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高橋さんの行方
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美咲さんの従兄弟とは、高橋正人さんというここの常連さんのことだ。高橋さんは、その正人という名が表す通り、とても折り目正しく、朗らかで優しい方だ。まるで花が咲いたように笑い、太陽のように包み込んでくれる。
俺も相手がお客さまであるにも関わらず、何度かうっかり惚れそうになった事があった。弁護士時代にお世話になった先輩と同じくらい、そこにいるだけで周りの人を幸せにするタイプの人間だ。
——ああ、そうか。最近思い出せなかった人は、高橋さんのことだったのかもしれない。
「いや、来てないと思うよ。実は最近なんとなく高橋さんのことを考えていた日があったんだけど、恥ずかしながら名前を思い出せなかったんだよね。それくらい長い間会ってないね」
コーヒー粉をネルフィルターにセットしながら、高橋さんの笑顔を思い描く。彼はいつもカウンターに座り、俺のすることをまじまじと見ながら話すので、やや緊張するのを思い出した。
「そうですか」と美咲さんは落胆したようで、目を伏せて黙り込んでしまった。
「どうかしたの? 最近高橋さんに会えてないの? 直接連絡はした?」
美咲さんは悲し気な顔を俺に向けて、高橋さんを探すことになった経緯を説明し始めた。
「私、今美容系の専門学校に通ってるんです。将来メイクアップアーティストになりたくて。その話を正人さんにしたら、『現場の見学に来てみるか?』って言ってくれて。すごく楽しみにしてたのに、約束していた日になっても連絡をくれなかったんです」
美咲さんは俯いて両手の指を絡め、指先が白くなるほどに強く握りしめていた。何度もその指を握り直してはまた握る。そうして必死に動揺を抑え込みながらも、涙を堪えて先を話そうとする。
「それから何度も電話をしたんですけれど出てくれないし、メッセージも未読のままなんです。正人さんは一人暮らしだし、もしかして倒れてるのかなと思って家にも行ったんです。でも、いなかった」
高橋さんは、実は優希の同僚でもある。優希と同じ出版社で雑誌編集の仕事をしている。今は女性ファッション誌の担当をしていると言っていたはずだ。その伝手があって美咲を現場見学に誘ったのだろう。
——高橋さんらしいなあ。
彼は面倒見の良さにかけては、ここの常連客随一だろう。文芸の優希とは会社では同期という繋がりしか無く、同じ部署になったことは無いらしいのだけれど、なぜか気が合うそうでよく二人でここに飲みに来ていた。
優希の病気と治療のこと、サトルとの事実婚のこと、その全てを知っているのは、関係者以外では高橋さんだけらしい。
——そういえば、あの結婚披露パーティーにも呼ばれていたはず。あの日、高橋さんはいたかな……。
「最後に連絡したのは、いつだった?」
ドリップポットからお湯を回しかけながら美咲さんに尋ねる。少しずつ立ち昇る香りに、「わあ、いい香り」と彼女の表情が少しだけ緩んだ。
「えっとですね……、三日前の朝ですね。一昨日がその雑誌の撮影で、見学させてもらう予定だったんです。その後、メイクの方とお話しさせてもらう予定でした」
三日前といえば、葵たちにも色々あった日だ。いつの間にかバックヤードから戻って来ていたリョウも、それを思い出していたのか、無意識に耳朶を指で擦っている。
あの日起きたことは、何一つ解決していない。調査しようにも、どこから手をつけようか考えあぐねていて、いまだに何も動けていない。ただしし、高橋が同じ日にいなくなったというのなら……関連づけるなという方が、無理だろうと思った。
「はい、ブレンドです。それと、これがタルトタタンです。今日の分のフィリングはリョウが作ったんだよ」
