魔女家の公子は暴君に「義兄と恋愛しろ」と命令されています。

浅草ゆうひ

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六章、逆転、反転、繰り返し

124、『ニュー・ラクーン・プリンセス』人魚と和解せよ

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 潮風が進行方向に送り出すみたいに船の後ろから吹いている。
 
 出航した『ニュー・ラクーン・プリンセス』の船上でパーティが始まる。
 楽団が奏でるのは、行進曲めいた力強い曲目――海門序曲。
 
 ゆったりと微睡むように始まった船旅のオープニングをあらわす曲は、広々とした海に乗り出した瞬間、勇ましい行進曲になる。
 
 どん、どん、どんと腹に響く音が鳴り。打楽器隊がみんなの進む足を励ますようにリズムを刻み。
 華やかな金管楽器が響く。
 唇を湿らせた奏者が金属のマウスピースに振動を伝えて、前方に突き出すかたちのトロンペッタがパパパラパラッと軽快に雄叫ぶ。綺麗な高音だ。
 おっとり、温厚な音を寄り添わせるテューバや厚みの頼もしいコントラバスは縁の下から全体を支えている。
 薄い板状のリードに息吹を寄せて涼やかでクリアな音を魅せるのは、クラリネット。可憐に歌うフルート。

 ネコ騎士のネイフェンがちょっと離れたところで給仕係と何か話している。自分が運ぶと言っているみたいだ。毒見もしている様子――僕はさっきからちょっとだけ嫌な予感がしていたけれど、もう毒が盛られたりはしないだろう。たぶん。
「坊ちゃん。こちらはオレンジ・ブロッサムというカクテルですよ」
 爽やかな香りがする。美味しそう。
「エーテル……カクテルもいいが、果蜜水も美味しいぞ」
 フルーティーで、美味しい。僕が目を細めていると、ノウファムが自分が持っているグラスを押し付けてくる。
 赤い液体にカットしたフルーツが沈んでいて、赤ワインに似ているけれど酒精がない。後味もすっきりだ。
「悪酔いするといけないから」
 僕が赤い果蜜水に夢中になっているうちに、ノウファムはくいっとオレンジ・ブロッサムを飲み干してしまった。
「酒をエーテルに飲ませてはならぬ」
 こっそりとネイフェンに耳打ちしているのが、僕にはバッチリ聞こえている。

「おいおい、出航祝いにパーッとやろうってのに堅苦しいな。意地悪するなよ、酒くらいいいだろぉ」
 ロザニイルが煌めくグラスを僕に薦めてくる。
 グラスの中では、薄い金色の液体としゅわりと真珠みたいな気泡が踊っていて、キラキラしていてとても綺麗だ。
「俺は意地悪で言っているわけではない、悪酔してはいけないと思って」
 
 アップルトンが忙しそうに短杖を振り回して、周囲の空調を整えてくれている。働き者だ。
「いつもああじゃないんですよ殿下。あの時、たまたま悪酔しただけで」 
 僕は巣作りの記憶を思い出しつつ、ロザニイルのグラスを断っておいた。
 あれは自分でもおかしな行動だったと自覚しているのだ……。
  
「そういえばノウファム様、【妖精の涙】を服用されてみてはいかがでしょうか?」
 
 【妖精の涙】は、とても貴重で効果の強い清めの秘薬だ。
 万病を癒し解毒する、呪いを解くといわれている。
 魔術師が調合する魔法薬と違い、人間が創り出すことのできない品なのだ。

「おっ、イヤイヤ期が治るかもしれねえ?」
「俺はイヤイヤ期ではない」
  
「あ、あはは……イヤイヤ期は置いておいても、不眠症ですとか……夢見の悪さですとか……効くかもしれませんよ」
 暴君化の呪いの疑いは本人には伝えていないが、身体に良いのは間違いないのだ。
「飲んで悪く作用することはありませんでしょう? 精のつく栄養補助薬くらいの気持ちで飲んでみてください!」
「エーテル、貴重な【妖精の涙】を精のつく栄養補助薬くらいの気持ちで飲めとはお前も言うねえ! いいぞ、飲め飲め」

 ロザニイルが横から茶々を入れている。
 ノウファムは僕たちを無表情に眺めた。
 隻眼が海よりも奥深い感情の揺らめきを見せているのに、整った顔は彫刻芸術になってしまったみたいに表情筋が仕事をしなくなっている。

「嫌だ」
 
「アッ、しまった。反発を招いてしまった……」
「イヤイヤ期ぃ」
「ロ、ロザニイル。茶化しちゃだめだよ」
 
「まあまあ、坊ちゃんたち。……こっそり盛ってみるという手もございますぞ」 
「ネイフェン!」
「お前、そんなアイディア出せるのな!」 
  
 騒ぐ僕たちをむすりと眺めて、ノウファムは小瓶を手に船縁へと颯爽と歩いて行った。
 そして、きゅぽんっと小瓶の蓋を開けたかと思えば――中の雫を海へと落としたではないか!

