貧弱の英雄

カタナヅキ

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最終章

第1042話 牙竜

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「グギャアアアッ!!」
「ガアッ――!?」


谷に姿を現した牙竜は凄まじい速度で地面を駆け抜け、ボアを喰らっていた赤毛熊に迫る。赤毛熊は唐突に現れた牙竜に目を見開き、その隙を逃さずに牙竜は前脚を振りかざす。

牙竜の放った前脚は赤毛熊の身体を捉え、一撃で赤毛熊の身体を地面に叩き潰す。頭部を踏み潰された赤毛熊は悲鳴を上げる暇もなく、一瞬にして死んでしまった。その光景を見てナイは声を抑え、あまりの牙竜の強さに冷や汗が止まらない。


(あの赤毛熊を一撃で殺すなんて……!?)


赤毛熊は魔物の中では決して弱い生物ではなく、冒険者であろうと白銀級以下の冒険者では相手にならない。子供の頃のナイは赤毛熊を倒すのに二年も身体を鍛え続け、白狼種のビャクの手助けを借りて倒した相手である。

そんな赤毛熊を牙竜はまるで虫を潰すかの如く踏み潰すと、赤毛熊の死骸とボアの死骸を見て牙竜は躊躇なく噛みつき、そのまま丸呑みする。


「アガァッ……!!」


牙竜は顎を大きく開いてボアと赤毛熊を飲み込み、その様子を見てナイは更に信じられなかった。ボアも赤毛熊も相当な大きさを誇るのだが、牙竜は蛇のように一飲みで飲み込む。


(これが……獣の王なのか)


獣の王という異名は伊達ではなく、ナイは牙竜を見ただけで恐怖で身体が思うように動けない。ここまでの威圧感を放つ敵と戦うのはそれこそ火竜以来であり、火山で初めて火竜と遭遇した時と同じ感覚を味わう。

必死にナイは身体の震えを抑え込み、見つからないように岩の中に身を隠す。幸いにもシノビから渡された臭い消しの香草のお陰で牙竜はナイには気づっかず、そのまま立ち去ろうとした。


「グギャアッ……」
「っ……!!」


口元を抑えながらナイは牙竜が立ち去る様子を確認し、内心では安堵した。このまま牙竜が去ってくれる事を祈った時、気配感知に別の反応があった。


(何だっ!?)


別方向から気配を感じ取ったナイは振り返ると、そこには森の中から一匹の白鼠が姿を現し、あろう事か鳴き声を上げながらナイの元に向かってきた。


「キィイイイッ!!」
「なっ!?」
「ッ――!?」


牙竜が立ち去ろうとした時に白鼠が鳴き声を上げ、それに釣られてナイも声を上げてしまう。その声に反応した牙竜は振り返ると、ナイが隠れている岩に目掛けて前脚を振り下ろす。


「グギャアアッ!!」
「うわぁっ!?」


牙竜の攻撃を察知したナイは咄嗟に前に跳ぶと、彼が離れた直後に岩に目掛けて牙竜の前脚が叩き付けられる。牙竜の一撃によって岩は粉々に砕け散り、原型すら残さないほどに木端微塵と化す。

ナイは攻撃を避ける事に成功したが、牙竜に姿を見られてしまう。牙竜はナイの姿を見て驚いた表情を浮かべ、を見かけたのは実に久しぶりだった。


「キィイッ!!」
「くそっ……逃がすかっ!!」


白鼠はナイと牙竜が向かい合っている隙に逃げ出そうとしたが、ナイはそれを見て刺剣を取り出して放り込む。ナイの放った刺剣は見事に白鼠に的中し、悲鳴を上げながら倒れ込む。


「ギャンッ!?」
「はあっ……結局、こうなるのか!!」
「グギャアアアアッ!!」


ナイを前にした牙竜は咆哮を放つと、再び前脚を繰り出す。その攻撃に対してナイは左腕に装着していた反魔の盾を構え、前脚に目掛けて逆に振り払う。


「このぉっ!!」
「ギャウッ!?」


牙竜が繰り出した前脚をナイは反魔の盾を利用して弾き飛ばし、まさか自分の攻撃が跳ね返されるとは思わなかった牙竜は驚愕の表情を浮かべる。

どうにか反魔の盾で牙竜の攻撃を防ぐ事に成功したナイだったが、盾越しに受けた衝撃で左腕が痺れてしまい、完全に防ぐ事はできなかった。ナイは左腕を抑えながらも牙竜と向き合い、この状況を打破する方法を探す。


(もう戦闘は避けられない。だけど、無策で戦って勝てる相手じゃない。きっと、今の咆哮を聞いて他の皆も気づいて駆けつけてくるはず……なんとか時間を稼がないと!!)


牙竜の咆哮を聞いた他の討伐隊の面子も駆けつけてくる事を信じ、ナイは旋斧を抜いて両手で構える。そのナイの様子を見て牙竜は自分に挑むつもりだと気付き、怒りを露わにして咆哮を放つ。


「グァアアアアアッ!!」
「くぅっ……うおおおおっ!!」


鳴き声が変わった事で牙竜が様子見を止めて本気で殺しに来ると悟ったナイは、牙竜の威圧に負けないように雄叫びを上げる。恐怖を打ち勝つためにナイは自分自身を鼓舞し、旋斧を構えて立ち向かう。


(出し惜しみしている暇はない!!全力で戦うんだ!!)


