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一章
飲み会の真相
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奥野に連れられて訪れた店は、駅近くの表通りから一本裏に入った場所にあるこじんまりとした小料理屋だった。カウンターに六人程度と、奥に四人用の座敷席が二席あり、座敷席は仕切りがあって周りからは見えにくくなっていた。客がそこそこ入っていたが、居酒屋の様な騒々しさがないのは、少人数のグループばかりなのと客の年齢層が高めだからだろうか。和風で控えめな内装は、居酒屋の仰々しさが苦手な花耶にも抵抗が少なく感じられた。
「あら、奥野さん、いらっしゃい」
そう声をかけて出迎えたのは、髪を緩く結いあげ和服に身を包んだ三十代前半とおぼしき女性だった。女性にしては背が高いし声も低めだが、目鼻立ちがはっきりした美人で、いかにも女将さんという風情だ。
奥野の後ろにいる花耶に気が付くと、あらあら、奥野さんが珍しいわね~と花耶に微笑みかけてきたため、花耶は慌ててぺこりと会釈をした。奥空いてるか、と尋ねる奥野に、はいはい、お好きな席どうぞ、と答える様はかなり気安い雰囲気で、奥野が常連である事を示していた。
奥野の後をついていくと、一番奥の席を示された。ここは飯が美味いんだと言って奥野は席の奥側に胡坐を組んで座り、ネクタイを緩めた。花耶が失礼します、と向かいの席に座ったところで、女将がお品書きやおしぼりを持って現れた。
「奥野さんが女の子をねぇ…もしかして初めてじゃない?」
「そんなことないだろう。会社の部下だ」
「え~部下でも女の子連れてきたのは初めてよ」
「そうか?まぁ別にいいだろう。何にも食べてないっていうから適当に頼めるか?」
「はいはい」
楽しげな女将を軽くあしらい、奥野は今日のお勧めを聞いた。女将はいくつか料理の名をあげると、奥野がいくつかの料理を指定した。
「で、飲み物は?」
「あ~俺はビール。三原は?」
二人のやり取りを眺めていた花耶は急に振られて面食らった。
「えっと…」
「あ~、もしかしてあんま飲めない口か?」
「そうですね…殆ど飲んだ事ないです」
「今時の子ねぇ。じゃ、お茶でいい?」
どうしようかと困っているところにそう提案されたので、じゃそれで、とお茶を頼んだ。これから家に帰らなければいけないし、しかも相手は上司だ。殆ど飲んだ事がない花耶は、酔った自分が想像できない事もあるし、お酒なんぞ飲んで帰れなくなる方が心配だった。
残業していた仕事の内容を尋ねられている間に、飲料や料理が運ばれていた。料理は夕飯を食べていない花耶に合わせられたのか、炊き込みご飯も含めた御膳の様な物だった。奥野は既に飲み会で飲み食いをしてきたのもあってか、数点の酒の肴にビールだった。
「すまなかったな、三原。まさか一人だけ残っていたとは思わなかった」
「いえそんな、課長のせいではありませんし」
「そうは言ってもな。今までもそうしてきたから気にもしなかったんだが…まさか声もかけていないとは思わなかった。都合が悪くて来なかった者も何人かいたから、三原もそうかと思っていたんだが…」
奥野に今日の残業の件と、親睦会に声をかけなかった事を詫びられて花耶は恐縮するばかりだった。いつも奥野が直接声をかけなくても集まっていたので、今日も大丈夫だと思っていたらしい。
また奥野の話では、花耶が残業で作った資料は、水曜日に営業の木戸に依頼していたものだったらしい。木戸には月曜日の朝一までにと言ってあったにもかかわらず放置し、それが篠田、更には花耶に丸投げされた事も問題だったようだ。月曜日の社内会議で使うもので、その内容は木戸が把握しておかなくてはいけないものだから木戸に頼んだのに…と奥野は言った。
また、資料の中身からしても花耶には知らされてない事柄もいくつかあり、そこは営業が見直さなければいけないのだ、とも。篠田にそこまで詳しく聞かされていなかった花耶は驚いたが、奥野は花耶の責任ではない、使うまでに自分も目を通しておくと言ってくれたため、少し安堵した。
仕事の話から始まった会話のせいか、何を話せばいいのかと緊張していた花耶だったが、思いの外会話はスムーズだった。仕事の事になると花耶も色々知りたかった事があったため、せっかくの機会だし会話が続かないよりはましと腹をくくり、聞ける事は聞いてしまおうと言う気になっていた。
奥野も仕事になると饒舌になるらしく、花耶の質問にもわかりやすく的確に答えてくれた。そのおかげで花耶は、今まで疑問に思いながらも聞くに聞けなかった事がはっきりしたため、珍しく饒舌になっていた。
