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最終話 それぞれの夢へ

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暁子はセンターの裏にある一本のもみの木の前に立っていた。その手には一枚の写真が握られている。北翔、明彦、植野医師が三人で撮影したあの写真だ。植野医師の奥さんの承諾を得て数枚、現像したのだ。

雪原が広がり、遠くには近未来エリアの高層マンションやタワーが見える。雪は降っておらず、どこまでも真っ青な空が広がっていた。

「彗が教えてくれたけど、センターの裏にこんな場所があったとはねえ」

暁子は持ってきたシャベルでもみの木の根元を掘った。雪はそれなりに深く、土まで掘るのは結構な重労働だった。小さな穴ができると、彼女は一枚の写真とリングをひとつ、そっと置いた。それはかつて明彦がくれた結婚指輪だった。

「家の中を探したらあったんだよ。わざわざ地球からこんなものを持ってくるなんてさ。私も未練がましいね」

暁子はそう言って笑った。もう一度シャベルを持ち、写真とリングに土をかけていく。雪まで戻して平にした後、暁子は呟いた。

「一体、あんたは地球のどこにいるんだい?北海道に埋葬まいそうされてるならいいけどそんなことはないんだろうね。こんな簡素な墓で悪いね。でも、いずれはきちんと墓を作るつもりさ。死んだら私もその中に入るからね」

そして、静かに手を合わせた。と、その時だった。

(……なんだ、気づいてなかったのかよ。俺はお前のそばにいるぜ。これからもずっとな)

暁子はハッとして顔を上げた。強い風が吹いてもみの木が揺れた。

「明彦……?」

しばらくその場にたたずんでいた。が、静かに微笑むと暁子はその場を立ち去った。彼女の背中に向かって、明彦はそっと微笑みかけたのだった。

***

水端流は北翔の件を政府に報告した。そして、明彦のことを内々で処理していたことを改めてメンバー――特に暁子に謝罪をした。北翔は墜落事故の10人目の生存者として正式に認定された。未開拓の富士山を誰の手も借りずに下山した18歳の美少女ということで、北翔は一躍有名になった。

「わたし、登山家になる。それで、山岳救助隊を目指す」

ある日、一大決心をしたかのように北翔が彗に宣言した。デスクで作業に没頭していた彗は驚き、咄嗟に顔を上げた。

「……ええっ?!」

「この星にはまだ開拓されていない山が沢山ある。富士山もそう。全部回ってみんなが登れるようにする。で、訓練を積んで遭難した人を救助する仕事がしたい」

「北翔……すごいよ!素敵な夢だね。宵月博士が聞いたらきっと喜ぶよ」

彗はまるで自分のことのように嬉しくなり、北翔の両手を優しく握った。

「……でも、それはもう少し後の話」

「ん?なんで?」

訳が分からず、彗は戸惑った。北翔は自分の手を握っている彗の両手をお腹に当てると言った。

「その前に、産んでから」

「……えっ?」

「子供、できた。彗との子」

はにかみながらそう言う北翔の顔を見つめ、彗はしばらくの間固まってしまった。

「えっ……ええええっ?!」

「そんなに驚かなくても」

「いや、だって……あ、あまりに嬉しくて……」

そう呟きながら、彗は感動と感激のあまり涙を流した。

「そんなに泣かなくても」

北翔は彗の頭を優しく撫でた。彗は涙を拭きながら尋ねた。

「いつ……分かったの?」

「ついさっき。定期健診で暁子が教えてくれた。最近、ちょっと体調が悪くて。メンテナンスしたばかりなのにおかしいなって思ってた。全部この子のせいだった」

北翔はそう言うとお腹を指差して微笑んだ。

「そうだったんだ……」

その時、彗は思った。

(言うなら今かもしれない……ずっとタイミングを逃してたから。今日こそは……)

「ほ、北翔……。そ、その……これから僕に毎日、ガトーショコラを作ってくれませんか?」

頬を赤らめ、辿々たどたどしい口調でそう尋ねる彗を北翔はじっと見つめた。

「別にいいけど。ガトーショコラぐらい。でも、何でそんなことわざわざ改まって言うの?」

「えっ」

彗は気づいた。彼女に何ひとつ伝わっていないということを。

「えーっと、これはその……僕と結婚してくださいっていう意味で……」

北翔は驚いて目を丸くした。しばらくの間、黙っていたが、やがて笑いながら言った。

「彗、分かりにくい」

「ご、ごめん……!なんか良い言葉ないかな~って考え過ぎちゃったみたい」

頭を掻きながら苦い笑いを浮かべる彗を、北翔は愛おしく思った。

「彗らしい。いいよ、結婚」

「本当に?」

「うん」

「あ、ありがとう!」

彗は目に涙を浮かべながら、北翔を思い切り抱き締めたのだった。

***

他のメンバーも順調に成長していた。ハレーは軍隊での活躍が認められ、昇格した。ベネラは志希の子育てを続けていたが、北翔の一件が解決して時間に余裕ができた暁子に、志希の子守りを依頼。決められた時間だけ戦闘トレーニングを再開した。志希の子育てがひと段落したら、警察官を目指すつもりだからだ。

