ダイヤと秘密

皆中透

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優希の秘密、サトルとの出会い。

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◇◇◇

「では中央病院に向かいます。こちらへどうぞ」

 緊急時に向かう病院はサトルが決めていて、僕は事前に知らせてもらっていた。
 中央病院はサトルが務める犯罪心理学研究所と連携をとっているため、よほど対応が出来ない時以外はそこにしてくれと言われている。僕は身分証とパートナーシップ証明書を提示して救急車への同乗を許可してもらった。
 
 ただし、乗り込むときに一度こちらをチラリと見られた事には、気がついていた。運転席でややヒソヒソと話し合っている声がする事にも気がついている。
 ただ、それは仕方がないことだ。なぜなら、僕の身分証には真っ赤な印字で「犯罪者予備軍」の記載がある。
 あのリストに名前を載せた時から、こうなることは覚悟していた。その上で手に入れた幸せなのだから、今更この程度のことで狼狽えたりはしない。

——これまでの日々を思うとね……コーヒーのシミなんて全く気にならないよ。

 青ざめた顔で横たわるサトルを見る。何もしてあげられることが無いことが、とてももどかしかった。せめて触れ合うことで少しでも癒してあげられたらと、手を取った。

「冷たい……生きてるのに」

 サトルの手は、大量に出血した状態で外に倒れていたためか、酷く冷えていた。

 
 サイレンを鳴らしながら走る救急車の音がうるさくて耳につく。サトルにはこれが聞こえていないのだなと思うと、さらに怖くなっていった。

「匂いとか大丈夫ですか?」

 一人、傷を押さえている隊員の人に声をかけられた。サトルは刺された後に凶器を引き抜かれていて出血の量が多く、車内は鉄くさく感じるほど血の匂いが充満している。

「はい。なんとか」

 本当はパニックを起こしそうだった。ただ、少しでもサトルに負担をかけたくない。どうにかして気を逸らしておこうと思い、窓の外を見ておくことにした。


 救急車は、週末の夜を楽しむ人混みを尻目に、大通りを猛スピードで走り抜けていく。ここ数日で随分と寒さも和らぎ、気の早い桜もチラホラ咲いているようだ。車内の沈んだ空気と車外の浮かれた雰囲気が同じ空間に存在することが俄かには信じ難い。白昼夢でも見ているかのように、現実味のない光景だった。

「今年こそは一緒にお花見に行こうねって言ってたのになあ。来週中には行かないと散っちゃいそう。行けるのかな……」

 昨年の今頃、僕は入院していた。それは何度目かの入院で、その後の生活をより制限の少ないものにするために、治療と生活の境をしっかり決めるためのものだった。
 基準が確定するまでは外出が全く出来ない状況だったため、お花見は必然的に見送られた。だから自由になった今年こそは、サトルと一緒に夜桜見物をしようねと約束していた。

 救急車の窓に頭を預けた状態で、ゆらゆらと体を揺らしながら、最初の入院治療を思い出していた。その頃の自分は、誰かと相思相愛になるという人生には、縁がないと思っていた。


◇◇◇


 僕には、人には言えない性癖があった。それは正確には性癖では無く、精神病に分類されているものだ。小さな子供しか愛せないという、許されない病気。それを自覚してからずっと、その罪の重さに苛まれていた。生きているだけで罪人と同じだとずっと思っていた。一人で生きて行くのだと、強く心に決めていた。

「子供を傷つけることはしたくない。僕もそうされるのがとても嫌だったから。だから、絶対にしない」

 好きだからこそ傷つけたくない。そう思って、ずっと狭い世界で生きていた。
 本を読んでは、その世界に居座り続けるようにしていた。いつも想像の世界にいたからか、だんだん現実を直視しない、どこを見ているのかわからない目つきになっていった。
 人との関わりを極力減らすことで、なんとか自分をコントロールする。それが僕にできる、最大の努力だった。

——リョウに触れたくなったの、いつぶりだろう……指輪に助けられたな。

 僕はそう思いながら、サトルがくれた指輪に触れた。

 僕がリョウに触れたいという気持ちは、一般的な友愛のそれとは違う。多くの人が愛する異性に対して抱く、性愛だ。僕はそれをリョウに抱いていた過去をもつ。治療の甲斐あって、今ではほぼその気持ちは起きない。それでも、時折記憶の底からその気持ちが引きずり出されそうになることがある。その度にショックを受けるのだけれど、これだってそのうち無くなるはずのものだから、焦らないと決めている。

