【本編完結】【R18】体から始まる恋、始めました

四葉るり猫

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二章

これからも…

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 一月最後の金曜日、花耶は自分のアパートで麻友と久しぶりに二人きりの女子会をしていた。入籍から早くも三週間が過ぎたが、この週末は花耶のアパートを引き払って奥野のマンションに引っ越す事になっていたため、花耶は麻友を呼んでこのアパートとのお別れ会をしていたのだ。
 あれから奥野は、さっさと花耶のアパートの退去手続きをしてしまった。夫婦は同居の義務があるからというのが彼の言い分だが、何の事はない、一刻も早く花耶を自分の手元に囲い込みたかっただけよ、と麻友に言われた。身も蓋もない言い様だったが、反論の余地もなく花耶は苦笑するしかなかった。

「どう?新婚生活の感想は?」
「色んな事が一気に来過ぎて…消化しきれない気分…」
「…だろうね…」

 花耶の答えに、麻友も深々と頷きながら手にしていた缶酎ハイを一口飲んだ。実際、花耶は急な入籍とその後に続く手続きで、この三週間は文字通りてんてこ舞いだった。

 まず大変だったのは会社への報告だった。報告自体は奥野が先に社長たちに報告していたが、仕事始めの日には二人揃って出社し、奥野に引っ張り回される形で各部署に挨拶をして回った。急な入籍に出来婚かと聞かれて、その度に花耶にしては珍しく強く否定する羽目になった。潔癖な花耶にとってはそう言われる事も不本意だったのだ。幸いあの後で月のモノがきて妊娠は回避できたが、それ以来花耶は避妊しないならHはしません!と頑なに主張したため、今のところは問題ないと思われた。

 そしてそんな二人に、社内で奥野を狙っていた女性陣が絶望の淵に叩き落された。クリスマスの後、お揃いの指輪をしていた事から、もしかして結婚の話が具体的になったのでは…との憶測が飛び交い、一部の女性陣の間で焦燥感が高まっていたのだ。だが、さすがにこの展開は予想していなかっただろう。普段は無表情に近く眼光険しい奥野が、この時ばかりは始終笑顔で花耶をエスコートして挨拶をして回る姿に、さすがの女性陣も諦めざるを得なかった。

「まさかこんなに急に入籍するとは思わなかったわ…で、明日にはここも引き払っちゃうんでしょ」
「うん」
「何か寂しいよねぇ…前は週に一度は泊ってたからねぇ…」

 麻友は部屋を見渡しながらしみじみと呟いた。実際、出会った頃は互いに慣れない環境や寂しさなどもあり、頻繁に行き来をしていたし、奥野との事が起きる前でも麻友は月に一、二度は泊まりに来ていたのだ。それももう今日で終わりかと思うと、花耶も感慨深く物悲しく感じられた。
 花耶がここに住み始めたのは、高校を卒業して直ぐだった。祖母も亡くなり、賃貸だった祖母が借りていた部屋にはこれ以上住めないからと、花耶は叔父を保証人にしてこのアパートを借りたのだ。あれからもうすぐ六年というところで、ここでの生活は終止符を迎えた。

「それで?これからもあのマンションに住むの?」
「それが…」 

 実は奥野のマンションも引っ越す予定になのだと、花耶は麻友に話した。あのマンションは奥野の母親も知っているので、また押しかけてくる可能性がある。また二人で暮らすにも少々手狭だし、セキュリティも不安だからと、今後の事も考えて引っ越そうという話になっていた。まだ検討中だが、既に奥野が数件に絞っていて、ここの引っ越しが終わったら本格的に検討しようという事になっていた。

「ふ~ん、まぁいいんじゃない?その母親って人もヤバそうだしね」

 普段から奥野に手厳しい麻友は、その母親や久美には更に容赦がなかった。麻友は奥野の隠し切れない執着心を感じ取って危険人物と見ていたが、今は花耶を守る盾として認めているように見えた。
 実際、花耶も麻友も会社の女性陣からのやっかみを心配していたのだが、どういう手を使ったのかこの三週間、花耶は一度も女性達から嫌味を言われたり睨まれたりすることがなかったのだ。奥野が何かをしたのは間違いなかったが、それに関して彼は曖昧に笑うだけで何も言わなかった。だが、奥野が何かをしたのだろうと二人は確信していた。

