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1章、その一線がわからない

9、『冷静と情熱のあいだ』遠くをみて

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 呪術師レネンはクレイの最初の『拾い物』にして、長年仕える一の従者である。
 常に黒いローブを纏い、フードで顔も隠す彼とクレイの出会いがどのようなものだったのかを知る者は、ほとんどいない。

 
   9、『冷静と情熱のあいだ』遠くをみて


 エインヘリアの居室にて、呪術師レネンがしずしずと手紙を文箱に入れて差し出してくれる。
 見慣れた黒ローブ、顔をすっぽり隠すフードをいつものようにくいくいと引っ張って、クレイは手紙の差し出し人をチェックした。

「ありがとうレネン」
 父アクセルに情報を垂れ流しているのは気になるが、レネンは今までと同じ存在感でクレイに仕えている。
 すなわち、空気のよう。

「こちらは『鮮血フィニックス』から、こちらはアクセルから、こちらはウェザー商会のルーファス、こちらは僕の自由な鳥さんから……」

 差し出し人の顔や声を想いながら手紙を読むのは、好きだった。

「学院を卒業してそれきりのエリックは手紙のひとつも寄越よこさない」
 こそりと口の中で呟くのは、そんな事だった。

「あいつめ、僕に『俺のワイストン』とか言っといて」
 
 前々から紛争の種だと自覚はあったのだが、実際に問題も起きたので、外交問題にもなるし、ということでキリよく卒業のタイミングでクレイは完全に中央ファーリズから離れたのだ――たまに遊びに行ってはいるが。

 自然と疎遠になる者はどうしても出てくるが、その筆頭が4歳の頃から学友としてお仕えしたエリックになるとは、世の中とはわからないものである。
(しかし、こっちから一方的に擦り寄るのも、もういいや)
 ――エリックはもう自分の『王様キング』ではないのだ。
 クレイはいつからか自然とそう思う自分に気付いていた。

 猫脚が優美なソファにぽふりと座る――草花模様のファブリックがふかふかで、お気に入りなのだ。
 落ち着いて父からの手紙を開くと、淡く香り付けされた紙に達筆の文字が並んでいた。

(僕の父はマトモだとこんな手紙を書くのだな)

 アクセルから貰う初めての手紙に新鮮な特別感を覚えつつ、クレイは中身を読んだ。

 手紙の中身は意外にも人間味にあふれた柔らかな文章がつづられていて、まるでまっとうな父親のよう。

 けれど、口当たり良さげに思わせておいて、続きを読んでみると段々内容が詰め込みすぎじゃないってくらい濃くなっていく――薄い本屋を潰したとか、パーティがどうだの、東方にくれてやった国土を返してもらうとか、『騎士王』を籠絡せよとか、ねや教育だとか、なかなか刺激的な内容が詰まっていた。

「……血のつながりを感じる……アクセルは正しく、僕の父である」 

「ご実家から送られてきた茶葉です」
 メイドのマナがさりげなく紅茶を淹れてくれる。
 その香りを楽しみながら、クレイは『鮮血』の手紙に移った。

『鮮血』の二つ名を持つ高名な騎士フィニックスは、クレイの憧れの騎士。
 シリルという主がいて、決してクレイのものにならない高潔で清廉せいれんな騎士である。

 彼は一度はクレイと敵対していたものの、国同士が友好路線にかじを切って自分の主人シリルが冷静さを取り戻した現在は元通り、友好的な手紙を送り合う仲に収まっている。

「最近の『騎士王』とのあれこれをフィニックスへの手紙に書いたら、どんな反応をするだろう」
 一応、フィニックスの側は心配してくれているようなのだが。
 一点の曇りもない清潔な白、といった風情のあの騎士に性的な話など、似合わない――似合わないだけに、ちょっとしてみたい――そんな思いが胸の内に渦巻いてしまう。

(フィニックスも吐精をするのだろうか。大人だもの、するよね……)

 ふとそんなことを考えてしまって、クレイは動揺した。

(僕はなにを考えた!? 僕、僕という奴は……っ、なんて心が汚れているのか! あの清廉な騎士は――母子神の微笑ましい合作騎士で、そんな想像してはいけない、綺麗で、あったかで、汚しちゃダメな騎士なのに)

 脳裏には、自分が放ったあれや『騎士王』のあれが生々しく思い出された。

(いや、吐精イコール汚れ、という考えは違うな。それは健全な男子の体の機能である。生き物が種を繋ぐための、人によっては『神聖』と尊ぶ崇高なものである――しかし、やはりフィニックスに相応しい話かというと、それは違うと思うのだ……なんか神聖不可侵なオーラがある。想像するのも失礼なんだ!)
 
