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六章、逆転、反転、繰り返し
114、帰ろうか
しおりを挟む通路の先に、灯りがある。
灯りは人が燈すのだ。いつも。いつも。
暗闇が怖いから。
周りが見えないと困るから。
待っていた二人が手を振って、こちらも振り返す。
なんでもない仕草が当たり前にできる僕たちは、すれ違うことも多いけれど根っこの部分ではとてもよく似た生き物だ。
太陽を見て「あれは太陽だ」と思って、誰かの笑顔を見て「笑ってる」と理解する。
今日はあったかいとか、天気がいいとか、そういう同じ定規を心に持っている。
価値観が違っても、そんな「普通」を共有している。
「遅かったねエーテル。ちょっと心配したよ」
「エーテル、この後どうするんだ」
カジャとロザニイルが通路の先で手を振って、一緒に扉を開ける。
ノウファムには気付いていないようだ。
部屋の中には、懐かしい光があった。
時計盤の動かない針先に燈って明滅する淡い光――僕の記憶の一部。
僕が手のひらを上に向けて近づけると、光はふわっと飛んできて、溶けるみたいに消えていった。
「エーテル、今のなんだ? 平気? ……貴重な魔導具だなあ。古い……光みたいなのがお前にぶつからなかった? 大丈夫?」
ロザニイルが時計盤をこわごわと覗き込んで、カジャが止めている。
「エーテル」
カジャの銀色の眼差しは、僕の指に向いていた。
ノウファムと違って臣従の指輪が填められたままであるのを確認して、その唇が弧を描く。
「時間は戻さず、このまま生きるといい。《お前は、そのまま幸せにおなり》……」
魔力の籠った命令に、僕は息を呑んだ。繋いだ指先から、ノウファムの震えが感じられる。
ほら、ノウファム。
カジャはこういう奴なんだ。
カジャは憑き物が落ちたような顔で微笑む。
「私が思うに、今回の世界はとても好いね。北西の猛吹雪も抑えられ、世界樹も健在で浄化力が戻っているし、大森林の妖精族も無事だ。滅ぼす予定の獣人の国だって、火山も噴火せず変革の方針を掲げたのだろう?」
僕はコクリと頷いた。
「このまま穢れを減らし浄化を進めていけば、僕たちは生きていけるかもしれない」
「ふふ、お兄様とお前も、良い仲になったのだろう? そのまま幸せにおなり」
真っ白な僕の友人は、明るく美しい未来を疑わないのだという眼で笑った。
「だから、帰ろうか。最期に友人とこの部屋で話せたのは、とても嬉しかったよ」
時計盤を振り返ることなく、カジャはさっさと部屋から出て行った。
「おい、王様! 陛下!」
ロザニイルが慌てて追いかけて、僕は動かない透明なノウファムをくいくいと引っ張った。
ノウファムはきっと、今も、迷っているんだ――そう感じたから。
「時間を巻き戻さなくても、みんなで幸せになれるんじゃないかな……」
呟く声が独り言みたいに虚しく響いて、けれどそこには聞き手が間違いなくいる。
「ノウファム様は、ここでこの世界を終わる予定ではなかったのでしょう? この世界を救うために、色々な努力をなさっていらしたのでしょう? 未来のために、その……あちらこちらで妙な鐘を創らせたり、寄り道隊とやらを派遣したりなさっていたのではありませんか。これからのことを考えていらっしゃるんですよね?」
「……そうだ」
ぽつりと声が虚空から聞こえて、僕は嬉しくなった。
最初に知り合った時よりも世間擦れしたようになって、少し低いトーンの声。
でも、僕はそんな彼の声が好きなんだ。
「僕の陛下。僕の殿下。僕のお兄様――僕のノウファム」
甘えるように手を持ち上げて、視えない手を探って唇をつけると、ぴくりと確かな反応が感じられた。
「僕、お手伝いしますから……」
◇◇◇
白い通路を逆行して、部屋に戻るとネイフェンが追い詰められていた。
「坊ちゃんたち、の、逃れられたと思っておりましたが……っ!?」
