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襲われた痕
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「美緒、仕事行ってくるから。お昼は冷蔵庫に入れといたから」
「……」
「じゃ…行ってくるから」
「…うん…」
ドアが締まり施錠された後、足音が遠ざかって行くのを、美緒は布団の中でぼんやりと聞いていた。美緒がアパートを引き払ってから一月余り。日差しは夏の勢いを失い、季節は九月へと移っていた。
あれから美緒は、会社を休職して母の元に戻っていた。フードを被った人物に襲われてパニックになった美緒は、腕に怪我をしていたため病院に運ばれたが、その後病院で目覚めると、泣きながら母親に電話を入れたのだ。
便りがないのはいい便りと思っていた母親は、急に泣いて電話をかけてきた娘に何事かと驚き、泣きじゃくって何を聞いても要領を得ない娘に戸惑った。その場にいた朱里が代わりに事情を説明し、母親は直ぐに病院に駆けつけて、そこでこれまでの経緯を聞いて大いに驚いた。あんなに男性不信と男嫌いをこじらせていた意地っ張りの娘が、就職した会社の社長の息子と付き合っていると言うのだ。驚かない方が無理だろう。
美緒は抵抗した時に腕に数針縫うほどの怪我をしたが、傷自体は浅かった。ただ、事件で受けた恐怖は思った以上に大きかったようで、外出すらも出来なくなってしまった。アパートを引き払った美緒は、セキュリティ的にも安全だからと小林のマンションで過ごす様に言われたのだが、マンションの中に入る事が出来なくなっていた。ロビーまで行くと過呼吸を起こしてしまい、そこから先に進めなかったのだ。何度か試したがどうにもならず、結局、暫く離れた方がいいだろうと医者に言われた美緒は、実家とも言える母のアパートに帰って来たのだ。
母の元に戻って来た美緒は、一時完全な引きこもりになってしまった。これではだめだとは思うし、出かけようとは思うのだが、外が怖くて仕方なかった。出かけようと思うだけで心拍数が上がり、玄関のドアを開けようとすると身体が震えて一歩が踏み出せなかった。外に出ても、フード付きの服を見かけると恐怖で動けなくなってしまう。こんなに自分は弱かっただろうか、そんな筈はなかったのに…と思うのだが、身体も心も美緒の思い通りに動いてくれなかった。
それでも、紹介して貰った精神科に通っているお陰か、徐々に落ち着きを取り戻してきた。今は泣いて目覚める事も無くなったし、パニックになる事もない。近くの公園やコンビニまでは一人でも行けるようになった。
既に一か月以上経っているから、そろそろ職場に戻るか退職するか、決めなければいけないだろう。会社からは事情が事情なだけに休職扱いになり、無理しない様に言われている。美緒のポジションは短期の派遣などで対応していると聞くし、いつでも戻ってこられるようにしてあると言われた。
ただ…今の美緒には、会社に戻る自信がなかった。
その理由は小林にあった。あの日、フードを被った人物から美緒を庇った小林は、その身に深く刃を受けて大怪我を負ったのだ。出血が酷く、一時は危険だと言われるほどだったと言う。
パニックを起こした美緒が落ち着き、話が出来るようになってようやく小林の状況を知ったが、美緒は怖くて小林に会いに行けなかった。何度か会いに行こうとしたのだが、小林の病室が近づくとパニックを起こしてしまったのだ。結局、一度も会いに行けないまま退院してしまい、マンションにも戻れず、母親の元に来てしまった。つまり美緒は、あの日以来、小林に会っていなかった。
この様な経緯があったのもあり、美緒は自分が酷く薄情で恩知らずのように感じてしまい、今更どんな顔をして会えばいいのか…という思いにとらわれていた。朱里や鋭をはじめとする小林家の人からもお見舞いを頂いたし、朱里からは数日に一度連絡もあるが、肝心の小林からの連絡は全くなかった。
