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1巻

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 リネン類が置かれた棚の横にあったおけを持ってきて頼むと、こちらも水で満たされた。それを手洗い用の水とする。うん。ハーブを触るなら手を洗うのは大事だよね。まあ、今更なんだけど……
 園芸グローブを脱いでからしっかり手を洗い、清潔なタオルで拭く。

「よし、手は洗った。ケトルは火にかけたから……」

 ティーポットと茶こしとカップ、それと綺麗なリネンを拝借し、お湯がくのを待つ。

「その間にヤロウを用意しておこう」

 ハーブの束をテーブルに置いて、ヤロウを取り出す。葉と花の部分を使おうかな。よく洗って剪定せんていバサミで丁度いい大きさに切って、と。

「いつも十五グラムぐらい使ってるから、こんなもんかな……」

 勘で適量を取り出した後、子狼に鍋に水を入れてもらい、ハーブとハサミを洗う。そしてヤロウを切って、ティーポットに入れた。

「ううん、魔法は便利だなあ。私も火とか水とか自由に出せるようになりたい……」

 どこでも水と火が出るとか、正直インフラが整ってない森では最強だよね。私一人じゃこうはいかなかったよ。この子に出会えてよかった。
 お湯がいたら、ティーポットに熱湯を注いで浸出液を作る。
 ドライハーブなら長めにらした方がいいけど、今回は生なので短めでいいはず。ティーコゼ代わりに布をかぶせ、保温するかたわら、私はポットを両手で包む。

「上手くエキスが出ますように」

 初期の頃、私はよくドライハーブでのらしを焦って失敗していた。上手くエキスが出る前に引き上げちゃったりしていたのだ。そのせいか、らしのときはどうも、お祈りのように力を込めてしまう。
 ……て、うん? 今、自分の中から何かがすうっと出ていったような。そう、キンモクセイの香りと共に夢の中で感じたあの、温かな何かが。

「…………? まあいいか」

 お湯に十分エキスが出たら、茶こしを使いカップに注ぐ。冷ましたこれを、消毒と傷の手当てに使う予定だ。

「冷めたエキスはお鍋に入れようかな。お鍋はあとで返しに来よう」

 あと、水分補給に湯冷ましを飲んでおこうっと。空いてる瓶か何かがあるなら、ミント水でも作って持ち歩くんだけどなぁ……。あ、おけから子狼が水飲んでる。彼も頑張って助手してくれたから、のどかわいたんだね。

「一杯手伝ってくれてありがとね」
「わんっ」

 尻尾を振りながら答える子狼が可愛かわいいよ。もふもふとでる。ああ小さな生き物って本当にやされるな。

「あ、あと、傷口に巻く包帯を作らないと」

 早速リネンをいて包帯を作ろう。
 せっせと動く私を、子狼がちょこんと座ってじっと見つめている。ちょっとプレッシャーだ。そりゃまあ、大好きなお母さんが怪我けがをしたら、子供はびっくりしちゃうよね。

「これが冷めたらお母さんの手当てに行くから、もう少し待っててね」
「きゅーん」

 くるくると足元を回る子狼。お母さんの怪我けがが心配なんだね。うん、怖いけど、あの大きなおおかみを助けられるように頑張ろう。


 用意が整い、あとは鍋一杯のヤロウ浸出液と包帯を持って母親おおかみのところに戻るだけ。
 とはいえ、無断で使わせてもらったのだから、小屋の中はちゃんと片付けないと。

「……あれ?」

 ティーセットを暖炉だんろ横の棚に戻し、入り口脇の棚に空にしたおけを戻しに来ると、何故なぜか、私がごっそりともらったリネンのたぐいの数が戻っている。

「どういうこと?」

 思わず首をかしげる。火の番をしてる内に、誰かがこっそり忍び込んで補充したとか?

