synchronized heartbeats

皆中透

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heartbeat

6「怖いくらいに」

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「あ、このタクシーだね。レイさんが呼んでくれたよ。住所伝えてあるらしいから、乗るよ」

「はい」

 そう答えるのが精一杯で、くらくらと揺れる世界から振り落とされまいと、俺は早木さんのジャケットをギュッと握りしめていた。成人した男がしがみついたまま歩くのは大変だろう。それなのに、早木さんは何も言わずにそれに付き合ってくれた。

「actのママからの予約はこちらで間違いないですか?」

「はい、そうです。お待ちしてました。お荷物無ければ、そのままどうぞ」

「ありがとう」

 早木さんは運転手さんとのやりとりも優しくて、それが終わると俺を先にシートへ座るように促した。さすがに乗り込む時は邪魔だろうと思って、その優しい手から離れようとすると、逆に肩を抱く手にグッと力を込められてしまう。

「え?」

 そして、驚いている間に膝を抱えられ、まるで魔法のようにふわりと俺を座らせた。正確には、俺を抱き抱えたまま早木さんはタクシーに乗り込んだため、俺はまだお姫様抱っこ状態で彼の腕の中にいる。その流れるようなエスコートっぷりに驚いて声も出なかった。

「あ、あの……」

「痛くなかった? 大丈夫ならちゃんと座って、シートベルトしてね」

 そう言って俺の背中と膝下から優しく自分の腕を抜くと、今度は俺の髪をそっと梳き上げる。

「ちょっと髪が乱れちゃったね。申し訳ない」

 そして、シートベルトをして座り直すとまっすぐに前を見据えたまま「ほら、早く。運転手さん待ってるから」と俺を急かした。

 その横顔は、気のせいかほんの少しだけ赤みが差しているように見える。ずっと涼しげな表情しか見ていなかったからか、それを見ると途端に胸がギュッと苦しくなるように痛んだ。

「お二人ともシートベルトされました? 出しますね」

 運転手も穏やかで優しい声をしていたからか、動揺して慌てている自分が急に子供っぽく思えてきて、俺は慌ててベルトを締めた。そして

「だ、大丈夫です。お願いします」

 と声をかけると、早木さんがそれを見て楽しそうに笑った。

「良かった。さっきと同じ元気な声が出たね」

 そう言って目を細めながら、俺を見ていた。

 後ろにはたくさんのバーが立ち並び、店のカラーによって色々なタイプの明かりが輝いている。柔らかい暖色のものから、ギラギラとしたネオンカラーまで、本当に色々だ。

 カジュアルな店の多いこの場所に、レイさんの店の看板の明かりはとても大人びて見える。その光が早木さんの後ろを通り抜けた時、シートの上で手を繋がれた。

「あ、あの……」

「寂しくて不安になったんなら、手を繋いであげたらいいかなって思ってね。ダメかな」

 そう言って俺を見つめる目には、見間違えだと言うには無理があるほどに、強く灯った火が煌々と輝いていた。それがなんなのかは、言われなくてもわかる。ただ、どうしてそんな風になっているのかが分からない。

「……大丈夫。何もしないから。ただ今はこうやって、君の助けになれたらそれでいいんだ」

 そう告げる彼の唇は、わずかに震えていた。それよりも、その触れている指先がとても気になった。

 さっきまでの温かさを失い、冷たく固くなっていた。あの目が無かったら、俺は嫌われているのだと思ってしまっただろう。でも、あの目をして、この冷たい指先。それはつまり……。

「あの、もしかして緊張……して、ます、か?」

 彼はそう尋ねた俺を見てはっと息を呑むと、ぎゅっと眉を下げてしまった。小さく震えている体に、さらに力が込められる。そして、黙ったまま何度か僅かに頷いた。

 空いている方の手を広げて自分の顔を覆い隠すと、長い、とても長いため息をついた。

 俺は彼に対して何か気を悪くするようなことでもしたのだろうかと思い、思い返そうとしてみて、はたと気がつく。おそらく、カウンターを離れる時から今の今まで、迷惑をかけ通しだ。困らせることや怒らせることしかしていない。

