233 / 255
解決編
49.
しおりを挟む
少し時間を遡ってアパートの中です。
●●●
(side 切藤蓮)
外界と遮断させた晴の頭を撫でて、咳き込む竹田に向き直る。
苦しそうにしながらも立ち上がりかけたその腹に、蹴りをもう一発。
呻き声を上げてよろけた頭を鷲掴み、膝を思いっきり鳩尾に突き上げる。
骨が砕ける手応えを感じて突き飛ばすと、倒れた竹田は盛大に胃液を吐いた。
捲れた裾から見える腹には、ドス黒く腫れた痣。
一度振り返ると、晴はしっかりと目を瞑っていた。
その顔の赤く残った痕に、歯を食いしばる。
次はこっちだな。
「立て。」
「…や…めろ…」
ゼェゼェと耳障りな呼吸音をさせた竹田が睨め付けてくる。
その顔面に、躊躇いなく拳を叩き込んだ。
鼻骨がグシャリと音を立てて血が溢れた。
自分から流れる大量のそれに、竹田の目に怯えが走る。
「や…やめてくれ…」
「どの口が言ってんだ?テメェは晴が嫌がった時、やめてやったのかよ?」
触られる事も、縛られる事も、暴力も。
晴は嫌がって、何度も懇願した筈だ。
それを無視しておいて、自分の望みが叶うとでも思ってんのか?
「違う、俺は、悪くない…」
「黙れ」
胸ぐらを掴んで、拳で耳の上を抉る。
脳が揺れるこの箇所を、晴は2年前にも殴られていた。
その時の分も込めて、もう一発力いっぱい叩き込む。
眼窩と頬骨が砕けて、腫れ上がった左目はもう開かないだろう。
それでも、全く気が済まない。
無理矢理立ち上がらせて壁に押し付け、首を圧迫する。
軍隊が敵の捕虜を拷問する時に使う、死ぬ程苦しいのに気絶すらできない生き地獄。
死ぬかもしれない恐怖を味わい続ければいい。
晴が苦しんだ、その何倍も。
「蓮!落ち着け!」
クロと中野の声が、遠くに聞こえる。
邪魔すんな、まだまだ足りない。
高校の時、部活を続けられなくなった晴がどれだけ泣いたか。
PTSDに苦しみながらも、部活に迷惑をかけたと責任を感じて。
晴が大切に思うその「部活」の中には、コイツだって含まれていたのに。
晴の優しさを踏み躙る、あまりにも酷い裏切りだ。
殺しても殺し足りない。
「蓮…。」
真っ赤に染まった脳内に、その声だけが届いた。
振り返ると、晴が泣きそうな顔でこっちを見ている。
…目を開けるなって、言ったのに。
晴の瞳に怯えの色を見て、暗闇に落ちたかのような気分になる。
今まで、後ろ暗い所は晴に見せないようにしてきた。
暴力も恐喝も隠して。
それは、晴を怖がらせない為だけじゃなかった。
晴を傷付けられたら、俺は加減ができない。
そんな俺を見られたくなかった。
晴に軽蔑されたり、怖がられたくなかった。
自分のせいでそうなるんだと知った晴が、離れていくのが怖かった。
「蓮、来て…。」
発されたのが拒絶の言葉じゃなかった事に少しだけ安堵して、そっと歩み寄る。
すると、晴は俺の手を取った。
優しく、包み込むように。
「…痛い?」
その時になって初めて、自分の拳の出血に気が付いた。
「…なんてことない。お前が受けた痛みに比べれば。」
本心を返したのに、晴の瞳からは涙が溢れる。
どうしてお前が泣くんだ。
痛かったのも辛かったのも、お前の方なのに。
2年前も今も、俺は何もしてやれなかった。
それどころか、散々傷付けて。
そんな俺が痛かろうが肉体的に傷を負おうが、晴が気にする必要なんて少しもない。
そんな事の所為でお前が心を痛める必要なんか、これっぽっちもねぇんだよ…晴。
「…蓮、ありがとう。俺の為に怒ってくれて。」
掌に頬を寄せられて、グッと喉が詰まった。
違う…お前の受けた苦しみを相手に思い知らせるこの行為は、ただの自己満だ。
きっとお前は、こんな事望んでない。
だけど、分からないんだ。
どうしたら、傷付いたその心を癒す事ができる?