ナイは牙竜と向かい合った時点で強化術を発動させ、自分の肉体の限界まで身体能力を上昇させる。相手は竜種である以上、一瞬でも手を抜けば殺される覚悟で挑む。

強化術を発動させたナイは旋斧を握りしめ、まずは牙竜の意表を突くために魔法剣を発動させた。魔法腕輪を通してナイは旋斧にの魔力を送り込み、刀身が黒色の魔力に包まれる。


(この魔法剣はあんまり使いたくはないけど……文句は言ってられない!!)


闇属性の魔法剣はあまりにも危険過ぎるため、ナイは長年使用を禁じていた。闇属性の魔法剣は生物に触れると相手の生命力を奪い、場合によっては自分よりも強大な相手にも通じる。実際に火竜との初戦闘では大いに役立った。

牙竜は旋斧が黒く染まった事に驚いたが、すぐに気を取り直してナイに前脚を振りかざす。牙竜の前脚には刃物のように鋭い爪が生えており、牙山の岩壁をも抉り取る破壊力を誇る。


「グアアアアアッ!!」
「だああっ!!」


前脚を頭上に向けて繰り出してきた牙竜に対し、ナイは全力で旋斧を振りかざして下から振り払う。前脚の爪と旋斧の刃が衝突した瞬間、地面に振動が走ってナイは後ろに吹き飛び、牙竜も前脚が弾き飛ばされてしまう。


「グギャッ……!?」
「うわぁっ!?」


強化術を発動したナイでさえも牙竜の攻撃には耐え切れず、地面に危うく倒れそうになったがどうにか踏み止まる。その一方で牙竜の方は前脚は弾かれた時に力が奪われる感覚に襲われ、戸惑った様子で自分の前脚とナイを交互に見る。


(よし、効いてる!!闇属性の魔法剣なら通用する!!)


闇属性の魔力を宿した状態の旋斧に触れた事により、牙竜はわずかながらに生命力を奪われた。このまま攻撃を続ければ牙竜は生命力を削られていき、最終的には動く事もままならない。

しかし、仮にも竜種である牙竜の生命力は並の魔物と比べても凄まじく、相手の攻撃を弾くだけでは大した効果はない。ナイは旋斧を構えて振り翳し、どうにか「連撃」を食らわせる方法を考える。


(相手の攻撃を弾くだけだと牙竜には勝てない。もっと深手を与えないと……)


ナイは防御に専念するのではなく、敢えて自ら攻撃を仕掛けて牙竜に深手を負わせられないかと考える。幸いにも牙竜は闇属性の魔法剣を受けた際に警戒心を抱き、ナイの様子を伺うだけで攻撃を仕掛けてくる様子はない。


(このまま睨み合ってても埒が明かない……ここは仕掛けるしかないんだ!!)


危険を承知でナイは牙竜に目掛けて自ら突っ込み、ナイの方から自分に向かってきた事に牙竜は驚愕した。


「やあああっ!!」
「グギャッ!?」


自分から突っ込んできたナイに対して牙竜は意表を突かれたが、即座に牙竜は右前脚を振り払う。その攻撃に対してナイは空中に跳んで攻撃を回避すると、牙竜が振り払った前脚が地面を抉り、周囲に川原の土砂や石が飛び散る。

空中で攻撃を回避したナイは身体を回転させながら旋斧を振りかざし、牙竜の身体に目掛けて振り下ろす。牙竜は咄嗟に左前脚を前に出してナイの攻撃を受けた。


「喰らえっ!!」
「グギャアッ!?」


ナイの振り下ろした刃は左前脚に生えている羽根の部分に触れ、血飛沫が舞い上がる。ナイの旋斧は牙竜の羽根に傷をつける事に成功したが、攻撃を仕掛けたナイは顔を歪ませた。


(なんて硬さだっ!?)


牙竜の肉体はまるでアチイ砂漠で戦った土鯨のように非常に硬く、ナイの一撃を受けても掠り傷程度の損傷しか与えられなかった。足場がない空中での攻撃だったので本来の力を引きだせなかったという理由もあるが、それでも牙竜の硬さは尋常ではない。

火竜の鱗も硬かったが牙竜の鱗はそれ以上の硬度を誇り、地上に着地したナイは即座に距離を置く。一方で牙竜の方は傷を受けた箇所を舌で舐め取り、改めてナイと向き直る。


「グゥウウウッ……!!」
「はあっ、はあっ……!!」


まだ戦闘が開始してから十数秒程度だが、ナイは既に息が上がっていた。身体の負担が大きい強化術を維持させて体力が消耗したのも理由の一つだが、一番の原因は牙竜の放つ威圧感に圧倒され、思っていた以上に身体が上手く言う事を聞かない。


(あの時と同じだ……)


ナイは子供の頃に赤毛熊と対峙した時と思い出し、あまりの恐怖にナイは自由に身体を動かす事ができず、結果として彼は養父アルを失った。あの時と同じように今のナイは牙竜という存在に恐怖を抱き、身体が思うように言う事を聞かない。

これまでに様々な強敵と戦ってきたが、それでもナイの傍には味方が居た。しかし、今のナイは頼る存在は側に居らず、そのせいでナイは思うように戦えない。このまま自分は殺されるのかと思った時、不意にナイの顔に光が当てられる。
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