——辛い目に遭うのは、僕だけでいい。

 リョウに性愛を抱いていたのは、そう思っていた頃のことだ。

◇◇◇

 リョウは、僕の実家の隣の家に住んでいた子だ。両親が不在がちだったので、昔は毎日のように遊んであげていた。遊んであげていたというよりは、僕が育てていたようなものだ。
 ネグレクトのような状態で毎日を過ごしていたリョウを、朝起きてから登園・登校するまで、帰宅してから就寝するまで、生活のほぼ全てを一緒にやりながら教えていった。
 僕自身も両親が我が子に興味を持っていなかったので、仲間意識もあったのかもしれない。ひとまわり以上も年下の子の面倒を見ては、毎日癒されていた。

「でちた」
「えらいね、リョウ。キレイに畳めたね」

 小さくて素直な子だったリョウは、僕の教えることを一生懸命身につけては、褒めてあげると心から喜んでくれた。僕はその顔が見たくて、一生懸命世話を焼いた。自分の寂しさも満たされて、リョウの笑顔に癒された。そんな生活が出来ることを、とても幸せに思っていた。
 
 でも、あの日。唐突にそれは終わりを告げる。
 
 ただ可愛らしいと思って遊んであげていた自分が、リョウを性的な目で見るようになったのは、十八歳の頃だった。そこから僕は、地獄の日々を生きる事になる。

「リョウ。お風呂入るよー」
「はーい」

 いつものように、脱衣所で二人で服を脱いでいた。リョウは脱ぎやすい服であれば、一人で脱げるようになっていた。先に湯船に浸かって待っていたリョウと一緒に湯船に入った時だった。自分の体に、強烈な違和感を感じた。

「なんか……ドキドキしてる。苦しい? とは違うのか……なんだ、これ?」

 妙な動悸がして、気分が高揚していくのを感じていた。そして、腹の奥の方に何かを飼っているかのように、熱の塊が蠢き始めるのを感じた。

「これ……どういうこと?」

 十八歳だ。どれほど興味を持っていなかったとしても、熱が高まった後に起きた現象がなんなのかということくらいわかる。学校で習い、周りが読むマンガや見ている動画で、嫌というほど知らされていた。ただ、それが今起きた理由がわからなかった。

——僕……リョウのことをそんな目で見ているってこと?

 そう思うより他なかった。目の前にはリョウしかいないのだから。僕はそれがとてもショックだった。

「どうして? こんな……」

 リョウのことは、特別に可愛いとは思っていた。子供好きな僕は、よく近所の子供と一緒に遊んであげていた。でも、どの子よりもリョウが一番可愛く見えていた。ただそれは、毎日自分が面倒を見ていたとても近い存在だからだと思っていた。

——もしかして、ずっと前からそういう目で見ていたの? そんな……。

 リョウはこの時、まだ五歳だった。

 ショックではあったけれど、僕が何も言わなければ、何もしなければなかった事にできると思い、そのまま世話は続けた。そんな僕をさらなる地獄へと導いたのが、ミドリとの出会いだった。
 この頃、リョウとは反対の隣家にミドリが引っ越して来た。ミドリも両親からネグレクトを受けていて、リョウと仲良くなったため二人が一緒にいることが増えていった。

「ゆうくん、ミドリちゃんもいっしょね! ね! おねがい!」

 リョウがいつもそう言うので、ミドリはリョウの家で寝るまで一緒にいるようになった。そしてそのうちに、僕はミドリに対しても似たような気持ちを抱いていくようになる。
 一体何が起きているのか、自分では全くわからなかった。
 僕は周りの子のように、恋愛の話に興味を持つということがなかった。それは両親から受けた虐待の影響なのかも知れないと思い、あまり深く考えないようにしていた。
 ただ、僕があまりに無頓着なため、周囲は心配していて、アセクシュアルなのかと言われたことさえあった。僕もそうなのかもしれないと思っていた。
 それが、幼い子供に対してだけ欲情する。しかも同時に二人、リョウに至っては同性だ。

「僕は……こんなに欲に塗れた人間だったのか……」

 その絶望感は、拭っても拭いきれないものとなった。

 それからは、毎日ひどく混乱しつつも、自分だけ服を着て二人をお風呂に入れてあげた。なるべく目をそらし、何も考えないようにしていた。それでも体に反応は起きていく。罪の意識で、毎度ボロボロと涙が溢れていた。