暴力と暴言で踏み躙られた心に、寄り添う事ができる?
その心も身体も世界で一番大切なものなんだと伝えるその方法が、俺には分からないーー。
ふいに、晴が優しく微笑んだ。
戸惑う俺の目を、ブルーグレーが真っ直ぐに見つめる。
まるで、全て分かってるみたいに。
「もう大丈夫だから、俺の大切な蓮をこれ以上傷付けないで。」
視線と、言葉と、掌の温かさに心を掻き乱される。
「晴、お前は…どうして…」
そんな風に、俺を救ってくれるのか。
欲しい言葉を掛けてくれるのか。
いつだってそうだ。
晴がいるから俺は独りじゃなかった。
何にも興味を持てなかった幼少期、自分と周りを隔てる壁すらどうでも良くて。
だけど、晴がそこを越えて来てくれた。
俺の心を大切に想って理解しようとしてくれる幼馴染は、俺の世界を変えた。
傍で過ごす程に膨れ上がっていったその存在に対する想いは、やがて形を変えて。
焦がれるような愛しさと共に、俺の全てになった。
何よりも誰よりも大切な、晴。
そんな晴を傷付けたのは俺なのに…。
こうやってまた、寄り添おうとしてくれる。
視界がぼやけて、頬を雫が伝った。
「ふざけるなよ!!!」
空気を切り裂く大声にハッとして目を向けると、竹田が暴れながら喚いていた。
吐き出された『幼馴染の婚約者』と言うワードに、晴の表情が曇る。
その肩を抱き寄せると、少しだけ強張りがとれた。
今はまだ、晴の誤解を解いている時間がない。
竹田の話から霊泉家…それも、予想通り慎一郎と繋がりがあるのは確定だ。
更なる被害を出さない為にも、徹底的に潰しておく必要がある。
慎一郎の逮捕を告げると、竹田は分かりやすく狼狽えた。
いざとなったら助けて貰えるなんて、安易に考えていたんだろう。
俺の隣では晴が首を捻ってるが、これも説明は後だ。
「お前も立派な犯罪者だけどな。3年前の罪も今回の監禁も、警察に突き出すのに十分な証拠は揃ってる。」
『警察』の言葉に、竹田は顔面蒼白になった。
「ち、ちがう…!俺は利用されて…!違うんだ!晴人が…!晴人が悪いんだ!」
自分の罪を全て晴の所為にする、罵詈雑言の嵐。
聞くに耐えないそれに、晴の身体が震える。
このクズ、殺してやろうか。
今すぐ竹田を黙らせたいが、手を離したら晴が崩れ落ちてしまいそうだ。
「大丈夫だ、お前は何も悪くない。」
浅く早くなる呼吸を落ち着かせるように声を掛ける。
だけど、晴の呼吸はどんどん苦しそうになって。
「晴、しっかりしろ…晴!」
過呼吸寸前な事を察知して焦ったその時だった。
「晴人のせいにすんじゃねぇ!!!」
中野の一喝が部屋に響いた。
「晴人は何もしてない!晴人は悪くない!
ただ、先輩を…アンタを心から尊敬してただけだ!」
側で晴と竹田の関係を見ていた中野の言葉は、真実だった。
その重みと剣幕に、流石の竹田も黙る。
「啓太…」
声を出したのは晴で、様子が落ち着いた事に安堵した。
対照的に、ガクリと項垂れた竹田は身動き一つしない。
後悔してるのか知らないが、もう手遅れだ。
到底許す事なんかできないし、必ず罪は償わせる。
法的な刑罰はそう重くならないかもしれないが…制裁の方法はそれだけじゃない。
この先、楽に生きていけると思うなよ?