美咲さんはコーヒーとタルトの香りに、少しだけ元気を取り戻したようだった。二つを前に手を合わせると、「美味しそう!」と声を弾ませた。
「あたたかいうちにどうぞ」
タルトも香りを立てるために、リョウがトースターで少しだけ温めて来た。気持ちが落ち込みがちな時は、いい香りが立ち昇るものを食べた方が、心が元気を取り戻しやすい。
ここに来てコーヒーとフードやペストリーを口にすることで元気を出してもらえるなら、俺たちはそれが一番嬉しい。
美咲さんは柔らかいフィリングから硬いタルト生地へとフォークを刺し、それを口に運んでは幸せそうな顔で微笑んでいる。悩みがあろうとも、一時でもそれが忘れられるのがカフェのいいところだろうと思っている。
嬉しそうにもぐもぐと口を動かす彼女の目の前にメモ用紙とペンを取り出して、俺は記憶を整理することにした。
「その日は俺たちも色々あってね。すごくはっきり覚えてる日なんだ。でも、高橋さんは店には来てないよ。夕方までは間違いなく来てない。バータイムがどうだったかは、姉に訊かないとわからないんだけれど。それと、翌日も夕方までは来てないね。途中から俺が体調悪くて休んじゃったからな……。夕方以降は高橋さんを知っている店員がいなかったかもしれない。そのタイミングで来てたらちょっとわからない。ただ、その日以降も、来てないと思うよ」
俺は記憶を辿っていきながらその日と前後であったことを紙に書き出してみた。しかし、そこには高橋さんの行方を掴むための糸口になりそうなものは見つからなかった。
美咲さんは視覚的にそれを理解したことで、ここには何も手掛かりが無いことがはっきりとわかってしまったようだ。
明らかに落胆の色をみせ、顔を曇らせた。
「そうですか……。正人さん、約束破るような人じゃないんだけどな。どこに行っちゃったんだろう」
バックヤードから戻ってきたリョウも含め、三人とも考え込んでしまった。身の置き所の無い静寂がフロアを包んでいく。いつの間にか、お客様は美咲さんだけになっていた。
そのまま黙りこくっていると、再び乾いた空気に鐘の軽やかな音が鳴った。ふと顔を上げて入り口へと目をやると、学校を終えて手伝いに来てくれたミドリが入ってきた。
「こんにちはー。お疲れ様でーす。リョウ、やっと会えたねー。葵さんも、こんにちは。体調どうですか?」
キリッとかっこいい笑顔を振りまいて、ミドリはやって来た。彼女はこの近辺の女子中学生や女子高生にアイドル的に人気がある。時々せがまれて写真を撮ってあげたりするほどだ。その度にリョウが気を揉んでいるのを俺は知っている。
「おーミドリ、お疲れ。ありがとう、もう大丈夫。寝不足だったみたいでさ、一日ぐっすり寝たら回復したよ。心配かけてごめんな」
俺はそう言いながら、ミドリの背中をポンっと叩いた。
「触りましたね。セクハラでーす」
ニヒヒとイタズラっぽい笑顔でミドリが言った。俺からの「誰が面倒見てやってると思ってるんだ!」というキレた父親っぽいツッコミを期待してのことだ。そして俺はその期待に応えてあげている。
ミドリは予想通りの反応が返ってきたことで満足したらしく、笑いながらバックヤードに消えて行った。
リョウは、ここ数日変にミドリを意識してしまっている。そうなると、いつものように顔を見ることは出来ないようだ。やはり不自然にミドリから視線を逸らして、真っ赤になっている。俺は短く息を吐いてリョウの隣へと行き、小声でチクリと刺した。
「お前さー、気持ちはわかるけれどあんまりその状態続くと、ミドリはお前に嫌われたと思って傷つくぞ。気をつけろよー」
リョウは俺に心を見抜かれたような気がしたのか、勢いよく振り返ると「ええ!?」と大声を張り上げた。それからしばらく考え込んだかと思うと、「気をつけます」と言いながら何度も頷いて見せた。
それを見ていた美咲さんが、微笑みながらリョウに言う。
「リョウくん、やっと恋心自覚したのかな? あれ、でも確か二人って付き合ってたよね?」