「なら、流石さすがに気がつくよね……特に、君が分からない訳もないし」

 野生のおおかみは気配にさといはずだ。私は首をかしげつつ、手洗いなどで使ったタオルを、使用済みを入れるのだろう蔓草つるくさかごに放り込む。

「……消え、た?」

 目の前で、ふっとかごの底からタオルが消えたのだ。
 ついでに、消えたと同時に欠品のタオルが棚に戻っている。

「全自動リネン補充機でもどこかについてるのかな……はは」

 正直困惑している。
 どうやらこの狩り小屋は、子狼と同じく不思議な力が使えるらしい。


   ◆◆◆


 手当ては、大きなおおかみが怖かったこと以外はスムーズに進んだ。
 子狼が私を信頼してるからか、彼の匂いが移ってるからか。母おおかみは、私が近寄ることを案外簡単に許してくれた。傷がしみても、暴れたりしないで我慢してくれたのもありがたい。
 傷口を洗い、ヤロウをひたした包帯を巻き付けて手当てを済ませた私に、お礼にか、大きな頭を擦りこすつけてくれたのがなんというか……ダイナミックな感じでした。
 ぐりぐりされる勢いで倒れるかと思った。
 その日私は、母親おおかみに抱かれるみたいに、お腹に寄りかかっておやすみした。


 母親おおかみの温かなお腹の上で、私は夢を見た。
 それは私がハーブ好きになった理由と、よくある挫折ざせつの記憶。
 地味な文系女子が大学デビューをした。野暮やぼったい眼鏡をやめて、コンタクトをつけて。雑誌やネットの特集を読みあさってはトレンドのメイクや服装を真似たあのころ。
 見た目ばかりは流行の、いまどきの女子大生を気取った。
 だけど見た目だけだから、結局見た目だけいい悪い男にだまされて、私は彼のお財布係となってしまう。小さな頃から真面目に貯めてたお正月のお年玉貯金が、あっというまに消え……今度はバイト三昧ざんまい。それでも一番になれなかった私は本命さんに笑われて、彼に捨てられた。手元に残ったのは……なんだっけ。
 自分を失った私は、勉学にも打ち込めず、かといって遊びにも夢中になれなくなって……
 最後には、引きこもりのニートみたいな生活をしていた。
 そんなすさんだ私を助けてくれたのが、ハーブ畑を併設した喫茶店の店長である、ハーバリストさんだった。
 その日私は、よく知らないローカル路線に揺られてふらふらとさまよっていた。乗り継いだ先で見かけたのは、花畑……いや、ハーブ畑。
 その畑からは、すがすがしい青い草の香りと、花の甘い匂いがただよっていた。
 近くには、果樹の実る木。その木陰にある白いベンチと可愛かわいい丸テーブルには、ハーブティーを飲みながら読書をする上品なおばあさんがいて――。素敵な光景だった。
 おばあさんにハーブティーのお代わりを持ってきた店長さんが、さくの外から呆然と眺めている私を認めた。手招きする彼女に、ふらふらと引き寄せられる。そして私は、白い壁に緑の屋根の可愛かわいい喫茶店で彼女と向き合った。
 彼女は言う。

貴女あなたは変わりたかったんだね。新しい世界で輝きたくて頑張って、でもちょっと疲れちゃった。長い人生、そんなこともあるさ』

 彼女は私に、優しい香りのハーブティーを出してくれ、試作品だからと甘い甘いお菓子を押しつけてきた。

『まあ、失敗もいい経験さ。それで学ばなかったらただの失敗だけど、貴女あなたは知った訳じゃない? 人生って意外と狭くて広くて、ときに甘くてときにハードだって。まだ若いんだ。一度休んで、それで前を向けたら、もう少し賢くなれるんじゃないかな』

