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第5章 Side 珠喜
第9話 映画館までのドライブ 前編
しおりを挟むハンドルを握る彼を朝日が眩しく照らす。その真剣な横顔にドキドキした。女子が「彼の好きなところは?」と、聞かれて「車を運転してるところ」と答えることがよくある。その気持ち、今のアタシにはよく分かる。少しだけまくった袖から見える逞しい腕とか、シフトレバーに触れる大きな手には思わず自分の手を重ねたくなる。
今日はこの世界に来て初めての週末。二人で朝ご飯を食べていたら彼がドライブに行こうと言い出したのだ。嬉しさのあまりわざとらしく頬を染めながらアタシは尋ねた。
「えっ?もしかしてデートのお誘い?」
「んな訳ねえだろ。勉強だよ、勉強。昨日から語学を教えてやってるだろ?その課外授業だな」
小泉さんの車はスタイリッシュなブルーのスポーツカーだった。彼が今日着ているブルーのシャツによく合っている。黙々と運転している小泉さんにアタシは尋ねてみた。
「どこ行くの?」
「映画館だ」
「えっ、さすがにまだ言葉分からないんだけど」
「映画は見ない。まずは雰囲気だけだな。まぁ行く理由はそれだけじゃないが」
「ん?何かあるの?」
「俺が昔バイトしていた映画館だからだ」
「え?!そうなの?」
「ああ、正確にはあっちの世界の方だがな」
「どういうこと?」
「その映画館にいたのは俺がこっちに来る前だ。通常、あっちの世界にあるものはこっちには存在しないが、存在するものもある。電車とか駅とかな。名前は違うが横浜駅もそうだろ?それと同じように俺がいた映画館もどっちの世界にもある」
「へぇ~……その基準って何なの?」
「それは俺にも分からん。井伏のオヤジに聞いても首を傾げてた」
「そっか」
場所は横浜から3、4駅ほど。近くのパーキングへ車を停め、少し歩いた。途中に細い路地があって、彼はそこへ入って行った。後についていくと映画のポスターが沢山貼ってある古びた大きな建物が見えて来た。
「ここだ」
「うわぁ~!めちゃくちゃ昭和じゃん!」
「俺が小さい頃からあるからな。相当古いぞ」
エントランスの重い扉を開け、中に入って行く小泉さんの後を追いながらアタシは呟いた。
「スゴい……レトロ映画館ってホントにあるんだ。テレビで見たことはあったけど」
中に入ると、小さなチケット売り場とお菓子やポップコーンを販売している売店があり、おばさんが行ったり来たりしながら数人の客を一人で対応していた。左右にそれぞれ劇場があり、上映中のようで音や声が少しだけ漏れ聞こえる。ラックにはチラシが入っており、茶色く変色した壁にはポスターがいくつか貼られている。何て書いてあるかは……すぐには分からない。
「小泉さんは何の仕事してたの?チケット?」
「いや、全部やった。あのおばさんみたいに行ったり来たりしてな」
彼はそう言って懐かしそうに目を細め、口元に微かな笑みを浮かべた。いつも仏頂面をしているので少しでも笑ったことが意外で思わずびっくりしてしまった。思い出の場所に来たことがよほど嬉しいんだろう。
「コレ全部?!スゴい!小泉さん、天才じゃん!」
「昔の映画館はそれが普通だった。『シネコン』が主流になった今じゃ考えられないがな」
「『シネコン』って何?誰か死ぬの?」
「何言ってんだ。『シネコン』ってのは『シネマコンプレックス』の略で、劇場がいくつもあるタイプの映画館のことだ。あっちの世界にもあるだろ?あのタイプはセクション……部署が分かれていて、入った時に担当部署が割り当てられる。だから、全部のセクションを自分でやることはない」
「そうなんだ」
「バイトは俺以外にもいたから基本的にはその日にシフトに入ってる奴で分担して回してたな。休憩中とかバイトが少ない日にああやって一人で全部こなしてた。就職してからもしばらく映画を観に来てた。懐かしいな……ん?」
突然、彼が押し黙った。目を細め、何か考え事をしている。
「どうしたの?」
そう尋ねると彼はこちらを向き、しばらくアタシの顔を見つめていた。
「え?な、何?なんか顔についてる?」
「いや……何でもない」
