竜騎士の末裔

ぽてち

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第1章

8、竜騎士の居城

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 ナイジェルたちは陽が昇る前に遺跡に向けて出発した。
 暫く荒涼とした砂漠を行くと小高い丘陵地帯が目に入ってくる。
 近づくと丘陵地帯の頂上を繋ぐように城壁が作られていて、ほとんど崩れてはいるが物見の塔だったのだろう城塔もいくつか見られた。

「恐らくこの丘の向こう側ですね」
 ユタが地図を見ながら場所を指し示す。
 城門もあるにはあったが石垣が崩れ落ちて塞いでいるので、馬で入るのは無理そうだった。
 城壁が崩れて大きく空いた場所があったのでそこから入ることとなった。
 道があるわけではないので、ナイジェルを先頭にして足元を確認しながら慎重に場所を選んで馬で登っていく。
 後には驢馬に乗ったユタ、護衛隊、駱駝や馬に乗った学者たち、荷物を載せた駱駝の順で続いていく。

 城壁を越え、丘の上から眼下を望むと目的地である遺跡が見えた。
 丘に囲まれた盆地の中にその遺跡はあった。
 人が住まなくなってから数百年は経過しているのだろう。多くの建物が崩れていた。それでも中心部はかつての威容を覗わせる。
 石畳の道が僅かに残っていたので、そこを伝って丘を降りていく。
 道の脇には甘橙オレンジ柘榴ざくろの木が植えられている。枯れて朽ちている木もあり、何十本と植えられているところを見るとここは果樹園だったのだろう。
 見渡すと遺跡の中心部から丘の斜面にかけて、すべて同様に果樹が植えられている。

「竜騎士というのは随分甘橙や柘榴が好きだったようだな」
 路に張り出していた枝を避けながら、進むナイジェルは果樹の多さに苦笑を漏らした。
「いいえ、恐らくこれは竜が食べてたのではないでしょうか」
 ユタは笑いながらかぶりを振る。
「竜騎士が騎獣としていた翼竜種は雑食なのです。獣の肉も食べましたが、大体は麦等の雑穀や果物、芋類を食べていたそうです。ここの竜騎士の竜は果物が好きだったのではないでしょうかね」
「なるほどな」
 会話をしながら、建物の間を抜けていく。

 多くの建物が木の柱を立てて日干し煉瓦を積み上げた物なので大半が倒壊している。
 町の中心を通る大通りだったのだろう四バー(8m)ほどの広さの舗装された道まで出た。中心部を通る大通りの両脇の建物はさすがに石積に漆喰が塗られた建物が多く、原形を留めている。
 その大通りを進んでいくと周囲を石塀と濠を巡らせた淡紅色の大理石を積み上げた建物に行きあたる。
 ここはかつて竜騎士が住んでいた城館なのだろう。

 大陸全土を支配下に置いていた竜騎士の居城にしては随分瀟洒な造りだとナイジェルは思った。
「まずここから調べてみましょう。書庫があると思いますので、残っている物は持ち帰りたいですね」
「書庫は私とジェイン殿で調べましょう。他の者へはユタ殿が指示してもらえますかな」
 マレンデスもジェインも古文書に通じている。
「少しここで待っていてください。盗賊が居ないとも限りませんので」
 そう言うとナイジェルは中に入っていく。
 当然のようについてくるユタをチラリと視線を送っただけで何も言わなかった。

 中に進んでいくと数百年が経過しているにもかかわらず、それほど荒れ果ててはいなかった。
 入り込んだ砂がうっすらと床に降り積もり、盗賊なのだろうか足跡がいくつか見られた。
 頑丈な造りなのだろう、所々装飾のタイルが剥がれ落ちてはいるが、崩れているところはほとんどなく静謐な空間が広がっていた。

 ナイジェルは腰の剣を一振り引き抜くと手にしたまま進んでいく。
 一階の内部を隅々まで見て回ったが、特に怪しげなものはなかった。
 二階に上がる階段を進んで上り切った先の露台バルコニーに出る。
 露台に出ると城館を中心に放射状に広がる街が一望できた。