 おばさんはもう人生失敗だらけさ、と彼女は明るく笑う。
 薄化粧にシンプルなシャツとエプロン姿だったけれど、その豪快な笑顔がハーブ園のあざやかな緑にえ、とても綺麗に見えた。
 私はそのとき初めて泣いた。自分の浅はかさを恥じ、憧れていた世界のうわつらしか見ていなかった自分の浅薄せんぱくさに失望し。私は、何も得ていない大学一年生である今のおのれを嘆いた。
 泣いて、泣き尽くして……。そしたら唐突に、すっきりしたのだ。
 それからの私は、彼女に猛烈に弟子入り志願して、同時に独学でもハーブを学んだ。開き直ってハーブに打ち込んだのがよかったのか、引きこもって半年後、私は大学に復帰できた。
 まあ、当然休んでばっかりの学生に大学も甘くはなくて、留年しましたけど。
 真面目な学生に戻ってからも、ハーブの勉強は欠かさなかった。そして、ハーブを買いまくってたら片手間のバイトなんかじゃ足りなくなって、おじいちゃんの畑の片隅を借りて育ててたんだよね……


 そんな、思いっきり過去の現実を夢で見た日の朝は、空腹で目が覚めた。
 母親おおかみは、傷がそう深くなかったのか、今日はもう動けるみたい。
 子狼と母親おおかみのスキンシップから始まる朝は、ちょっと嬉しい感じだね。もふもふとのたわむれが一段落したところで、母親おおかみの包帯を変えようと思って外したら……傷らしいものはもうなかった。昨日はピンクの生々しい傷跡が見えてたのに、なんとすごい治癒力。

怪我けがが治ってよかったね」

 汚れた包帯を片付けながら笑うと、すり、と優しく頬に頭をりつけられた。ありがとうと言われた気がする。
 この森の野生の動物ってすごい。絶対、私の言葉を理解している。というか、子狼ですら不思議な力を使うんだから、多分銀狼がすごいんだろうなぁ。
 昨日の綺麗な泉で、寝ぼけた顔を洗う。さっぱりした私に、水を飲みに来ていた母親おおかみがじっと視線を向けた。
 あ、この水を飲めということ?
 泉の水を口に含み、飲みくだす。澄みきった水がのどを通ると身体まで浄化されるような心地がした。うう、このお水美味おいしい。真剣にマイボトルが欲しいなぁ。せめて竹があったら、竹筒作って持ち歩くんだけど。
 お腹が空いたから、さあ朝ご飯だとあたりを探したら、母親おおかみが何やら色々、取ってきてくれた。それらは木の上の果物や、食べられるキノコとか食べられる野草とかで、いい感じに朝ご飯になった。

「しかし、この世界のパンは、木になってるのか……」

 驚いたことに、茶色の表皮をいだ中身が弾力のあるもっちり白パン、という実があったのだ。
 匂いからしてパンだし、ちょっと味見してみたらやっぱりパンとしか思えなかったので、お腹を壊すかもしれないけれどと覚悟して食べたら……なんと、完璧に主食とできるものでした。しかも美味おいしい。
 小ぶりのパンの実一つと、ハーブとキノコ類の木の葉包み焼きなんかを食べて、お腹を膨らます。あ、火起こしは相変わらず子狼にお願いしていますよ。
 おおかみ親子は自分で狩りをして食べるみたい。
 お肉いる? と、シカ肉を差し出されたけど、流石さすがに生は無理なので、丁重にお断りしました。というか、食事風景はやっぱりワイルドね。


   ◆◆◆


 そして今日も来ました、泉の脇のハーブ生息地。
 まあ、昨日取った分もあるし、ヤロウと食用ハーブをんだらそれでおしまいにするつもりではあるんだけど。

「ハーブを取っても、何かに仕立てるってこともできないしねぇ……。砂糖やアルコールがないと漬け込むこともできないし、蜜蝋みつろうやオイルがないと軟膏なんこうも作れないし。うーん、ないない尽くしだわ」

 まさかまた狩り小屋にお世話になる訳にもいかないだろう。折角の宝の山を前に、私は諦め気味になる。あ、借りてたお鍋は朝ご飯のあとに返しにいきましたよ。
 色々考えると、やっぱり前途多難だ。思わず泉のふちに座り込む。