美緒は一度だけ朱里から、小林の詳しい状況を聞いた。あれは二週間ほど経った頃で、その時の小林はまだ入院中だったが、傷も塞がって体調も良く、もう少しで退院出来ると言っていた。あれから二週間が経っているので、もう退院している筈だ。だが小林からの連絡はなく、それが一層美緒を躊躇させていた。
のろのろと起き出した美緒は野菜ジュースを飲むと、着替えて近くの公園までの散歩に出た。これも医者に勧められたリハビリの様なものだ。特に何かをする必要はなく、ただ公園などに行って時間を潰し、外に出る事に慣れるだけのもの。今はまだ暑いから、美緒は午前中の涼しい時間帯を選んで外に出た。
公園は人も少なく、見かけるのは犬の散歩や掃除ボランティアの年配の方ばかりだった。この時間帯は学校や仕事の時間だから、人も少なくて美緒にとっても気が楽だった。退院して間もない頃に一度夕方に来た事があったが、その時には子供やジョギングや散歩をする大人で賑わっていて、まだ人に恐怖感があった美緒は一目散に帰ってしまったのだ。それ以来、来るのは午前中と限定していた。
木々に隠れたベンチに座って、美緒は深呼吸をした。人がいる場所にいると不安があるが、ここだとこちらからは相手の姿が見えるが、向こうからは見えにくいため、今の美緒には格好の場所だった。ぼんやりと人の往来を眺めながらペットボトルのお茶を飲もうとして痛みを感じ、美緒は顔をしかめた。ナイフで切られた傷が傷んだのだ。傷は閉じたし触っても痛みは殆どないが、時折腕を曲げた時に痛む時があった。痛みを吐き出すように、美緒は大きく息を吐いた。
いっそこっちに戻って就職し直そうか…最近美緒は、そんな風に思うようになっていた。元の会社に戻れば、多くの人の目に晒されるのは明白で、それに耐えられる自信がなかった。一度根付いた他人への恐怖感は中々消えず、そのせいで知っている相手ですらも不安を感じてしまう。それに、あちらに戻ればまた小林の婚約者として狙われる可能性がある…
そしてそれ以上に、小林にどう連絡を取ればいいのかわからなくなっていた。アパートの荷物は小林のマンションに運び込まれているから、こっちに戻るにしても連絡を取らなければいけないのだが、それが酷く難しい事のように思えた。自分のせいで怪我をしたのに見舞いもしなかった自分を、小林は薄情だと呆れ、怒っているのだろう…あんなに鬱陶しいくらいに付きまとっていたのに、今は全く音沙汰がないのがその証拠だ…はぁ…ともう何度目かわからないため息を付いた美緒は、所在なく家に戻った。
部屋に戻ると、疲労感がどっと押し寄せた。数日の入院で酷く体力が落ちた気がしたが、その後の引きこもり生活で一層体力がなくなったと思う。今は家事などを母親に変わってやっているだけだが、これでもマシになった方だ。
当初は殆どを布団の上で寝転がって過ごしていた。テレビやネットにも興味が湧かず、ぼんやりして過ごすばかりで、ここにきてから買った、触り心地のいい抱き枕にしがみ付いている時だけは、気持ちが落ち着いた。その頃に比べたらかなりの進歩だと思う。
朱里から連絡があったのは、その日の晩だった。ぼんやりしていた美緒は、急に鳴った着信音にも動揺したが、スマホの表示が朱里と示した事で一層身を固くした。小林に関係するものはまだ美緒には不安要素だったのだ。
「もしもし…」
「美緒?元気にしている?」
「うん、大丈夫…」
不安を感じた美緒だったが、朱里は今までと変わりなく気さくに話しかけてきて、美緒は心の中でほっと安堵のため息を吐いた。以前はあんなに何でも言いたい事を言っていたのに、今は相槌を打つばかりでそんな自分が申し訳ないくらいだ。一方で小林との縁がまだ切れずにいる事に安心する自分がいて、美緒を戸惑わせた。
「それでね、巧が…美緒に会いたいって言ってるの」
たわいのない近況を話していた朱里から、急に小林の名前が出て、美緒は胸の鼓動が一際大きく跳ねたのを感じた。スマホを持つ手が震え、汗がにじんだ。
