貧弱の英雄

カタナヅキ

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最終章

第1041話 獣の王の歴史

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「とりあえず、ここまで罠は見当たらなかったので、他の人達にも報告に行きましょう」
「確かに罠はなかったがアンの放った監視役の白鼠は居た。油断はできんぞ、誰かがここへ残って見張りをするべきだ」
「私は嫌ですよ!!非戦闘員ですからね、一人で残っても役に立つ自信はありません!!」
「……それでも魔導士か?」
「私は後方支援特化型の魔導士です!!だいたい魔導士といっても全員が戦えるとは思わないでください!!」
「まあまあ……」


喧嘩を始めそうな二人を宥めながらナイは谷に誰かが残るべきか考え、考えた末にナイは自分が残るべきだと判断する。シノビは案内役として他の者をここまで導く必要があり、イリアも本人が残る事を嫌がっているため、ナイは自分一人が残る事を決めた。


「見張り役なら僕一人で十分です。他の皆は先に帰っててください」
「クゥ~ンッ……」
「ぷるぷるんっ」


ナイが残ると言い出すとビャクとプルミンが寂しそうに彼に身体を摺り寄せ、自分達も残りたいことを伝える。しかし、ビャクは移動役としてイリアとシノビを他の皆の元へ連れていかねばならず、プルミンの場合は牙竜が現れても戦えない彼が傍にいるとナイも全力で戦えない。


「大丈夫だよ、2人とも……見つからないように隠密を使ってここで隠れているから」
「そういえばナイさんは隠密も使えたんですよね。それなら安心ですね」
「……油断するな。牙竜は嗅覚も鋭い、気配を完全に殺しても見つかる恐れはある」
「シノビさんは牙竜に詳しいんですね」


ナイの言葉にシノビは注意を行い、自分の里の近くで住処を作る牙竜の事はシノビも把握していた。シノビ一族の間では牙竜は「獣の王」と呼ばれ、その存在を非常に恐れていた。



――ムサシ地方に生息する牙竜に「獣の王」という渾名を名付けたのはシノビ一族であり、その名の通りに牙竜は非常に恐ろしい存在だった。かつて何人もの勇士が牙竜の討伐に挑んだが、誰一人して生きて帰ってきた人間はいなかった。



牙竜は竜種の中でも非常に獰猛でしかも火竜と違って魔石を喰らって生きるよりも、他の生物を好んで襲い掛かる習性があった。そんな牙竜が牙山に住み着いた理由はシノビ一族でさえも知らない。

だが、和国で製作された妖刀が牙山に封じられている事が判明し、牙山に牙竜を住み着かせたのは大昔の和国の人間の仕業である可能性が高い。どのような手段を用いて牙竜を従わせて牙山に暮らさせたのかは不明だが、もしかしたら大昔には和国の人間の中にも「魔物使い」のような職業の人間も居たのかもしれない。

ともかく牙山に牙竜が住み始めたせいで誰も近寄る事はできず、ムサシ地方に生息する魔物達も牙竜には到底かなわない。しかも300年の時を生きている牙竜の強さは半端ではなく、その強さは獣人国に生息する牙竜とは比べ物にもならない。

竜種は「老化」という概念はなく、死ぬまでのあいだ肉体は成長を続ける。300年も生きている牙竜は他の竜種よりも成長し続け、もしかしたら火竜をも上回る可能性もあった。


「牙竜は恐ろしい存在だ。もしも奴が現れた場合、戦おうとは思うな。全力で身を隠せ」
「逃げるんじゃないんですか?」
「逃げた所で奴に追いつかれる。それならば見つからないように心掛けろ……これを渡しておこう」
「これは?」
「臭い消しの香草だ。これを身に着けていれば臭いで気づかれる恐れはない」


ナイはシノビから臭い消しの香草を渡され、有難く受け取る。シノビとイリアはビャクに乗り込み、プルリンも預けると先に皆の元へ戻るように促す。


「じゃあ、ビャク……急いで皆の所に送ってきてね」
「クゥ~ンッ……」
「大丈夫だって、見つからないようにちゃんと隠れてるから」


心配するビャクを宥めてナイは谷に残って見張り役を行う事を告げ、彼を隠れ里の方へ向かわせる。心配したビャクは途中で何度も振り返って様子を伺うが、ナイが手を振って見送ると、渋々と森の中を移動する。

ビャク達を見送ったナイは改めて谷の様子を伺い、用心しながら周囲の様子を伺う。この時に「隠密」などの技能を発動させ、できる限り目立たないように気を付けながら近くの大岩に身を隠す。


(シノビさんには大丈夫だといったけど、念のために警戒は怠らないようにしないと……ん?)


ナイは身を隠している最中、何か音が聞こえた気がした。聞き耳を立ててみると確かに何処からか音が聞こえ、しかもどんどんと大きくなっていく。


(何だろう、この音……足音?まさか牙竜じゃ……)


不安を抱いたナイは岩の後ろに身を隠しながら音の方向を確かめると、どうやら谷の向こう側ではなく、ナイ達が移動してきた森の方から音が聞こえる事に気付く。


(何だ?この足音と鳴き声……胸騒ぎがする)


森の方から何かが近付いてくる事に気付いたナイは背中の旋斧に手を伸ばし、警戒しながら森の様子を伺う。やがて木々を潜り抜けて姿を現したのは、全身が赤毛で覆われた巨大熊だった。



――グゥウウウッ……!!