「う、付き合ってますよ。でも、なんていうか、あれなやつです、あの……」
「プラトニックってやつね」
横槍を入れてきた俺を、リョウはそのまま爆発するんじゃ無いかと思うほどの赤い顔で睨みつけてきた。
「なんかあれだなー。友人としては、思いっきり囃し立ててやりたいんだけど、親代わりとしてはやや複雑だな。ちゃんと後先考えて行動しろよ! あ、何をどうしたらいいか、ちゃんとわかってるか?」
リョウは下を向いて体を小刻みに震わせていた。そして、力が入り過ぎてろくに開かなくなった喉の奥から、なんとかぎりぎりと声を絞り出して言った。
「もうわかりましたから、葵さん! 後は家に帰ってから話しましょうよ!」
するとイタズラ心に火がついたのか、美咲さんが「えー? 私には聞かせてもらえないのー?」と拗ねた素振り見せた。
俺にはそれが冗談だとわかっているが、リョウは妙に生真面目なところがある。美咲さんになんと応えたらいいものかと、あたふたと慌てていた。
そして、「高橋さん探すんですよね。僕の話より、そっち! そっち優先しましょう!」と、自分の恋バナを強めに打ち切った。
「楽しそー。何盛り上がってるんですか?」
ちょうどそこへ着替え終わった碧が戻ってきた。
「うわっ!」
リョウは驚きつつも、俺と美咲さんに目で合図をしてくる。必死で作られたNGのサインが面白くて仕方がない。もう少しからかってもいいかと思ったけれど、もちろんミドリに詳細を説明するわけにもいかず、話は高橋さんを探している美咲さんからの用件へと戻っていった。
「実はなあ……」
俺たちはかいつまんでこれまでの話をミドリにも伝えた。
ミドリは高橋さんとは面識はあるものの、あまり話したことはないらしい。ただ、その外見の特徴から、彼をよく覚えているのだという。
「高橋さんって、なんかここに来る人たちとはちょっと服装とか髪型とか違う系統じゃないですか。カフェタイムに来るお客様って、髪色明るい方が多いでしょう? 高橋さんって黒髪のちょっとクセ毛っぽい髪だし。私みたいな中学生女子からすると、なんか大人の男性! って感じなんですよねー。憧れるなあ」
ややうっとりと語るミドリを見てリョウがちょっと落ち込んでいることに、俺と美咲さんは気づいている。俺はハラハラしながら、ミドリが高橋さんの男前っぷりを褒めないで済む方法を探した。
コホンと咳払いをするとその俺の気持ちが通じたのか、ミドリはハッとしてリョウに目をやった。嫉妬に燃える目が自分をじっと見ていることに気がつくと、「あ、変な意味で言ってないからね。気を悪くしたならごめん」ときっぱりと清々しくその炎を鎮火してしまった。
俺はそんなミドリを見て、モテる人は揉めない方法をよく知っているものだなあと感心してしまった。
「まあ、それはいいとして、高橋さんの会社には連絡してみたんですか?」
ミドリは冷静に高橋さんを探すための手順を立てましょう、とチェックする項目を立てていった。
「え!? あ、そういえば私、訊いてない……」
「はい? いや、そこは真っ先にやっときましょう。じゃあ、まずそこからですね」
色々探したような話だったのに、肝心なことを忘れていたらしい。出社しているのであれば、仕事が忙してくて連絡が取れないのかもしれない。まずはそこを確認するべきだろうということになった。
ただし、連絡が取れなくなって数日経っているとして、万が一無断欠勤だった場合は迂闊に連絡をすることも出来ない。そこで、同じ会社に勤めている優希に連絡が来ていないかどうかを確かめることにした。
優希になら、何か連絡が来ていてもおかしくないと考えたのだ。ただし、優希は入院中だ。直接連絡を取る事はできない。
「じゃあ、サトルに連絡を取るよ。サトルも研究所に転院したらしいんだ。優希の近くで療養したいみたいで。で、サトルに優希が話せる状態かどうか確認してもらってから、繋いでもらおう」