「近いうちにそっちに行くと思うから…出来れば…会ってあげて欲しいの。彼、かなり落ち込んでて…」
それからの朱里の話は、美緒の頭には入らなかったし、何て答えたのかも覚えていなかった。小林が落ち込んでいるという事は分かったが、その理由がわからなくて戸惑い、そこで思考が停止してしまったからだ。小林は自分のせいで怪我を負ったのに、美緒は見舞いにも行かなかった。そんな自分に愛想を尽かしたのではなかったのか…それに、どうして小林が落ち込むのかも美緒にはわからなかった。あの事件は小林のせいじゃないし、彼は美緒を守ってくれたのだ。自分が落ち込むなら分かるが…
それからの美緒は、落ち着かない日々を過ごした。いつ来るのか、連絡があるのかもわからず、不安だけが募った。先に電話かメッセージを送ってくるだろうか…そう思うとスマホから離れる事が不安なのに、待っている時間が酷く辛く感じられた。いっそスマホの電源を落としてしまった方が楽だろうかと思うが、その間に連絡があったら…と思うと思い切れなかった。結局、トイレに行くにもお風呂に入るにも、近くにスマホを置いておかなければ落ち着かず、でも何時鳴るだろうと不安になった。
それに、会って何て言えばいいのだろう…そう思うと逃げ出したくなった。お礼を言うべきなのだろうか…それとも見舞いにも行かなかった事を詫びるのが先だろうか…荷物の事も話さなきゃいけないし…と美緒はそれらを考えるだけでも混乱し、落ち着かなかった。
いつまでも逃げている訳にもいかないだろう。医者も母も小林の関係者もみんな、無理しなくていい、ゆっくり治そうと言ってはくれる。
でも、会社だっていつまでも休めないし、母一人を働かせて自分だけ引きこもっている事への罪悪感も募ってきて、それが美緒のストレスにもなっていた。あの事件の詳細やその後の事も、美緒は何も聞いていない。それらは美緒の負担になるからと、周りが話さなかったのもあるが、それ以上に美緒は怖くて聞けなかったからだ。
「……」
「じゃ…行ってくるから」
「…うん…」
ドアが締まり施錠された後、足音が遠ざかって行くのを、美緒は布団の中でぼんやりと聞いていた。美緒がアパートを引き払ってから一月余り。日差しは夏の勢いを失い、季節は九月へと移っていた。
あれから美緒は、会社を休職して母の元に戻っていた。フードを被った人物に襲われてパニックになった美緒は、腕に怪我をしていたため病院に運ばれたが、その後病院で目覚めると、泣きながら母親に電話を入れたのだ。
便りがないのはいい便りと思っていた母親は、急に泣いて電話をかけてきた娘に何事かと驚き、泣きじゃくって何を聞いても要領を得ない娘に戸惑った。その場にいた朱里が代わりに事情を説明し、母親は直ぐに病院に駆けつけて、そこでこれまでの経緯を聞いて大いに驚いた。あんなに男性不信と男嫌いをこじらせていた意地っ張りの娘が、就職した会社の社長の息子と付き合っていると言うのだ。驚かない方が無理だろう。
美緒は抵抗した時に腕に数針縫うほどの怪我をしたが、傷自体は浅かった。ただ、事件で受けた恐怖は思った以上に大きかったようで、外出すらも出来なくなってしまった。アパートを引き払った美緒は、セキュリティ的にも安全だからと小林のマンションで過ごす様に言われたのだが、マンションの中に入る事が出来なくなっていた。ロビーまで行くと過呼吸を起こしてしまい、そこから先に進めなかったのだ。何度か試したがどうにもならず、結局、暫く離れた方がいいだろうと医者に言われた美緒は、実家とも言える母のアパートに帰って来たのだ。
母の元に戻って来た美緒は、一時完全な引きこもりになってしまった。これではだめだとは思うし、出かけようとは思うのだが、外が怖くて仕方なかった。出かけようと思うだけで心拍数が上がり、玄関のドアを開けようとすると身体が震えて一歩が踏み出せなかった。外に出ても、フード付きの服を見かけると恐怖で動けなくなってしまう。こんなに自分は弱かっただろうか、そんな筈はなかったのに…と思うのだが、身体も心も美緒の思い通りに動いてくれなかった。