「はあ。早めに人里に下りないとなぁ。ここがどこか確かめて、そして家に戻らなきゃ。大学が始まっちゃうよ。おおかみベッドも素敵だけど、屋根のあるところで寝たいし、お風呂にも入りたいし」

 まあ、包帯にした残りの布を泉の水にひたして身体を拭いてはいるが、それで満足いくかというと、やっぱり違う訳で。考えてみれば、着替えも何もないのだ。いくら万能軟膏なんこうや便利なツールナイフがあるからといって、それで済むほど人間を捨てている訳ではない。

「スマホは……相変わらず圏外。本当、ここってどこなんだろう?」
「くうん?」

 スマホの電源を入れて電波を確認すると、弱いどころか全く電波が届いてない。ため息をくと、私の隣に座る彼がまんまるい目をじっとこちらに向けて切なく鳴いた。
 行っちゃうの? と、子狼が言った気がする。わしゃわしゃと彼をでた。

「うーん、森も素敵だし、君のお母さんのお腹も素晴らしいけど、私はひ弱な学生だから、森暮らしは難しいかも」

 ごめんね、と言いながら小さな頭をでると、子狼は何かを決意したように、後ろで横になっている母親おおかみの方に走っていく。
 二人は視線を合わせて、しばらくじっとしていた。

「きゅうん」
「ぐるる……」

 母親おおかみは、仕方ないとでもいうように頭を上下に動かし、子狼を私の方に押し出した。
 彼の青い瞳が、真剣な色を浮かべ私をまっすぐ見つめる。

「きゃんっ!」

 彼は連れて行って、と言っている。
 ボクは君と一緒にいたいんだ。君を一人でほっとくのが心配なんだ――子狼がそう言ってくれているのが、何故なぜか確信をもって理解できた。

「それでいいの? まだ小さいんだし、お母さんと一緒の方がよくないかな」

 精一杯に尻尾を振りたて、後ろ足で立ち上がる彼。私に必死に訴えかける子狼は、それでいいんだと言っていた。
 その青い宝石みたいな瞳が、言外に多くを語っている。
 私は母親に聞いた。

「ねえ、貴女あなたはいいの? まだこの子は小さいでしょう」
「ぐる……」

 その子の決めたことだと言わんばかりに、大きな木にもたれて座る母親おおかみは、そっぽを向く。
 ふさふさの彼女の尻尾は、不規則にぱた、ぱたたと動いて、内心は面白くないのだということを示していた。

「そう。なら、人里に行っても、なるべくこっちに顔を出すようにするね。貴女あなたのお腹はとっても気持ちいいから、また一緒に眠りたいな」
「くう……」

 いいんじゃないの、と言ってくれた気がした。
 子狼を連れ去ってしまう存在であるはずなのに、そんな私がお腹に飛び込むのを待ってくれている母親おおかみ。その寛大さに泣けてくる。

「ありがとう。優しいね」

 全身で抱きついて、お別れをする。たった一日だけど、寄り添って過ごしたからかな。すごく別れがつらいんだ。

「お母さん。ありがとう、またね」


 大きくてとてもあったかい母親おおかみのお腹を離れて、私は行く。
 パンの実を数日分と食べやすい木の実、飲み水を入れた竹筒数本――竹は朝ご飯を探すときに見つけた。それらをエプロンやダンガリーシャツのポケットに入れる。あとはハーブを各種朝採りしておいた。
 それらの大荷物を布に包んで背負って、私は森を離れることにした。
 お供は小さな銀色のおおかみのみ。それでも、偉大な母がいるこの森をホームのように感じているので、そんなに怖くはない。
 歩きながら、あれこれ子狼に聞いてみる。
 ちなみにずっと君とか子狼じゃ可哀想なので、昔おじいちゃんが飼ってたっていう賢い犬から取って、ぽちと名付けた。