 それなのに、そんな感情を抱かさせている張本人から「緊張してますか?」などと偉そうなことを言われるなんて、勘違いも甚だしい。突然申し訳なくなってしまい、甘えるのをやめようと重ねていた手を引っ込めようとした。
 
 すると早木さんはすぐに俺の手を追いかけて来た。引いた手に彼が手を重ねるようとしているから、その分体ごと俺に近付いてくることになる。目の前に迫った艶のある視線が、俺の心臓を壊しそうなほど刺激した。

「あの、すみま……」

「ごめん」

 俺がとにかくお詫びの言葉をと思い口を開いたところ、それをふわりと包み込むような優しい謝罪の言葉が聞こえてきた。潰すような、押し返すようなものじゃなくて、言葉ごと包んで嫌なところを消していくような、すごく優しい声だった。

「え、いや、あなたは何も謝るようなことはして無いです。俺が迷惑ばっかりかけてて……」

 俺の言葉に被りを振りながら、ジリジリと距離を詰めてくる。少しずつ迫ってくる香水と早木さん自身から立ち昇る香りが、骨を突き破って出て来そうな心臓をさらに刺激していく。

 直視に耐えられなくなって、俺は顔を背けた。すると、さっき自分の顔を隠していた方の手を、俺の頬に添えながらそっと向き直らされる。また視線が合った時には、その目いっぱいに熱が溢れていた。

「は、早木さん? ちょっと、恥ずかしいです……」

 車内に俺の心臓の音が漏れ聞こえるんじゃ無いかと思うほどに、ドクドクと大きな音が身体中に鳴り響いている。出来ることならここからすぐにでも逃げ出してしまいたいと思うのに、彼はどんどん俺に近付いてくる。

「ごめんね、俺、本当はずっと君が好きだったんだ。前からレイさんに相談してて……」

「えっ?」

 思いもよらない言葉を聞いて、俺は言葉に詰まった。早木さんという青年実業家は、この界隈では有名だ。仕事が出来て人に好かれるという噂は、地域と大して関わっていない俺でも聞いたことがある。こんなに素敵な人が、俺なんかを好きになる理由がわからない。

 それに、店ではスタッフとしても客同士としても、面識が無いはずだ。それなのに、ずっと好きだったとはどういうことなんだろう。

「す、好きって、俺をですか? なんで……?」

 タクシーの後部座席で手を握られて迫られている。狭い空間で逃げ道が無いこの状況で、こんなことをされて嫌だと思わない。それだけでわかる。俺にも心の深いところから、期待じみた思いがじわじわと吹き出しつつあった。

「二人でしっかり話したのはこれが初めてだけれど、僕は店にいる時にずっと君を見ていたんだ。同じ話に入っていたことだってあるんだよ」

 それを聞くと、俺の心は僅かに翳った。もしかしたら、この人はワンナイトの常習犯なのかもしれない。見覚えのない相手に、ずっと好きだったと言える二枚舌を持っていれば、今の俺のようなネコは簡単に落とせるだろう。

 警戒するようにそう思おうとするけれど、それが事実だったらどうしようかという思いが頭をよぎった途端、胸がズクっと疼いた。

「そんなの、嘘でしょ。あなたみたいにかっこいい人と話してたら、俺は絶対覚えてると思います。誰でもいいなら、他当たってください。俺は今はさすがにそういうのは無理なんで……」

 適当に扱われたのかもしれないという思いが、胸に傷をつけていく。その傷に自分の涙が沁みていくようだ。ヒリヒリと痛んでは、さらに涙を呼んでいる。

 でも、早木さんは俺の言葉を聞いて、なぜかふっと笑った。それは嘲笑の類ではなく、ついさっきも見せた、あの眉の下がった困り顔だった。

 頬に触れていた手をもっと後ろに伸ばして、俺の頭を優しく引き寄せる。その手の力も優しくて、触れられているだけで涙が溢れそうになるほどに嬉しくなる。

「あの時、かっこいいなんて一言も言ってもらえなかったよ。何度も言われたのは、感じ悪いって言葉だけだった。俺も少しは成長したのかな」
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