【本編完結】【R18】体から始まる恋、始めました

四葉るり猫

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一章

自滅する人たち

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「お疲れ様です~」
「あれ~どうしたんですか?」

 誰もが暴走を始めた奥野を止めるどころか、一言も発する事が出来なかった空間に、緊張感のない声が響いた。その場にいた者の目が、一斉に声の主に注がれ、花耶も振り返って声の主に目を向けた。
 そこにいたのは、橋本と篠田だった。相変わらず派手なメイクで、それを見た花耶が、そういえば今日は金曜日だったな…と思ったほどだ。今日はまた合コンがあるらしい。二人は凍り付いた場にも関わらず、ドアから資料室の中を覗き込んだ。

「え?伊東さん?」
「どうしたんですか?」

 さすがにこの光景は意外だったらしい。二人は床に座り込んでいる伊東と、その前に仁王立ちする奥野を交互に見た。え?何?と戸惑っていたが、その内花耶の姿を見つけると、橋本がニヤッとした笑みを浮かべた。

「やだ、三原さん!また伊東さんに迫ったんですか?」
「ええ~いくら胸が大きいからって、大胆…」
「もしかして…奥野さん、勘違いしました?」
「…何がだ?」
「え?三原さんって、伊東さんの事が好きなんですよ。それで何度も色仕掛けしてて…伊東さんも優しいからどうしようって悩んでいたのに…三原さん、今度は伊東さんに襲われたって言いだしたんですか」
「それ酷すぎですよ。いくら伊東さんに相手にされないからって…自分でブラウス破って襲われたなんて言うの、卑怯じゃないですか」

 あまりの二人の言い様に、花耶は言葉を失った。いくら花耶が気に入らないからと言っても、事実を曲解するにも程があり、怒りを通り越しで呆れて言葉も出なかった。これまでの警察まで巻き込んだ経緯があると言うのに、よくここまで事実を捻じ曲げられるな、と逆に関心してしまうほどだった。

「ほう?花耶が伊東に迫っただと?」
「そうですよ、私たち、伊東さんから相談されてて…」
「三原さんって、地味で大人しく見えるけど、実は凄く大胆らしいです」
「それは意外だな?証拠はあるのか?」
「え?」
「だから証拠だ。花耶が伊東に迫っていた証拠があって言っているんだよな?」

 ちなみに、伊東が花耶に付きまとっていた件については、証拠もあるし警察にも提出済みだが、と奥野は付け加えた。

「証拠もなくお前らがそう言っているなら、お前たちも伊東の共犯だ。それとも、伊東をそそのかしたのはお前たちか?だったらなお性質が悪い。この件の元凶とも言えるな」
「な…!」
「そ、そんな…」
「さぁ、早く証拠を出せ。ちょうど会社の上層部の方々もいらっしゃるし、いい機会だろう。なぁ?伊東?」

 奥野がそう言い切ると、ドアの向こうにいた役員数人が息をのみ、奥野に殴られる覚悟をして身を固くしていた伊東は、ひと先ずの危機が去ったと感じたのか、ほうと息を吐いていたが、急に名を呼ばれてまた緊張を走らせた。

「しょ、証拠なんて…三原さんが胸を利用して男性に迫っているのは…みんな知って…」
「ほう?みんなとは?俺は初めて聞いたが。具体的には誰だ?」
「そ、それは…誰と言われても…みんな知ってるから…」
「そうか。じゃ倉橋と毛利、お前たちは知っているか?」

 秘書課の社内ナンバーワンとナンバーツーの美女二人は、先ほどから既に奥野の態度に恐怖を抱いて顔を青ざめさせていたが、急に名を呼ばれると綺麗な顔により一層の怯えを乗せて、フルフルと頭を横に振った。それを見た奥野が、じゃあ…と言って営業の係長たちに尋ねるが、誰も首を縦に振る者はいかなかった。

「誰も知らないと言っているが?」

 黒々とした負のオーラを辺り一面に広げる奥野にそう告げられた二人は、ようやく奥野の怒りが自分たちに向けられると悟ったらしい。ヒッと短く悲鳴を上げて身を竦ませた。周囲にいる者たちに視線を向けるが、誰も二人と目を合わせようとせず、ようやく味方が誰もいない事を悟ったらしい。