それでも、紹介して貰った精神科に通っているお陰か、徐々に落ち着きを取り戻してきた。今は泣いて目覚める事も無くなったし、パニックになる事もない。近くの公園やコンビニまでは一人でも行けるようになった。
既に一か月以上経っているから、そろそろ職場に戻るか退職するか、決めなければいけないだろう。会社からは事情が事情なだけに休職扱いになり、無理しない様に言われている。美緒のポジションは短期の派遣などで対応していると聞くし、いつでも戻ってこられるようにしてあると言われた。
ただ…今の美緒には、会社に戻る自信がなかった。
その理由は小林にあった。あの日、フードを被った人物から美緒を庇った小林は、その身に深く刃を受けて大怪我を負ったのだ。出血が酷く、一時は危険だと言われるほどだったと言う。
パニックを起こした美緒が落ち着き、話が出来るようになってようやく小林の状況を知ったが、美緒は怖くて小林に会いに行けなかった。何度か会いに行こうとしたのだが、小林の病室が近づくとパニックを起こしてしまったのだ。結局、一度も会いに行けないまま退院してしまい、マンションにも戻れず、母親の元に来てしまった。つまり美緒は、あの日以来、小林に会っていなかった。
この様な経緯があったのもあり、美緒は自分が酷く薄情で恩知らずのように感じてしまい、今更どんな顔をして会えばいいのか…という思いにとらわれていた。朱里や鋭をはじめとする小林家の人からもお見舞いを頂いたし、朱里からは数日に一度連絡もあるが、肝心の小林からの連絡は全くなかった。
美緒は一度だけ朱里から、小林の詳しい状況を聞いた。あれは二週間ほど経った頃で、その時の小林はまだ入院中だったが、傷も塞がって体調も良く、もう少しで退院出来ると言っていた。あれから二週間が経っているので、もう退院している筈だ。だが小林からの連絡はなく、それが一層美緒を躊躇させていた。
のろのろと起き出した美緒は野菜ジュースを飲むと、着替えて近くの公園までの散歩に出た。これも医者に勧められたリハビリの様なものだ。特に何かをする必要はなく、ただ公園などに行って時間を潰し、外に出る事に慣れるだけのもの。今はまだ暑いから、美緒は午前中の涼しい時間帯を選んで外に出た。
公園は人も少なく、見かけるのは犬の散歩や掃除ボランティアの年配の方ばかりだった。この時間帯は学校や仕事の時間だから、人も少なくて美緒にとっても気が楽だった。退院して間もない頃に一度夕方に来た事があったが、その時には子供やジョギングや散歩をする大人で賑わっていて、まだ人に恐怖感があった美緒は一目散に帰ってしまったのだ。それ以来、来るのは午前中と限定していた。
木々に隠れたベンチに座って、美緒は深呼吸をした。人がいる場所にいると不安があるが、ここだとこちらからは相手の姿が見えるが、向こうからは見えにくいため、今の美緒には格好の場所だった。ぼんやりと人の往来を眺めながらペットボトルのお茶を飲もうとして痛みを感じ、美緒は顔をしかめた。ナイフで切られた傷が傷んだのだ。傷は閉じたし触っても痛みは殆どないが、時折腕を曲げた時に痛む時があった。痛みを吐き出すように、美緒は大きく息を吐いた。
いっそこっちに戻って就職し直そうか…最近美緒は、そんな風に思うようになっていた。元の会社に戻れば、多くの人の目に晒されるのは明白で、それに耐えられる自信がなかった。一度根付いた他人への恐怖感は中々消えず、そのせいで知っている相手ですらも不安を感じてしまう。それに、あちらに戻ればまた小林の婚約者として狙われる可能性がある…
