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東海林と西崎
3_初デート1
しおりを挟む 送別会でうっかり柏手を打ってしまった吉田さんから、あの後死ぬほど謝られた。そのお詫びにと、人気のカジュアルレストランのディナーチケットと映画のペアチケットを貰った。
モテる先輩だとは思っていたけれど、謝りながらポケットからサッと取り出したものが、入手困難なチケットであったことに驚いた。
「いつもこういうの持ち歩いてるんですか?」
俺がそれを受け取りながら訊くと、なぜか得意げに笑いながら吉田さんは教えてくれた。
「いつどこで可愛い子に出会えるかわからないだろう? 普段は電子チケットだけど、こういう時はあえて紙なんだよ。渡すっていう行動がいいかなと思ってて」
「でも、俺別に今付き合ってる人いないし、誘う相手が……」
「何言ってんだよ! それは東海林さんを誘う用にあげるんだぞ! 他の人を誘うなよ、絶対。あんな格好で公衆の面前に出てきて助けてくれるなんて、かなりお前のことを大切に思ってくれてるからだろ? お前だって気がありそうだったじゃねーか」
「それは……そうですけど……」
「だろ? 北室清掃さんって、主任とかになれば土日休みだろ? レストランの予約は今夜取ってあるんだ。それ使え」
「え、なんでもう予約取ってあるんですか? もし東海林さんに予定あったら……」
「東海林さんに予定ないの調査済みー。俺の彼女も北室清掃なのよ。いいから、とっとと連絡しろ!」
吉田さんの怒涛の攻撃になす術もなく、言われるがままに俺は東海林さんに連絡を入れた。
——俺、裁判ではあんなに押せるのに、なんで先輩相手だとこうも弱くなるんだろう……。
自分の押しの弱さに呆れつつ、チャンスをくれた吉田さんに感謝した。俺たちは連絡先を交換したものの、雑談することはあっても、直接会って話すということをなかなか出来ずにいた。
もしかしたら、吉田さんはそれを彼女さんから聞いたのかも知れない。なんにせよ、お節介なカップルに感謝するしかなかった。
『今夜、空いてます。じゃあ、19時に』
そう帰ってきたメッセージに思わずニヤついていると、隣の席から「あー、喉が乾いたなあ」という声が聞こえてきた。
「はいはい。買ってきますよ。ブラックでいいんですか?」
「よろしくな」と手を振り、打ち合わせへと向かう吉田さんの背中を見送って、俺は自販機へと向かった。
***
「すみません、お待たせしました……」
俺は待ち合わせの時間を十五分ほど過ぎて、レストランに着いた。事務所を出る時に、運悪く電話があり、その対応に追われてしまったからだった。
東海林さんには連絡を入れておいて、先に店に入ってもらった。
「こちらです」
案内された席には、ビシッとスーツを着込んだ東海林さんが、ビールを飲みながら夜景を眺めていた。
吉田さんは、夜景が見えるカウンターに、並んで座るタイプの席を予約していたらしい。俺を待つ横顔は、キリッと引き締まっていて、普段の東海林さんとのギャップにやられてしまった。
「かーっこいいなあ……」
思ったよりも大きな声が出ていたようで、東海林さんは俺の方を振り返り、顔を赤くしていた。口元を押さえながらぼそっと「あ、ありがとうございます」と呟くと、照れ隠しにビールをぐいっと飲み干した。
「俺もビール下さい」とスタッフさんに伝える。そして、どうぞと手を差し出してくれた東海林さんの隣に座った。
「あの、この間は……いや、その前も、本当にありがとうございました。うちの事務所、ガイドがあまりいなくて。センチネルも管理は基本的に自己責任って感じなんです。だから、ミュートの人はどうしても知識不足になるみたいで」
「そうなんですね。うちは体力仕事だし、精神的にクる仕事がある時もあるんで、ガイドのスタッフはみんな軽度なケアならちゃんと出来るんですよ。もし困ったら、うちの作業着着てる人を頼ってください」
優しく微笑みながらそういう東海林さんに、「はい」と返そうと思うのに、なぜかうまく答えられずに「はあ……」と変な返し方をしてしまった。東海林さんの口から、他のガイドを頼るように言われるのは、ちょっと寂しかったから。
それが伝わったのか、慌てて東海林さんは両手を目の前でぶんぶんと振った。
