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1章、その一線がわからない

1、オープニング~二人の主君と配下たち

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 これは、いつかの物語。
 少年と青年、後輩と先輩、中央貴族と地方貴族、或いは王族と騎士、もしくは――皇帝と少し変わった高嶺たかねの花の物語。



   1、オープニング~二人の主君と配下たち



 北国の空気はひんやりとして乾いている。
 辺りには清らかな花のような香りと、柑橘系の果実みたいな香りが漂っていた。

 大陸北西の国エインヘリアのお城の廊下に、靴音が響く。
 この国の国主、皇帝が歩いている。
 手のひらサイズの小さな妖精フェアグリンがあわい光を発しながら、皇帝を導くように飛翔していた。
 
 官吏たちや騎士たちは道の脇に寄り、頭を下げて皇帝のために道をあけていく。
 
 皇帝――北西の国主である『騎士王』に手を引かれて歩くのは、中性的で繊細な容姿の婚約者だ。
 
 やわらかな茶髪は陽の光にとろけそうなつやをみせ、白皙はくせきの肌は西洋人形ビスクドールのように滑らかで、美しい。
 睫毛まつげは長く、目元に優しい影を落としていて、瞳は幻想的な夜や毒花を連想させるような紫水晶アメジスト色。
 
 中央の国のアーサー王のおい殿下、という肩書を持つこの婚約者は、名をクレイという。
 実年齢は成人しているというが、背が高くて頭から足まで全身無骨な騎士鎧の『騎士王』と並んで歩くと、ほっそりとして華奢な体格が際立ち、幼く見える顔立ちも相まって――『実は実年齢は公表されているより幼い』だとか『騎士王は否定しているが少年趣味なのだ』とか、『騎士王はあの不憫な王甥殿下を無理やりさらってきたのだ』とか、不穏な噂がどんどん生まれるのだった。

 エインヘリアの民が待つバルコニーに並んで姿をあらわせば、割れるような歓声が湧いた。

「『騎士王』!」
「『騎士王』陛下だ……!」
 
 その二つ名を呼ぶ民の顔は、明るい。

(人気があるんだ……)
 クレイは観衆をしばし眺めてから、そっと傍らの『騎士王』を見上げた。

 騎士兜で顔を覆った『騎士王』は、置物のように静かで、自分に歓声をあげる民に手を振ったりもしない。
 
 常に全身騎士鎧姿で、人前であまり喋らず素顔を見せることもない『騎士王』は、ミステリアスな国主としてこの国の民に受け入れられているのだ。

「……」 
 視線に気づいたように、ふいにその首がめぐらされる。
 騎士兜の奥の瞳に見つめられて、クレイは少しだけ身を固くした。

「……」
 苦笑したような気配と共に騎士鎧の腕が伸びてきて――ふわりとクレイを抱き上げる。
 
 視界が高くなり、ちょっと怖い――、
「っ、わぁっ……」
 クレイは慌てて両腕を『騎士王』の首にまわしてしがみついた。
 
 近い距離で、青年の声がクレイだけに聞こえるよう、ちいさく空気を震わせる。
 
「ご覧なさい、俺の殿下マ・ルーン。エインヘリアの民が貴方の可愛らしさに夢中ですよ」  
「はっ……?」
 ――それは嬉しくて、自慢したくて堪らないとはしゃぐような声だった。
 
 観衆の注目が自分に集まっている。
 隣にいる者同士がなにかささやきを交わしているのがみえて、気になってしまう。

「皆、美しい殿下に驚いて見惚れていますね。なんて気分がよいのでしょう。これが中央の雅やかで気品あふれるクレイ殿下なのだと、北西の民に知らしめてやりましょうな、なっ!」
 
 恍惚とした吐息を紡ぎ、『騎士王』が何か言っている。
 民にきこえたらイメージが台無しになりそうな、そんな本性がちらちらしている。

「さあさあ、あまりじろじろ見られると殿下がもったいないっ。本日はこれまで! おしまいッ!」
 
 ちょっと見せびらかしたかっただけ。
 そんな気配で切り上げて、『騎士王』はクレイを抱っこしたまま観衆に背を向けた。

 コツコツと通路に響く靴音は上機嫌を物語る。
 
 背で夜色のマントが揺れて、歓声が遠くなる――。

 
 部屋の椅子に座らされたクレイが待っていると、『騎士王』はいそいそと花束を持ってきて、クレイの前に膝をつく。

「さあ殿下! こちらは本日のお花ですよ」

 騎士兜を脱いだ皇帝は、真っ白の髪をした、匂い立つような気品と色香のある美しい青年だった。
 南方の血筋をおもわせる褐色の肌をしていて、瞳の色は心地よい酩酊めいていを誘うワインのような紅色だ。
 