各地を講演会で回ったことで更に有名になった雄飛は、不妊治療に悩む夫婦へ子供アンドロイドの開発、提供する事業を立ち上げた。細かくヒヤリングし、その夫婦が求める子供アンドロイドを制作。丈夫で性能が良く人間に最も近いアンドロイドとして評判を呼び、依頼する夫婦が殺到した。

一方、木星研究を進めるイオは自身初の探査機を飛ばすことが決定。本来は国ごとに制作をするが、イオたっての希望で各国から木星と探査機開発のスペシャリストが集められ、インターナショナルなチームが結成された。

更に、シリウスは人間と同じ小学校に通い始め、雄飛とイオの間には二人目の子供アンドロイドが誕生。シリウスには妹が出来た。

「ねえねえ、ベガにはなんで犬耳がないの?」

「だって、あたし、どうぶつじゃないもん」

「そっか……」

寂しそうな表情を浮かべるシリウスの犬耳を触りながら、ベガは笑顔で言った。

「でも、あたし、シリウスのみみ、すきだよ!」

「ベガ……ありがとう!」

仲睦まじい兄妹の姿を、イオと雄飛は微笑みながら眺めていたのだった。

***

ある日の昼時、彗と暁子は食堂に向かっていた。

「渡したいものって何なんでしょうね?」

「さぁ?」

食堂は昼食を摂りに来た職員で賑わっていた。一番奥の窓際の席に立ち、手を振る北翔の姿が見えた。

「二人とも遅い」

「すまないね。ちょっと仕事が立て込んでて。で、用事って何だい?」

北翔は紙袋から中くらいの箱を取り出し、二人の前に置いた。

「赤い箱が暁子、白い箱が彗」

暁子と彗は顔を見合わせると、箱を開けた。その中にはガトーショコラとショートケーキが入っていた。彗は目を輝かせ、暁子は目を丸くした。

「これ、あんたが作ったのかい?」

「うん。暁子と博士の思い出を贈りたくて。そこの厨房を借りた。ハンバーグと迷ったんだけど……ケーキはきっと一緒に食べられなかったんだろうなって」

「まぁ……」

暁子は感激のあまり言葉に詰まってしまった。

「このガトーショコラは?」

「彗の好物だから」

「へえ。なんか理由でもあるのかい?」

暁子の言葉に彗は顔を真っ赤にして黙ってしまった。代わりに北翔が答えた。

「バレンタインにあげたの。そうしたら凄く美味しいって。あと、プロポーズの言葉だった。分かりにくかったけど」

「ちょっと北翔……!」

彗が慌てて言った。数日前に二人から結婚の報告を受けたばかりの暁子は興味深そうに問い掛けた。

「プロポーズの言葉?どういうのだい?」

すると、北翔が少し考えた後に思い出して言った。

「僕に毎日、ガトーショコラを作ってくれませんか?だって」

「……そりゃあ、分かりにくいね」

暁子はそう言って楽しそうに口元を緩めた。彗が顔を真っ赤にしてうつむく。

「でも、私の旦那も似たようなもんさ」

「博士も?」

「いきなり仕事帰りに電話をかけて来てね。明日、婚姻届け出しに行くから朝、家に来い、って」

彗と北翔は顔を見合わせた。

「なんて強引な……」

「でも、博士らしい」

「だろう?」

三人は笑い合った。

「北翔。せっかくだから宵月先生と分け合って食べてもいいかな?僕もショートケーキ食べてみたくて。宵月先生、いいですよね?」

「それは良い考えだ」

「うん、両方食べて」

暁子と彗はそれぞれのケーキを分け合い、口に運んだ。

「美味しい!どっちも!」

彗は目を輝かせ、あっという間に完食した。暁子は無言だったが、感慨深い思いで味わっていた。全て食べ終わるとフォークを置いて言った。

「旦那と一緒に食べることは叶わなかった。でも、あんた達とこうして食べられたことが私は嬉しい。きっと……明彦も喜んでくれてると思う」

暁子は目頭が熱くなるのを感じたが、堪えながら言葉を続けた。

「北翔。あんたを見てるとね、明彦の面影を感じるんだよ。あんたが生き延びてくれたおかげで、私は明彦の最期を……本当の気持ちを知ることができた。私はあんた達を何とか救いたいと思ってた。でも、救われたのは私の方さ。本当にありがとう」

「暁子……」

「この間、あんたの話を聞いて分かったよ。明彦がどれだけあんたのことを大事に育てたか。子供が欲しいっていう私の願いは叶わなかった。その罪滅ぼしなのかもしれない。でも、例えそのことがなくても明彦はきっとあんたを自分の子供のように可愛がったと思うよ」

