清らかに致すだけ~下剋上後の主従が「その一線を越えてこい」ってするだけだけどそれが本人たちには意外と難しいって話

浅草ゆうひ

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1章、その一線がわからない

7、『お父さま』――生きているんだもの

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 クレイが夢の中で思い出す父アクセルは、荒れていた。

 二人の妻をつづけて亡くし、娘を亡くし、義務を果たしてラーシャと作ったはずのクレイが「ラーシャと血のつながりがないのでは」とささやかれて、その証明をせよ、夜の加護をみせよと狂おしく繰り返して切望していた。狂気をたたえた瞳は理性の色を薄くして、振り上げた手は恐ろしく――、

「そうだ。支配的な大人とは、あれを言うのではないか」

「悪い大人とは、ああではないのか」

 派閥貴族らに抑え込まれる父を見送り、メルギン伯の手を取り、『紅薔薇の王子』が顔を上げる。
 ここから、紅薔薇の夜が始まるのだ。

 ラーシャと見た夢のつづきを見つけたみたいに、皆が嬉しそうだった。
 皆、クレイを「おいたわしい」と言うのを楽しんでいた。
 かわいそうな王子様が大好きなのだ、そんな哀れな御子に優しくすると姫を守れなかった傷が癒えるのだ。
 そんな空気が充ちていた。

「ああ、僕が……」

 ごめんね、と呟いて瞬きをすると、周囲の景色はがらりと変わった。

 馬車の中、騎士兜で顔を隠して、無口で、不思議なほど優しい騎士の『お父さま』が「そんなものより綺麗な景色をみなさい」といった気配を漂わせて、クレイを抱えて窓際に座らせて、道端に咲く名も知らぬ花を見せてくれるのだ。
 政治の話より、外交の話より、何も知らぬ子どもみたいに綺麗なものをみて、楽しめと――そんな保護者みたいな気配をみせるのだ。
 冷たくて無機質なあの鎧が無言で寄り添う気配が、あたたかかったのだ。

あのタス フルーメが 綺麗ュプシュ ですねニフラ
 クレイはその騎士に一生懸命話しかけた。

 何か言葉を返してほしかった。
 気を惹きたいと思った。
 優しくしてもらうと、とても嬉しかった。


   7、『お父さま』――生きているんだもの


 ――ファーリズ、コルトリッセン公爵邸の庭園に設えられたテーブルセットに、父子が並んで座っていた。
 
 揃いの茶髪がさらさらと風に揺れる。
 クレイはちょっとだけ緊張しながら、父を視た。
 父アクセルは、頼めばあっさり金を融通してくれた。祖父ブノワと違い、説教などはしなかった。

 最近になってどんどん心身を復調させているアクセルは、以前の怜悧れいりな気配を取り戻しつつある。

 眼差しもしっかりとしていて、背筋も伸びて、大貴族の貫禄かんろくみたいなものが戻りつつある。
 それが初めて会った他人みたいでもあり、弱々しくなる直前の錯乱して手をあげた烈しい気性ぶりの父を思い出させるようでもあり、息子クレイを緊張させるのだった。

(金はくれるというのだ。なら、もう用はない)

 手つかずのタルトに一瞬だけ目をやってから、クレイは紅茶のカップを置いた。

 ゆらりと中で揺れるのは、いつかクレイがウェザー商会につくらせたブランドティー『ラーフルトン』の『フェアリー・プリンセス』。
 初恋の令嬢をイメージした、可憐な花茶だ。

「クレイ」
 短く低く、アクセルが名を呼ぶ。

 びくりと指先が揺れるのは、やはりそれが「正常なアクセル」の気配だからだ。
 テーブルを囲む侍従の中に見慣れた黒ローブのレネンが視えて、クレイはそっと気を落ち着かせた。

(異母妹がいればもっと安心できたのに)

 クレイの異母妹ユージェニーは、亡き実妹の代わりに拾われた子だけれど、ちょっと変わっていて――すごく変わっていて――重苦しい雰囲気をめちゃめちゃにしてくれるのだ。 

(この父も、ほんわかするのではない? あの子がいれば) 

「……なんでありましょうか、『お父さま』」
 そろそろと言葉を返せば、父は冷然とした眼にすこしだけ妙な色をちらつかせた。

「私が病んでいる間に、アーサー陛下が暴走して、お前が北西の成り上がり者と婚約させられたというではないか」
「……えっ」

(今? というか、すごく正気っぽい喋り方をする……そして、僕の婚約に興味を?)
 クレイはアクセルをまじまじと見つめた。

 血色のよくなった父の頬、長い睫毛に彩られた涼やかな目元――、
 やはり、知らない他人のよう。

「私は調べたが、かの成り上がり者は寵童ちょうどう趣味は否定し、女性遍歴へんれきはあれど男性との話はない様子であるな」
 アクセルが紅茶のカップを取り、ひとくち含む。
 その所作がなんとも優美で絵になるようで、クレイは非現実の感覚を強くした。