 風の音だけしか聞こえない風景はまるで時が止まっているように見えた。
 暫くその風景に見入っていると砂を含んだ風が吹き込んでくる。
 僅かに目を細め、それを潮に振り返るとユタが声をかけるのを暫く逡巡した挙句、手を上げたままその場に固まっていた。
「どうかしたのか?」
「いえ、ナイジェルこそどうかしましたか?」
「ただ景色を見ていただけだが?」
「……そうですか」
 ユタはがっかりしたような安堵したような複雑な表情を浮かべたが、その事には触れなかった。

 二階も見て回ったが、割れた陶器の破片が落ちているくらいで特に何もなかった。
 剣を鞘に戻して降りていくとマレンデスとジェインが書庫に入っていた。
「上には特に何もありませんでした」
「――詳しくは見ていませんが、こちらもですね。大方が行政書類の類かと思いますが、劣化が激しいですな。このまま持ち帰って、王立学問院で調べたほうがよろしいかと」
「そうですか。ユタ、竜騎士の墓はどこにあるんだ?」
「恐らく、郊外に祖廟があると思いますが。そこに代々の竜騎士が祀られているはずです。我々の目的の人物もそこに眠っているでしょうね」

 外を見ると太陽は中天からだいぶ西に傾いている。
 九月アーザルの半ばを過ぎた今の季節は日の入りが早い。
 日の出も遅く、道もない場所を暗がりの中進むわけにはいかないので空か白んで来てからの出発だったが、意外と時間がかかってしまった。
 小休止をとって軽く食事をとっていたが、昼食は取っていない。
「今日はここまでだな。ユタ、井戸はどこにある?」
「先ほど、カリームが探してきました。この建物の裏手にあるそうです」
 マレンデスがそう口を挟む。
「では、この周辺を見てきます。ドニアザード、アミナさん、食事の支度を頼む」
「承知しました」
 アミナはおっとりと笑い、チラリと娘の方を見た。
 ナイジェルの背中に潤んだ瞳で熱い視線を送る娘を見て溜息をついた。


 スライを伴って、ナイジェルは城館の周りの建物を見て回った。
 似たような構造の建物が壁のように城館の周囲を囲んでいる。竜騎士配下の者たちの住まいなのだろう。
 内部の壁には竜を題材にした浮き彫り細工の装飾が施されている物がほとんどだった。剣と思われるものも落ちていたが錆びて手に取るとぼろりと崩れていく。

 浮き彫り細工を見入っているのか、その場に立ち尽くすナイジェルに声を掛ける。
「ナイジェル隊長」
「竜騎士が亡くなってから、ここにいた住人はどうしたんだろうな」
 ぽつりと独り言のように意外な言葉がナイジェルの唇からこぼれた。
「さあ? 他の町の移ったのでは」
「そうだな」
 壁の装飾の前から動こうとしないナイジェルを不思議そうに見る。
「周りも問題はなさそうだな、もう戻ろう」
「はい」
 外に出て城館に戻る途中、不意にナイジェルが振り返った。
 青から徐々に茜色に染まりつつある空をじっと見上げ、微動だにしない。
「どうかしましたか?」
「いや、気のせいだろう」
 そう言いつつ、ナイジェルは厳しい表情を浮かべ何かを考え込んでいた。


「ユタ、竜騎士というのは大災害の時にほとんど亡くなっているんだろう?」
 ナイジェルは渡された食事には手を付けず、隣にいるユタに質問をした。
「ええ、そう言われています。およそ百年に亘る地震や干ばつ等の自然災害で起きた大飢饉で全人口の五割の人間が亡くなったと言われています。竜は人よりは丈夫で寿命の長い生き物ですが、食べ物が無くては生き物は生きていけませんからね。……どうも、人の肉を食べさせたのが滅亡の切っ掛けだとか」
 ユタの言葉にシンと周りが静まり返る。