俺はスマホの登録先から研究所の番号を探し出すと、受付へと電話をかけた。そして、それをサトルへ繋いでもらう。三日ぶりのサトルの声に、妙に安堵した。
俺も相手がお客さまであるにも関わらず、何度かうっかり惚れそうになった事があった。弁護士時代にお世話になった先輩と同じくらい、そこにいるだけで周りの人を幸せにするタイプの人間だ。
——ああ、そうか。最近思い出せなかった人は、高橋さんのことだったのかもしれない。
「いや、来てないと思うよ。実は最近なんとなく高橋さんのことを考えていた日があったんだけど、恥ずかしながら名前を思い出せなかったんだよね。それくらい長い間会ってないね」
コーヒー粉をネルフィルターにセットしながら、高橋さんの笑顔を思い描く。彼はいつもカウンターに座り、俺のすることをまじまじと見ながら話すので、やや緊張するのを思い出した。
「そうですか」と美咲さんは落胆したようで、目を伏せて黙り込んでしまった。
「どうかしたの? 最近高橋さんに会えてないの? 直接連絡はした?」
美咲さんは悲し気な顔を俺に向けて、高橋さんを探すことになった経緯を説明し始めた。
「私、今美容系の専門学校に通ってるんです。将来メイクアップアーティストになりたくて。その話を正人さんにしたら、『現場の見学に来てみるか?』って言ってくれて。すごく楽しみにしてたのに、約束していた日になっても連絡をくれなかったんです」
美咲さんは俯いて両手の指を絡め、指先が白くなるほどに強く握りしめていた。何度もその指を握り直してはまた握る。そうして必死に動揺を抑え込みながらも、涙を堪えて先を話そうとする。
「それから何度も電話をしたんですけれど出てくれないし、メッセージも未読のままなんです。正人さんは一人暮らしだし、もしかして倒れてるのかなと思って家にも行ったんです。でも、いなかった」
高橋さんは、実は優希の同僚でもある。優希と同じ出版社で雑誌編集の仕事をしている。今は女性ファッション誌の担当をしていると言っていたはずだ。その伝手があって美咲を現場見学に誘ったのだろう。
——高橋さんらしいなあ。
彼は面倒見の良さにかけては、ここの常連客随一だろう。文芸の優希とは会社では同期という繋がりしか無く、同じ部署になったことは無いらしいのだけれど、なぜか気が合うそうでよく二人でここに飲みに来ていた。
優希の病気と治療のこと、サトルとの事実婚のこと、その全てを知っているのは、関係者以外では高橋さんだけらしい。
——そういえば、あの結婚披露パーティーにも呼ばれていたはず。あの日、高橋さんはいたかな……。
「最後に連絡したのは、いつだった?」
ドリップポットからお湯を回しかけながら美咲さんに尋ねる。少しずつ立ち昇る香りに、「わあ、いい香り」と彼女の表情が少しだけ緩んだ。
「えっとですね……、三日前の朝ですね。一昨日がその雑誌の撮影で、見学させてもらう予定だったんです。その後、メイクの方とお話しさせてもらう予定でした」
三日前といえば、葵たちにも色々あった日だ。いつの間にかバックヤードから戻って来ていたリョウも、それを思い出していたのか、無意識に耳朶を指で擦っている。
あの日起きたことは、何一つ解決していない。調査しようにも、どこから手をつけようか考えあぐねていて、いまだに何も動けていない。ただしし、高橋が同じ日にいなくなったというのなら……関連づけるなという方が、無理だろうと思った。
「はい、ブレンドです。それと、これがタルトタタンです。今日の分のフィリングはリョウが作ったんだよ」
美咲さんはコーヒーとタルトの香りに、少しだけ元気を取り戻したようだった。二つを前に手を合わせると、「美味しそう!」と声を弾ませた。
「あたたかいうちにどうぞ」
タルトも香りを立てるために、リョウがトースターで少しだけ温めて来た。気持ちが落ち込みがちな時は、いい香りが立ち昇るものを食べた方が、心が元気を取り戻しやすい。