「あ、いや、えっと、あの……西崎さんは、できれば俺を頼って欲しいですけど」
振っていた手を口元に手を当てながら、真っ赤な顔でそう言ってくれる。俺はその言葉が聞けて嬉しくなり、大きな声で「はい!」と答えてしまった。
「あっ……ごめんなさ……」
レストランで大声を出してしまったことを謝ろうとしたところ、パッと俺の耳に東海林さんの手が伸びてきた。その時、目の前のグラスが倒れてしまい、ビールが静かに流れ落ちた。
彼の左足は、ビールで濡れてしまっている。それなのに、そのことには目もくれていないようだった。
「あ、あの……?」
両耳に東海林さんの大きくて温かい手が触れている。この状態だと、どうしても見つめ合う形になってしまい、塞がれた耳の中に俺の心臓の音が大きく響いていた。
東海林さんは何も言わない。俺はどうしたらいいのかわからなくなり、目を逸らした。すると、耳を塞いでいた手が離れ、ひどく優しい声が代わりに飛び込んできた。
「大丈夫ですか? 自分の声でも大きすぎるとダメージ喰らうでしょ?」
東海林さんの足は、スラックスの色が変わってしまうほどに濡れていた。しかも、かかったのはビールだ。不快感がすごいだろう。それなのに、俺のことしか気になっていない様子で、まっすぐ俺の目を見ていた。
『あんな格好で公衆の面前に出てきて助けてくれるなんて、かなりお前のことを大切に思ってくれてるからだろ?』
——本当ですね、吉田さん。
俺は胸の奥がぎゅっと喜びで痛むのを感じた。
なんで、いつもこんなに幸せな気分にしてくれるんだろう。どうして、こんなに大事にしてもらえるんだろう。頼ってもいいと言われた、その理由はセンチネルだからというだけなんだろうか。
大事にしてもらえることが嬉しくて、幸せであることには変わりないのに、ほんの少しだけ、不安の色が違った痛みを胸に落とした。それを隠すように意識してにっこりと微笑み、その優しさにお礼を言った。
「ありがとうございます。俺、最近制御ピアスつけ始めたんです。だから、ちょっとなら大丈夫。あの、他のガイドに頼らなくていいようにって……東海林さんにはいつも会えるわけじゃないから……」
ここは吉田さんが取ってくれた、夜景の見えるカウンター。三方を囲まれたデート用のカウンター。だから、今なら大丈夫。
「いつも俺のこと気遣ってくれて、ありがとう」
耳から離れたばかりの手に頬をすり寄せ、自分の手を沿わせた。
「東海林さん、優しいね。俺……好きになっちゃった」
この人の手は、俺に取って特別だ。最初に助けてもらったあの時から、ずっと触れるだけで心地良くしてもらえる。目を閉じて、その温もりに触れていると、ふわっと優しく口付けられた。
その唇は、ゆっくりと離れていきながら、「俺も好きです」と告げてくれた。そして、もう一度距離を詰めて触れ合ったあと、東海林さんはふわりと微笑んだ。
***
「この作業着って、そうやって着ると普通のパンツに見えますね」
ゆっくりと食事を堪能した後、お店を出て改めてその姿を見た。最近、作業着のデザイン変更があり、社員の意見を取り入れてかなり普段着に近い見た目に変わったらしい。
お店からも、ジャケットを着ていれば問題ないと言われ、あの後心置きなく食事を楽しむことができた。
「ねえ、吉田さんから映画のチケットもらってて、それ、今日までなんです。でも、お酒飲んじゃったからもう見れないかな……眠くなりそう。東海林さんは見れそう? 他の人と行く?」
俺がそう尋ねると、東海林さんは子供が拗ねるような顔をして俺の方を見つめてきた。俺はレストランで過ごした時間があまりに心地良くて、やや浮かれていた。
東海林さんのその目が、俺を離したくないと言っているように見えて、調子に乗っていたと思う。だから、あんなことが言えたんだ。
「なんで怒るの? 他の人とって言ったから?」
東海林さんは視線を合わせてくれなくなった。俯いたまま、それでも声は優しくて、「酔ったんですね。もう帰りましょう。送るから」と言ってくれる。
「えー? でも、チケット……吉田さんが用意してくれたし、東海林さんにしかあげちゃいけないって言ってたし……でも、俺絶対寝ちゃうから……どうしよー」
俺も困ってしまって、どうするか考えたいけれど考えられなかった。ふわふわと酔に任せた頭で、バカな提案をすることになる。
