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引きこもりの準備します。

25 姫巫女は真実を知る(2)

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「ところで、王太子の様子を告げるその前に」
 アマデウス様は勿体ぶってそこで言葉を切る。

「……何かしら」
 なかなか続きが出ない事に焦れて、私は侍女の後ろから顔を出す。

 すると、彼は椅子の肘掛けから立ち上がりこちらへ片手を差し伸べた。その手を取れ、と言うことか。
 私は仕方なくマーニの影から前へ出て、彼の手にそっと重ねる。

 白くて細い彼の指先は、けれど少しだけ薬品に焼けて荒れている。研究者らしい手だ。
 我が手を引き寄せられて、指先に吐息が触れる。ああ、いつもはそんな程度ではどうってことないのに。
 その表情が真剣だからか、どうしても意識してしまうのよ。

「ねえ姫。もしかしたら、もしかしなくても貴女は俗世を捨てるつもりだね」
 唇に触れるぎりぎりの位置で指先が固定された。
 細くて柔いように見えて、彼の手は女の私では振り解けない。

「……何故、そう思うの」
 その声はきっと震えていただろう。

 男女の身長差というものがどうしてもあるから、彼は少しだけ俯きがちにこちらを見ている。その角度のせいか、繊細な美貌の佳人が何かを憂いているように見え、私はどきりとした。
「だって昔からそうだった。我が姫は貴族である事にもこの世界樹のお膝元の国の民である事も、特に誇る事はない」
「それが、どうしたの」

 何故だろう、ドキドキする。
 もう何年もこうして、騎士と姫ごっこなんて彼とは演じていたのに。
 今日は何か違うから。

「それって僕らが簡単に捨てられない身分も、姫なら簡単に捨てるって事さ。その事に釘を刺したくてね」
 彼はらしくなく弱々しい顔で笑う。

「ねえ姫、お願いだ。どうか僕の手が届くよう、貴族の地位を捨ててしまわないで」
 その嘆願は、ひどく真摯だった。
「僕がいつか貴方が苦しいとき、貴女を助けられるよう、どうか……貴女は辺境伯令嬢のままでいて欲しいんだ」
 王太子によく似た色の瞳が切なげに細められる。
 いつもなら笑って返せただろうけど、今日の彼は何故だか弱くて、とても必死に思えたから。

「……分かったわ、友人の貴方がそう言うならば、もう少し考える」

 そう、言うしかなくて。

 ぱっと彼は笑った。花のように。
 男性をそのように形容するのは如何なものかと思うけれど、でもそうとしか言えない華やかさを彼は有している。

 ああ、本当に。見目だけはとてつもなくいいのだ。このマッドな悪友は。

「うん、姫がそう言ってくれて良かった。肩の荷が下りたよ」
 素早く私の手に唇を押しつけると、彼はぱっと手を離した。
 私は彼の行動についていけず、また赤くなって離された手を握り込んでしまう。
 れ、恋愛ベタなのよ。抗議したくてもこんな時、何を言えば、どうすればいいのかも分からないからどうしようもないのよ……!

「それでは一応、経過報告だ。淫魔崩れと離したところ、大方の予想通りに今は麻薬患者のように淫魔を側に置きたがって暴れているところだ。あれは余程深く、しかも短期に魅了魔法を掛けられているようだねぇ。重度の魅了魔力汚染のせいか、魔力を抜くのに時間が掛かるだろう」
「そう……それは、思ったより深刻ね」

 アマデウス様曰く、魅了魔法や精神系魔法は、麻薬に近い動きをするらしい。
 となると、完全に魅了状態を解除するいうのは、相当難しい事なのではないかしら。

「うん。魅了っていうのは厄介でね。汚染源に少しでも近づくと、また自分から魅了に掛かりに行くんだよ。一説には、魅了されていた時の快美感を頭が覚えているからと言われているけどね。今は禁断症状を軽減させる為に、淫魔崩れの魔力を合成して、少しずつ王太子に投与しているところだ」
「個人の魔力はぞれぞれ個性が違うのに、それを合成するとは……流石は大陸有数の錬金術師ね」
 私は素直に賞賛する。
 個人の魔力は個体差が激しく、親や兄弟であっても少しずつ違うと言われている。
 それをたったの一週間で合成するのだから、この錬金術師の鬼才ぶりには驚くばかりだ。

「はは、もっと褒めてもいいのだよ? 正直、患者の安全を考えれば、根源である淫魔崩れを退治するのが一番だが、あの男爵令嬢は聖樹教の方でも使うんだろう?」
「退治って……彼女、人間なのだから獣のように扱うのは止して頂戴」
「あ、うんごめん?」
「全然謝る気ないでしょう、貴方。まあいいわ。それにしても、王太子の治療は長く掛かりそうね……」
「まあ、それでなくとも国家の存亡に関わるような事をしでかした訳だし、表に出せない以上「病気で療養」 しているのは丁度いいかも知れないよ?」

