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理不尽からの脱出
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無駄に手厚い世話のお陰もあってか、理緒は目覚めて十日もするとすっかり体調が元に戻った。前回のガルシェの時とは大きく違う回復ぶりに、理緒自身が戸惑うほどだった。矢傷は治癒魔法で治してもらったとかで傷跡の欠片も残っていなかったし、栄養価の高い物を食べさせて貰っているせいか、前よりも体重も増えた様に思う。こちらの世界で食べるにも困る生活でガリガリに痩せていた理緒だったが、この頃になってようやく以前の体型に戻ったように感じた。
そこまではよかったのだが、体調が回復すると今度は、貴族としての教育だと言って複数の教師を紹介された。まずは基本的な事からと言いながらも、五人の教師を紹介された時、理緒は本気で逃げ出そうかと思った。この世界の一般常識がないから、自身の正体がバレそうで不安になったのだ。
向こうにはない魔法があるだけでも、「向こうの常識こちらの非常識」になりそうで不安しかない。もし根本的なところで違っていた場合、自分の中でそれを矯正し切れるだろうか…と理緒は紹介されながらも頬が引きつるのを抑えられなかった。
勉強は、朝食後から夕食までの時間、途中で昼食と休憩を挟んで、みっちりとスケジュールが組まれていた。理緒のペースに合わせてと言いながら教師達は容赦がなく、昼食やお茶の休憩時間もマナーの授業も同然で、理緒の心が休まる余裕は皆無だった。
理解出来ないと翌日の授業に影響するため復習も欠かせず、気が付けば寝る直前まで勉強している始末だ。詰め込み過ぎて、頭に入っていない気がする…
しかも元の世界の常識との違いを修正するという補正作業付きは想像以上に厄介だった。これなら一からやった方がずっと覚えられるだろうな…と理緒はしみじみ思った。
そんな生活が二週間ほど続くと今度はレポートの提出を要求されるようになったが、これが理緒を苦しめた。文字は読めるのだが、日本語のようにすらすら書くほどの力はまだなかったからだ。しかも複数の教師がそれぞれに課題を出すため、睡眠時間を削ってやらなければ終わらないのだ。一度教師にその旨を告げてもう少し減らして貰えないかとお願いしたが、時間がない、甘えた態度は自分だけでなく辺境伯の恥にもなると言われてしまうと、それ以上強く言えなかった。
のだが…
「リオ様、こんな事もご存じないのですか?」
「このレポートですが…汚い上に間違いが多すぎて読むに耐えません。せめて文字くらいきちんと書いて頂きませんと…採点の仕様もございませんわ」
「全く…辺境伯様がどうか頼むと仰るから引き受けましたが…辺境伯様に恥をかかせるおつもりですか?」
一事が万事この様な感じで、そんな生活が続くと理緒はさすがにやさぐれた。睡眠時間はほぼなくなり、毎日ぼんやりした頭で授業を受けるのだが、そのせいでミスが増えてしまい、それで一層教師に強く責められるという悪循環に陥ったのだ。
怒鳴ったり詰ったりは最初の段階で当然になったが、最近は抓られたり、鞭で打たれたりするのだ。場合によっては食事まで抜かれ、しかもそれを見ているお付きの侍女があからさまに馬鹿にするのが理緒の心を抉った。侍女たちの態度が最近では我慢がならないくらい悪かったのも、理緒を大いに悩ませていた。
しかも休みという概念がないのか、ここ二ヶ月近く休みを貰った覚えがない。自由時間などないも同然で、当然ルイ達との面会も出来ず、彼らがどうしているのかもわからなかった。また、辺境伯も忙しいのか顔を見せる事はなく、理緒は好きでこうなったわけでもないのに…と不満を募らせる一方だった。
「うん、出て行こう」