「ねえぽち、ここから近くの人里ってどれくらい離れてるの? ……ふうん、三時間くらいか」

 なんとなくだけど、ぽちの意思が分かる。なので、話し相手には困らない。まあ、他人から見たら独り言に見えるのだろうけど。

「そこって村? 町? ……ああ、君にはまだ分からないよね、ごめん。そうか、森より小さいか」

 この森のサイズが分からないから、残念ながらあまり参考にはならないけど、情報として頭に入れておこう。下草をかき分け、足元の根につまずかないよう注意しながら一歩一歩進んでいく。

「ふう、そろそろ疲れてきたな。絶対ふくらはぎが大変なことになってるよ」

 野良仕事で多少は体力がついているけど、長く歩くのは余り得意ではないんだよね。とんとんとふくらはぎのあたりを握った手で叩いて、乳酸が溜まってそうな筋肉を刺激してみる。
 そうして休んでいると、何やら蹴爪けづめを立てるような音がした。振り返った私の目に入ってきたのは……

「い、イノシシ!?」

 それはもう、従兄弟いとこの好きな狩りゲーに出てくるような巨大なイノシシが、まさに猪突猛進ちょとつもうしんの言葉の通り、襲いかかってくるところだった。
 三メートルもありそうな巨体がみるみる近づいてくる。それは恐怖以外の何ものでもない。勧められるままやったあのゲームでは気軽に狩れたけど、現実がゲームのように上手くいくはずもなく。私は身をすくませ棒立ちのままだ。
 きゃんきゃんと、けなげに私の前に立って吠えるぽちの勇姿が、なんだか救いのようにも、悲しい現実を直面させるようにも見える。
 もう、あとわずか!
 思わずぎゅっと目をつぶった。
 そこで、ひゅんと風を切る音と共に、何かが飛来する気配がした。そしてズシンという巨体が倒れる音と重い衝撃。

「おーい、お嬢ちゃん大丈夫かい? この森に入れるなんて、あんた大層信心深いんだなぁ。まさか、オレの代で他の守り手に出会えるとは思わなかったよ」
「た、助かった……の?」

 呆然と木の根元に座り込む私に、ぽちが心配そうにきゅんきゅんと鳴いてくる。
 まだ動けずにいる私の目の前に、長身の影が木の上から落ちてきた。
 片腕をだらりと下げたその青年は、石を拾い上げ、右脇に挟んだ投石器スリング――ひもの間に石を挟んだ、あの原始的な武器――にセットした。これで、彼はイノシシを狩ってしまったというのだろうか。
 だが確かに軽い音を立て飛来した一つの石ころが、私達を救ったのだ。改めてイノシシを見ると、眉間に一発。たった一撃で、巨大なイノシシはその命を落としていた。

「貴方が、私を助けてくれたんですか?」

 それが、私と、この世界の第一異世界人との初遭遇そうぐうだった。



   第二章 第一異世界人遭遇そうぐうと、奇跡のハーブ魔法


 危ういところを狩りの名人に助けてもらった私達。
 深緑色のチュニックと茶色の革のパンツにロングブーツという軽装に、スリングと解体用ナイフだけ腰に吊った格好のその青年に、お礼を言って頭を下げる。けれど私の休んでいた木の上から落ちて……いえ、降りてきた彼は、ぽちを見て難しい表情をしていた。

「それ、どうする気だ? シルバーウルフの幼体だろう。奴ら子煩悩こぼんのうだから、子供なんて勝手につれて行ったら報復で集落が滅ぶぞ。できたら森の守り手としてはそういうことはやめて欲しいんだがね」

 ええと、もしかして私が子狼を無理矢理さらってきたと思われてるのかな?
 私の心臓は、イノシシに襲われ死にかけた恐怖にばくばくと大きく跳ねたままだけど、なんとか震える手でぽちを抱き上げる。

