じりじりとしたもどかしい感じがした。
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