焦燥の濃い表情に、僕は申し訳なくなった。
「いやあ、オレも外に通じてる通路かなって思ったらさ、行き止まりでさあ~、こういうことあんのな!」
「ロザニイル様、あまりに緊張感のない……っ」
カジャが思わずといった顔で口元に手をあてて笑っている。
「ノウファム様?」
手を揺らしてそっと呼びかけると、ノウファムは頷いてくれた。
「皆の者、剣をおさめよ」
姿を現して、若干きまり悪そうにしながらノウファムが制止の声を響かせると、誰より先にカジャが変な声をあげていた。
うひゃぁ、みたいな、いつも上品なカジャがあげそうにないような素っ頓狂な声で、まるでお化けにでも会ったみたいだった。
「殿下!?」
「ノウファム殿下、これはどういう状況ですかな!?」
解釈に困る臣下たちをノウファムが余裕を湛えた表情で順に視る。
いかにも落ち着いていますって感じの顔だけど、僕が握る手には汗がにじんでいる――内緒にしておいてあげよう。
――もう少し相談というものを覚えてくれたら、なぁ。今後の僕の新たな課題にしてみようか。
以前の僕がよくしていたように『ノウファム改善計画』を思わず胸の中で練ってしまいつつ、僕は軽く息を紡いでノウファムに抱き着いた。
「……っ?」
困惑する気配に愛しさが湧く。
「僕が我儘を申したのです。直接、仕返しをしてあげたくて」
体重を全部思い切り預けても揺らがない胸板に甘えるように顔を押し付けてから部屋の中にいる兵士たちに視線を流すと、すごくびっくりした顔で――ちょっと頬を赤くしてる人もいる。
僕は調子に乗って片手をノウファムの頬に滑らせた。
猛獣を手懐けるように優しく頬を撫でると、ノウファムは凛々しい眉根をきゅっと寄せた。
そして、頬を撫でていた僕の手を口元に運んで「おいた」を嗜めるみたいに甘噛みした。
「……処刑するなら僕にさせてくださいって駄々をこねたら、ノウファム様はお願いをきいてくださいました。すぐには無理だからお部屋で待っていろと言われたのですけど、待ちきれなくて……」
楚々とした風情で過激なことを口にすると、部屋の中に動揺が溢れた。
「皆さん、もしかして僕がカジャ陛下を逃がすとでも思われたのですか? そんなわけ、ないではありませんか」
記憶のあった頃に得意だった強気な表情を浮かべてやれば、兵士たちは口をぽかんとあけている。
僕が虫一匹殺さないような、病弱で優しいお姫様だとでも思っていたのだろうか。
ノウファムは意を汲んでか片手で僕の腰骨を愛でるように摩って、親密さをアピールしてくれている。多分。
「カジャ陛下にいっぱい苛められたのですもの。僕は気高き魔女家の公子として、家の名誉のためにも、やり返さないと示しがつかぬと思いまして……んっ……?」
喋りかけの口を塞ぐように吐息が奪われて深い口付けがされると、周囲が目に入らなくなった。
熱い粘膜同士が絡み合い、口の中に唾液が溢れる。
衝動のままに食いつかれたような口付けは意外に控え目で優しくて、甘かった。
片手でくしゃりと髪が乱されて、乱した後で整えるようにゆっくりと穏やかに梳きながら、甘えるように舌を絡められる。
――気持ちいい。
「へっ、あ……殿下……」
兵士たちがおろおろと目を覆ったりしている。周囲を意識してしまうと、ちょっと恥ずかしい――、
「……はぁっ」
唇が解放されて息を継ぐ僕の背中をとんとんと宥めるようにして、ノウファムは臣下たちに視線を巡らせた。
「そんなわけなので、騒がせてすまなかった。あとは……モイセスの手製のぬいぐるみが暴走しているのだったか? つまりモイセスも悪いな、よし。モイセスは責任を取って事態をおさめよ」
「殿下ぁっ!?」
――モイセス、可哀そう。
僕はこっそりとモイセスに同情したのだった。
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