「とにかく、ここを出よう。相川ちゃん達がもう近くまで来てるっぽい。」
クロがそう言って、中野と共に竹田を立ち上がらせる。
2人に腕を担がれて半ば引きづられるようにして出て行く竹田の背中を、晴は最後まで見ていた。
「晴、行けるか?早めに病院でそれ診せねぇと。」
親父の所は今作戦本部だが、晴の治療となれば話は別だ。
差し出した手を取った晴を支えながら、ゆっくりアパートを出る。
歩きながら、俺は決意していた。
晴に全てを話そうと。
遥にそれを言われた時頷けなかったのは、晴を巻き込みたくなかったからだ。
いつ終わるか分からない争いで、晴が狙われるのだけは避けたくて。
だけど、結局晴に辛い思いをさせてしまった。
間接的とは言え、慎一郎のターゲットは間違いなく俺だった筈だ。
晴には、自分が何故こんな目に遭わされたのかを知る権利がある。
霊泉家みたいなクズ一族との血の繋がりを…自分にもその血が流れている事実を、伝えるのは怖い。
他の誰に何を思われてもいいが、晴にだけはほんの少しでも軽蔑されたくない。
きっと俺の本心はそれで、晴が俺から離れてしまう可能性に怯えていただけ。
晴を守りたかったのは不変の事実だが、それと同時に俺は自分の心を守ろうとしていた。
結果として、晴を傷付けて。
俺は、最初から全て間違ってしまった。
ーーまだ、間に合うだろうか。
晴は俺と向き合ってくれるだろうか。
全てを、聞いてくれるだろうか。
『蓮がいなくても大丈夫』なんて言われたけど、俺はそうじゃない。
バイトだと嘘を吐かれて、女といる事を知って気が狂いそうで。
信じたいのに信じきれなくて、嫉妬で酷く抱いてしまった。
挙句には、晴を閉じ込める妄想までして。
俺の執着の重さに、晴は引くかもしれない。
それでもーー聞いて欲しい。
晴の事になると余裕なんてなくて、いつも必死で。
晴が思う『クールな蓮』とは違うかもしれないけど。
だけど、誰よりも晴の事が好きだ。
生涯をかけて、俺には晴だけだと誓える。
すぐに許せなくていいし、そうされるとも思ってない。
どれだけお前を傷付けたか、痛い程分かってる。
だけど…どうか近くにいさせて欲しい。
いつか許して貰えるまで、誠心誠意謝るから。
その為のチャンスを、俺にくれないかーー。
「晴、あのさ…」「…蓮、あの…」
言葉が被って、立ち止まって思わず視線を見交わした。
自然に口許が緩んで、2人で笑い合う。
「…治療が終わったら、全部話す。」
俺の言葉に、晴が目を見開く。
「驚く事も怖い事も腹立つ事もあるだろうけど、聞いて欲しい。もう秘密は無しにする。」
驚いた様子の晴は、それでもしっかり頷いてくれた。
約束の儀式みたいに、どちらからともなく小指を絡めて歩き出す。
それだけで、胸が一杯になった。
「あ!姫とピィちゃんだ!」
少し先から、女子2人が警察を引き連れて駆けて来ていた。
その人数の多さに若干引いてると、スマホが鳴った。
「蓮、俺行ってくる!2人にもお礼言わないと!」
相手が親父だった為、断腸の思いで晴の小指を離す。
『もしもし、蓮。晴ちゃんは見つかったか?』
「あぁ、今は俺の目の届く範囲にいる。」
そう言うと、明らかにホッとした気配が伝わって来た。
『良かった…実はこっちで緊急事態が起こってな。
実は慎一郎の秘書が1人、消息不明になってるんだ。』
「…え?」
ふと、嫌な予感が脳内を駆け巡る。
『普段は石川と名乗っている慎一郎の第一秘書なんだが…替え玉が用意されていたらしい。その所為で気付くのが遅れてしまった。』
それは恐らく、警察を欺く為じゃない。
霊泉家の誰もが、自分達が逮捕されるなんて微塵も思っていなかった筈だから。
つまりこの替玉は…慎一郎が身内の目を欺く為に用意したものだ。
自分が秘書を使って秘密裏に動いている、ある事からーー。
ドクンッと心臓が嫌な音を立てる。
思わず駆け出した前方では、竹田がクロ達を振り切ろうとしていた。
その後ろでは、相川の元へ向かう途中の晴が、竹田の逃亡に気付いてその背中を追って。
「晴、行くな!!」
叫ぶのと同時に、背後からエンジン音が轟く。
慎一郎が秘書を使って、ずっと竹田を見張っていたとしたら。
一族の逮捕を知った其奴は、どうするか。
与一郎の動きを知らない丈一郎は、今回の逮捕について内部告発を疑っているだろう。
保釈と同時に一族内を徹底的に調べる筈だ。
その時、人を使って『当主候補』を殺そうと企んだ事が露見すれば、慎一郎の立場は危うい。
協力した秘書も、勿論の事。
ならば、どうするかなんて決まってる。
竹田を殺して、その口を塞ぐ。
そして、もう1人ーー
「晴ッ!!!」
振り返った晴が、車に気付いて目を見開く。
走れ!早く!もっと早く!!