 それに比べると、『騎士王』のなんて身近で人間らしく親しみのく存在感だろう。
 
 出会った当初はあまり気にもしていなかったが、学院でクレイに付きまとっていた時からあの男はなんか色々目立って特別な感じがしていて、おかしかった。

 男友達も女友達も多くて、南の気風を感じさせるような、ルーズさというか、おおらかさというか、意味不明な陽気があった。
 同時に貴族令息らしさのある、匂い立つような品の良さも感じさせる時があって、居心地が良い。

 外見は紅薔薇勢にはあまり見かけないアイザール系のエキゾチックな色合いで、あの褐色の肌に白いしものような睫毛まつげまたたいて、その下に鮮やかな紅色の瞳がキラキラとしているのがとても美しいのだ。
 
 綺麗な顔立ちをしていて、貴公子然としていて、だけど妙にオープンで、誰とでも楽しそうに笑って快活に話していて、たいそうモテていた――ああいうのを『陽の者』と呼ぶのだな、とよく思ったものだった。

(『騎士王』なら、僕は割と想像できるぞ。目の前で出すところも見たし……)

 そそり立つそれは、大きかった。
 なんなら撫でてやった。
 脈打っていて、蜜をこぼす様はそれだけ独立した生き物のようで、妙な慈しみみたいな情緒を覚えたものだった。
 手のうちに感じたあれは――可愛かった――、

「ふふ……、はっ、こほん、」
 軽く頬に熱をおぼえつつ、クレイは手紙を置いて思考を切り替えた。
(僕は何を考えているんだ。これは、みやびでも清らかでもない)
 
 気を落ち着かせるように紅茶を口に運べば、すこし珍しい感じの味がする。

 果物フレーバーみたいな、爽やかな感じ。

(そもそも『騎士王』が変なお世話を始めるから……さかのるなら、そもそもシェリ恋人とか戯言を言い出すから……そう、それだよニュクス。お世話なのか恋人なのかどっちかにしなよ。もっと言うなら、父やら兄やらも……そういうとこだよ、ごちゃごちゃしちゃって訳がわからないじゃないか。関係性コンプリートでも狙ってるの。次は僕がお前の父と名乗ろうか?)
 
 のどを通り、胸の辺りを通った紅茶が体をあたためてくれる。
 ぽかぽかした柔らかな熱――あたたかさがふわふわ、じんじんとそこから全身に広がっていく。

 これは覚えのある薬効、のぼせと性的興奮症状――、

「……マナ?」
「なんでしょう」

「この紅茶は僕の好みとは少し違うので、申し訳ないのだけれども、違うのを淹れ直して欲しい」
 マナがしずしずと頭を下げてカップを下げる。
「ただ、珍しい味ではあるし、茶葉を処分するのはもったいない。客が来た時に僕がもてなす用にするゆえ、捨ててはいけないよ」
「かしこまりました」

(これを届けてくれたのは実家――アクセル? アクセル?)

 クレイはカップを置いて、父の手紙をもう一度見た。

(ひとくちでよかった。ほっとけばおさまるだろう……)
 しかし、これを活用せよと――『騎士王』に飲ませよと!
(すでに一回それはやりました、そして縛って出させました、可愛かったです、と手紙を書いたらアクセルはどんな顔をするだろう……)
 
「先にお水を?」
 レネンが気を利かせて透明なグラスに入れた水を差し出してくれる。
「ありがとう、レネン。ちなみに僕は今結構あったまっている……」
「そのようで」
「水の冷たさがとても心地よい。それに、僕に釣られてあったまる気配のないレネンが僕のテンションを程よく下げてくれるね……」
 しみじみとその冷たさを貪っていると、黒ローブが淡々となにやら語るようだった。

「アクセル様は、坊ちゃんに『騎士王』を完全に落とせと――」
「うん、うん。手紙にそんな事が書いてあるねえ……婚約してめでたしめでたし、ではない……と、僕は心得ているよ」
 
 レネンは不服そうな感情を声に滲ませた。
「言いなりになる必要はないと思いますがね」
「レネン!」

 クレイはパァッと喜色を浮かべた。
 レネンはアクセルに反対だと言ったのだ。
 内容はともかく、アクセルの意見を軽んじているのだ。

「ふ、ふふ……っ、そう? レネンはアクセルに反対するのか……、そうかっ」
「坊ちゃん、あったまってますね」
「僕は今ちょっとテンションが上がった……」
「下げていただいて」
「うん、うん」  

