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【5】期待する社畜
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時刻は午後五時半を回ったところだった。
部署に戻ろうと急ぎ気味に靴を履き、吉岡さんが持って来てくれた鞄に手を伸ばすと、小さな手が俺の手の甲をぺちんと叩いた。
「え」
何が起きたかわからず、その手の先に視線を戻すと吉岡さんが俺を睨んでいる。
「今日はもうこのまま帰っていいそうです。帰って休ませてと仰ってました」
「部長が?」
「ええ」
「えっ、でも会議も出てねえし……」
「今から行ったところで、でしょう。同じ叱られるなら明日にしたほうがいいと思いますよ。……まあ、瀬賀部長はそんなこと仰らないと思いますが」
吉岡さんに淡々と諭されていると、溜息しか出ない。どうやら俺の意見は通らないらしい。
「……わかったよ」
部長にとってはやっぱり俺なんて役立たずだよなあとさらに溜息を重ね、帰り支度をした。
「では帰りましょうか」
「……え? 吉岡さんも帰るの?」
「はい。瀬賀部長のお申しつけなので。それに私は定時も過ぎてますしいつでも帰れるので」
ということは、俺が倒れてたせいで、仕事が終わってもずっとついててくれたってことか?
「ごめん……」
「いえ」
相変わらず取り付くシマもないのだが、さっき少しだけ見せてくれた素顔っぽい対応は少し心を擽られた。
瀬賀部長か……。既婚者だし、望みのない恋してるのかな。
半歩前を歩く吉岡さんのつむじを見ながら後ろに続いて歩く。しかし歩くの速いな。
赤信号前でくるりと振り返る吉岡さんの艶のある髪がふわりと舞ってやがて落ち着く。
社内よりも、外で見たほうがかわいらしい気がするな。
「顔色、やっぱり少し悪いみたいですね」
「そう? 今日ぐらいは寝ないとな」
「寝られないのですか?」
「うん。吉岡さんが一緒に寝てくれたら寝れそう――」
下手したらセクハラで訴えられるんじゃねえかというセリフが無意識にこぼれ出た。
「…………」
吉岡さんが、瞬きもせず黒い瞳を開けたままにして、俺を見ている。
「ご、ごめん」
弱音が吐けなくて、限界まで追い込まれてもがいてる割には、吉岡さんには情けないところばかり見せている。
「嘘だから。いや、嘘ってわけでもないけど、なんていうか」
「いいですよ」
「へ?」
いい……って?
ごくりと喉が鳴る。吉岡さんは全く表情が変わっていない。焦り倒しているのは俺だけのようだ。
信号が青に変わったが、俺たちは身じろぎせず対峙していた。吉岡さんが首を傾げる。
「今のは、冗談だったのでしょうか?」
「いやっ、いや、違う……」
違わないのに否定できない。
ドッドッと心臓の音が自分でも聞こえるぐらいに激しくなってきて、もう一度ごくりと喉を鳴らした。
「いいの? 本当に……」
吉岡さんは口の端を少しだけあげて俺に頷いた。
「いいですよ。一緒に寝ても……」
部署に戻ろうと急ぎ気味に靴を履き、吉岡さんが持って来てくれた鞄に手を伸ばすと、小さな手が俺の手の甲をぺちんと叩いた。
「え」
何が起きたかわからず、その手の先に視線を戻すと吉岡さんが俺を睨んでいる。
「今日はもうこのまま帰っていいそうです。帰って休ませてと仰ってました」
「部長が?」
「ええ」
「えっ、でも会議も出てねえし……」
「今から行ったところで、でしょう。同じ叱られるなら明日にしたほうがいいと思いますよ。……まあ、瀬賀部長はそんなこと仰らないと思いますが」
吉岡さんに淡々と諭されていると、溜息しか出ない。どうやら俺の意見は通らないらしい。
「……わかったよ」
部長にとってはやっぱり俺なんて役立たずだよなあとさらに溜息を重ね、帰り支度をした。
「では帰りましょうか」
「……え? 吉岡さんも帰るの?」
「はい。瀬賀部長のお申しつけなので。それに私は定時も過ぎてますしいつでも帰れるので」
ということは、俺が倒れてたせいで、仕事が終わってもずっとついててくれたってことか?
「ごめん……」
「いえ」
相変わらず取り付くシマもないのだが、さっき少しだけ見せてくれた素顔っぽい対応は少し心を擽られた。
瀬賀部長か……。既婚者だし、望みのない恋してるのかな。
半歩前を歩く吉岡さんのつむじを見ながら後ろに続いて歩く。しかし歩くの速いな。
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社内よりも、外で見たほうがかわいらしい気がするな。
「顔色、やっぱり少し悪いみたいですね」
「そう? 今日ぐらいは寝ないとな」
「寝られないのですか?」
「うん。吉岡さんが一緒に寝てくれたら寝れそう――」
下手したらセクハラで訴えられるんじゃねえかというセリフが無意識にこぼれ出た。
「…………」
吉岡さんが、瞬きもせず黒い瞳を開けたままにして、俺を見ている。
「ご、ごめん」
弱音が吐けなくて、限界まで追い込まれてもがいてる割には、吉岡さんには情けないところばかり見せている。
「嘘だから。いや、嘘ってわけでもないけど、なんていうか」
「いいですよ」
「へ?」
いい……って?
ごくりと喉が鳴る。吉岡さんは全く表情が変わっていない。焦り倒しているのは俺だけのようだ。
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「今のは、冗談だったのでしょうか?」
「いやっ、いや、違う……」
違わないのに否定できない。
ドッドッと心臓の音が自分でも聞こえるぐらいに激しくなってきて、もう一度ごくりと喉を鳴らした。
「いいの? 本当に……」
吉岡さんは口の端を少しだけあげて俺に頷いた。
「いいですよ。一緒に寝ても……」
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