そしてそれ以上に、小林にどう連絡を取ればいいのかわからなくなっていた。アパートの荷物は小林のマンションに運び込まれているから、こっちに戻るにしても連絡を取らなければいけないのだが、それが酷く難しい事のように思えた。自分のせいで怪我をしたのに見舞いもしなかった自分を、小林は薄情だと呆れ、怒っているのだろう…あんなに鬱陶しいくらいに付きまとっていたのに、今は全く音沙汰がないのがその証拠だ…はぁ…ともう何度目かわからないため息を付いた美緒は、所在なく家に戻った。
部屋に戻ると、疲労感がどっと押し寄せた。数日の入院で酷く体力が落ちた気がしたが、その後の引きこもり生活で一層体力がなくなったと思う。今は家事などを母親に変わってやっているだけだが、これでもマシになった方だ。
当初は殆どを布団の上で寝転がって過ごしていた。テレビやネットにも興味が湧かず、ぼんやりして過ごすばかりで、ここにきてから買った、触り心地のいい抱き枕にしがみ付いている時だけは、気持ちが落ち着いた。その頃に比べたらかなりの進歩だと思う。
朱里から連絡があったのは、その日の晩だった。ぼんやりしていた美緒は、急に鳴った着信音にも動揺したが、スマホの表示が朱里と示した事で一層身を固くした。小林に関係するものはまだ美緒には不安要素だったのだ。
「もしもし…」
「美緒?元気にしている?」
「うん、大丈夫…」
不安を感じた美緒だったが、朱里は今までと変わりなく気さくに話しかけてきて、美緒は心の中でほっと安堵のため息を吐いた。以前はあんなに何でも言いたい事を言っていたのに、今は相槌を打つばかりでそんな自分が申し訳ないくらいだ。一方で小林との縁がまだ切れずにいる事に安心する自分がいて、美緒を戸惑わせた。
「それでね、巧が…美緒に会いたいって言ってるの」
たわいのない近況を話していた朱里から、急に小林の名前が出て、美緒は胸の鼓動が一際大きく跳ねたのを感じた。スマホを持つ手が震え、汗がにじんだ。
「近いうちにそっちに行くと思うから…出来れば…会ってあげて欲しいの。彼、かなり落ち込んでて…」
それからの朱里の話は、美緒の頭には入らなかったし、何て答えたのかも覚えていなかった。小林が落ち込んでいるという事は分かったが、その理由がわからなくて戸惑い、そこで思考が停止してしまったからだ。小林は自分のせいで怪我を負ったのに、美緒は見舞いにも行かなかった。そんな自分に愛想を尽かしたのではなかったのか…それに、どうして小林が落ち込むのかも美緒にはわからなかった。あの事件は小林のせいじゃないし、彼は美緒を守ってくれたのだ。自分が落ち込むなら分かるが…
それからの美緒は、落ち着かない日々を過ごした。いつ来るのか、連絡があるのかもわからず、不安だけが募った。先に電話かメッセージを送ってくるだろうか…そう思うとスマホから離れる事が不安なのに、待っている時間が酷く辛く感じられた。いっそスマホの電源を落としてしまった方が楽だろうかと思うが、その間に連絡があったら…と思うと思い切れなかった。結局、トイレに行くにもお風呂に入るにも、近くにスマホを置いておかなければ落ち着かず、でも何時鳴るだろうと不安になった。
それに、会って何て言えばいいのだろう…そう思うと逃げ出したくなった。お礼を言うべきなのだろうか…それとも見舞いにも行かなかった事を詫びるのが先だろうか…荷物の事も話さなきゃいけないし…と美緒はそれらを考えるだけでも混乱し、落ち着かなかった。
いつまでも逃げている訳にもいかないだろう。医者も母も小林の関係者もみんな、無理しなくていい、ゆっくり治そうと言ってはくれる。
でも、会社だっていつまでも休めないし、母一人を働かせて自分だけ引きこもっている事への罪悪感も募ってきて、それが美緒のストレスにもなっていた。あの事件の詳細やその後の事も、美緒は何も聞いていない。それらは美緒の負担になるからと、周りが話さなかったのもあるが、それ以上に美緒は怖くて聞けなかったからだ。
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