金糸と鶯

皆中透

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信じると言う強さ

ホテルにて

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◆◇◆


 貴船神社を後にして、一同はホテルへと戻ってきた。この移動も当然行きと同じ経路を辿るため、それほど楽なものでは無くて、到着時には全員がかなり疲れ果ててしまっていた。

 旅行初日は、ただでさえ現地にたどり着くまでの移動があって、それだけで疲れてしまう。その上、今日は京都駅に着いてからもかなりの距離を行き来した。

 そのためか、全員が大浴場のお湯の中に沈みそうになってしまった。特に、普段インドアでほとんど体を動かしていない陽太は、朝から体力を削り過ぎてしまっていて、夕食時にはすでに半分眠っているような状態になっていた。

「陽太ぁー。大丈夫かー? ほら、見ろよ。この小鉢の中の野菜、綺麗だぞー」

 瀬川は美しく彩られた冷菜の鉢の中身を、陽太の口元へと運んでいく。陽太もぐったりしてはいるものの、口を一生懸命に開けて料理の数々を楽しんでいた。

——美味しい。楽しい。幸せだ……。

 陽太のそれまでの人生では、考えられないほどに楽しい夕餉を、みんなと共に過ごすことが出来た。これまで他人に興味を抱くことがあまりなく、ほぼ桃花と恵斗と三人で過ごして来た陽太にとって、これほどの大人数での旅行に参加する日が来ようとは、思いもしていなかった。

 瀬川と付き合い始めてからも、二人での夕飯はたまにあったのだが、大人数での賑やかな夕食は、このメンバーとしか経験したことが無い。

『お前って、誰にも興味ねーんだな』

 大学に入ってから、何度もそう言われた。それがあまりに続いたため、自分は冷たくてダメな人間なんだなと思い始めていた。それでも、この仲間と過ごすうちに、その考えはいつの間にか変わっていった。

——今まで人に興味がなかったのは、きっと俺が興味を持つような人に出会わなかっただけなんだ。

 そんな陽太の思いを証明するかのように、このメンバーで動く時には、誰かが塞ぎ込んでいたり喜んでいたりすると、それを分かち合うようになっていた。

 そんな大切な仲間と共にお腹も心も満たされて、ただただ幸せに浸っていられるこの時間が、とても愛おしく思えた。

 そして、その気持ちは、陽太だけではなくその場の全員に共通していた。疲労は温泉が、空腹は食事が、普段感じている身の置き所の無さはこの仲間との時間が、全てを癒してくれていた。

 誰もがその時間をもっと共有したいと思っていた。これから夜通し話したい者も、恋人の肌に触れたい者もいた。

 それでも、明日は早く起きて観蓮会に出向くという予定は変わることがなかった。旅行の計画段階から頑として譲らない凛華のためにみんなも折れ、この食事が終わってからは、早めに休もうということになっていた。

「普段早く起きることのない生活ばっかりしてるだろうから、今日は早く寝てね! 夜更かしは明日すればいいでしょ? そのための二泊三日なんだからね」

 ちらりと横目で瀬川を見ながら、凛華が釘を刺していた。瀬川は、諦めたような苦笑いを顔に貼り付けて、凛華を見ている。しかし、珍しく何も言い返さなかった。

 綾人が驚いて瀬川の顔を見ていると、視線をタカトの方へと送っているように見えた。そして、それを受けたタカトは、瀬川に向かってふっと微笑んだ。

 タカトは、瀬川と綾人のやり取りにも気づいていたようで、綾人へもふわりと柔らかい笑みを送る。その右目にはアザが無く、瞳はルビーのように真っ赤だった。

——今は貴人様なのか。そう言えば、瀬川と二人で廊下で何か話していたな。

 二人で話していたと言うことは、瀬川は貴人様から何か指示を受けたのだろう。綾人はそう納得して、何も言わずに部屋に戻ろうとした。すると、瀬川が「あやとー」と声をかけ追いかけてきた。後ろからじゃれつくようにハグをして、耳元でボソリと苦々しく思っていることを吐き出した。

「お察しの通りですー。余計な言い合いはするなとのご指示を受けましたー」

 惚けた口調でそういうと、顎を綾人の肩にずしっと乗せて来た。そして、猫が甘えるようにグリグリと顎を擦り付けると、体の底から不満を吐き出すような大きなため息を吐く。

「ふっ……」

 綾人は、瀬川の葛藤を思うとおかしくてたまらなくなり、瀬川の顔とは反対方向に顔を向けると、思わず吹き出してしまった。瀬川の性格からすると、上の意向に従って我慢を強いられたということ自体が、大きな負担だったはずだ。

 それでも従うしかなくて、いい子でおとなしくすることを選んだ瀬川を、綾人は労ってあげたくなった。短い金色の髪を両手でグシャグシャと乱して、子供を慰めるように頭を撫でた。

「おー、ヨシヨシ。よく頑張りました。上が一緒にいると大変だなあ。で、貴人様からはなんて言われたんだよ」
 
 瀬川はかき回されてツンツンと飛び出した髪を気にする様子もなく、綾人の肩に乗せていた顎を離すと、そのまま隣を歩き始めた。

「『人間三人が寝静まった後に話し合いをせねばならず、またその話し合いにはその三人の記憶を呼び出さなければならないため、とにかく一刻も早く眠って貰わなくてはならない。余計な言い争いをして、就寝時刻を遅らせるな。特に凛華との言い争いはするな。わかったな!』 ……って。なんか、親に叱られてる気分だったんだけど」