「そ、そんな…」
「そんな事ないです。本当に噂になってて…」
「いい加減にしろ…」

 響いた声は最終通告のようにこの辺りに響き渡った。声自体はさほど大きくないが、その声はドアの外にいる者にまで届いたらしい。

「お前たちがろくに仕事もせず、下らない噂ばかり広げているのは聞いている」
「そんな!」
「仕事ならちゃんとしています!」
「どこが出来ているんだ?特に篠田。お前は花耶の半分も仕事が出来なかっただろう?違うとは言わせん」
「あ…あれは…」
「それから橋本、お前もだ。お前がやった書類にミスが多いのは上層部でも有名な話だ。未だに新人レベルの仕事しかできない自分を恥じたらどうだ?」
「な…」

 自分たちの仕事の出来を役員達の前で披露され、しかも上層部では有名だとまで言われてしまい、二人は顔を真っ赤にして口を噤んだ。さすがに自覚はあるのだろう、言い返さないのがそれを物語っていた。

「それに比べて花耶は、仕事も早いし正確だ。無駄な部分があれば改善提案も出しているし、その数は社内でも上位だが?」
「そんな筈は…」
「そうですよ!三原さんは高卒なんですよ。そんな人に私達が劣る筈が…」

 仕事ぶりを否定された二人は、花耶が高卒である事を取り上げてきた。もうそれしか対抗出来るものがなかったのだろう。

「何か勘違いをしているようだが…」

 三人の会話に、四人目の声が届き、その声の方に一斉に視線が移動した。その声の主は、人事部長だった。

「三原が高卒で入社したのは、高卒の時点ですでに入社試験を受ける資格を得ていると会社が判断したからだ」
「え?」
「な、に…」

 その言葉に一番驚いたのは、名を出された花耶本人だった。それは初めて聞いた話だったからだ。そもそも大卒以上と求人票に載っているのに、自分が入社試験を受けられた事を花耶はずっと不思議に思っていたのだ。
 花耶はこの会社を自分で選んだ訳ではなかった。高校の進路担当の先生に、ちょっと受けて来いと軽いノリで言われて送り出されたのだ。高校にはこの会社の求人票はなくどういう事かと思ったが、悪いようにはしない、三原なら何とかなるだろうと言われていた。一人で筆記試験と面接を受け、さすがに無理だろうと思っていたが、結果は言わずもがな…だった。

「三原は高校こそ商業科だが三年間ずっと首位、成績は特進コースと遜色ないレベルで授業料も全額免除の対象だった。卒業までに取れる資格は全て取っていたし、大卒でもこれだけの資格を持っている奴は殆どいない」
「そ…そんな…」
「で、でも…専門的な勉強は…」
「お前らの大学での勉強がこの会社で何の役に立っているんだ?そもそも会社が必要と推奨してる資格もないだろう」
「でも、私は日商簿記を…」

 そう言い出したのは橋本だった。橋本は就活のために必死に勉強をして日商簿記を取ったとよく言っているのを花耶も聞いたことがあった。自分は仕事が出来ると思い込んでいる根拠でもあり、自信の元でもあった。

「橋本は二級だろう?日商簿記も二級なら自慢できるものでもないだろう。第一その資格なら三原は一級だぞ」
「え…」
「さらに言えば、入社後に税理士の試験も合格している」
「な…」
「お前たちが大学に行ってやっと手にした受験資格を、三原は高校卒業の時点で得ていたんだ。どっちが優秀か、わざわざ説明が必要か?」

 まさかそんな事も理解できない筈はないよな?と暗に人事部長がそう告げると、二人はそれ以上何も言えず押し黙った。一方で花耶は、自分が受験した事情を初めて知り、そういう事だったのかとようやく納得した。

「そういう事だ、お前らと花耶では最初からレベルが違う。入社してからは仕事を疎かにして遊びまわっているお前たちとでは話にならん」

 人事部長から現実を突きつけられたうえ、奥野からもバッサリと一刀両断された二人は、それ以上何も言えなかったらしく黙り込んだ。奥野はそんな二人を一瞥すると、今度は伊東の方に身体を向けた。

「さて、雑音が入ったが…待たせたな、伊東」

 整った顔立ちに酷薄な笑みを浮かべた奥野が、伊東を見下ろしながらそう告げた。もう終わったと思っていたその場にいた者全員が一気に凍り付いた。当然花耶も例外ではなく、奥野を驚いて見上げると、そこには怒りのオーラを再燃させた鬼教官が悠然と佇んでいた。伊東のいた方角から、ヒッと小さな悲鳴が聞こえた気がした。

「俺の大事な花耶を傷つけた分、しっかり払って貰おうか」

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