暁子の言葉に北翔の目から大粒の涙が零れた。

「北翔、あんたは分かるかい?宇宙船に乗り込む時、二人分のパスを持っている明彦が何で先に入ろうとしなかったのか」

北翔は首を横に振った。

「あんたを守ろうとしたんだよ。銃口を向けられていることまで気付いてたかどうか、それはさすがに分からないけどね。あんたを死なす訳にはいかないと思ったんだろうね」

「博士……そんな……」

北翔は顔覆ってしまった。彗が彼女を抱き寄せ、頭を優しく撫でた。

「だから、あんたはこれから強く生きなきゃならない。あんたは明彦の希望だ。もちろん私達にとっても。ねえ彗?」

「そ、そうですよ!これから僕達の子供だって産まれるんだし!」

彗はそう言って微笑んだ。北翔は顔を上げると、大きく頷いた。淡いグレーの瞳に力強い光が灯ったのだった。

***

その日の夜、彗はセンター近くのバーカウンターにいた。彼は普段、洒落た店には入らない。だから、どうにも居心地が悪くソワソワしていた。すると、水端流がやって来た。

「遅くなってすまない」

「い、いいえ。僕も今来たところなんで大丈夫です」

流は、うむ、と言うとコートを脱ぎ、彗の隣に座った。

「ウオッカをロックで頼む」

「彗、お前は?」

「ああ、僕は……カルーアミルクで」

「かしこまりました」

すると、流は物珍しそうな顔で彗のことを見た。

「随分と女性らしいものを飲んでるんだな」

「僕、あまりお酒飲まないので……」

「そうだったか……」

二人は黙り込んでしまった。程なくして、目の前にグラスが差し出された。流はグラスを掲げると言った。

「ひとまず、プロジェクトの大成功、そして、結婚、北翔の妊娠おめでとう」

「あ、ありがとうございます……!」

「……思えば、お前とこうして酒を飲んだことは一度もなかったな。母親がいなくなってから俺は殆ど家にいなかったからな……」

「そ、そうですね……」

すると、流は何かを言いかけて、躊躇った。

「あの……父さん?」

「ああ、その……この間も言ったが、すまなかった。だが、今回のお前の活躍は素晴らしかった。誰の手も借りずに自分に打ち勝ち、プロジェクトの目標を見事達成してくれたのだからな」

「い、いいえ。僕は何も……北翔のおかげです。それに、みんな自分の仕事で結果を出してます。夢に向かって頑張ってる」

流は、うむ、と言うとウォッカを一口飲んだ。

「……実はお前に話があってな」

「えっ。な、なんですか?」

「実は、我がプロジェクトのリーダーをやって欲しいのだ」

カルーアミルクを飲んでいた彗は、驚いて思わず吹き出しそうになった。

「ええっ。で、でも……」

「人数が増えてきたのでな。そろそろまとめる者が欲しい」

彗は慌ててカルーアミルクをグイッと飲むと、グラスを両手で持ちながら言った。

「ありがたいお話ですが、僕には荷が重過ぎます。雄飛くんか宵月先生にお願いした方が……」

流は彗の言葉を遮った。

「いや。二人の承諾はもう既に得ている。雄飛くんも宵月くんもぜひお前にやって欲しいと言っていた。何より私自身がお前にリーダーを頼みたいのだ。息子だからではない。上司としてお前の働きを評価してのことだ」

彗は押し黙ってしまった。流はウォッカを飲み干すと優しく言った。

「返事は今じゃなくていい。よく考えてからお前の気持ちを聞かせてくれ」

彗は決意したような表情を浮かべると流の顔を見つめて言った。

「やります、リーダー。僕にぜひやらせてください」

「彗……」

「以前の僕ならきっと断ってたと思います。でも、今の僕はもう前の僕じゃない。リーダーなんてそりゃあ、大変な仕事だと思いますけど、責任を持つ仕事に挑戦してみたいです。北翔と生まれて来る子供の為にも」

流の顔が驚きの表情から微笑みに変わった。

「決意してくれて何よりだ。期待しているぞ」

流は息子の肩をポンと叩いた。彗ははにかみながらも嬉しそうに笑った。そして、カルーアミルクを一口飲むと眉をひそめて尋ねた。

「っていうか、話ならウォッチで良かったのに……なんでわざわざ店に?」

流は少し躊躇いながら言った。

「それは……たまにはお前と酒でも飲みながら話をしようと思ったのだよ」

「父さん……」

流はバーテンダーに顔を向けて言った。

「ウォッカのロックをふたつ頼む」

「かしこまりました」

「えっ、父さん。二杯も一気に飲むんですか?」

「そんな訳ないだろう。もう一杯はお前のだ」

「えっ、でも僕……」

「お待たせ致しました」

二人の前にグラスが差し出された。彗はそのグラスを緊張した面持ちで見つめた。

「何事もまずは挑戦からだ。我が息子よ」

流はそう言ってグラスを掲げた。口元には楽しそうな笑みが浮かんでいる。その笑顔に彗は何だか自身の胸が温かくなったような気がした。

「はい、父さん」

彗はグラスを掲げ、微笑んだのだった。



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