子守を引き受けただけなのに、その保護者から不審者扱いされています

四葉るり猫

文字の大きさ
上 下
36 / 47

新しい生活

しおりを挟む
「お~い、サラ、エールもう一杯!」
「俺は咆哮ヤギのステーキ、二枚追加な!」
「あ、俺は三枚よろしく!」
「はい、はい、はーい!」

 まだ日も高い昼食時間にも関わらず、その食堂は酒と料理の香りに満たされていた。その中を小柄な茶髪の少女がくるくると行き交い、注文の品をてきぱきと届けていた。

 ここはエッガー子爵領とファレル辺境伯領の境にある宿場町バラクで、理緒はこの街のこの店で、名と姿を変えて住み込みで働いていた。

 あれから理緒は、無事に暗闇に紛れて辺境伯の屋敷を抜け出した。そのまま元居た街に戻ろうかとも思ったがそこは辺境伯のお膝元でもあり、いなくなったと分かれば直ぐに調べられると踏んだ理緒は、その街には向かわなかった。これまでの貴族教育でこの辺の地理をある程度理解した理緒は、辺境伯領にいるのは危険だと感じ、そこから離れて隣のエッガー子爵の領地まで逃げてきたのだ。
 一時は隣国にわたる事も考えたが、国境を超えるには身元保証書が必要で、それがない理緒には難しいと思われた。そもそも辺境伯が向かったのが国境だ。下手に国境を越えようとすれば、かえって目立つかもしれない。
 そこで隣の領地まで来たのだが、王都に向かう街道沿いは辺境伯が上京する際に通る可能性もあり危険な気がした。そこで、王都ではなく、別の領地に向かう街道沿いの街に向かう事にしたのだ。
 ここバルクの街は、ファレル辺境伯領から王都に向かう街道から逸れ、エッガー子爵領へと続く街道沿いにあったが、その先には別の隣国と繋がっていて人の往来も多く、また髪や目、肌の色が多様な街でもあった。木は森に隠せとも言うし、隠れるなら人の動きがあって見た目も多様な方がいい。
一月掛けてこの街に辿り着いた理緒は、ここに来るまでに寄った街で買ったかつらや女の子用の服などで変装し、ただの村娘サラとして生活していた。




「は~今日も繁盛繁盛!サラ、お疲れ~」
「エステルさんもお疲れ様です。今日も大繁盛でしたね」

 人の波が去った店内は、まだ皿やグラスがテーブルに乗ったままだったが、そんな店内を眺めて理緒―ここではサラ―に声をかけたのは、この店の店主のエステルだった。

「は~サラのお陰で何とかなったわ~今日は特に忙しかったし」
「咆哮ヤギのいいのが入ったからでしょう。エステルさんのステーキ、とっても美味しいですから」
「サラに褒められると嬉しいねぇ。さ、こっちもお昼にしよう」

 エルテルは理緒の母親よりも少し年上に見える、この店を営む肝っ玉母さんと言った風の女性だ。夫は冒険者だったが、魔獣に襲われた仲間を庇って亡くなり、それからは女手一つでこの店を切り盛りしながら二人の息子を育ててきたという。息子は既に成人し、エッガー子爵領の中心街に出て、騎士と商人見習いとして働いているらしい。給仕の女性が腰を痛めて辞めてしまい、一人でてんてこ舞いだったところに、食事に寄った理緒が居合わせて手伝った縁で、ここで働かせてもらう事になったのだ。住むところもないという理緒にエステルは、息子たちが出て行って部屋が余っているからここに住めばいい、と住むところまで提供してくれたのだ。

「う~ん、エステルさんの咆哮ヤギの煮込みシチューも最高!」
「そうかい?」
「はい!これ、お昼のメニューでも十分いけるんじゃないですか?」
「そうかなぁ?シチューはあんまり人気がないけど…」
「そうですか?でも、野菜も一緒に摂れるし、身体にもいいと思うんですけどねぇ…あ、小さめの固パンを入れたらどうでしょう?」
「固パンを?」
「ええ、あれって固すぎるし味気ないでしょ?でも、シチューに浸ければ柔らかくなるし、味が染みて美味しいと思うんですよね」
「なるほどねぇ…それは思いつかなかったわ」
「ほら、こんな感じです!」

 そういうと理緒は、キッチンの奥にあった固パンを取り出して、エステルのシチューに放り込んだ。

「…どうです?」
「…!う、美味い!うん、これならいけるかも!サラ、あんた凄いねぇ!」
「たまたまですよ~古くなった固パンどうしようかと思ってた時に思いついたんです」
「そっか!でもいいアイデアだね。明日から早速やってみようか!」
「はい!」

 賄いをたべながら、理緒はこの日も無事に過ごせている事に感謝した。逃げた直後はどうなるかと不安が大きかったが、ここに雇われて既に一月が経ち、その生活はこの世界に来てから一番充実していた。
 あれから辺境伯の追手が来るのでは…と理緒は落ち着きのない日を過ごしていたが、領地にはそれぞれに領主がいて、よその領地への手出しは厳禁だという。幸いにも追手らしき姿も見られず、理緒は完全にこの街に溶け込んでいた。これまでは治安の問題もあって男の子の姿で過ごしていたが、ここでは元の世界にいた時のように普通の女の子として過ごせているのも理緒の気持ちを楽にしてくれていた。
 エステルは訳ありと知った上で、言いたくなったら言えばいい、でも無理には聞かないと言って置いてくれている。顔見知りの客とも世間話に花を咲かせるほどには馴染み、理緒はここでの生活が長く続く事を祈っていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

転生したら使用人の扱いでした~冷たい家族に背を向け、魔法で未来を切り拓く~

沙羅杏樹
恋愛
前世の記憶がある16歳のエリーナ・レイヴンは、貴族の家に生まれながら、家族から冷遇され使用人同然の扱いを受けて育った。しかし、彼女の中には誰も知らない秘密が眠っていた。 ある日、森で迷い、穴に落ちてしまったエリーナは、王国騎士団所属のリュシアンに救われる。彼の助けを得て、エリーナは持って生まれた魔法の才能を開花させていく。 魔法学院への入学を果たしたエリーナだが、そこで待っていたのは、クラスメイトたちの冷たい視線だった。しかし、エリーナは決して諦めない。友人たちとの絆を深め、自らの力を信じ、着実に成長していく。 そんな中、エリーナの出生の秘密が明らかになる。その事実を知った時、エリーナの中に眠っていた真の力が目覚める。 果たしてエリーナは、リュシアンや仲間たちと共に、迫り来る脅威から王国を守り抜くことができるのか。そして、自らの出生の謎を解き明かし、本当の幸せを掴むことができるのか。 転生要素は薄いかもしれません。 最後まで執筆済み。完結は保障します。 前に書いた小説を加筆修正しながらアップしています。見落としがないようにしていますが、修正されてない箇所があるかもしれません。 長編+戦闘描写を書いたのが初めてだったため、修正がおいつきません⋯⋯拙すぎてやばいところが多々あります⋯⋯。 カクヨム様にも投稿しています。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

悪役令嬢?いま忙しいので後でやります

みおな
恋愛
転生したその世界は、かつて自分がゲームクリエーターとして作成した乙女ゲームの世界だった! しかも、すべての愛を詰め込んだヒロインではなく、悪役令嬢? 私はヒロイン推しなんです。悪役令嬢?忙しいので、後にしてください。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~

紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。 ※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。 ※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。 ※なろうにも掲載しています。

処理中です...