 そう皮肉げに言うと、手近なソファにどさっと身を投げ出して、彼はこちらを見上げて言う。

「そもそも、今回の事を姫はどう考えているのだろう」
「今回の事って?」
 彼の動きに倣い、私も適当な場所に座り直す。まあ、今は友人同士のくだけた場だ。上座も下座もない。
「だから、王太子が推定ヴィランの女に、操られていた事だよ」
 そう改めて言われてしまうと、悩んでしまう。
「うーん、貴方の言うように、そろそろ休戦も終わりの時期だから、とか」

 まさか、推定転生ヒロインが、無謀な「本来あり得ないシナリオ」 を前世知識を駆使しクリアしようとしていたからです、なんて事は言えない。
 私が正気を疑われちゃうもの。

「まあ、そうだね。そう考えるのが一番腑に落ちる。だけど……」
 彼はそこで、私をじっと見つめて。
「どうしてかな。僕は姫が余りにも聞き分けよく甥っ子を諦めてしまったように思えるのだけれど」

 ……鋭い、実に鋭い。
 私はあの場で確かに、ヒロインが現れたからという理由で王太子の暴走を諦めてしまった節がある。
 当然、婚約者兼幼なじみの義務としてできる限りは止めようとしたんだけど、でもどこか納得もしていたのよね。

 ヒロインだもの、しょうがないって。

 あの場では空気読めない下級貴族でしかなかったけれど、でも、前世「ととのを」 をプレイしていたプレイヤーとしては、ヒロインさんの魅力も運命の引きの強さも知り尽くしていたのだもの。

 ……だって彼女、ヴィランの幹部レベルの人物とすら恋愛していたのよ? 追加キャラとして出てきた相手だけど。しかも四月馬鹿企画でなく、普通に攻略できるキャラ。
 確か、キャッチは『神出鬼没のトリックスター! 彼の悪の魅力にどうしても引き込まれてしまう』 だったかしら。キャッチまで物騒ね。
 そんな凡そ恋愛に興味もなさそうな戦闘民族すら釣り上げる強運と恋愛力。……前世、今世とも恋愛経験ゼロの私なんかとても相手にならないと思わない?

「そう、ね……彼の目を見て、分かってしまったというか。私は彼の理解者になれても愛する人にはなれなくて、きっと彼の運命は彼女なんじゃないかって、そう思って……」

 ああ、これってただの言い訳ね。
 あの場ではただ王太子を裏切り者めって、怒っていた癖に。

「彼とは上手くやっていたつもりだったの。でも……ああして、他の人を見つめて愛を囁くところを見たら、やっぱり違うなって。私じゃ駄目だって思っちゃったのよね」

 すうっと冷めていった思い。友情とか、親愛とか、家族愛的な何かも。あの時何だかこう、思い知ってしまったんだよね。

「私って、きっと愛情は持てても恋愛は出来ないんだって……思い知ったというか。ふふ、馬鹿みたいでしょ」

 私は自嘲し、暗い笑みを浮かべる。
 互いしか見えてないような二人に、きっと嫉妬した。
 私だって私なりに恋をしたかったのにって、そう思って。

「姫が恋愛出来ない? どこが?」
 本当に不思議そうに、彼はぱちぱちと目を瞬かせた。
「そう思うなら、僕と恋愛しよ……」
 ふっと浮かべた甘い笑みをこちらに近づけようとした彼の襟首を捕まえ、ぐいっと離す力強い手がにゅっと生えてきた。

 見上げればそれは、わが愛しのお父様で。

「んっんー、長々と話しをしていると思ったらどういう事だね若造? 俺は婚前交渉など許さない派だが?」
 般若の面を貼り付けたような見事な怒りの形相を浮かべたお父様は正直言って娘でも怖い。

「えっ。口づけぐらいは交渉に入らないんじゃ」
 でもそこで、軽口を叩いてしまうのが我が悪友なのよねぇ。

「ほっほう。面白い事を言うなぁ公爵閣下は。いいだろう、裏庭に来い。一丁揉んでやろうじゃあないか」
「えっ、僕は内勤だし頭脳派だから、辺境伯に手ほどきを受ける必要なんてないのだけれど!?」
「いやいや、煩悩を晴らすには運動に限る! まあ、青白い小僧っ子には魔法での補助を許してやろう。うーん腕が鳴るなぁ」
「え、ちょっ、ふ、フレイア、僕の姫! ちょっと助けて殺される!?」

 そのまま、悪友はお父様に引きずられて応接室からずるずると退場していった。

 ……うーん、ちょっとドキドキしたのに、最後は結局締まらない感じになるのね。アマデウス様はご愁傷様。
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