脚が壊れても構わない。
どうか、間に合ってくれ!!!
流れる景色がスローモーションに見えた。
突っ込んで来る車に呆然とする晴に、手を伸ばす。
ドンッッ
突き飛ばしたその身体が車の進行方向から僅かに逸れるのと同時に、背中に強い衝撃を感じた。
鋭い痛みと、浮遊感
硬い何かに叩き付けられて軋む身体
真っ暗になる視界
何も、聞こえない
(side 黒崎悠真)
連行した竹田が暴れ出したのは突然だった。
『顔と肋骨何本か折ってるから。暴れたらそこ狙え。』
アパートを出る前に、蓮に囁かれた言葉。
絶対に晴人君には聞こえないようにしてたけど、この人怖すぎるでしょ。
そんな満身創痍の男の、何処にこんな力があったのか分からない。
痛みを麻痺らせるアドレナリンの効力は、俺が思ってるより絶大だったみたいだ。
「待て!」
逃げる竹田を追いかけようとして、晴人君の姿に気付く。
その手が竹田の背中に触れるかどうかって時。
「晴ッ!!!」
猛然と飛び込んで来る蓮の背後には、黒い車体。
危ない!!
声に出てたかどうかは定かじゃない。
ドンッと言う大きな音がした数秒後には、俺も啓太君も走り出していた。
それぞれの、親友のもとへーー。
「蓮ッ!」
道路の反対側まで跳ね飛ばされた蓮に駆け寄って、恐怖に凍り付く。
蓮の状態が…良くないんだと、一目で分かったから。
ガードレールに激突した蓮は、そのまま凭れるようにして脚を投げ出していた。
衝撃で変形したそれを、頭からの鮮血で真っ赤に染めて。
閉じた瞼は、ピクリとも動かない。
利き腕である左手はグニャリとあり得ない方向に曲がっていて、肉が抉れたような傷から出血している。
あまりの状態に、言葉を失う。
なんで…なんでだよ。
やっと、悪い奴から晴人君を奪い返せたのに。
俺は詳しい事は『後で説明する』としか言われてないけど、蓮と晴人君の間に何かあったのは分かってた。
だからさっき、チラッと振り返った2人が笑い合ってて心底安心したんだ。
これでハッピーエンドの筈だったじゃん…。
「目ぇ開けろッ!!蓮ッ!!!」
側に寄って、必死に叫ぶ。
何度もそうして、声が枯れ始めた頃。
蓮の長い睫毛が、僅かに震えた。
ゆっくりと開いた目は、瞳が左右に揺れてる。
もしかして、見えてない…?
「蓮!しっかりしろ!」
呼び掛けると、蓮の口が開く。
何か言おうとして、ゴホゴホと咽せた口の端から血が伝った。
「蓮、喋るな!」
酷く苦し気な様子に静止するけど、蓮は尚も何かを伝えようとする。
慌てて口元に寄って耳をそば立てた。
「……ッ、晴……は…?」
異様な呼吸音の中の、囁くようなその言葉に唇を噛み締める。
泣いてる場合じゃないのに、涙が止まらなかった。
蓮、お前って奴は
こんな時でも
自分が死ぬかもしれないって時でも
晴人君が優先なんだな
その愛と想いの大きさに、喉奥から熱い何かが込み上げる。
「晴人くん!!早く来て!!」
涙を撒き散らしながら、ありったけの大声で叫んだ。
どうしようもないほど一途な親友の、願いを叶える為に。
(side 萱島晴人)
啓太の肩を借りながら、叫ぶサッキーの方に急いで向かう。
不安に心臓が嫌な音を立てて、息が苦しい。
ようやく辿り着いた先の光景を見て、全身が凍りつく。
「そんな…」
そこには、変わり果てた蓮の姿があった。
「蓮ッ!!!」
転がるように駆け寄ると、縋りつこうとした俺をサッキーの手が押し留める。
「動かしちゃダメだ!」
「蓮ッ!蓮ッ!!!」
どうしてもっと傍にいかせてくれないの?