「あ、わかった! じゃあ、東海林さんは映画見てて。俺、東海林さんの膝で寝てるから」
そして、なぜかその提案は実行されることになった。
モテる先輩だとは思っていたけれど、謝りながらポケットからサッと取り出したものが、入手困難なチケットであったことに驚いた。
「いつもこういうの持ち歩いてるんですか?」
俺がそれを受け取りながら訊くと、なぜか得意げに笑いながら吉田さんは教えてくれた。
「いつどこで可愛い子に出会えるかわからないだろう? 普段は電子チケットだけど、こういう時はあえて紙なんだよ。渡すっていう行動がいいかなと思ってて」
「でも、俺別に今付き合ってる人いないし、誘う相手が……」
「何言ってんだよ! それは東海林さんを誘う用にあげるんだぞ! 他の人を誘うなよ、絶対。あんな格好で公衆の面前に出てきて助けてくれるなんて、かなりお前のことを大切に思ってくれてるからだろ? お前だって気がありそうだったじゃねーか」
「それは……そうですけど……」
「だろ? 北室清掃さんって、主任とかになれば土日休みだろ? レストランの予約は今夜取ってあるんだ。それ使え」
「え、なんでもう予約取ってあるんですか? もし東海林さんに予定あったら……」
「東海林さんに予定ないの調査済みー。俺の彼女も北室清掃なのよ。いいから、とっとと連絡しろ!」
吉田さんの怒涛の攻撃になす術もなく、言われるがままに俺は東海林さんに連絡を入れた。
——俺、裁判ではあんなに押せるのに、なんで先輩相手だとこうも弱くなるんだろう……。
自分の押しの弱さに呆れつつ、チャンスをくれた吉田さんに感謝した。俺たちは連絡先を交換したものの、雑談することはあっても、直接会って話すということをなかなか出来ずにいた。
もしかしたら、吉田さんはそれを彼女さんから聞いたのかも知れない。なんにせよ、お節介なカップルに感謝するしかなかった。
『今夜、空いてます。じゃあ、19時に』
そう帰ってきたメッセージに思わずニヤついていると、隣の席から「あー、喉が乾いたなあ」という声が聞こえてきた。
「はいはい。買ってきますよ。ブラックでいいんですか?」
「よろしくな」と手を振り、打ち合わせへと向かう吉田さんの背中を見送って、俺は自販機へと向かった。
***
「すみません、お待たせしました……」
俺は待ち合わせの時間を十五分ほど過ぎて、レストランに着いた。事務所を出る時に、運悪く電話があり、その対応に追われてしまったからだった。
東海林さんには連絡を入れておいて、先に店に入ってもらった。
「こちらです」
案内された席には、ビシッとスーツを着込んだ東海林さんが、ビールを飲みながら夜景を眺めていた。
吉田さんは、夜景が見えるカウンターに、並んで座るタイプの席を予約していたらしい。俺を待つ横顔は、キリッと引き締まっていて、普段の東海林さんとのギャップにやられてしまった。
「かーっこいいなあ……」
思ったよりも大きな声が出ていたようで、東海林さんは俺の方を振り返り、顔を赤くしていた。口元を押さえながらぼそっと「あ、ありがとうございます」と呟くと、照れ隠しにビールをぐいっと飲み干した。
「俺もビール下さい」とスタッフさんに伝える。そして、どうぞと手を差し出してくれた東海林さんの隣に座った。
「あの、この間は……いや、その前も、本当にありがとうございました。うちの事務所、ガイドがあまりいなくて。センチネルも管理は基本的に自己責任って感じなんです。だから、ミュートの人はどうしても知識不足になるみたいで」
「そうなんですね。うちは体力仕事だし、精神的にクる仕事がある時もあるんで、ガイドのスタッフはみんな軽度なケアならちゃんと出来るんですよ。もし困ったら、うちの作業着着てる人を頼ってください」
優しく微笑みながらそういう東海林さんに、「はい」と返そうと思うのに、なぜかうまく答えられずに「はあ……」と変な返し方をしてしまった。東海林さんの口から、他のガイドを頼るように言われるのは、ちょっと寂しかったから。
それが伝わったのか、慌てて東海林さんは両手を目の前でぶんぶんと振った。
「あ、いや、えっと、あの……西崎さんは、できれば俺を頼って欲しいですけど」