「人の肉を食べた竜はそれだけしか食べなくなるそうで、凄まじい虐殺が行われたようですね。竜騎士は竜を騎獣とする者に与えられる称号で彼らはかつてのフェルガナ帝国の選帝侯でもありました。本来、守護すべき人々を騎獣の食糧にすれば、その者の末路は推して知るべしですね」
「ここの竜騎士もそうなのか?」
「いいえ!」
 ユタの噛みつかんばかりの剣幕にナイジェルは目を丸くした。
「いいえ、そんなことはしていません。逆に同胞である竜騎士たちから人々を守るために他の竜騎士たちと対立して戦ったと言われています」
「数百年も前のことだろう。本当かどうかわからん。その子孫が都合のいい話を作ったのかもしれない」
「……ナイジェル、なぜそんなことを言うのですか?」
 悲しげに言われて、ナイジェルは苦笑する。
「お前の方こそ、妙な肩入れをする。言いたいことはその事じゃない。その竜騎士の騎獣はその時死んだのか?」
「……ええ、そう言われています」
「他に竜は生き残ってはいないのか?」
「よく見世物小屋で見せる様な犬くらいの大きさの翼竜種の亜種なら残っていますが」
「ああ、あの蜥蜴の化け物か」
 ナイジェルの言い様にやや引き攣った笑いを浮かべる。
「まあそういう言い方もできますが、騎獣に出来る様な大きさの翼竜種が生き残っているという話は聞かないですね」
「……そうか」
 そう言ったきり、険しい表情で腕を組んで黙り込む。
 声を掛けるのを憚られる雰囲気だ。
「……あのナイジェル様、食が進まないようでしたら、他の物を」
「いや、いい」
 ドニアザードが食事に手を付けようとしないナイジェルを気遣って声をかけるが、短い言葉で断るとそのまま食事をしていた城館の広間から出て行ってしまった。

 その後ろ姿を怪訝な表情で見送るとスライに問いかけた。
「ナイジェルに何かあったのですか?」
 ユタの質問に困惑した表情のスライが首を振る。
「いや。周りの建物を見て回っただけだが。確かに普段のナイジェル隊長らしくない言動はあったにはあったが」
「どんな?」
 異様な喰いつきを見せるユタの様子に記憶を手繰るように首を捻りながら、
「ぼうっと壁の浮き彫り細工を見ながら、ここの住人はどこに行ったのかと言っていたな」
「そう……ですか」
 ユタの灰青の瞳が青さを増し、深い思考の中に沈んでいくのが分かった。


 翌朝になって井戸端でユタが顔を洗っていると不意に視界に人の足が入り込んだ。ぎくりとして顔を上げるとナイジェルだった。気配もさせずに傍らに立った幼馴染の顔を見て息を呑んだ。
 砂色の瞳が翡翠色の焔を揺らめかせていたからだ。
「おは…ようござ…い…ます」
「……ああ」
 ナイジェルも顔を洗うと城館に入って行った。
 ユタは大きく息を吐き出した。
 知らないうちに呼吸をすることを忘れてるほど、彼に対して緊張していたことに気付く。


 朝食の席でもそれは変わらなかった。
 びりびりとした緊張感が充満して、息苦しいほどだった。その緊張感の大本は無言のまま食事を機械的に口に運んでいる。
 スライもナイジェルに声がかけられず、こちらも無言のまま食事をしている。
 ナイジェルは食事を終えるとおもむろに口を開いた。
「今日、祖廟に行くのは俺とユタとスライ、後護衛隊の何人か選んで行きます。他の皆さんはここで待っていて下さい。俺達が昼を過ぎても戻って来なかったら迷わずツグルトに向かって下さい」
 ナイジェルの言葉に唖然として皆固まった。
「ナ、ナイジェル隊長、一体何を――」
 マレンデスは狼狽して、手にしていたパンを落としてしまった。
「危険だと判断しましたので、従って頂きます」
「調査はどうするのだ。このまま帰れば、王太子殿下に咎められるのは我らだぞ」
 憮然とした様子で反論するジェインにナイジェルは酷薄な微笑を浮かべる。
「王太子殿下とて、命までは取ることはないでしょう」
「何を懸念しているのですか、ナイジェル」
 秀麗な眉を顰めて、不安そうな顔を見せるユタに浮かべていた微笑を消す。
「……竜が生き残っているのかもしれない」
 ぽつりと呟いたナイジェルの言葉に沈黙が落ちる。
「何を馬鹿な――」
 笑い飛ばそうとしてジェインはナイジェルの張りつめた様子に言葉を失い、ごくりと唾を呑んだ。
「……確かに馬鹿な懸念かもしれない。だが、俺には貴方たちの命を守る義務があるのでね。半日くらい調査が遅れても、問題はないでしょう。俺の考え過ぎだったらその時は存分に笑い飛ばせばいい」
 ナイジェルの言葉に反論する者はいなかった。


