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一章

帰宅難民の保護

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 途中、泊まるなら色々要るだろう、家には女子が使うようなものは何もないから、と言って先にコンビニに連れていかれた。流された感がありまくりだが、確かに着替えもないのでは困る。服は何か着られそうなものを貸すと言ってくれたが、さすがに下着やメイク落としの類は期待できなかった。花耶はまだ少し迷いながらも、諦めて足りなさそうなものをいくつか買った。
 ついでい調味料の有無も聞いた。料理しないとなると、何もない可能性もあったからだ。幸いそこは大丈夫だと言われたので、その言葉を信じる事にした。お口に合うか分かりませんよ、と何度も念押ししたが、奥野は楽しみだな、と言うばかりで花耶の不安が減ることはなかった。頭の中にドナドナのフレーズが流れて、花耶はああ、この状況がそうなのかも…と思った。

 奥野の住むマンションは、コンビニから更に五分ほど先の、メイン通りから一本奥に入った静かな住宅街にあった。十階建てのそれは外見が洒落た感じで、オートロック式で、花耶が住む安アパートとは雲泥の差だった。奥野の部屋は八階で、エレベーター付きだった。
 案内された部屋は玄関のドアまでモダンで粋な作りだったし、通されたリビングは、そこだけで花耶のワンルームくらいの広さがありそうだった。散らかってて悪いなと言われたが、あまり散らかっている様には見えなかった。中に入ると右手にキッチンがあって、その反対側にソファとローテーブル、大型テレビが視界に入った。効率重視の奥野らしい、余計なものがない印象の空間は生活感があまりなかった。
 花耶のエコバックを手にした奥野が、食材、いれときゃいいか?と聞いてきたので、花耶は慌てて私やります、と交代した。冷蔵庫を開けると、確かにほとんど食材はなく、あるのはビールや炭酸水等の飲料と調味料だった。

 道中の会話で、奥野は先ほどまで役員達の親睦会に出ていたと言っていた。奥野はプロジェクトの取引先との会合が長引いたので途中からの参加になり、付き合いで多少は飲んだが、程なくして常務の行きつけのクラブに行くという話になった。奥野は仕事を理由に帰ってきたため、殆ど何も食べていないらしい。そう言うわけだからよろしくな、と言われてしまい困惑するが、どんな物がいいかと聞くと、夜はいつも飲むから炭水化物はなくていい、酒の肴になるようなもので、腹が満たされるものをと、お酒を飲まない花耶にとっては中々に難しい注文をつけてきた。

 迷った挙句、花耶は椎茸や人参入りの茶飯、鶏肉と玉ねぎ、キャベツ、人参などの野菜炒め、小松菜のおかか和えを作る事にした。ブロッコリーや塩鱒は茹でればそれだけで一品として成り立つだろう。どれも普段作っているもので、特別な調味料も不要で短時間で出来る。茶飯の米は奥野の家にあったのを使わせて貰った。米を炊くには時間がかかるが、飲むなら炭水化物は後でいいし、おにぎりにすれば食べやすいだろう。

 花耶はシャワーを先にと勧められたが、先に料理をする方を選んだ。まだ五月とはいえ料理をすれば多少は汗をかくし臭いもつくし、料理が出来上がるのも遅くなる。家主よりも先に使うのも気が引けたし、先に作った方が風呂上りに直ぐ食べられていいだろう。フライパンや鍋がある事に安堵し、花耶はさっそく料理に取り掛かった。暫くして奥野がシャワーを浴びてくると言って脱衣所に消えていった。
 奥野が戻ってくる頃には、ある程度出来上がり、花耶は出来たものからローテーブルに並べていった。茶飯以外の料理が出来上がったところで、花耶は先に食べてて下さい、と言ってシャワーを借りるため脱衣所に向かった。

 料理が問題なく出来上がった事で、花耶はホッと息をつきながらシャワーを浴びた。料理を人に食べさせた事もなく、他家のキッチンを使った事もなかったため、まずは無事出来上がった事に安堵した。異性の家で再びシャワーを浴びている現状が未だに信じられなかったが、奥野もこれは帰宅難民の救済措置だと言っていた。前回同様、帰れなくなった部下を保護しただけで、特に意味はないだろう。
 蒸し暑かった上に嫌な汗をかいたのもあってか、シャワーを浴びると思った以上の爽快感があった。さすがに綺麗で広いお風呂はいいな、と羨ましく感じた。

 シャワーから上がって、奥野が用意してくれたバスタオルで体を拭いた。ショーツとタンクトップは買ったが、服はなかったので奥野が適当に貸してくれると言っていた。バスタオルと一緒にあったのは長袖と長ズボンの室内着だった。どう見ても大きいので、奥野の物だろう。上は襟や袖の周りがかなりぶかぶかで袖も長いがまだ何とかなった。問題は、ズボンの方だった。ウエストが大きすぎて、折り返してもずり落ちてくるし、長すぎる。さすがにこれでは外に出る事も出来ない。何とかならないかと試行錯誤していると、ドアの向こうから声をかけられた。どうしようかと迷ったが、花耶はそのまま正直に話すと、奥野は別の服を用意してくれた。