ここに来てコーヒーとフードやペストリーを口にすることで元気を出してもらえるなら、俺たちはそれが一番嬉しい。
美咲さんは柔らかいフィリングから硬いタルト生地へとフォークを刺し、それを口に運んでは幸せそうな顔で微笑んでいる。悩みがあろうとも、一時でもそれが忘れられるのがカフェのいいところだろうと思っている。
嬉しそうにもぐもぐと口を動かす彼女の目の前にメモ用紙とペンを取り出して、俺は記憶を整理することにした。
「その日は俺たちも色々あってね。すごくはっきり覚えてる日なんだ。でも、高橋さんは店には来てないよ。夕方までは間違いなく来てない。バータイムがどうだったかは、姉に訊かないとわからないんだけれど。それと、翌日も夕方までは来てないね。途中から俺が体調悪くて休んじゃったからな……。夕方以降は高橋さんを知っている店員がいなかったかもしれない。そのタイミングで来てたらちょっとわからない。ただ、その日以降も、来てないと思うよ」
俺は記憶を辿っていきながらその日と前後であったことを紙に書き出してみた。しかし、そこには高橋さんの行方を掴むための糸口になりそうなものは見つからなかった。
美咲さんは視覚的にそれを理解したことで、ここには何も手掛かりが無いことがはっきりとわかってしまったようだ。
明らかに落胆の色をみせ、顔を曇らせた。
「そうですか……。正人さん、約束破るような人じゃないんだけどな。どこに行っちゃったんだろう」
バックヤードから戻ってきたリョウも含め、三人とも考え込んでしまった。身の置き所の無い静寂がフロアを包んでいく。いつの間にか、お客様は美咲さんだけになっていた。
そのまま黙りこくっていると、再び乾いた空気に鐘の軽やかな音が鳴った。ふと顔を上げて入り口へと目をやると、学校を終えて手伝いに来てくれたミドリが入ってきた。
「こんにちはー。お疲れ様でーす。リョウ、やっと会えたねー。葵さんも、こんにちは。体調どうですか?」
キリッとかっこいい笑顔を振りまいて、ミドリはやって来た。彼女はこの近辺の女子中学生や女子高生にアイドル的に人気がある。時々せがまれて写真を撮ってあげたりするほどだ。その度にリョウが気を揉んでいるのを俺は知っている。
「おーミドリ、お疲れ。ありがとう、もう大丈夫。寝不足だったみたいでさ、一日ぐっすり寝たら回復したよ。心配かけてごめんな」
俺はそう言いながら、ミドリの背中をポンっと叩いた。
「触りましたね。セクハラでーす」
ニヒヒとイタズラっぽい笑顔でミドリが言った。俺からの「誰が面倒見てやってると思ってるんだ!」というキレた父親っぽいツッコミを期待してのことだ。そして俺はその期待に応えてあげている。
ミドリは予想通りの反応が返ってきたことで満足したらしく、笑いながらバックヤードに消えて行った。
リョウは、ここ数日変にミドリを意識してしまっている。そうなると、いつものように顔を見ることは出来ないようだ。やはり不自然にミドリから視線を逸らして、真っ赤になっている。俺は短く息を吐いてリョウの隣へと行き、小声でチクリと刺した。
「お前さー、気持ちはわかるけれどあんまりその状態続くと、ミドリはお前に嫌われたと思って傷つくぞ。気をつけろよー」
リョウは俺に心を見抜かれたような気がしたのか、勢いよく振り返ると「ええ!?」と大声を張り上げた。それからしばらく考え込んだかと思うと、「気をつけます」と言いながら何度も頷いて見せた。
それを見ていた美咲さんが、微笑みながらリョウに言う。
「リョウくん、やっと恋心自覚したのかな? あれ、でも確か二人って付き合ってたよね?」
「う、付き合ってますよ。でも、なんていうか、あれなやつです、あの……」
「プラトニックってやつね」
横槍を入れてきた俺を、リョウはそのまま爆発するんじゃ無いかと思うほどの赤い顔で睨みつけてきた。
