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二章:魔女は、彼と朝を迎えました。

2ーex それは出会いの物語(裏)(2/2)

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 上司との実に不快な話から、数日後。

 被害者の女性……いや、商店街のお祭りに関連する広報の前任者である、織部伊都嬢と会った場所は、祭りの開催地でもある商店街の、雰囲気の良い喫茶店であった。

 ……一見して、幸薄そうな女性、という印象だ。

 消えてしまいそうなか細さと、緊張を隠せない怯えの混じった顔。
 オフホワイトやライトブラウン、ボルドー色など、抑えめの色調の服装にもその印象を深める効果があるのかも知れない。
 彼女は、テーブルを挟んだ正面で、隣の女性に支えられるようにしながら必死の面持ちで言葉を紡いだ。

「……ご迷惑を、お掛けしました」

 被害者であろうに、何故か出てきたのは謝罪である。
 面食らった彼は慌てて「謝罪は必要ありません」 そう返す。

(何とも真面目な……真面目過ぎる人だ)
 震える細い手で香り高い紅茶の入ったカップを持ち上げ、ゆっくりと傾ける姿を彼はそっと見守る。触れたら、そのまま砕けてしまいそうな、ガラス細工のような繊細さを彼女に感じた。
 息を殺しじっと見守る彼の前で、彼女は再びか細い声で語りはじめた。

「いえ、私がもっとしっかりしていれば、突然あんな……無関係な、時間外労働を、貴方に押しつける事にならなかった筈です」

 成る程、と彼は思った。確かに、今回の件は突然脈絡なく彼に振られて、そのまま部長から押し付けられてしまった形だ。前々任者である鵜飼サキに仕様を聞いた時にようやく、前任者の彼女が過労で倒れたと聞いたぐらいで。
 となると、突然に彼女は自分の仕事を取り上げられた形となるのだろう。形の良い唇がきゅっと結ばれ、テーブルに乗った手が固く握られるのを見て、彼女の忸怩たる思いが感じられる。

「ですから、貴女は悪くありません。今回の件は、貴女はただの被害者です」

 きっぱりと彼が言うと、伊都は口を開き掛ける。そこにすかさず畳みかけた。

「まあ、私も巻き込まれた側ではありますが……」

 わざとおどけたように肩を竦め明るく言って。

「ですがそれは、貴女と関係ない所で処理された事ですから。私は部長のお手伝いをしているのです。それは貴女と関係ない、別の話ですので……貴女に謝られてしまうと、私は困惑してしまうのですよ」

 最初は鋭く、最後にゆっくりと、相手の脳裏に染み渡るよう、穏やかに語りかける。
 言葉の緩急で相手からイニシアティブを奪うやり口は、上司に学んだものだ。あれでやり手の上司には、色々学ぶことがある。
 彼のように相手の心理を操る事までは出来ないが、この場は上手く切り抜けたのではないだろうか。
 勢いに呑まれたか、柔らかそうな唇を小さく開いた彼女に向かって彼は意識的に、上品な、穏やかさに長けた笑顔を浮かべる。

「……そう、ですか。分かりました。謝罪は取り下げます」

 ようやく納得してくれたようだ。内心にほっとする。

「思えば、お体の調子も整わない内に無理を言ったようで、本日は本当に済みません」
「いえ……あの、私も、以前から……必要な事だと、思っていましたから」

 青白い顔で、伊都は華奢な首をゆっくりと振る。病後の体調は良好とは聞いたが、一面識もない他人と長く話していられる程には、心身共整っていないのかも知れない。
 緊張に張りつめた姿は如何にも痛々しく、早めに切り上げてやるべきかと、彼は報告を急ぐ。

「今日は、本当にただ報告に伺ったのですよ。鵜飼さんからは織部さんは大変に真面目な方とお聞きしていましたので、担当を外れて以降のことなど、気になるのではないかと」
「そう……ですね。その通りです」
「それでは、こちらをご覧ください。実際の祭りの動員数、売り上げなどの実績を纏めましたので」

 テーブルに数枚程の資料を広げる。
 祭りのホームページの閲覧数、SNSのコメント抜粋、祭り本番の動員数などを軽く纏めたものだ。
 彼女はざっと目を通して、細い首を頷かせる。

「よく、纏まっていますね。ああ……昨年よりも人が増えていたようで、安心しました」
「そうですか。それでは引継は以上で……」

 資料を鞄に戻し、立ち上がろうとしたところ、細い声に呼び止められた。

「あの、やっぱり私……」
 振り返ると、震える彼女は青い顔のまま。
「私、このまま任された仕事を放棄するなんて、嫌なんです。せめて、白銀さんのお手伝いをさせて頂けませんか」

 ……白銀さん。
 彼女に名を呼ばれたのはその時が初めてだった。

「引継はきちんと、鵜飼さんから」
「分かって、分かってはいるのですけれど。私、周りに一杯迷惑掛けて……白銀さんは、特に迷惑を掛けているから」

 カタカタと震える彼女の様子は尋常ではない。「いっちゃん」 と、隣で伊都を支える友人は声を掛けるが、彼女の視線はずっと、彼の方を向いたままだ。

「せめて、コメントやメールのお返事ぐらいは、出来ると思うんです。祭り事務所は相変わらず、漬け物店の代表番号のままですから、その方が混乱はない筈で」

 必死過ぎるその姿が痛々しく、真っ直ぐな視線は純粋過ぎて……思えば、その意外な強さに最初から惹かれていたのではと、後になって彼は思うのだ。

「ホームページの事も、ちゃんと勉強します。しばらくは療養中ということもあって、暇……なんです」
 彼女はそう言って、彼に頭を下げた。
「私を、祭り広報のアシスタントに、して下さい」

 ぎょっとしたのは、隣についていた友人だ。
「いっちゃん、安静にを忘れてるよ!?」
「ごめんね奈々ちゃん。でも私……ここでくじけたらいけないって思うの」
「いっちゃん!」
「私ね、サキさんが笑っちゃうくらい頑固なのですって。だから、分かって?」

 必死な形相の友人に笑いかけた、その笑顔の思わぬ可愛らしさに彼は目を見張った。

 地味だなんて、何故思ったのか……この人はなんと多面的な、鮮やかな人なのだろう。

 粗暴なる本性を隠して穏やかな仮面を被る彼は、その鮮やかな、織部伊都という女性の個性に興味を抱く。

「……治療の邪魔にならない程度に、お願い出来ますか」

 だからこそ、彼は次の約束を受けた。もっと、この意外性に溢れるガラス細工のような女性と、触れ合ってみたいと、そう思った。一年前の破局以降、女なんてとハスに構えていた癖に。
 きっと、そう。この時にはもう恋に落ちていたのだ。

「是非。私の方が、お願いします」

震えながらもはっきりと、彼女はそう答え……安堵から漏れたのだろう可憐な笑みを零した。

 それが、彼女と彼との出会いで、始まりだった。
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