 次に渡されたのは、丈の長いTシャツだった。奥野でも丈が長めだというそれは、花耶が着ると膝に届くくらいの長さがあった。少々心もとないが、少し丈の短いワンピースと思えば問題ないだろう。さっきの物よりはかなりましだった。さすがにブラまではコンビニに売っていなかったので、ないのは心もとなかった。花耶は華奢な割には胸だけは大きく、いつも目立つのを嫌って小さく見えるようにしていた。ノーブラはさすがにどうかと感じたため、手洗いしてタオルで拭いてからドライヤーで乾かした。大きすぎる服のせいか、あまり目立たないのは有難かった。

 リビングに戻ると、奥野はソファでビール片手にニュースを見ていた。花耶に気がつくと、先にもらってるぞ、と言って笑ったが、その表情からはいつもの厳めしい雰囲気が失われていて驚いた。さすがに顔には出さなかったが。
 奥野はいつもきっちりまとめている髪も無造作のままで、長袖長ズボンの室内着を着ていたが、それでも様になっていた。これがいわゆるイケメン効果と言うものか、と花耶は麻友が以前話していた事を思い出した。この事が会社の女性陣に知られたらどんな目に遭うかと想像すると空恐ろしい。奥野の補佐に選ばれただけでも反感をかっているだけに、今日の事は絶対に知られないようにしなければと心に誓った。

 ローテーブルの上の料理は、既に半分近くなくなっていた。人見知りで人付き合いも最低限しかない花耶は、男性と食事に行ったことがなかったため、どれくらいの量を食べるのかがわからなかった。体格も大きい事も考慮して、花耶の食べる量の三倍は作ったが、この短時間でこれなら多めに作って正解だったな、思った。それでも茶飯がなければ足りなかったかもしれない。

「三原もこっち来て飲め」

 そう言われて手渡されたのは、甘めで女性に人気の酎ハイだった。奥野の隣に座らされて面食らっていると、他のがいいか?とコンビニの袋に入っている物をテーブルに並べられた。どれも女性が好む甘めのカクテル風のお酒だ。先ほどのコンビニで色々買っているなとは思っていたが、まさか花耶の分まで買っていたとは思わなかった。普段から飲まない花耶は上司宅で飲めるほど神経が図太くなかったが、有能な営業は押しが強くてかわす隙を与えてくれなかった。仕方なく、アルコール度数低めの物を貰う事にした。

 ビールと花耶の料理を前に、奥野は会社とは一転して気安い雰囲気で、会社にいる時のピリピリした緊張感はなかった。こうしてみれば鬼教官と言われている厳しい雰囲気はなく普通の人に見えるし、何ならモデルや芸能人と言われても遜色ないようにも見えた。ニュースの事や会社の事、今のプロジェクトの事などを奥野は上機嫌で語り、花耶は時々相槌を入れながら基本聞き役に徹していた。

 作った料理は予想以上に好評だった。花耶の料理を美味い、久しぶりにまともなもん食った、毎日でも食べたいと褒め、そう言っている間にも皿の上から料理が消えていった。そうこうしている間に炊き上がった茶飯をおにぎりにすると、それも美味いと言って胃袋に消えていった。 
 花耶としては人様に出せるようなものではなかったが、奥野がむしろ凝ったものは要らないと言ったのでこうなった。花耶にしてみれば手を抜けと言われて抜いたら、それはそれで上司を蔑にしていると思われそうで心配したのだが、腹減った、早く食べたいと言われればどうしようもない。
 聞けば仕事が忙しくて自炊する暇も余裕もなく、普段は食べに行く事が殆どで、遅くなった時はコンビニ弁当やカップラーメンで済ませる事もあるらしい。高給取りの普段の食事が、平社員の花耶より寂しいものだとは意外だった。奥野が一言言えば、女性陣がこぞって料理を持って押し掛けてくるだろうに。

「課長になら手料理をふるまいたいと言う女性、多いでしょうに」
「そんなことないだろう」
「いえいえ、社内に限らず課長のファン、たくさんいますよ?」

 普段はこんな話などしない花耶だったが、少し酔ったせいか思ったことがそのまま口から出てしまった。行動にうつすかどうかは別として、奥野に好意を持つ女性は多い。肉食女子の間では最高レベルのターゲットだったが、中々奥野にスキがないため攻めあぐねている、とも聞いたことがある。
 ファンねぇ…、そう言って奥野は手にしていたビールの残りを一気に飲み干し、新しい缶を手にしてプルタブを開ける。そんな仕草すらもイケメンだと絵になるのだな、と花耶は妙なところに感心していた。

「ファンったって、こっちにその気がなきゃ意味ないだろう」
「それは、そうですけど…」
「誤解されても困るし」
「誤解、ですか?」
「そう。興味のない相手に期待されても困るし、本命に誤解されるのはもっと困る」
「本命?」

 思いがけない言葉に、花耶は思わず奥野を見上げた。
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