「ゆうくん、泣いてるの? どこか痛いの?」

 リョウに訊かれた時、答えられない自分に嫌気がさした。こんな自分が、二人の近くにいてはいけない。何度も離れようと思った。
 でも、二人とも親が全く面倒を見ないので、放っておくと何日も食事が摂れず、お風呂にも入れてもらえないような状態になってしまう。命を守ってあげられるのもまた、自分だけだった。

 僕は何度も悩んだ。苦しんで苦しんで出した答えは、さらなる地獄の入り口だった。

「大切にしてあげよう。自分のことは、どうにかしよう。二人を守ってあげるんだ」

 それからは、とにかく自分の気持ちを抑えようと頑張った。出来るだけ二人の顔を見ないようにした。もし愛しいと思う瞬間があってもそれ以上のことを考えないように、いつも足に刺激を与えていた。
 酷い時は、足をコンパスで刺したこともある。深く針を刺して血が流れたとしても、心を殺す日常は痛みすら感じないようにさせてくれた。そんな日々が長く続いた。今でも僕の足には、深く刺した時の斑らな跡が残っている。

 そうやって、耐えに耐えた。二人がいない時に自慰をして、懺悔の思いと共に欲を吐き出す日々だった。夜中抜き続けたり、走り続けたり、とにかく発散させることに必死だった。
 
 それでも解決策が見つからない。あまりに苦しくて、藁にもすがる思いで僕は葵に相談した。

「僕を気持ち悪いと思うよね? でも、葵にしか言えないんだ……お願い、聞くだけ聞いてくれない?」

 葵は、他人がどういう人間であろうとあまり気にしない性質だ。だから、相談先になってもらった。何年もの間、たった一人で僕の話を聞き続けてくれた。そしていつも褒めてくれた。

「えらいぞ、優希。よく我慢したな」
「すごいな、優希。俺には出来ないよ」

 ずっとそうやって葵がいてくれたから、僕はなんとかやってこれた。

 成人してからは、夜の街をうろついたりもした。
 女性がダメなら男性ではどうかと、ゲイフレンドリーな店にも行った。それでもダメだった。絶望感にうちひしがれながらうろついていた僕は、そのうち界隈で噂されるようになっていった。自分の闇を嗅ぎつけられ、ペドフィリアを狙った商売をしている人に追いかけられるようになった。

「構わないでくれ! 僕の欲は満たしてはいけないものだ! 誰も傷つけたくないんだ、ほっといてくれよ!」

 振り解いては逃げ、代わりになりそうな幼い顔をした成人を見つけて、どうにかやり過ごそうとした。それでもなんの解決にもならなかった。
 
 毎日最愛の人たちの世話をしながら、どんなに辛くても自分からは絶対に触れないように気をつけた。それでも二人が寂しがらないように、二人から触れてくるのは拒まない努力もした。とにかくそれが、本当に辛かった。本能を抑え続けて生きていくことは、心身共に尋常では無い痛みを蓄積して行った。

「もうダメだ……このままじゃ、リョウとミドリになにをするかわからない……」

 その時既に、ペドフィリアの自覚を持ってから五年が経っていた。僕は、毎日のように希死念慮に襲われるようになっていた。自分が自分で無くなる前に、消えてしまいたいと思い詰めていた。

 その頃だった。葵が知人の店の手伝いを始めたと言って連絡をくれた。

「お客さんに、お前を助けられるかもしれない人がいるんだ。ちょと会いに来ないか?」

 そう言って呼び出されたのがオールソーツだった。当時はバー営業しかしておらず、仕事帰りの深夜に出向いた。その時、紹介されたのが、今血だらけで横たわっている世理サトル。僕の救世主であり、パートナーになった人だ。

「私は犯罪心理研究所で働いています。佐藤さんがお困りだと葵から聞きました。ぜひ一度お話をと思いまして。私たちの研究は、あなたの力になれるかもしれません」

 初対面のサトルは、畏まって名刺を出しながら微笑んでくれた。ペドフィリア治療の専門家として、投薬と行動療法を合同で行う研究チームに所属しているという。非公開の治験段階であったため、葵に会いにオールソーツに行かなければ、この治療法には出会えなかったに違いない。本当に奇跡の出会いだった。僕はこの時、涙をボロボロこぼしながら、サトルに助けを求めた。