森の中から姿を現したのはかつてナイを苦しめた「赤毛熊」であり、この森にも赤毛熊が生息していた事にナイは驚く。しかも赤毛熊はナイが子供の頃に倒した個体よりも一回り程大きく、鼻を鳴らしながら周囲の様子を伺っていた。


(どうしてこんな時に赤毛熊が……待てよ、あの紋様は!?)


岩陰に身を隠しながら観察眼の技能を発動したナイは赤毛熊の様子を伺うと、赤毛熊の額の部分に「鞭の紋様」が刻まれている事を知る。

ナイの前に現れた赤毛熊はアンが使役する魔獣と発覚した。だが、この状況で赤毛熊を谷に差し向けた事にナイは疑問を抱く。


(なんで赤毛熊なんかをこの場所に……)


討伐隊に襲わせるつもりで赤毛熊をアンが服従させたとしても、赤毛熊程度の魔物では脅威にもならない。討伐隊の殆どの面子が赤毛熊を単独で討伐できる実力者ばかりである。


(何かを探しているみたいだな……)


赤毛熊は谷に到着すると忙しなく周囲を見渡し、探索している様子だった。ナイは赤毛熊の行動に疑問を抱きながらも様子を探っていると、森の方から別の音が響く。


「フゴォオオッ……」
「ガアッ!?」


姿を現したのはボアだった。ボアは川の水を飲みに現れたのか赤毛熊が居る事に気付かずに川に近付き、そのまま川の中に顔を突っ込んで水を飲み始める。その様子に気付いたナイは声を上げそうになるが、慌てて口元を塞ぐ。

赤毛熊はボアに気付かれない様にゆっくりと背後から近づき、ボアが川の中に顔を突っ込んでいる間にその鋭い爪を放つ。赤毛熊の振り下ろした爪はボアの背中を貫き、一撃で致命傷を与える。


「ガアアッ!!」
「プギャアアアッ!?」
「うっ……」


ボアを一撃で倒した赤毛熊を見てナイは顔をしかめ、赤毛熊を見ていると自分を守るために死んでしまったアルを思い出して辛い。できる事ならばこの場を離れたかったが、アンが使役する赤毛熊をみすみす逃すわけにはいかない。


(何が目的なんだ……?)


自分が仕留めたボアを赤毛熊は川から引っ張り上げ、その場で死骸に噛みついて食事を始める。その様子を見てナイは疑問を抱き、今の所は赤毛熊に怪しい挙動はない。野生の赤毛熊と同様に獲物を見つけて襲っただけに過ぎない。

アンが使役する赤毛熊の行動を観察しながらナイは周囲を見渡し、他に気配を感じない事を確かめる。最初は赤毛熊に自分が夢中になっている間、他に森に隠れている魔物を差し向けて自分を襲うつもりかと警戒したが、ナイの予想に反して森の中に生き物の気配は感じない。


(餌を探すためだけにここへ来たのかな……でも、何か違和感を感じる)


ナイは赤毛熊の行動に違和感を感じ、何となくだがこのまま見過ごすのはまずい気がした。しかし、赤毛熊の方はボアの死骸に嚙り付く事に夢中でナイの存在には全く気づいておらず、今ならば赤毛熊に止めを刺すのは容易い。


(この距離なら仕留める事ができるけど……どうしよう)


ナイは旋斧に手を伸ばし、何時でも戦える準備を整えながら様子を伺っていると、ここである事に気付く。それは赤毛熊がボアを殺した時に血の臭いが周囲に広まり、それを感じ取ったナイはシノビの言葉を思い出す。


(待てよ、確か牙竜の嗅覚は……!?)


シノビの話によれば「獣の王」こと牙竜は嗅覚も鋭く、そして現在の谷には赤毛熊が殺したボアの血の臭いが広がっていた。ナイは嫌な予感を抱き、即座に気配感知を発動させて周辺の様子を伺う。

技能を発動した瞬間、予想通りに谷の向こう側から近付いてくる強大な気配を感じ取り、咄嗟に彼はシノビから受け取った香草を取り出す。その直後に足音が鳴り響き、凄まじい咆哮が山の中に響き渡る。




――グギャアァアアアアアッ!!



ナイがこれまでに聞いた事がない鳴き声が山中に響き、赤毛熊は驚いた様子で顔を上げると、そこには谷の方から迫りくる灰色の巨大生物を発見した。



全長は火竜と同様に10メートルは軽く超え、背中に翼は生えていないがその代わりに四肢が異様に太く、両腕の部分に羽根のような物が生えていた。何よりも恐ろしいのは巨大生物の顔であり、火竜が可愛く思えるほどに獰猛な容貌だった。



一目見ただけでナイは現れた生物の正体を「牙竜」だと見抜き、その姿を見ただけでナイは恐怖を感じ取った。これまでに様々な魔物と相対してきたが、そのどれよりも恐ろしい威圧感をナイは感じ取り、岩の中に身を隠す。
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