振っていた手を口元に手を当てながら、真っ赤な顔でそう言ってくれる。俺はその言葉が聞けて嬉しくなり、大きな声で「はい!」と答えてしまった。
「あっ……ごめんなさ……」
レストランで大声を出してしまったことを謝ろうとしたところ、パッと俺の耳に東海林さんの手が伸びてきた。その時、目の前のグラスが倒れてしまい、ビールが静かに流れ落ちた。
彼の左足は、ビールで濡れてしまっている。それなのに、そのことには目もくれていないようだった。
「あ、あの……?」
両耳に東海林さんの大きくて温かい手が触れている。この状態だと、どうしても見つめ合う形になってしまい、塞がれた耳の中に俺の心臓の音が大きく響いていた。
東海林さんは何も言わない。俺はどうしたらいいのかわからなくなり、目を逸らした。すると、耳を塞いでいた手が離れ、ひどく優しい声が代わりに飛び込んできた。
「大丈夫ですか? 自分の声でも大きすぎるとダメージ喰らうでしょ?」
東海林さんの足は、スラックスの色が変わってしまうほどに濡れていた。しかも、かかったのはビールだ。不快感がすごいだろう。それなのに、俺のことしか気になっていない様子で、まっすぐ俺の目を見ていた。
『あんな格好で公衆の面前に出てきて助けてくれるなんて、かなりお前のことを大切に思ってくれてるからだろ?』
——本当ですね、吉田さん。
俺は胸の奥がぎゅっと喜びで痛むのを感じた。
なんで、いつもこんなに幸せな気分にしてくれるんだろう。どうして、こんなに大事にしてもらえるんだろう。頼ってもいいと言われた、その理由はセンチネルだからというだけなんだろうか。
大事にしてもらえることが嬉しくて、幸せであることには変わりないのに、ほんの少しだけ、不安の色が違った痛みを胸に落とした。それを隠すように意識してにっこりと微笑み、その優しさにお礼を言った。
「ありがとうございます。俺、最近制御ピアスつけ始めたんです。だから、ちょっとなら大丈夫。あの、他のガイドに頼らなくていいようにって……東海林さんにはいつも会えるわけじゃないから……」
ここは吉田さんが取ってくれた、夜景の見えるカウンター。三方を囲まれたデート用のカウンター。だから、今なら大丈夫。
「いつも俺のこと気遣ってくれて、ありがとう」
耳から離れたばかりの手に頬をすり寄せ、自分の手を沿わせた。
「東海林さん、優しいね。俺……好きになっちゃった」
この人の手は、俺に取って特別だ。最初に助けてもらったあの時から、ずっと触れるだけで心地良くしてもらえる。目を閉じて、その温もりに触れていると、ふわっと優しく口付けられた。
その唇は、ゆっくりと離れていきながら、「俺も好きです」と告げてくれた。そして、もう一度距離を詰めて触れ合ったあと、東海林さんはふわりと微笑んだ。
***
「この作業着って、そうやって着ると普通のパンツに見えますね」
ゆっくりと食事を堪能した後、お店を出て改めてその姿を見た。最近、作業着のデザイン変更があり、社員の意見を取り入れてかなり普段着に近い見た目に変わったらしい。
お店からも、ジャケットを着ていれば問題ないと言われ、あの後心置きなく食事を楽しむことができた。
「ねえ、吉田さんから映画のチケットもらってて、それ、今日までなんです。でも、お酒飲んじゃったからもう見れないかな……眠くなりそう。東海林さんは見れそう? 他の人と行く?」
俺がそう尋ねると、東海林さんは子供が拗ねるような顔をして俺の方を見つめてきた。俺はレストランで過ごした時間があまりに心地良くて、やや浮かれていた。
東海林さんのその目が、俺を離したくないと言っているように見えて、調子に乗っていたと思う。だから、あんなことが言えたんだ。
「なんで怒るの? 他の人とって言ったから?」
東海林さんは視線を合わせてくれなくなった。俯いたまま、それでも声は優しくて、「酔ったんですね。もう帰りましょう。送るから」と言ってくれる。
「えー? でも、チケット……吉田さんが用意してくれたし、東海林さんにしかあげちゃいけないって言ってたし……でも、俺絶対寝ちゃうから……どうしよー」
俺も困ってしまって、どうするか考えたいけれど考えられなかった。ふわふわと酔に任せた頭で、バカな提案をすることになる。
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