「このままだと、僕は死ぬしか無くなる。助けて下さい。僕のことも、二人のことも」

 リョウとミドリは、十歳になっていた。生活そのものは、夜に一人にならなければ何とかやっていけるようにはなっていた。
 それでも、何かあったときの支えは必要だし、まだ小学生なのだから大人の助けは多少なりとも必要だった。
 それに、保護者としての僕は、あまり早く大人になって欲しくも無いと思ってもいた。それは性愛の対象でなくなるからという邪な理由ではなく、庇護欲の表れだった。
 死ぬほど辛い思いをしていてもなお、まだその思いを持つことはできていた。

「僕が治療を受けようとするなら、入院になるんですよね? 仕事はどうにかなると思うんですけど、二人の世話をどうするか……」

「リョウのご両親はネグレクトなんだっけ? 通報とかはしないの?」

 葵は何度か通報することを僕に選ばせようとしていた。葵は当時、弁護士だった。バーは無給のお手伝いとして入っていただけだ。法的な解決なら本業なので、誰よりも頼りになっただろう。ただ、僕にはリョウとミドリを引き離すことがどうしても出来なかった。

「二人が可哀想だからって、自分がそこまで傷つかなくても……」

 葵は昔、僕の家の近所に住んでいた。だから何度か一緒にリョウとミドリと遊ぶこともあった。

「確かにリョウは優希にベッタリ甘えていたし、ミドリはリョウにベッタリだったもんな。あのままなんだったら、引き離すのはかわいそうかもしれないな」

 葵は僕の頭に手をポンと乗せると、今度はニコッと笑った。そして、とても大きな決断をしてくれた。その助けが、今の僕を作ってくれている。

「俺がリョウの未成年後見人になるよ。長いこと会ってなかったから、まずは俺に慣れてもらわないといけないけどな。それと、最初はご両親にその手続きに協力していただかないといけないから、そこだけは頑張ろうぜ。抵抗されたら叶わなくなるから、慎重に行かないとな」

 意外な提案に僕は驚いてしまった。未成年後見人になると言うことは、子供の監督権を持つということだ。葵の生活に制限が出ることになる。自分のわがままで、葵にそれをお願いしてもいいのだろうか……そう思うと簡単には決められなかった。

「もともと弁護士の業務の一つに、未成年後見人を請け負うってのもあるんだよ。俺的にはそんなに特別なものでもない。やったことはないけどね。まあでも、一般の人よりはその辺り抵抗は少ないと思うよ。あまり気に病むな。今の優希を放っておく方が、俺は辛いよ」

「葵……ありがとう」

 リョウの身の安全が保障されるのなら、それが一番いい。そして、それが叶うのなら、僕は自分の治療に専念することができる。きっと葵なら、リョウもすぐに懐いてくれるだろう。リョウの両親への説明も、葵が全て請け負ってくれた。

「長年の苦しみから解放されておいで。長い戦いになるだろうけれど、俺に出来ることはするから」

「頑張れよ」と言って、葵は僕の背中を叩いた。それを見ていたサトルが、「頑張りましょう」と握手を求めてきた。僕はその手を握りしめた。

「あなた、今まで誰一人として苦しめていないんでしょう? 会わないのであればそれも可能かもしれません。でも毎日ともに暮らしながらそんなこと……普通は無理です。そんなの奇跡でしかない。そこまで頑張ったんですから、これからはもっと幸せに暮らすことを目指しましょう」

 そう言って、握手の力を少しだけ強めた。その軽い痛みが、僕にはとても心地良かったのを覚えている。

——この人に任せてみよう。

 僕は、研究所の宿泊施設で暮らすことを決めた。

 その日はそれから、サトルと楽しく時間を過ごした。迎えは車を呼ぶので、お酒も飲んだ。

「こんなに晴れやかにお酒を飲むのは、初めてかもしれない」

 僕の人生が切り替わったあの日、サトルと握り合った手が忘れられない。

「今はたくさん飲んではしゃいでいてください。明日からは隔離生活になりますから。頑張りましょうね」

 僕はサトルに頷いた。

 その日までの地獄を思えば、なんでも超えられる。超えるしかなかった。

「沈みそうになったら、殴り飛ばしてください」

 そういうと、サトルは両手をあげて「いやです」と言った。そして、不敵に笑うとこう告げた。

「僕たちが頼るのは、テクノロジーだけですよ。暴力的な辛さは無いと保証します」

 優しく微笑むと、僕の肩をポンと叩いた。僕はそこでサトルを信頼した。

 その翌日から、治療のために研究所に入院した。
 そこから五年。
 新しい戦いが待っていた。
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