synchronized heartbeats

皆中透

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heartbeat

11「ミルフィーユ」2

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 早木大和はやきやまとさんと付き合い始めて一ヶ月が経った頃、久しぶりに街に雪景色が広がった。俺は白く染まっていく街を病棟の中からぼんやりと眺めながら、景色の向こうに彼の姿を思い浮かべた。

 実業家として忙しく働く大和さんは、ここ最近は丸一日休みを取るのが難しいらしく、俺たちはあまり顔を合わせることが出来ていない。

 俺の方も、病院実習は本当に体力が削られるため疲労困憊気味で、その上人と直接関わることが格段に増えたためか、精神的にも疲れ果てていた。

 土日はレポートと次の科の予習に追われていて、バイトをする時間も最低限に止めてもらっている。日々ギリギリの状態で暮らしていて、余裕はどこにも無かった。

 それでも、こうなることがわかっていた俺たちは、付き合い始めの頃から躊躇わずに同棲をすることを選んでいたため、寂しい思いはせずに済んでいる。

 最初は俺が早木さんのホテルへ泊まる半同棲を選び、その後は二人でメッセージのやりとりをしながら部屋を決めて、全てを業者任せにして早々に引越を終えることができた。

 まだ前の部屋の家賃を払いながらであるため、生活には余裕がない。ただ、この暮らしに失敗したとしても、元々就職したら引っ越す予定で資金を貯めていたから、気持ちさえ保つことが出来ればどうにかなると思えたことも、余裕に繋がっていた。

 落ち込み続けられるほど暇では無いし、色ボケする暇も無いほどに学ばないといけないことは多い。そして、親のために目指していたはずのこの道が、意外にも自分に合っていたようだ。今のところは、疲労が有って休みたいとは思っても、逃げ出したいとは思わずに済んでいる。

「あーでもポリクリ中の引越しはやっぱりキツかったな……」

 齢二十三にして腰を叩きながらそう呟いていると、同期たちから「そうだろ。普通はやらないんだよ」と笑われた。それでも、彼らは俺の事情を知っている仲の良いメンバーたちなので、それ以上の否定もせず、激励のための湿布をポンと投げて渡してくれた。

 そして、

「お疲れ。良いクリスマスを」

 と言いながら帰っていった。

「おー、ありがとう。お前たちもなー」

 彼女と手を繋いで帰っていく同期を見ながら、彼がくれた湿布をロッカーの小物を入れているケースにしまう。俺は白衣とスクラブを脱ぎながら、

「ありがたいけれど、今日は貼れないんだ。やっとデート出来るんだから」

 と呟いた。

 そう、同棲しているにも関わらず、実は今日が初めてのデートなのだ。

 大和さんは、毎日深夜に帰ってくる。そして、実習中の俺は、一度眠るともう起きることが出来ない。そうなると一緒に暮らしていても、朝の挨拶をするくらいか、休憩中にメッセージを送り合うくらいしか、恋人らしいことは出来なかった。

 そんな状態が続いていたけれど、仕方がないと思ってあまり気にもしていなかった。帰る場所が同じであるだけで、俺は安心できるらしい。そんな中、疲れて寝ようとしているところに、帰宅途中の早木さんからメッセージが届いた。

『クリスマスの夜から翌日の昼までは休みにした。せっかくだから、外で食事しよう』

 初めて誘われたデートがクリスマスだということに、俺は疲れを忘れて浮かれた。恋人とのクリスマスディナーデートだ。あんなに忙しいのに、俺のためにその日を一緒に過ごしたいと思ってくれていたことに、その時既に泣きそうなほどに喜んでいた。

 今日はその十二月二十五日。急いで家に帰り、デートの支度をしてactへと急いだ。

「actに行くのも久しぶりだな……。レイさん元気してるかな」

 ここ最近は忙しくてバイトに入れず、レイさんの顔を見ることもしばらく出来ていなかった。散々世話になったくせに、恋人ができたらほったらかすのか……と、何度か自責の念に駆られたこともある。

 けれども、そのことさえ見透かしたレイさんは、俺に対して母のような気遣いをずっと欠かさないでいてくれた。レイさんから届くメッセージに、何度助けられたか分からない。久しぶりに会って話せることに心が弾んだ。

『デートの待ち合わせ場所、actにしてもいい?』とメッセージを送ると、彼はすぐに受け入れてくれた。

『そうすれば、俺は仕事の終わりを気にしないでいいだろうし、レイさんともゆっくり話せるね。そうしようか』

 そう返ってきたメッセージを見て、俺は思わずスマホに口付けてしまった。

 頑張ってきたご褒美に、好きな人たちに会う時間が用意されている。こんなに嬉しいことはない。輝く街並みに見えて来た店のドアには、『本日貸切』の札がぶら下がっていた。

「あ、そうか。今日はイベントの日だ」

 actは外観や内装がオーセンティックバーのような趣のある店で、最初に一人で入るには敷居が高そうな印象がある。元々はその雰囲気を好んで来る客がほとんどで、レイさんもそれを気に入っていた。