「まぁ、花耶がいいんならいいんだけど…で、式はするの?」
「それは…まだ迷ってる。呼べる身内もいないし…」
「そっか…確かにね」

 入籍を先にしてしまったが、結婚式に関しては宙ぶらりんのままだった。奥野は花耶を自分の妻として大々的に広めたいと式をする気でいたが、花耶は式に呼べる身内がおらず、友達も麻友を含めた3人しかいないため、あまり乗り気ではなかった。それを察した奥野は、それなら海外で式を挙げるのはどうかと言い出し、それもありかも…と今は思っている。
 一方で奥野は花耶にウエディングドレスを着せたがっており、フォトウエディングもいいなと言い出したのだ。まだ寒いため、どちらにしても暖かくなってからがいいだろうと、今は引っ越しなどを優先していた。

「私も式はあんまり興味ないけど…ウエディングドレスは着たいよね。白無垢も捨てがたいし…今はドレスと和装も込みのフォトプランもあるし、そういうのもいいんじゃない?」
「そうだね。私も…ウエディングドレスは憧れてたから…それに…」
「それに、何?」

 そこまで言いかけた花耶だったが、その先は恥ずかしさもあって言い淀んだのを、麻友は見過ごさなかった。白状しなさいと視線で促された花耶は、逃げ切れないと悟ると、言い難そうに口を開いた。

「その…タキシード姿も、見たいかなって…」
「あ、あ~まぁ、確かに見栄えはいいもんねぇ…」

 半ば呆れるような視線と相槌で麻友にスルーされた花耶だったが、花耶は自分の事よりも奥野のタキシード姿や紋付き袴姿が見てみたいと思っていた。実際、奥野は普段のスーツ姿ですらも見惚れるようなイケメンなのだ。最近はより一層花耶に向ける表情に柔らかさが増し、色気も増しているような気がするだけに、花耶はドキドキしっ放しなのだ。

「でも、安心したわ」
「え?」

 麻友の呟きは独り言のような微かなもので、辛うじて花耶に届いた。何の事を…と花耶が麻友の真意を測りかねていると、麻友は少し困ったような表情をしてから小さく笑みを浮かべた。

「ううん、色々急だったから…あいつに押し切られてるんじゃないかって心配だったんだ。でも…その様子じゃ大丈夫みたいね」

 麻友が言わんとしている事を察して、花耶は一瞬目を見開いて麻友を見上げた。麻友の表情は柔らかく笑みを湛えていて、安堵しているようにも苦笑しているようにも見えた。

「ありがとう…麻友」
「花耶がいいなら、それでいいよ」
「うん…私は…もう大丈夫。今、幸せだから」
「そっか、なら安心した」

 花耶は麻友に散々心配をかけていただけに、奥野と幸せになる事に漠然とした後ろめたさのようなものを感じていた。馬鹿正直に奥野との馴れ初めを話したせいで、麻友にも奥野にも迷惑をかけてしまったという思いがある。それもあって麻友に幸せだと言っていいのだろうか…と躊躇していたのだ。でも、今の麻友の言葉はそんな花耶の気持ちも汲んでくれているように感じられて、花耶はようやく幸せだと素直に言えた。些細なことかもしれないが、花耶にとっては大きな一歩だった。