「そのあたりは、僕も存じております」
 小声で言葉を返して一度置いたフォークを取り、タルトをひとかけら頂くと、甘いクリームとさくさくの生地が絶妙で、けれど今はあんまり気分が高揚しないのだった。

 アクセルはそんな息子に眉を寄せ、言葉を連ねた。
「お前は紅薔薇の連中に『彼が好き』と申したと報告を受けている」
 
 ――僕はアクセル相手にもそんな話をしないといけないのか。

(ああ、この現実のなんてめんどくさいことか)
 クレイは耳を赤くしながら、コクリと頷いた。
「いかにも。仰せのとおりですが」

 アクセルは淡々とそんな息子を見つめていた。
「して、お前はあちらの思惑をどう考えるか?」

 その感情を魅せぬ瞳――この『お父さま』は顔を晒しているのに、騎士兜で顔を隠す『騎士王』よりよっぽど無機質で、得体が知れない不気味な他人のようだった。

(アクセルは、治ったんだな。完全に治ったかは、わからぬけど。情勢に興味を抱いている――『騎士王』に関心が? ……こちらの国への野心でも、警戒しているのかな?)

 クレイははんなりと微笑んだ。

「現在は、僕が思いますに政略半分、個人的好意半分といったところでありましょうかや。僕は、もともと彼と縁がございましたゆえに……アイザールがファーリズの王都を攻めた時点までは確実に政略の意味合いが強かったかと、僕は思うものでございますが」

(その後、僕が玉座を拒絶して『エインヘリアに帰りたい』と言ったあたりから、変になったな)

 その時おそらく咄嗟の機転をきかせて、ニュクスフォスは『王甥殿下を俺にください』と言ったのだ。
 そして『これで殿下はエインヘリアにいられるわけです』と言ったのだ。
 結果、保護者っぽさが年々マシマシになっていくのだが。
 
 緑の香りを含む涼やかな風がそよそよと吹いて、首筋に新鮮な心地を感じさせてくれる。
 そっくりな色の髪が同じ方向に揺れて、それがなんだか他人事のようだった。
 
「『お父さま』はそのご様子ですと、僕のここ数年の有様を調べておられるのでしょう。なら、わざわざ僕が話すこともありますまい……」
「かの者がお前を子供のように扱い、従者のように世話をしているのはきいている」

(やはり、色々調べているらしい)
 思いながらクレイは気付く――父がじっと自分の首元に視線を落としていることに。

「……」
 ――あっ。

 そっと手をやって、クレイは思い至った。
 ――視えた? ここにあったな、そういえば。
 何がって言うと、キスマークが。

「なるほど、好意とな」
「ええ――好意です」
 クレイはにこりとした。

(ほら、痕があるとこういう風に使えるのだよ。ふん、論より証拠なのだ、世の中は)

 ちなみに実はこれ、「ミハイに付けられたあと『騎士王』にも付けて貰った」のだけど、それを話したらアクセルはどんな顔するのだろう――クレイはよっぽど試したくなったが、我慢した。

「ふむ……男が性愛の対象外だが、肌を寄せるだけの好意はあると」

 アクセルが眉間にしわを寄せて考え込んでいる。

「ああ、痕を口でつける程度の好意です。これは賜りましたが、その程度で。アーサー王陛下にお話しされたように、『父のように兄のように』お世話をなさると」
「ほう。『父のように兄のように』と言いながら所有の証をつけて最後までは及ばぬと」

 僕は父と何を話しているのかな――クレイは一瞬遠い眼をした。  

「クレイよ。父の考えをきくがよい」
 父が何かを打ち明けるようではないか。
 クレイは居住まいを正して頷いた。
「は」

 微妙な緊張感の中、父の声が淡々とつづく。
寵童ちょうどうの趣味――少年趣味の否定、男性も性愛の対象とならぬ。それはひとつの真実としてそうなのだろう」
「ええ、ええ」
 この話はなんだか嫌だな――クレイは義務感たっぷりに相槌を打った。

「そして、お前は『幼き童』ではない」
「!!」
 アクセルが思いがけず耳に快いことを言ったので、クレイは目を見開いた。

「ええ、ええ! お父さま! その通りです。僕は幼き童では、ありませんともっ!」
 未だかつてなく食いつきの良い息子に、アクセルは微妙にたじろぎつつ、声をつづかせた。
「そして、あまり男性らしくもない」
「……」
 息子は一瞬でテンションを低めた。