 でも、それでは客が増えず、経営が立ち行かなくなった時期があった。それで始めたのが、このイベントだ。簡単に言うと合コンのようなもので、出会いを求める人たちが集まるパーティーが行われる。

 事前に予約して身分を明かしてもらっているため、これまでトラブルに見舞われたこともない。スタートとエンドだけはレイさんが仕切るけれど、それ以降は店からの干渉は一切ない。いつもよりもフードメニューを増やし、場所を提供している感じだ。

 俺は毎年これに参加していた。そして、かなり派手に遊んで来た。そんな自分が今年は参加しないのかと思うと、少し感慨深いものがあった。

「レイさーん、久しぶり! 元気してた? ごめん、待ち合わせの間だけここにいさせて」

 ドアを開けながら、カウンターに立って準備中のレイさんに声をかけた。ピンク色のロングヘアを綺麗にまとめた姿は相変わらず美しく、振り返ってにこやかに笑う姿を見て、俺の胸がほわりと温かみを帯びた。

「あら渚ー。ホント、会うのは久しぶりね。カウンターは使わないから、ここにいていいわよ。この後デートなんでしょ?」

 レイさんはフルートグラスの数を数えながら、俺にカウンターを指して座るように促した。乾杯だけはシャンパンを提供するため、参加者リストとの照合をしているようだ。

 老眼鏡をかけてリストを見ている姿は、とても可愛らしくて思わず見ている俺の顔も綻んだ。

「うん。大和さんの仕事終わったらしいから、少しだけ待たせてね。あ、これ。俺からクリスマスプレゼント」

 俺は持ってきた小さな包みをカウンターに置いて、

「メリークリスマス。大変だろうけど、頑張れるようにチョコだよ」

 と言った。レイさんはそれを見て目を輝かせる。

「あらありがとう! 本当にあんたはいい子だわ……」

 嬉しそうに小箱を手に取り、感慨深げに目を細めた。レイさんが喜んでくれるのを見るのは、俺の喜びの一つでもある。

 実の母にはこんなことはしたことが無いけれど、きっとあの人は俺がこういうことをしても、こんなふうに喜んではくれないだろう。こうやって喜んでくれる人がいることに、この人に支えてもらったことに、俺は心から感謝した。

「しかしあんた本当に偉いわよね。早木さんに捕まったと思ってもしっかり勉強はしてるし、バイトも来るし。相手が忙しくしてても不満一つ言わないから、彼も助かってるみたいよ」

「捕まるって人聞きの悪い……。いやそれよりも、それは大和さんから聞いたわけ? 助かってるって言ってたの?」

 黙っていても出てくるビールを一口飲み、レイさんの顔をじっと睨んだ。それを見て楽しそうに笑いながら、彼は言う。

「そう。昨日来たのよ。今まで付き合った子達は、早木さんが仕事ばっかりしてて、自分の相手をしてくれないからつまんないって言って逃げて行ったんですって。みーんなそうだったらしいわよ。でも、渚ってそういうの無いでしょう? 甘え慣れてないっていうのもあるだろうけれど、根本的にそういうタイプじゃ無いわよね。そういうところが好きだし、だからこそ自分だけは甘やかしたいんだって言ってたのよ。でも渚、全く詮索されないのも寂しいわよ、きっと」

 俺が恋人を作った事が嬉しいのだと言ってはいたけれど、恋愛話が出来るのがよほど楽しいのか、やたらに先輩風を吹かせようとして、尋常では無い早口で捲し立ててくる。

 ただ、それは別に悪いものではなかった。レイさんと自分のことでこんなに明るい話をするのは初めてかもしれなと思うと、俺もとても楽しくなっていた。

「俺だって別に全く詮索しないわけじゃないよ。ただ、話してもいいことは俺が聞かなくても自分から話してくれてるし、話さないことは言えないことだろうと思ってるから、あんまりこっちから聞くってことをしてないだけだよ」

 その回答がお気に召したのか、レイさんは子供を褒める親のような顔をして、小さく拍手をするふりをしてみせた。

「もーあんたは本当に……子供としても、恋人としても出来が良すぎるわ。今日はしっかり甘やかしてもらいなさいよっ!」

「うん、ありがとう」

 満足気に微笑むレイさんを見ていたら、俺も気分が良くなってきた。もう一杯だけもらうと思い、グラスをカウンターに置く。

「おかわりするの? はいはい。……あら、あのボディクリームまた使ってるの? あんたそれ似合うわよね、その香り。エピシエスクっていうんだっけ?」

 レイさんはカウンターから身を乗り出して俺の手を取ると、鼻を近づけてすんすんと鳴らした。

「あーうん、そうなんだよ。最近また使い始めたんだ。実習が無い時だけだけどね。……あれ? これ、レイさんが俺に教えてくれたでしょ。最初にこれをくれたのってレイさんだったはずだよ? それを大和さんにも教えてあげたんでしょ?」

「え、あー、最初はね、そうだったわよ。でもあれは別のブランドのものだったから。渚、これはねぇ……」
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