「じゃあ、次は麻友の番だね」
「え~私ぃ?」
「うん、そう。あ!そう言えば、前に言ってた人は?」
「へ?あ、あ~あれね。あ~…」

 珍しく言葉を濁して麻友はそっぽを向いてしまった。心なしか麻友の顔が赤いようにも見えて、花耶は麻友にも新しい風が吹き込んできたのを感じた。

「ね?私の知っている人?」
「え?!」
「あ、もしかして…図星?」
「え?いや…その…」

 顔が益々赤みを増した麻友に、花耶は笑みを深めてじゃれつくように麻友の顔を覗き込んだ。みるみる麻友の顔が赤くなっていくのを、花耶はじーっと見つめた。

「はぁ…花耶、変わったね…」

 恥ずかしそうな、悔しそうな麻友だったが、どうやら観念したらしい。夜は長くまだ始まったばかりで、二人の積もる話に花を咲かせるには十分だった。




「本当に…これでよかったのか、花耶」

 翌日の夜、花耶はアパートを引き払い、奥野のマンションでソファに座って寛いでいた。ローテーブルにはアルコールと花耶が作った料理が並び、花耶はビール片手に自分の腰に手をまわした奥野の隣で、チビチビとアルコール度数低めの酎ハイを飲んでいた。花耶が奥野を見上げると、彼は複雑な表情を浮かべていた。

「どうしたんですか?」
「いや、また花耶の意見を聞かなかったな…と思って…」

 奥野の自嘲気味な言葉に、花耶は僅かに目を見開いた。今までもそうだが、散々強引に事を進めておいて、またしても後になってそんな事を言うのだ…だが、花耶は不意におかしくなって笑みがこぼれるのを止められなかった。一方、花耶の笑みを見た奥野は一瞬目を瞠った後で戸惑いの表情を浮かべた。

「今更ですよ」
「そう、だな…」

 本当に今更だな、と花耶は思った。入籍も引っ越しもあんなに急いで進めておいて、この人はまた後になってからこうして不安な表情を浮かべるのだ。奥野をそうさせるものが何なのか、花耶にはまだ十分に理解できなかったが、こうして後になっても聞いてくるのは、彼の優しさなのだろう、と思う。

「ありがとうございます」
「え?」
「私の…家族になってくれて」
「あ、ああ…」

 花耶はそっと奥野の胸に頬を寄せて、ゆっくりと恋しい人の匂いを吸い込んだ。奥野はそんな花耶のために身体の向きを変えると、その大きな腕で花耶をふわりと柔らかく抱きしめた。いつの間にか慣れてしまった匂いに、花耶は表現のしようのない安心感が広がっていくのを感じた。この部屋に初めて来た時は不安や困惑しかなく、自分の中も空っぽだったように思う。でも今は、これ以上ないくらいに満たされていて、これまでの人生の中で一番幸せだと感じている。それは全て、この人が与えてくれたものなのだ。

「好き、です…大好き」
「ああ、俺も好きだ…花耶、ずっと愛してる」
「私も…愛してます」

 初めて奥野に愛の言葉を告げた花耶は、じわじわと恥ずかしさがこみ上げて来るのを感じたが、それよりもようやく言えた充足感の方が勝った。奥野の身体が一瞬強張ったが、直ぐに抱きしめる腕の力が増し、その温かさと力強さが花耶の心を満たした。








- - - - -

これで一旦終了となります。
これまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
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感想 4

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みんなの感想(4件)

Madame gray-01
2022.08.07 Madame gray-01

はじめまして!

最近、アルファポリスユーザーになりこちらの作品に出会いました。
小説ならではの展開!一気読みしました☺️
麻友と熊谷のその後が気になります!
スピンオフ作品があったら嬉しいです!

今後の他の作品も楽しみにしています♪

解除
よんよん5
2021.09.20 よんよん5

はじめまして。
いつも更新楽しみにしてます。

奥野さん、実際居たら危ない人(笑)ですが、花耶にはあってると思います。
花耶一筋だし、何があっても守ってくれそうだし。
奥野さん実家のゴタゴタも何とか片付きそうで、無事入籍もしたし、もうあまりハラハラな出来事は起こらないで欲しいかな。

あぁ、でも、会社等への入籍報告は騒ぎになるのかな?

2021.09.21 四葉るり猫

感想ありがとうございます。

奥野…確かに実際にいたら警察案件ですね。
ちょっと危ない人を書いてみたかったのですが、思った以上にやばい人になっていました。
でも、花耶はかなりのネガティブさなのでちょうどいいかな、と。
あと数話で終わる予定です。もうしばらくお付き合いください。

解除
花雨
2021.08.14 花雨

作品登録させてもらいました♪ゆっくり読ませてもらいます♪

2021.08.15 四葉るり猫

感想ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

解除

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