 支度を終えて出発しようとするナイジェルたちを調査団の面々は不安そうな表情で見ていた。
 ドニアザードは目に涙を溜めて、ナイジェルに縋り付きたそうな顔をしていたがそれを許さない雰囲気を纏っていた。
「ナイジェル隊長、お気をつけて」
 馬上のナイジェルを不安そうに見上げながら言うマレンデスに口角を上げただけで何も答えず馬首を返すと、軽く馬の脇腹を蹴り石畳の上を走り出した。
 その後にユタとスライ、護衛隊からファルハードと三人の兵士が付き従う。

 少し駆けた後並足になったナイジェルの隣にユタは並んだ。
 声を掛けようか逡巡するユタにナイジェルから声がかけられた。
「……ユタ、祖廟はあの丘の中腹にある建物でいいのか?」
「はい、たぶん――」
「ユタ、怖いのならここから戻っても構わないぞ」
「いいえ!」
 顔は正面を向けたまま、目線だけをこちらに向けてくるナイジェルの目を捕えて驚くほど強い調子で叫んだ。
「……いいえ、お供します。もし、あなたが邪魔だと言うのでしたら戻りますが」
 語尾は消えそうなほど弱々しい響きを持っていた。
 ナイジェルは苦笑すると
「いや、いてくれると助かる」
 ナイジェルの言葉にホッとしたように表情を緩めると気になっていたことを質問した。
「ナイジェルは何故竜が生き残っていると思うのですか?」
「……あの盗賊たちの殺され方。人には不可能だろう? それとこの街だな、確かに“虚無の砂漠”が北進して石の道が遠のいたとはいえ、今も水も枯れていない果樹が生える状態なのに数百年も前に人がいなくなったままというのが気になる。家の中が大して荒らされていないのもな」
 話をしているうちに目的の丘のふもとまで来た。
 中腹にある建物までの緩い坂にも石畳が敷かれていた。
「ここのようだな」
 騎乗したまま坂道を上ってく。

 中腹に立つ祖廟はかなり大きな石造りの建物で、円柱には細かな彫刻が施されている。
 特に変わった様子もないので、ファルハードたち護衛隊の兵士はホッとしたように息をついた。
 半信半疑ながらも、思いつめた様子のナイジェルに不安を抱いていたからだ。
「なにも無いようですね、ナイジェル隊長って結構心配性なんですね」
 緊張を強いられていた反動なのか、ファルハードが軽口を聞いてくる。
「……そうだな、ジェイン殿に笑い飛ばされずに済んで残念だ」
 ナイジェルは感情を感じさせない声で応えると馬を降り、音も無く二本の剣を引き抜いた。

 祖廟の奥のうす暗がりの中で、巨大な何かが動くのが見えた。
 黒光りする鱗を連ねた長い首をゆっくりと持ち上げ、威嚇するようにこちらを見ている。
 爬虫類独特の縦長の虹彩を持つ黄色い目が餌となる人間をじっくりと品定めしているようだった。
 深緑色の巨体は頭から尾の先までは十バー(約20m)は越えているだろう。
 いまは閉じられている被膜を纏った翼を広げればさらに大きい。
「――ひいっ!」
「目か翼を狙って矢を放て!」
 ナイジェルの命令に反応できたのはスライだけで他の兵士は短い悲鳴を上げたまま恐怖で固まり翼竜を見上げているだけだった。
 スライは放った矢も首を振って弾かれた。
 スライは舌打ちすると翼に狙いを変えて、持っていた弩を短弓に持ち替えると矢継ぎ早に矢を放っていく。
 竜がスライに気を取られている隙にナイジェルは祖廟の中まで走りこむと腹の部分を切り裂いた。
 竜は痛みに咆哮を上げると激昂したのか、長い尾を振るってナイジェルを叩き潰そうとした。
 横に飛び退いて、間一髪で尾を避ける。尾を叩きつけた石の床は粉々に砕け散り、破片が周囲に飛び散った。
 飛び散った破片がナイジェルの頬を翳め、赤い線を作る。

