虎の刻の君

皆中透

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夜明けの出会い

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「……っと、ったく、死ぬのも大変だなんてな。どこまでも忌々しい体だ」

 俺は今、大通りの上にかかる歩道橋のど真ん中にいる。歩道橋とはいっても、結構な高さがあって、低層のビルの屋上と同じくらいのところだ。

 その手すりに登ろうとしていたところで胸に痛みが走り、欄干の上で蹲ってしまった。

 体をまっすぐ伸ばすことも、胸元を掴んだ手を緩めることも出来ない。ただ、痛みに体を慣らして、それが通り過ぎていくのを待つことしかできなかった。

 都会のど真ん中とはいえ、深夜を過ぎ、そろそろ東の空が白み始めているからか、ほとんど人通りがなくなっていた。

 バーや風俗店が乱立する土地柄か、夜の方が人が多いと踏んで、この時間を選んだのは正解だったのか不正解だったのか……。

——どうせ死ぬつもりできたんだ。このままでもいいんだけど……。

 どれほどの苦しみを味わいながら死ぬのかがわからない死に方よりも、恐怖で失神でもして、体がバラバラになる方がいい気がしていた。

 だから、ろくに歩けなくなるほどに弱ってい心臓と肺を痛めつけてでも、酒を飲んで感覚を殺してきた。

「このまま、高ーいところから飛び降りて、いつの間にか消えてしまったら幸せだろうな」

 そう感じるまで飲んで、以前から決めていた場所へとやってきた。

 バーのマスターに笑顔で手を振り、「じゃあね」と告げて来た。いつもなら「またね」と言う俺に、マスターは少し表情を固くしていた。

 もしかしたら、勘付かれたかもしれない。それでも、追いかけて来てくれるほど、俺は人の大切なものにはなりきれていない。

「あー……、まあ、頑張ったよな、俺。もういいでしょ……」

 痛みが落ち着き、息切れも少しだけ軽くなったところで、持っていた透明で強烈な酒を、瓶から一気に喉の奥へと流し込んだ。

 そして、瞬時に回るアルコールを上回る速さで歩道橋の手すりから、下へと舞った。

——これが、最後の舞いだ。

 ほんの少しだけ、腕をひらひらと踊るように動かす。これまで培ってきた技術も、積み上げた実績も関係ない、酔っ払って闇に堕ちていく人間の、なけなしのプライドのようなものだった。

 落ちる途中で、人は恐怖心により意識を失うという。でも、俺はかなり酒を飲んでいて、恐怖心が薄れていた。

 落下する中で日の出を目にし、それがまるで希望の象徴のように見えて、胸糞悪くなったくらいには、意識がはっきりしたままだった。

 早朝三時は、神が動く時間だと稽古の時に聞いたことがある。今はまさにその時間なのだろう。神々しい光は、俺以外の人々に希望を与えるのだろう。それが、心底腹立たしかった。

「くそが。神がいるなら合わせてみろっつーんだよ」

 そう呟き、地面が見えそうになったところで、「はーい。呼んでる?」と、声が聞こえた。声が聞こえた方へと首を捻る。

 すると、そこには、真っ白な長髪の真っ白な顔色の男が、一緒になって落ちていた。

「は!? なんっ……、え!?」

 こんなタイミングで誰かに驚かされるとは思ってもいなかった俺は、思い切り動揺してしまった。そんな俺の様子を知ってかしらずか、その男は俺の顔を両手で掴み、「失礼しまーす」と言いながら……。

 超熱烈な、キスをした。
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