食事もほぼ終わり、奥野が腕時計に目を通したため時間を聞くと、既に一時間ほど経っていた。そろそろ電車も復旧した頃だろうか、とスマホのアプリで確認すると、十五分ほど前に電車は運行を再開していた。その旨を奥野に伝えると、それならば帰れるうちに…とお開きになった。
自分が食べた分は払うと花耶は主張したが、奥野は部下の不始末の詫びだから、とさっさと払ってしまった。奥野は親睦会である程度飲食をしていてこの店に入ったのは完全に花耶のためだったのは明白で、花耶としては居たたまれない心地だった。
そんな花耶の心情を察したのか、奥野は再度俺のおごりだ、気になるなら仕事で返してくれればいいと言うため、花耶は戸惑いながらもお礼を言い、奥野の提案を受け入れた。
その後、遅いから駅まで送ると言われた花耶は辞退したかったが、奥野がこう言う場合、否と言わせない性分なのをこの短時間で察したため、駅まで送って貰い、そこでようやく別れたのだった。
(はぁ、疲れたぁ…)
いつもよりも遅く家に帰った花耶は、お風呂に入ってようやく一息つけた。出された食事はどれも美味しかったが、奥野相手では料理の味を堪能するよりも緊張が先に立ってしまい、ゆっくり味わう事が出来なかった。もっと別の相手なら楽しめたのだろうか、と思ったものの、それは奥野に対して失礼だと気がついて、花耶は直ぐにその考えを改めた。
湯船につかりながら花耶は、奥野の噂を思い出して、本当に部下の事をよく見ているのだな、と改めて思った。花耶の話も真面目に聞いてくれたし、質問にも丁寧に答えてくれた。プロジェクトに参加してから今まで、挨拶と業務連絡以外は殆ど話をしたことはなかったが、今日は噂に聞くほど怖いとは感じなかった。体格の差もあってか威圧感もあり、苦手だと感じるのは変わらないが。
だが別に、奥野が特別に苦手と言うわけではない。花耶は親しい一部の人を除けば誰でも苦手意識を持っていた。元々人見知りが激しくて人付き合いが苦手なのだ。それは育った環境もあるし、今までの経験のせいでもあった。
今日の件に関してだけ言えば、残業申請をちゃんと受理してくれると言ったので、花耶としてはそれで十分だった。
月曜日、花耶が残業して作った資料について、篠田や木戸から何か言われるのでは?と気にしていた花耶だったが、意外にも何事もなく拍子抜けしたくらいだった。奥野は後で資料を見ておくと言っていたから、月曜日の朝一にでも確認したのかもしれないし、木戸や篠田にうまくとりなしてくれたのかもしれない、とも思った。
二人とも何かと花耶を下に見る言動があるだけに警戒していたが、幸いにも花耶が心配していた事は何もなかったため、花耶はホッと安堵したのだった。
「あら、奥野さん、いらっしゃい」
そう声をかけて出迎えたのは、髪を緩く結いあげ和服に身を包んだ三十代前半とおぼしき女性だった。女性にしては背が高いし声も低めだが、目鼻立ちがはっきりした美人で、いかにも女将さんという風情だ。
奥野の後ろにいる花耶に気が付くと、あらあら、奥野さんが珍しいわね~と花耶に微笑みかけてきたため、花耶は慌ててぺこりと会釈をした。奥空いてるか、と尋ねる奥野に、はいはい、お好きな席どうぞ、と答える様はかなり気安い雰囲気で、奥野が常連である事を示していた。
奥野の後をついていくと、一番奥の席を示された。ここは飯が美味いんだと言って奥野は席の奥側に胡坐を組んで座り、ネクタイを緩めた。花耶が失礼します、と向かいの席に座ったところで、女将がお品書きやおしぼりを持って現れた。
「奥野さんが女の子をねぇ…もしかして初めてじゃない?」
「そんなことないだろう。会社の部下だ」
「え~部下でも女の子連れてきたのは初めてよ」
「そうか?まぁ別にいいだろう。何にも食べてないっていうから適当に頼めるか?」
「はいはい」
楽しげな女将を軽くあしらい、奥野は今日のお勧めを聞いた。女将はいくつか料理の名をあげると、奥野がいくつかの料理を指定した。
「で、飲み物は?」
「あ~俺はビール。三原は?」
二人のやり取りを眺めていた花耶は急に振られて面食らった。
「えっと…」
「あ~、もしかしてあんま飲めない口か?」
「そうですね…殆ど飲んだ事ないです」
「今時の子ねぇ。じゃ、お茶でいい?」
どうしようかと困っているところにそう提案されたので、じゃそれで、とお茶を頼んだ。これから家に帰らなければいけないし、しかも相手は上司だ。殆ど飲んだ事がない花耶は、酔った自分が想像できない事もあるし、お酒なんぞ飲んで帰れなくなる方が心配だった。
残業していた仕事の内容を尋ねられている間に、飲料や料理が運ばれていた。料理は夕飯を食べていない花耶に合わせられたのか、炊き込みご飯も含めた御膳の様な物だった。奥野は既に飲み会で飲み食いをしてきたのもあってか、数点の酒の肴にビールだった。