蓮が…、あんなに苦しんでるのに。
俺が…俺が、傍に行かないと…!
「…、は…る…」
囁くような声が聞こえたら、もうダメだった。
阻む手を思いっ切り押し退けて、蓮の元へ向かう。
「蓮…ッ、大丈夫だから、俺が付いてるから!」
必死に叫ぶと、蓮の右手が僅かに動いた。
俺の背中にほんの少し触れるような弱々しさ。
抱き寄せようとしてるんだと気付いて、飛びつくようにその胸に顔を埋めた。
血の匂いと苦し気な呼吸の蓮は、それでも温かい。
「…晴、ケガ…は…?」
掠れた声でそう聞かれて、涙が溢れた。
蓮がどれだけ俺を大切に想ってくれてるのかが、わかったから。
「ッだい…、じょうぶ…!」
しゃくり上げて上手く喋れないけど、懸命に伝える。
「蓮が、守ってくれたから…!」
そう言うと、蓮の左目から一筋涙が流れた。
「晴…ごめんな…」
そして、もう開けてられないみたいにゆっくりと閉じていく。
その後に続いた言葉は、聞き取れなかった。
ほんの僅かに残っていた力が、その全身から抜けてーー
「蓮ッ!ダメだ…蓮ッ!!!」
(side 切藤蓮)
「目ェ開けろ!蓮!!」
衝撃で失っていた意識が浮上したのは、クロの声が聞こえたからだった。
身体中が酷く痛んで、ぬるりとした感触から頭部から出血して事を悟る。
酷く息が苦しくて、左手の感覚が無い。
目の焦点が合わず、視界は真っ白だ。
だけど、そんな事はどうでもいい。
晴はどうなった?
それだけが気掛かりなのに、声が上手く出せない。
漸く絞り出した言葉に反応したクロが、晴を呼んでいる。
僅かに動く右手を動かすと、ふいに胸が温かくなった。
見えなくても、直ぐに分かった。
晴がここにいるんだ、と。
その瞬間、痛みが引いて呼吸が楽になる。
怪我は無いか、何処か痛くないか。
その問いかけは声に出せただろうか。
「ッだい、じょうぶ…蓮が守ってくれたから…!」
涙声の言葉に、胸が詰まる。
こんな状態になるのが、お前じゃなくて俺で良かった。
だからって、お前を守れた事にはならないけど。
それでも、晴がそう言ってくれるならーー。
「晴、ごめんな…」
傷付けてごめん、巻き込んでごめん。
秘密を作ってごめん。
意識が沈んで、音が遠のいていく。
自分の身体の状態からして、次に目覚める保証は無いだろう。
これが最期になるかもしれない。
なのに、声が出せなくてもどかしい。
伝えたい事が、沢山あるのに。
薄れゆく意識の中で思い出すのは晴の顔ばかりだ
楽しそうに話す顔
輝くように笑う顔
揶揄われて拗ねる顔
小さな喧嘩で怒る顔
キスの後、照れて見つめてくる顔
その全てが愛おしい
こんな気持ちを教えてくれてありがとう
何も無かった俺に
幸せを教えてくれて、ありがとう
愛してるよ
晴
●●●
メリバ(バドエン?)ならここで完結ですが、まだ続きます!