 マナが紅茶を淹れ直して、新しいカップに綺麗な茶を注いでくれる。
 ほわりと上がる湯気のなんとあたたかいことだろう――、

「あ、あついな」
 思わず言えば、メイドと呪術師から取り扱い注意物を見るような視線が注がれる。
「これは、一般的にどのように冷ますのかな……」

懸念けねん事項に考えを巡らせたり、気分を切り替えるよう外の空気を吸ったりでしょうかね。気を他に散じるわけです」
「なるほど――」
 
 クレイは気怠けだるくバルコニーを方を見た。
 正直、そこまで移動するのもめんどくさい。
 僕が外に行くのではなく外が来い――気分はそんな感じだった。

 普通の紅茶をひとくち頂けば、上品な味わいがした。
(僕とて雅やかで気品あふれる中央貴族のはしくれぞ――かような獣欲に僕の上流風雅の清い気が乱されることはないのである)
 
 フィニックスのように。
 そう、僕はあの騎士のように清廉であれ――、

 クレイは気高き推し騎士を想って息を整え、端然と姿勢を正して微笑みを浮かべた。
 
「ちなみに、あったまってる僕はどう? 色気がある? 魅力が感じられるだろうか?」
「坊ちゃん……」
「これはもう、ダメですね」
 従者がそろって冷めた視線を注いでいる。

 ――いや、違うんだよ二人とも。

 僕はただ、思ったんだ。
 ミハイに僕がときめかなかったように、『騎士王』はお子様な雰囲気のある僕には欲情せず『父のように兄のようにお世話』をするわけだろう?
 アクセルあたりは『半端な色香で惑っている』と言っていたけれど。

「違うんだよ、僕はただ、アクセルの言う通りにあれを僕の色香で惑わしてやろうと思って」
「坊ちゃん!」
 レネンが声を荒げている。

 それが少し嬉しくて、クレイはニコニコした。
「よかった。レネンはやっぱり、アクセルじゃなくて僕の従者だね!」

 立ち上がり、バルコニーに向かう足取りは楽しげだった。

「アクセルは言ってたよ。僕はお母さまに似て魅力的だと。『半端な色香』が非男色の者にも錯覚を覚えさせる効力を持つのかもしれぬと」
 呪術師が空気のように付いてきて、静かに後ろで見守ってくれる。

「けれど、それは一時的で不安定なもので……」
 
 外の匂いを含んだ風がふわりと頬を撫でて、北国の空気は清涼だった。
 皮膚の内側と外側の温度差がたいそう心地よく感じる。
 
「レネン、僕は知っている。こういうのを『冷静と情熱のあいだ』の境地と言うのだ」
「あまり冷静さを感じませんが」 
 
 遠く見えるは高く天にそびえる魔塔が、ここが生まれた祖国とは別の場所なのだと教えてくれる。
 山際は明るく、空にはのびのびと羽を遊ばせる鳥が見える。
 人々は暮らす街並みは以前より中央風の建物や出店が増えている――そう歩兵たちが言っていた。

「坊ちゃん……」
 レネンが背後でさえずると、なんだか懐かしい感じがした。

「坊ちゃんは、この先アクセル様やラーシャ様のように成熟した魅力で誰をもとりこにするようになりますとも」

 風に運ばれるみたいに、以前言われた声を思い出す――、

『坊ちゃんには、このレネンがおりますよ。姿を隠し、いつもお傍におりましょう。黒竜の加護をみせよと言われた際には、このレネンが呪術にてそれらしき奇跡の真似事も演出してみせますとも』

「誰をも」
 クレイは軽く肩を揺らした。
 そんな言葉は、子供だましに思えて、仕方ない。
 
 だって、人の心はどうしようもなく、つかみにくい。
 
 ただでさえつかみにくいそれに懸命に手を伸ばしている最中に、世の中の、人の社会のしがらみがあっちこっちから余計な手を伸ばしてきて、邪魔をするのだ――

「じゃあ、レネンもとりこになるかな」
 戯れるようにきいてみれば、呪術師はひややかな空気を返してくる。無言で。
 
 クレイはそっと反省して、視線を遠くに向けて、内と外の温度差を楽しんだのだった。
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