「え、あの……この子はお母さんにちゃんとお別れしたから、大丈夫ですよ、ね?」
「わん♪」

 後半はぽちと目を合わせて聞けば、彼は尻尾を振りご機嫌に答えてくれた。
 ああ、あったかい。
 子狼の体温にやされて、どうにかこうにか私は平常心を取り戻す。

「おお、いいお返事。……うーんそうか、こんなになついてるってことは、あんたが言う通りなんだろう。普通銀狼は警戒心が強くて、なつかない生き物なんだがなあ。若いがお嬢ちゃん、実は高名なテイマーなのか」

 彼は仲良しな私達の様子を見て、驚いたようだ。緑の目をまたたかせて首をひねる。
 テイマーって、もしかして魔物とかを懐かせたり従わせたりする人のことだろうか。従兄弟いとこがやっていたゲームで、そんな職業を見た気がする。

「まあいいや、とりあえず獲物を解体しよう。これ、オレの獲物にしてもいいか?」
「ええ、勿論もちろん。貴方が狩ったものですし」

 片腕を負傷しているのか、彼は相変わらず左手をだらりと下げたままだ。右手で投石器スリングを腰に吊るしてから腰のナイフを抜き、早速イノシシを解体しはじめた。
 血抜きをして皮をいでと、片手なのに大層手際がいい。

「解体が終わったら、腹減ったし飯にしないか? 森の外に食べに行くにしても、近くの馬車の停留所まででも半時はんときは歩くぞ」

 半時はんとき……というと、どれぐらいなんだろう。でもとりあえず彼の口調から、そこそこかかることは予想できた。確かに時間的に小腹が空いてきたし、お昼にしたいかも。
 イノシシに遭うまでにも、数時間ほど森を歩いている。うーん、この森、すごく大きい気がするんだけど。

「じゃあ、お昼は助けていただいたお礼に、私が作りますね」

 背中の風呂敷包みにしたものの中には一杯食材を詰めてあるから、火を起こせれば支度したくはできるし。また、香草とキノコのなんちゃって包み焼きですけど。

「お、そうか。そりゃ助かるわ。本当は左利きなんだが、ちょっと前にこっちをやっちまってな……全く動かない訳じゃあないんだが、へたに動かすと傷にさわっちまって……。いてて」

 どうしても片手だとな、と自由にならない左手を頼りなく振る彼。私からすれば、あんな大物を片手で倒せるんだからそれだけでもすごいと思うのだけれど。
 そんな会話の間に、彼は解体を終えてしまったようだ。さくさくと大物のイノシシをブロックに分けて、皮を巻いて……うーん、器用なものだ。
 そうして感心しながら眺めていると、彼は利き手だという左手で苦労してイノシシの解体物に触れ、右手を背から下ろした背嚢はいのうの口にやった。
 すると、魔法のようにイノシシの解体物が消える。

「えっ……?」
「はは、怪我人が魔法マジックバッグなんて持ってて驚いたか? まあ、魔道具だけあって高価だもんなぁ、これ。これでも、怪我する前は一端いっぱしの冒険者だったんだぜ」
「は、はあ。貴方が強いのは、イノシシを一発で倒すところからも分かってますけど……はあ。魔法、袋」

 私の驚きを、彼は別の意味で捉えたようだが、驚きのポイントはそこではない。
 科学の力を上回った魔法の力が、また目の前で展開されてしまった。そろそろ、観念して現実を見つめた方がいいのかな。ここが、私の知る世界じゃないってことを。
 と、私が一種の諦めにひたっていると、長身の彼は大股でどこかへ向かって歩き始めた。

「ま、待って」

 身長が日本人女性の平均に満たない私が、百八十センチ以上はありそうな彼と並んで歩けば、それはまあ当然に小走りとなる。
 私が必死なのに気づいた彼は、鮮烈せんれつなメタリックグリーンの髪を揺らしてこちらへ向き直った。

「おっと済まん。どうにも、獲物を狩ると腹が空いてなぁ」

 にかっと笑う顔は屈託がない。如何いかにも鍛えてます、といった筋肉が乗った右手が、贅肉ぜいにくひとつない腹をでるのがユニークだ。




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