 ポトッて。
 ぴちゃんって。
 アッサリ、呆気なく、貴重な雫が海へと消えていく。
 
「な、ななななんということを殿下!?」
「おいノウファム、それすげえ貴重なんだぞ!」
 
 僕たちは思わず船縁に駆け寄って、海の藻屑と消えた秘薬の喪失感に顔色を失った。
 船を浮かべて揺蕩う海水は一滴ぽっちの秘薬の雫を海に同化させ、何の変哲もなく波を揺らめかせて――、

「ん?」

 波間にちゃぷんと大きなヒレが視える。
 海面の下に大きな魚影らしきものがある。
 集まってくる。
 魚にしては大きい。人間みたいだ。肌色が視える。
 手がある。
 ヒレもある。
 顔がちらっと覗いた……人の顔だ。
 
「人魚だ」
 ロザニイルが呟いた。
  
 いっぱいいる。
 右にも、左にも、ずらっと並んでちゃぷちゃぷ姿を見え隠れさせて。

「警告! 警告! ――人魚です! 囲まれていますッ!」

 上半身は人の姿で、下半身が魚みたいな妖精――人魚族だ。
 肌はいろんな色をしていて、多民族感がある。髪色も様々だ。
 中性的で、男なのか女なのか微妙な人が多い。あと、みんな若い。
 下半身の魚みたいな部分は宝石みたいにキラキラした鱗に覆われていて、ヒレが半透明でひらっとしていて、すごく綺麗。
 
 人魚だ。
 ……海の有力な妖精種である人魚族が、たくさん海面に姿を見せて、僕たちの『ニュー・ラクーン・プリンセス』をぐるりと取り囲んでいる!
 
「船を沈められるのではないか?」
「魔術で結界を……!」 
 船上が騒然となるのを、ノウファムが大きく手を振って静めた。
 
「演奏は続けよ。妖精という生き物は音楽を好むゆえ」
 楽団が演奏を止める中、ノウファムは演奏の継続を命じてから僕の肩に手を置いて自分の傍に引き寄せた。
「エーテル。【妖精の涙】は役に立ったようだ。人魚が釣れたぞ」
「撒き餌みたいな言い方……お、怒られません? 同じ種族の涙でしょう……」
「怒ったかもしれぬ」
「……殿下……」
 
 ノウファムはよく響く声で人魚たちに語りかけた。
友好関係フレスク王家ユワソ……助けるエイヴ……純血ピュアソ古いアジ妖精フェー

 ああ、旧い言葉だ。妖精語だ。僕は意味を理解しながら聞いた。

謝るエイリエ 政治のフォリティジ 虚偽モタァ 俺はファン 好まないディテスティ

 楽団メンバーが一生懸命明るい調子の曲を演奏している。
 曲名は『妖精のワルツ』だ。
「媚びてんな!」
「ロザニイルっ」
 ロザニイルは人魚を物珍し気に視て、ひらひらと手を振ったりしている。
「お、あの人魚笑ってくれたぜ。みろよエーテル、手振ってる」  
 
俺はファン 願うエレ 友好関係フレスク マーレ 妖精フェー

 ノウファムの声が堂々と響くと、人魚たちは一斉にぱしゃぱしゃと尾ヒレを動かして海水を跳ねた。

 ぱしゃ、ぱしゃという小さな水音が幾つも合わさって大きな水音の合奏みたいになる中、人魚たちは喉を震わせて歌を歌い始めた。
 聞き取りできない歌詞の歌は『妖精のワルツ』にぴったりで、とても可憐で幻想的な合唱だ。
 
「楽団メンバーが奏でる曲を気に入ってくださったようですな」
 ネイフェンがヒゲを撫でながら呟いて、尻尾の先をゆらゆらさせている。

「友好的にできそうではないか、エーテル」
 ノウファムが人魚たちの合唱に目を細め、肩の力を抜いた。
「よかった。船が沈んでしまうかと思った……実はちょっとだけ嫌な予感がしていたから」
「坊ちゃんは相変わらず心配症でいらっしゃる」
 ネイフェンの言葉に、僕は笑った。
「ふふ。船が二回も沈むなんてあるわけがないよね」

 ――嫌な予感は気のせいなんだ。よかったぁ……!!
 
 僕は心の底から安堵した。
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