理緒がそう決断するのに時間はかからなかった。元より望んでこうなったわけではなく、元々冒険者に戻りたいとずっと思っていたのだ。ここにいて欲しいのはそっちなのに、どうして自分がこうも責められ、辛い日々を送らねばならないのか…そう思ったら逃げるという選択肢を選ぶのに時間はかからなかった。
一番の懸念だったルイは最近顔も見ていないが、この様子ならエルシー一家のお陰で何とかやっているのだろうと思われた。出来れば最後に挨拶くらいは…と思ったが、それが叶わない事は理解していたし、アレンやキャロルがいれば出て行っても差しさわりはないだろう。
それに辺境伯も全く現れないのだから、自分の事などどうでもいいのだろう。文句を言ってやろうと侍女を通して面会を求めたが、何の返事もなかったのがその証拠だ。婚姻の契約のせいで変わっていた髪や目の色も、今は殆ど元に戻っていた。
侍女たちの会話から、辺境伯は三日後に一週間ほど国境地帯に視察に出るという。それならチャンスは今かもしれないと思った理緒は、辺境伯が視察に出た日の夜に脱出を決行する事にした。
辺境伯が騎士団を率いて国境に向かった日、理緒は見送りをする必要があるのかと思っていたが、いつも通り授業一色の一日になった。もしかしたら見送りなどがあって授業がなくなるのでは…と期待していたのだが、その期待は不発に終わった。一方で、いつもと同じなら逆に他に人の行動がよめるために好都合だった。
「おやすみなさいませ」
そう言って部屋を出て行った侍女の足跡が聞こえなくなるのを待って、理緒は手を止めた。今日もいつも通り課題の復習などが残っていて、理緒はいつも通りそれらを片付けていたのだ。怪しまれないためにも、理緒はこの日もいつも通りの行動を心がけていた。
これまで何度も夜中まで起きていため、理緒は夜の家令たちの動きをある程度把握していた。基本的に侍女は夜中に一度見回りに来るだけで、ドアを開けて中を窺うだけだった。中まで入って理緒の姿を確認した事はなく、枕や服を固めてシーツを被せれば寝ているように見えるだろう。実際、ここ数日は頭からすっぽりとシーツを被っていたが、確認しにベッド脇まで来た事はなかった。
自分の荷物は、ここに来た時に着ていた元の世界の服と持ち物、そしてこの世界で買った物だ。ローブを一着隠しておいたし、子守の給金として貰ったお金も残っていた。これだけあれば暫くは何とかなるだろう。
理緒は静かにドアを開けると、暗闇に身を預けた。
そこまではよかったのだが、体調が回復すると今度は、貴族としての教育だと言って複数の教師を紹介された。まずは基本的な事からと言いながらも、五人の教師を紹介された時、理緒は本気で逃げ出そうかと思った。この世界の一般常識がないから、自身の正体がバレそうで不安になったのだ。
向こうにはない魔法があるだけでも、「向こうの常識こちらの非常識」になりそうで不安しかない。もし根本的なところで違っていた場合、自分の中でそれを矯正し切れるだろうか…と理緒は紹介されながらも頬が引きつるのを抑えられなかった。
勉強は、朝食後から夕食までの時間、途中で昼食と休憩を挟んで、みっちりとスケジュールが組まれていた。理緒のペースに合わせてと言いながら教師達は容赦がなく、昼食やお茶の休憩時間もマナーの授業も同然で、理緒の心が休まる余裕は皆無だった。
理解出来ないと翌日の授業に影響するため復習も欠かせず、気が付けば寝る直前まで勉強している始末だ。詰め込み過ぎて、頭に入っていない気がする…
しかも元の世界の常識との違いを修正するという補正作業付きは想像以上に厄介だった。これなら一からやった方がずっと覚えられるだろうな…と理緒はしみじみ思った。
そんな生活が二週間ほど続くと今度はレポートの提出を要求されるようになったが、これが理緒を苦しめた。文字は読めるのだが、日本語のようにすらすら書くほどの力はまだなかったからだ。しかも複数の教師がそれぞれに課題を出すため、睡眠時間を削ってやらなければ終わらないのだ。一度教師にその旨を告げてもう少し減らして貰えないかとお願いしたが、時間がない、甘えた態度は自分だけでなく辺境伯の恥にもなると言われてしまうと、それ以上強く言えなかった。