 ナイジェルは身を翻すと祖廟の外に走り出た。翼竜は短い足を動かして、ナイジェルを追って祖廟の外に走り出てきた。
 その動きはその巨体にも拘らず素早かった。
「ナイジェル!」
「ナイジェル大隊長!」
「大丈夫だ。スライ、矢を射続けろ!」
 ユタとスライの叫びに竜から目を離さずに答えると手の甲で頬から滴り落ちる血を拭った。

 その頃になってようやく護衛隊の兵士が動き出し、弩では足を使って自重を掛けて引き上げないと矢をつがえることが出来ないのでスライと同様に短弓に持ち替えて矢を射始めた。
 ファルハードもまだ恐怖が残っているのかぎこちない動きで矢を放つ。
 間断なく射こまれる矢が鬱陶しいのか兵士たちの方に首を回すと一人の兵士に狙いを定めて噛みついた。
 断末魔の叫びと骨が噛み砕かれる嫌な音が混じり合う凄惨な光景が酷く非現実的だった。
 その光景に恐怖に駆られ、逃げ出そうとする兵士を更に竜が噛みつこうとした瞬間、スライの矢が竜の目に命中した。
 激痛に咆哮を上げ、矢を抜こうと暴れまわる竜の尾が兵士たちを吹き飛ばした。
 スライも一瞬逃げるのが遅れて手にしていた弓を弾き飛ばされた。
 尾の届かない距離まで後退すると左腕を押さえて、蹲った。
「スライさん、大丈夫ですか!」
「……腕をやられました」
 額に脂汗を浮かべるスライの無事な方の腕を取り、翼竜から離れようと顔を上げるとナイジェルが竜の背を駆け上がるのが見えた。
 目に双刀を突き入れ、横に切り裂いた。
 ナイジェルを捕まえようとする腕を後ろに跳躍して躱し、落ちる勢いを利用して後ろ脚の付け根を両断した。
 地面に着地したナイジェルは体勢が良くなかったのか僅かによろけた。
 竜は咆哮を上げながら、まだ無事な方の目でナイジェルを睨むとナイジェルを目掛けて尾を叩きつけようとした。
『止めろ!』
 ユタが叫んだ瞬間、その言葉が通じたのか翼竜はびくりと驚いたように顔を上げた。
 翼竜がユタに気を取られたおかげで、ナイジェルに叩きつけられた尾は大分勢いを殺された。
 それでも数バーの距離を吹き飛ばされ、起き上がったナイジェルは脇を押さえている。
 翼竜は戸惑ったようにユタを見つめている。
 残った瞳に僅かに理性の色が揺らめくのが見える。
「ユタ! こいつの弱点は?」
「首です! 逆さに鱗が生えているところが急所です!」
 ナイジェルは躊躇せず、翼竜の足元に走りこんだ。
 気付いた翼竜は尾で払おうとしたが、ナイジェルの方が早かった。
 鈍い金属音がして、ナイジェルの双刀によって首が大きく抉られ、血が奔流となって噴出した。
 ゆっくりと横倒しに倒れた翼竜は自身を切ったナイジェルを認めると悲しげな鳴き声を僅かに上げ、流れ出す血と共に生気を失っていった。