「なんかあれだなー。友人としては、思いっきり囃し立ててやりたいんだけど、親代わりとしてはやや複雑だな。ちゃんと後先考えて行動しろよ! あ、何をどうしたらいいか、ちゃんとわかってるか?」
リョウは下を向いて体を小刻みに震わせていた。そして、力が入り過ぎてろくに開かなくなった喉の奥から、なんとかぎりぎりと声を絞り出して言った。
「もうわかりましたから、葵さん! 後は家に帰ってから話しましょうよ!」
するとイタズラ心に火がついたのか、美咲さんが「えー? 私には聞かせてもらえないのー?」と拗ねた素振り見せた。
俺にはそれが冗談だとわかっているが、リョウは妙に生真面目なところがある。美咲さんになんと応えたらいいものかと、あたふたと慌てていた。
そして、「高橋さん探すんですよね。僕の話より、そっち! そっち優先しましょう!」と、自分の恋バナを強めに打ち切った。
「楽しそー。何盛り上がってるんですか?」
ちょうどそこへ着替え終わった碧が戻ってきた。
「うわっ!」
リョウは驚きつつも、俺と美咲さんに目で合図をしてくる。必死で作られたNGのサインが面白くて仕方がない。もう少しからかってもいいかと思ったけれど、もちろんミドリに詳細を説明するわけにもいかず、話は高橋さんを探している美咲さんからの用件へと戻っていった。
「実はなあ……」
俺たちはかいつまんでこれまでの話をミドリにも伝えた。
ミドリは高橋さんとは面識はあるものの、あまり話したことはないらしい。ただ、その外見の特徴から、彼をよく覚えているのだという。
「高橋さんって、なんかここに来る人たちとはちょっと服装とか髪型とか違う系統じゃないですか。カフェタイムに来るお客様って、髪色明るい方が多いでしょう? 高橋さんって黒髪のちょっとクセ毛っぽい髪だし。私みたいな中学生女子からすると、なんか大人の男性! って感じなんですよねー。憧れるなあ」
ややうっとりと語るミドリを見てリョウがちょっと落ち込んでいることに、俺と美咲さんは気づいている。俺はハラハラしながら、ミドリが高橋さんの男前っぷりを褒めないで済む方法を探した。
コホンと咳払いをするとその俺の気持ちが通じたのか、ミドリはハッとしてリョウに目をやった。嫉妬に燃える目が自分をじっと見ていることに気がつくと、「あ、変な意味で言ってないからね。気を悪くしたならごめん」ときっぱりと清々しくその炎を鎮火してしまった。
俺はそんなミドリを見て、モテる人は揉めない方法をよく知っているものだなあと感心してしまった。
「まあ、それはいいとして、高橋さんの会社には連絡してみたんですか?」
ミドリは冷静に高橋さんを探すための手順を立てましょう、とチェックする項目を立てていった。
「え!? あ、そういえば私、訊いてない……」
「はい? いや、そこは真っ先にやっときましょう。じゃあ、まずそこからですね」
色々探したような話だったのに、肝心なことを忘れていたらしい。出社しているのであれば、仕事が忙してくて連絡が取れないのかもしれない。まずはそこを確認するべきだろうということになった。
ただし、連絡が取れなくなって数日経っているとして、万が一無断欠勤だった場合は迂闊に連絡をすることも出来ない。そこで、同じ会社に勤めている優希に連絡が来ていないかどうかを確かめることにした。
優希になら、何か連絡が来ていてもおかしくないと考えたのだ。ただし、優希は入院中だ。直接連絡を取る事はできない。
「じゃあ、サトルに連絡を取るよ。サトルも研究所に転院したらしいんだ。優希の近くで療養したいみたいで。で、サトルに優希が話せる状態かどうか確認してもらってから、繋いでもらおう」
俺はスマホの登録先から研究所の番号を探し出すと、受付へと電話をかけた。そして、それをサトルへ繋いでもらう。三日ぶりのサトルの声に、妙に安堵した。
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