 アクセルはわかりやすい息子に半眼を送りつつ、話をつづけた。

「わかるな。その半端ぶりが本来対象外のはずのお前を短期間のみ、対象に錯覚させている――我が息子は容姿端麗にて、ラーシャ様によく似て魅力的ゆえに」

 父の眼は息子がうなじでひらひらさせる赤いリボンに据えられた。

「さて、かの者はお前の半端な色香に惑うておるやもしれぬが、もう数年も経てば性愛の対象から外れて好意も冷める可能性がある。そのころまで、好きに遊べばよい。コルトリッセンは代々忠臣の家系にて、王族の寵童ちょうどうを務めた者も多いのだ、珍しくもなんともない。好意が冷めた場合には、お前が望むならば父が婚約を破棄してやろうほどに、祖国に戻ってエリック殿下の臣下に戻るなり、家を継ぐなりするがよい」
 
 父の瞳はどこか憐れむようで、優しく、そこにはあまり器用ではない類の愛情めいたものも浮かぶのだ。
 それがわかって、クレイは息を呑んだ。

 父の話は少し耳に痛いけれど現実味があって、転ばぬ先の杖のように、自分が『騎士王』に飽きられた時に助けてくれる、逃がしてくれると言っているのだ。

 ――このお父さまは、息子を助けると言っているのだ。

(僕の味方なんだ? アクセルは、僕を助けてくれるんだ? あのアクセルが。あのアクセルが!)

「当家は困った義務を押し付けられる事の多い家柄ゆえ、男女ともに義務遂行のための手練手管に事欠かぬ。必要ならば、父は支援を惜しまぬ」

「は……」

(アクセルが凄い事を言っている……なるほど、当家はたしかに、考えてみれば、そんな家であるな……そ、そうか)

 クレイは非現実の感覚の中で紅茶を飲んだ。
 ああ、あのふわふわとして可憐なラーフルトンのお姫様を思い出すよう――僕が横恋慕して、忍び焦がれた失恋の思い出……気持ちがいい。

 そう、それだ。
 僕は――『悲劇が気持ちいい』。

「お、おとうさま……」
 頬をほのかに染め、クレイはそっと睫毛を伏せた。

「僕は、僕は……、若干、性癖をこじらせております……」

(僕は、この性癖をアクセルに打ち明けるのか――人生って何が起きるかわからないんだな)
 クレイは胸で騒ぐ鼓動を自覚して、深呼吸した。

「申せ」
 短く促される。
 ああ、なんて真剣な声。
 すごく、正常な感じ。

「僕は……報われない自分や、悲劇的な現実を気持ちよく感じるのです……例えばそう、暗殺者に狙われていつ死ぬか解らない境遇、楽しい。友人に裏切られる――切なくて、つらくて、それもよい。それに「それでも友達だよ」と返す僕が、気持ちいい。処刑台が近い、怖くて、どきどきする……、大切なものを手放す、美しい、気持ちいい。自分を犠牲にする、とても貴い――、片思い、忍ぶ恋。いとおかし……遠くで揺れる花をのぞみて、手を差し出しかけてひっこめる僕、いとゆかし――好きな子を人知れず支援して、まったく気づかれない……気持ち、いい……っ」

 恍惚と言葉を紡げば、アクセルは目を見開いて数秒黙り込んだ。

「……」

「……」

(はっちゃけすぎたかもしれぬ。また黒歴史が増えたな……)
 クレイが心のうちでじわじわと反省し始めたころ、アクセルはそっと立ち上がり、息子の傍にきた。

 遠き日、折檻せっかんされた恐怖を思い出して息子が体をこわばらせると、父は驚いたことにそんな息子を見る眼にじわりと涙を浮かべ、ふわりと抱きしめたのだった。

(すごい。僕は今、アクセルに抱きしめられているぞ)
 これは、夢だろうか――僕は、アクセルを攻略した?
 クレイはぼんやりと父の体温を感じつつ、己の言動を振り返って申し訳なくなるのだった。

「申し訳ありません、お父さま……僕、とても異常な事を申しました。けれど、そういう性癖なので、僕は大丈夫なのです……僕は、『騎士王』に飽きられても、幸せ……」  

 夢見るような声は、ふわふわと――止まらなかった。

「僕、自分が明日死ぬかもしれないと思って生きてた。だから、今日一日をこうやって過ごしているだけで、奇跡みたいな幸せを積み重ねてるんだ。悲劇が好きって言ったけど、ほんとはぜんぜん、悲劇じゃなくて幸せなんだ……、だから、何かつらいことが起きても『僕は可哀想』って思いつつも、楽しくて、気持ちいいんだ……」
 

「――だって、生きているんだもの」
 

 それはとても凄い事なのだと、クレイは以前見た夢を思い出す。

 クレイを守ってくれる黒竜は、異世界で亡くなった子供の夢を見せてくれたことがあったのだ。

 その夢と現実の結びついたこの庭園に、クレイは現実と非現実の境界を思うのだった。
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