 ナイジェルは荒い息を整えると口の端から滴った血を指先で拭った。
「ナイジェル! どこを怪我したんですか!」
 必死の形相で駆け寄ってきたユタを手を上げて制する。
「口の中を切っただけだ。……脇が少し痛むがな」
 そう言いながらも、脇を抑えたまま動けずに蹲る。
 白い額には大粒の汗が滲んでいる。
 数本肋骨が折れたなと思ったが、そう素直に口にするのは、泣きそうな顔でナイジェルを見ているユタの前では憚られた。
「スライは?」
「わたしは左腕が折れただけです」
 相当痛むのだろう顔を顰めている。
「他の者たちは?」
 そう言って、兵士たちが倒れている辺りを見やるが、遠くからでも彼らが生きている様子はない。
 溜息を吐くと死者を悼んで目を瞑った。
「と、とにかく、マレンデス団長たちに知らせてきます。すぐに治療する道具も持ってきますから、絶対に動かないで下さいよ」
 そう言い残すとあたふたと馬に乗り、丘を降りていった。

 それを見送るとナイジェルは祖廟の脇にある木の根元まで歩いていくと慎重に腰を下ろした。木に背中を預けると目を瞑る。スライも傍らまで歩いて来て、腰を下ろす。
 脇腹を押さえて、ゆっくり息を整えるナイジェルの呼吸の音だけが辺りに響いている。
「……本当に竜がいるとは思いませんでした」
「ああ、彼らには申し訳ないことをした」
 大地に横たわる遺体を見ながら、感情のない声で呟く。
「彼らも兵士です。命の危険が伴うのは覚悟していたでしょう」
「竜と戦うとは思っていなかっただろうな。それに俺は彼らが死ぬことを知っていてここに連れてきたのかもしれない」
「……戦場とはそういうものでしょう」
 スライは眉間にしわを寄せて、ナイジェルの発言を咎めるような表情になる。
「そうだな。滅多にしない怪我をしたから、感傷的になっているのかもしれない」
 そのまま沈黙が落ちた。
 スライは倒れている翼竜に目をやる。金属的な輝きを持つ鱗に覆われた巨体に今更ながら、恐怖を感じる。
 よくこんなものを倒せたものだとナイジェルの白い顔を見つめる。
 スライの瞳には畏怖と崇拝が混ざった感情が宿っていた。
 

 暫くするとユタを先頭にして、調査団の学者たちと護衛隊の残りの兵士たち全員が到着した。
 翼竜の死体を目にして、声も出ない様子だった。
「ナイジェル! 早く治療してください!」
 ユタが鬼気迫る勢いで医学の心得のある学者を引き摺ってくる。
 その様子が可笑しくてつい笑ってしまい、折れたところがずきりと痛んだ。

 ナイジェルは緩慢な動作で服を脱いだ。
 翼竜の尾が当たった場所は酷い痣が出来ていたが、後は細かな擦過傷があるだけだった。
 打ち身に効くという塗り薬を痣の部分に塗り、丁寧に包帯を巻いていく。

 スライの左腕も綺麗に折れていたので、治れば動かすのには問題はなさそうだ。
 こちらも添え木を当てて、包帯を巻いてもらっていた。
「ナイジェル隊長。貴方が一人でこれを?」
 あまりのことに頭が回らない様で呆然と聞いてくるマレンデスにナイジェルは微笑を返す。
「まさか。スライや亡くなった護衛隊の兵士の協力あってのことです」
 ユタもスライも微妙な顔をした。
 確かに弓矢で翼竜の気を逸らせることには成功したが、実際に傷を負わせて打ち取ったのはナイジェルだ。
 マレンデスもユタとスライの表情の意味は理解したが、そうですかと頷いたのみだった。

 ナイジェルを見るマレンデスの瞳には今までと違った畏敬の念にあふれていた。
「ともかく、彼らの葬儀をせねばなりませんね。あの竜の死体の処理もです。調査はそれからになりましょうな」
「ええ、後のことはマレンデス団長にお任せします。俺は当分動けそうもないので」
「ナイジェル、横になってください」
 持って来ていたのだろう敷物を引いてナイジェルを促した。
 ナイジェルもかなり辛いのだろう抵抗はせずに横になった。
「ユタ、これくらいじゃ死なないから安心しろ」
 あまりにも心配そうな顔をしたユタを安心させるために少し笑うと目を瞑った。
 ナイジェルの激痛から来る汗を浮かべた顔を見ながら、ユタの顔は安堵と苦悩に奇妙に歪んでいた。
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