 綾人はふふっと息を漏らすと、ニヤニヤしながら瀬川の顔を覗き込んだ。

「そりゃ仕方ないわ。お前たちの不毛なやりとり、見てて面白いけど、長いからな」

 あははと二人で笑いながら廊下を進んだ。「楽しいから続けちゃうんだよなあ」と頭を掻きながら言う瀬川に頷きながらも、綾人はその貴人様が言っていたという「一刻も早く」という言葉が気になっていた。

 確かに確認したいことはあったはずだけれど、そんなにも一刻を争うのだろうか。

 綾人のタイムリミットまでは、まだ半年はあるはずだ。それに、確認しようとしていることも、佐々木恵斗と幼馴染たちの間に起きた出来事であって、もう既に終わっていることだ。

 それなのに、瀬川と凛華との言い争いを避けさせてまで、ことを進めようとしている意図がわからなかった。

「だけどさー、貴人様ってそんなにすごい神様なんだな。お前が陽太の件で黙って引くなんて、相当な我慢だろ? それほど上下関係は厳しいのか」

 瀬川と貴人様の関係性に興味があった綾人は、いい機会だと思って訊ねてみた。すると瀬川は、目を見開いて口を半開きにした顔を綾人にむけていた。驚くにしても程があるだろうと言いたくなるような、漫画のような間抜け顔が綾人を見ていた。

「そりゃそうだろ、宇宙の真理を体現された方だぜ? 俺たち天狗は、貴人様からの指示は全て無条件に聞き入れる必要があるんだよ。まあ、今は少し力が弱まってしまっているらしいけど、それでも俺の考えなんて遠く及ばないくらいの神通力はお持ちだから」

「宇宙の真理……」それは確かに誰も何も言えなくなるなと、綾人は納得した。

 貴人様はいつも飄々としている。それでも、漂う品格と有無を言わせ無い威圧感というものがあって、それを目の前にすると反論や反抗をする気も起きなくなる。そんな人に付き従わなければならない瀬川は、確かに大変だろう。

「まあとりあえず、また後からな。俺とタカトはみんなが集まるまで部屋にいるから」

 おう、と返事をすると瀬川は後ろを振り返った。そこには、二人の間になかなか入れずにずっと黙ってついて来ていた陽太がいた。急に振り返られて陽太は驚き、ビクッと一歩後退りをした。

「あっ、ごめん、鬱陶しかった?」

 黙って後ろをついて歩いていたことを申し訳ないと思ったのか、陽太は焦って離れて行こうとした。瀬川はその陽太の手を掴み、自分の方へ引き寄せた。

 話の邪魔をしないようにしながらも、自分の後ろをついて来ていた陽太に、愛らしさを感じて胸が甘く痛んでいた。瀬川がどれほど陽太に好意を示しても、陽太はそれをなかなか信じられない。

 それには、元々人付き合いが苦手で、人の気持ちを察するのにも向いていないと思っているところが、原因としてある。そして、瀬川とのことになると、どうしてもヤンのことがついて回ることも、原因の一つだった。

「彼氏がついて来て嫌がるわけないだろー」

 瀬川もそれをわかっているからか、自分は今の陽太を愛しているのだということを、たびたび口に出すようにしている。今もそれを示そうとしていて、陽太を包み込むように抱き竦めた。

「そっか……良かった」

 陽太は、そう言ってその腕の中でほっと息を吐くと、俯いたままで嬉しそうに微笑んだ。そして、自分を満たしている愛しい男の香りを、胸いっぱいに吸い込んだ。

 瀬川が、時折こうやって陽太を安心させようとしてくれていることに、陽太もちゃんと気がついていた。あとは、時間をかけてそれをもっと強固な自信へと変えていくだけだと、常に自分に言い聞かせている。

 綾人とタカトは、そんな二人の様子を遠くから眺めていた。いつの間にか、立派な恋人同士としての距離を確立していた二人を見て、胸がいっぱいになっていた。

 瀬川の嬉しそうな顔を見るたびに、少しでも幸せに過ごしてもらえたらいいなという気持ちが育っていく。

「綾人、じゃあ後でな」

 ドアに手をかけた瀬川の背中を見て、綾人は手を振り、それに応えようとした。その時、ふと思い立ったことを口にした。

「瀬川、陽太」

 綾人は、二人の方へと駆け寄っていった。自分にも声をかけられるとは思っていなかった陽太は、驚いて綾人の方を振り返った。

 こぼれ落ちそうなほど目を丸くしている陽太に向かって、綾人は口に手を添えながら、他の人には聞こえないように小さな声で話しかけた。

「こっちの部屋に集まるまでは、自由時間だろ。その間は、好きに過ごせばいいんだよ」

 隣の瀬川は、その意味を逡巡していた。それでも、すぐに綾人の意図を理解したようで、嬉しそうに顔を綻ばせていった。

 「そうさせてもらうわ」と言うと陽太をまたギュッと抱きしめた。そして、遅れて綾人の言葉の意味を理解した陽太が、顔を真っ赤にして焦り始めるのを見て、「じゃあ後でな」と綾人は部屋の中に消えていった。

「え、今のってどういう……んっ」

 問いかけた陽太の唇を、瀬川が噛み付いて塞いだ。
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