 表情は南方の気質をおもわせる快活で陽気でおおらかな笑顔。
 ――気の良いお兄様、といった雰囲気だ。
 
 時折ちょっと得体の知れない怖い感じを発することもあるこの青年は、クレイと複雑な関係にある。

 まず、二人は婚約関係にある。
 次に、皇帝はクレイに騎士の忠誠を誓っている。
 
 そして、『元』友人だ。
 
「ありがとう、ニュクス」
 ニュクスフォス、という騎士の名を呼んで、クレイはそっと花を受け取った。

 白い髪に目をやり、手をそっと差し出せば、ニコニコとした顔で嬉しそうに頭が下げられる。
「俺をなでなでしてくださるのですかな?」

 そうだ、と頷いて白い髪に触れてなでなでしてやれば、ニュクスフォスは気持ちよさそうに睫毛を伏せて、されるがままになっている。
「よし、よし……」
 ふわふわと微笑みながら、クレイは過去、このニュクスフォスが『オスカー』という名前だったことを思い出す。

 

 中央の国の地方領主の公子だったオスカーは、クレイより4歳年上だ。
 クレイが12歳の時に王都の学院で知り合ったオスカーは、もともとの友人から冷たくされて落ち込んでいたクレイに取り巻きみたいにまとわりついて、ちょっとうざいくらい賑やかにして、その淋しさを紛らわせてくれた――友人だったのだ。

 大陸にはその後、魔王があらわれた。
 当時の北西の国主、ネスリンという女帝が魔王になったのだと伝えられているのだが、ネスリンはその時、各国に戦争を仕掛けて大陸中を大混乱に陥らせた。

 その時、オスカーは国を出て行って、行方不明になった。
 クレイはやがて、「オスカーは死んだのだ」と思うようになった。
 しばらくして魔王は討伐され、大陸には平穏が訪れて、クレイの日常には正体不明の他国の王様『騎士王』が現れた。

 『騎士王』は、顔を隠していて、喋らなかった。
 けれど、クレイを守ってくれて、優しくしてくれて、その気配は保護者みたいだった。
 
(この正体不明のひとは、もしかして本当は僕のお父様なんじゃないだろうか! 実の父よりよっぽど優しいんだもの!)
 そう思ったクレイは、『騎士王』を『お父さま』と呼んでしたった。
 将来は中央の国を出て、北西の国で『騎士王』の幕僚ばくりょうを目指そうと思うほどだった。

 そしてある時、その正体がオスカーだと気付いたのだった。

 オスカーは北西の国主の権力と軍勢を用い、クレイを中央の国の玉座に座らせてやろうと画策したのだが、肝心のクレイに「玉座を望まない」と拒絶されてしまう。
 
「僕はエインヘリアに帰りたい」
 クレイの望みを叶えるため、『騎士王』は中央の国のアーサー王に交渉して、クレイを自分の婚約者としてたまわったのだった。
 
「父のように兄のようにお世話いたします」 
 
 婚約者の肩書を手に入れた後、『騎士王』ニュクスフォスはクレイに騎士の忠誠を誓い――特に手を出すこともなく、清らかにお世話をしている日々である。
 
 

 自分の国に『主君』クレイを囲う『騎士王』ニュクスフォスは、オスカーという名前で呼ばれていた頃は、女好き、遊び好きで通っていた。
 
 クレイのイメージでは、かるーいノリで軟派して、軽率にお持ち帰りして、大人の遊びに慣れている、そんな公子だった――あくまでイメージであり、実際のところはわからないのだが。
 

 
「おもてをあげよ」
 クレイはにこりと微笑んで、顔をあげさせたニュクスフォスの唇に小鳥が戯れをしかけるようなキスをする。
 すると、ニュクスフォスは頬を赤く染めてはにかむようだった。
 その様子がまるで初心で純情な少年のようで、クレイはいっそう優しい手付きでその白髪を撫でてやった。

(ニュクスは、不思議だな……)
 今のところクレイの側からされることはあっても、ニュクスフォスの側からキスをしたことは一度もない。
(父のように兄のように、か。僕は、もうちょっと恋人らしいことをしてもいいと思う――してみたいが……)
 
 
 ……もっとも、成人してしばらく経つのにクレイの身体は吐精で下着を汚したりするようなこともなく、性的な機能がまともに働いている様子もないのだが。
(僕の心にはやる気があるけど、身体にはあんまりやる気がない。ニュクスはたぶん身体は健全だろうしやる気もあるだろうが、僕に対するやる気は多分ない、のかなぁ……僕たち、きっと永遠に清らかプラトニックだね)
 
 こっそりとそれを残念がるクレイだが、一方のニュクスフォスは、清らかなお花を贈ってお礼にキスしてもらう関係を至高の喜びみたいに満足して、日々を幸せそうに過ごしているのだった。

 
 さて、二人にはそれぞれ、忠誠心厚き配下たちがいる。
「あの二人はちゃんとできるんだろうか」

 クレイの『拾い物』たち、ニュクスフォスの『混沌騎士団』たち。
 ……それぞれの配下たちは、若き主君を遠巻きに見守っていた。
 
 そして、水面下にて「清らかでいきましょう」と忠言したり「ちょっと一服盛ってみましょう」とそそのしたりして、二人の関係をそのまま維持させようとしたり、発展させようとしたりするのであった。
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