「すまなかったな、三原。まさか一人だけ残っていたとは思わなかった」
「いえそんな、課長のせいではありませんし」
「そうは言ってもな。今までもそうしてきたから気にもしなかったんだが…まさか声もかけていないとは思わなかった。都合が悪くて来なかった者も何人かいたから、三原もそうかと思っていたんだが…」
奥野に今日の残業の件と、親睦会に声をかけなかった事を詫びられて花耶は恐縮するばかりだった。いつも奥野が直接声をかけなくても集まっていたので、今日も大丈夫だと思っていたらしい。
また奥野の話では、花耶が残業で作った資料は、水曜日に営業の木戸に依頼していたものだったらしい。木戸には月曜日の朝一までにと言ってあったにもかかわらず放置し、それが篠田、更には花耶に丸投げされた事も問題だったようだ。月曜日の社内会議で使うもので、その内容は木戸が把握しておかなくてはいけないものだから木戸に頼んだのに…と奥野は言った。
また、資料の中身からしても花耶には知らされてない事柄もいくつかあり、そこは営業が見直さなければいけないのだ、とも。篠田にそこまで詳しく聞かされていなかった花耶は驚いたが、奥野は花耶の責任ではない、使うまでに自分も目を通しておくと言ってくれたため、少し安堵した。
仕事の話から始まった会話のせいか、何を話せばいいのかと緊張していた花耶だったが、思いの外会話はスムーズだった。仕事の事になると花耶も色々知りたかった事があったため、せっかくの機会だし会話が続かないよりはましと腹をくくり、聞ける事は聞いてしまおうと言う気になっていた。
奥野も仕事になると饒舌になるらしく、花耶の質問にもわかりやすく的確に答えてくれた。そのおかげで花耶は、今まで疑問に思いながらも聞くに聞けなかった事がはっきりしたため、珍しく饒舌になっていた。
食事もほぼ終わり、奥野が腕時計に目を通したため時間を聞くと、既に一時間ほど経っていた。そろそろ電車も復旧した頃だろうか、とスマホのアプリで確認すると、十五分ほど前に電車は運行を再開していた。その旨を奥野に伝えると、それならば帰れるうちに…とお開きになった。
自分が食べた分は払うと花耶は主張したが、奥野は部下の不始末の詫びだから、とさっさと払ってしまった。奥野は親睦会である程度飲食をしていてこの店に入ったのは完全に花耶のためだったのは明白で、花耶としては居たたまれない心地だった。
そんな花耶の心情を察したのか、奥野は再度俺のおごりだ、気になるなら仕事で返してくれればいいと言うため、花耶は戸惑いながらもお礼を言い、奥野の提案を受け入れた。
その後、遅いから駅まで送ると言われた花耶は辞退したかったが、奥野がこう言う場合、否と言わせない性分なのをこの短時間で察したため、駅まで送って貰い、そこでようやく別れたのだった。
(はぁ、疲れたぁ…)
いつもよりも遅く家に帰った花耶は、お風呂に入ってようやく一息つけた。出された食事はどれも美味しかったが、奥野相手では料理の味を堪能するよりも緊張が先に立ってしまい、ゆっくり味わう事が出来なかった。もっと別の相手なら楽しめたのだろうか、と思ったものの、それは奥野に対して失礼だと気がついて、花耶は直ぐにその考えを改めた。
湯船につかりながら花耶は、奥野の噂を思い出して、本当に部下の事をよく見ているのだな、と改めて思った。花耶の話も真面目に聞いてくれたし、質問にも丁寧に答えてくれた。プロジェクトに参加してから今まで、挨拶と業務連絡以外は殆ど話をしたことはなかったが、今日は噂に聞くほど怖いとは感じなかった。体格の差もあってか威圧感もあり、苦手だと感じるのは変わらないが。
だが別に、奥野が特別に苦手と言うわけではない。花耶は親しい一部の人を除けば誰でも苦手意識を持っていた。元々人見知りが激しくて人付き合いが苦手なのだ。それは育った環境もあるし、今までの経験のせいでもあった。
今日の件に関してだけ言えば、残業申請をちゃんと受理してくれると言ったので、花耶としてはそれで十分だった。
月曜日、花耶が残業して作った資料について、篠田や木戸から何か言われるのでは?と気にしていた花耶だったが、意外にも何事もなく拍子抜けしたくらいだった。奥野は後で資料を見ておくと言っていたから、月曜日の朝一にでも確認したのかもしれないし、木戸や篠田にうまくとりなしてくれたのかもしれない、とも思った。
二人とも何かと花耶を下に見る言動があるだけに警戒していたが、幸いにも花耶が心配していた事は何もなかったため、花耶はホッと安堵したのだった。
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