彼はそう言ってまた目を逸らしてしまった。が、壁に貼ってあるポスターを指差すと、突然アタシに尋ねて来た。
「問題だ。これは何て読む?」
「ええっいきなり?!え、えーっと……」
ポスターはオレンジ色の背景におばさんがビデオカメラを構えているデザインで、そのおばさんの隣にこの世界の文字が書いてある。アタシは順番に単語を読み、元の世界の言葉に訳していった。
「これは……『カメラ』?」
「そうだ。カメラの後は?」
「えーっと……あ~分かんない!だってまだ習い始めたばかりだよ?!」
駄々をこねると、小泉さんは「分かった分かった」と言って言葉を続けた。
「『カメラ』の後は『止めないで』だ」
「ん?『カメラを止めないで』……なんかめちゃくちゃ聞いたことあるな……アタシが知ってるのと微妙に違うけど」
次に彼はその隣にあるアニメ映画のポスターを指差した。
「これは?」
幻想的な背景に一人の少女、その隣には馬。絵柄は元の世界で有名なアニメ映画に似ていた。
「えーっと……ってかこれもなんか見覚えあるな……これは『ゆう』これは『ゆり』次は……分かんない!小泉さん、何?!」
「これは『たから』次のこれは『さがし』だ。繋げてみろ」
「えーっと……『ゆうとゆりのたからさがし』?」
「そうだ」
「何で微妙に元の世界のものとリンクしてんの?」
小泉さんは首を傾げながら言った。
「それは俺にも分からん。あっちの世界の人間は俺達が予想するよりも遥かに多いのかもしれない」
「この世界に紛れ込んだ人が映画業界に沢山いて元の世界の人気映画をパクってるかもってこと?」
「まぁそういうことだな」
彼は立ち去ろうと出入り口の扉に手を掛けた。アタシは慌てて咄嗟に彼の腕を掴んだ。
「ちょっと待って!もう帰るの?!」
「ああ。映画は観ないって言っただろ?」
「じゃあさ、ポップコーンおごってよ!」
「はぁ?子供かよ」
「いいじゃん!せっかく来たんだから!」
「仕方ねぇな」
「わーい!ありがとう!」
「何味だ?塩とキャラメルがあるが」
「うーんと……じゃあ、キャラメル!」
小泉さんは頷くと売店にいるおばちゃんにこの世界の言葉で話しかけた。おばちゃんは手際よくレギュラーサイズのボックスにポップコーンをたっぷり入れた。キャラメルポップコーンの香ばしい匂いがふんわりと漂う。
「ほら、キャラメル味だ」
「ありがとう!小泉さんスキ!」
ポップコーンを受け取りながらわざと無邪気にそう言うと、彼は恥ずかしそうに目を逸らした。その時、アタシの脳裏に一瞬だけ映像が浮かんだ。見覚えのある売店の前。目の前に若い男の人がいて、アタシにポップコーンを差し出している。アタシは小さな手を必死に伸ばしてポップコーンを受け取ろうとしていた。
「ん……?」
急に手を止めたアタシを小泉さんが不思議そうに見つめる。
「どうした?」
「……ううん、何でもない」
「そうか、なら行くぞ」
小泉さんが出入り口に向かったので慌てて後を追った。キャラメルポップコーンを一粒口に入れながら思った。
(あの場所ってこの映画館……?もしかして、昔ここに来たことが……?)
口に入れたポップコーンの味に微かな懐かしさを覚えながらアタシは彼の大きな背中を追いかけた。
映画館を出た後、高速に乗った。太陽の光に目を細めながらハンドルを操る彼に尋ねた。
「今度はどこ行くの?」
「特に決めてない。休みの日はこうして当てもなく車を走らせることがある」
「へぇ~何で?高速好きなの?」
「好きか嫌いかで聞かれたら好きな方だな。単調な景色の連続だが、それが逆に考え事に集中できるからな」
「ふ~ん。あっ!アタシも高速好きな方だよ!」
すると、小泉さんは少しだけびっくりしたような顔をしてアタシの顔を見た。
「お前、免許持ってんのか?」
「ううん」
「じゃあ、何でだ」
「カレシがよくドライブ連れてってくれたから。あっ自分で免許取りたいと思ったことはないよ?だってアタシ、すぐ隣で見ていたいから。好きな人が運転してるのをね」
わざと意味深な視線を送ってみた。でも、彼は真っ直ぐに前を向いていて気づいていないようだった。いや、もしかしたら気づかないフリをしているだけかも……。
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