のだが…
「リオ様、こんな事もご存じないのですか?」
「このレポートですが…汚い上に間違いが多すぎて読むに耐えません。せめて文字くらいきちんと書いて頂きませんと…採点の仕様もございませんわ」
「全く…辺境伯様がどうか頼むと仰るから引き受けましたが…辺境伯様に恥をかかせるおつもりですか?」
一事が万事この様な感じで、そんな生活が続くと理緒はさすがにやさぐれた。睡眠時間はほぼなくなり、毎日ぼんやりした頭で授業を受けるのだが、そのせいでミスが増えてしまい、それで一層教師に強く責められるという悪循環に陥ったのだ。
怒鳴ったり詰ったりは最初の段階で当然になったが、最近は抓られたり、鞭で打たれたりするのだ。場合によっては食事まで抜かれ、しかもそれを見ているお付きの侍女があからさまに馬鹿にするのが理緒の心を抉った。侍女たちの態度が最近では我慢がならないくらい悪かったのも、理緒を大いに悩ませていた。
しかも休みという概念がないのか、ここ二ヶ月近く休みを貰った覚えがない。自由時間などないも同然で、当然ルイ達との面会も出来ず、彼らがどうしているのかもわからなかった。また、辺境伯も忙しいのか顔を見せる事はなく、理緒は好きでこうなったわけでもないのに…と不満を募らせる一方だった。
「うん、出て行こう」
理緒がそう決断するのに時間はかからなかった。元より望んでこうなったわけではなく、元々冒険者に戻りたいとずっと思っていたのだ。ここにいて欲しいのはそっちなのに、どうして自分がこうも責められ、辛い日々を送らねばならないのか…そう思ったら逃げるという選択肢を選ぶのに時間はかからなかった。
一番の懸念だったルイは最近顔も見ていないが、この様子ならエルシー一家のお陰で何とかやっているのだろうと思われた。出来れば最後に挨拶くらいは…と思ったが、それが叶わない事は理解していたし、アレンやキャロルがいれば出て行っても差しさわりはないだろう。
それに辺境伯も全く現れないのだから、自分の事などどうでもいいのだろう。文句を言ってやろうと侍女を通して面会を求めたが、何の返事もなかったのがその証拠だ。婚姻の契約のせいで変わっていた髪や目の色も、今は殆ど元に戻っていた。
侍女たちの会話から、辺境伯は三日後に一週間ほど国境地帯に視察に出るという。それならチャンスは今かもしれないと思った理緒は、辺境伯が視察に出た日の夜に脱出を決行する事にした。
辺境伯が騎士団を率いて国境に向かった日、理緒は見送りをする必要があるのかと思っていたが、いつも通り授業一色の一日になった。もしかしたら見送りなどがあって授業がなくなるのでは…と期待していたのだが、その期待は不発に終わった。一方で、いつもと同じなら逆に他に人の行動がよめるために好都合だった。
「おやすみなさいませ」
そう言って部屋を出て行った侍女の足跡が聞こえなくなるのを待って、理緒は手を止めた。今日もいつも通り課題の復習などが残っていて、理緒はいつも通りそれらを片付けていたのだ。怪しまれないためにも、理緒はこの日もいつも通りの行動を心がけていた。
これまで何度も夜中まで起きていため、理緒は夜の家令たちの動きをある程度把握していた。基本的に侍女は夜中に一度見回りに来るだけで、ドアを開けて中を窺うだけだった。中まで入って理緒の姿を確認した事はなく、枕や服を固めてシーツを被せれば寝ているように見えるだろう。実際、ここ数日は頭からすっぽりとシーツを被っていたが、確認しにベッド脇まで来た事はなかった。
自分の荷物は、ここに来た時に着ていた元の世界の服と持ち物、そしてこの世界で買った物だ。ローブを一着隠しておいたし、子守の給金として貰ったお金も残っていた。これだけあれば暫くは何とかなるだろう。
理緒は静かにドアを開けると、暗闇に身を預けた。
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