●●●
(side 切藤蓮)
外界と遮断させた晴の頭を撫でて、咳き込む竹田に向き直る。
苦しそうにしながらも立ち上がりかけたその腹に、蹴りをもう一発。
呻き声を上げてよろけた頭を鷲掴み、膝を思いっきり鳩尾に突き上げる。
骨が砕ける手応えを感じて突き飛ばすと、倒れた竹田は盛大に胃液を吐いた。
捲れた裾から見える腹には、ドス黒く腫れた痣。
一度振り返ると、晴はしっかりと目を瞑っていた。
その顔の赤く残った痕に、歯を食いしばる。
次はこっちだな。
「立て。」
「…や…めろ…」
ゼェゼェと耳障りな呼吸音をさせた竹田が睨め付けてくる。
その顔面に、躊躇いなく拳を叩き込んだ。
鼻骨がグシャリと音を立てて血が溢れた。
自分から流れる大量のそれに、竹田の目に怯えが走る。
「や…やめてくれ…」
「どの口が言ってんだ?テメェは晴が嫌がった時、やめてやったのかよ?」
触られる事も、縛られる事も、暴力も。
晴は嫌がって、何度も懇願した筈だ。
それを無視しておいて、自分の望みが叶うとでも思ってんのか?
「違う、俺は、悪くない…」
「黙れ」
胸ぐらを掴んで、拳で耳の上を抉る。
脳が揺れるこの箇所を、晴は2年前にも殴られていた。
その時の分も込めて、もう一発力いっぱい叩き込む。
眼窩と頬骨が砕けて、腫れ上がった左目はもう開かないだろう。
それでも、全く気が済まない。
無理矢理立ち上がらせて壁に押し付け、首を圧迫する。
軍隊が敵の捕虜を拷問する時に使う、死ぬ程苦しいのに気絶すらできない生き地獄。
死ぬかもしれない恐怖を味わい続ければいい。
晴が苦しんだ、その何倍も。
「蓮!落ち着け!」
クロと中野の声が、遠くに聞こえる。
邪魔すんな、まだまだ足りない。
高校の時、部活を続けられなくなった晴がどれだけ泣いたか。
PTSDに苦しみながらも、部活に迷惑をかけたと責任を感じて。
晴が大切に思うその「部活」の中には、コイツだって含まれていたのに。
晴の優しさを踏み躙る、あまりにも酷い裏切りだ。
殺しても殺し足りない。
「蓮…。」
真っ赤に染まった脳内に、その声だけが届いた。
振り返ると、晴が泣きそうな顔でこっちを見ている。
…目を開けるなって、言ったのに。
晴の瞳に怯えの色を見て、暗闇に落ちたかのような気分になる。
今まで、後ろ暗い所は晴に見せないようにしてきた。
暴力も恐喝も隠して。
それは、晴を怖がらせない為だけじゃなかった。
晴を傷付けられたら、俺は加減ができない。
そんな俺を見られたくなかった。
晴に軽蔑されたり、怖がられたくなかった。
自分のせいでそうなるんだと知った晴が、離れていくのが怖かった。
「蓮、来て…。」
発されたのが拒絶の言葉じゃなかった事に少しだけ安堵して、そっと歩み寄る。
すると、晴は俺の手を取った。
優しく、包み込むように。
「…痛い?」
その時になって初めて、自分の拳の出血に気が付いた。
「…なんてことない。お前が受けた痛みに比べれば。」
本心を返したのに、晴の瞳からは涙が溢れる。
どうしてお前が泣くんだ。
痛かったのも辛かったのも、お前の方なのに。
2年前も今も、俺は何もしてやれなかった。
それどころか、散々傷付けて。
そんな俺が痛かろうが肉体的に傷を負おうが、晴が気にする必要なんて少しもない。
そんな事の所為でお前が心を痛める必要なんか、これっぽっちもねぇんだよ…晴。
「…蓮、ありがとう。俺の為に怒ってくれて。」
掌に頬を寄せられて、グッと喉が詰まった。
違う…お前の受けた苦しみを相手に思い知らせるこの行為は、ただの自己満だ。
きっとお前は、こんな事望んでない。
だけど、分からないんだ。
どうしたら、傷付いたその心を癒す事ができる?
暴力と暴言で踏み躙られた心に、寄り添う事ができる?
その心も身体も世界で一番大切なものなんだと伝えるその方法が、俺には分からないーー。
ふいに、晴が優しく微笑んだ。
戸惑う俺の目を、ブルーグレーが真っ直ぐに見つめる。
まるで、全て分かってるみたいに。
「もう大丈夫だから、俺の大切な蓮をこれ以上傷付けないで。」
視線と、言葉と、掌の温かさに心を掻き乱される。
「晴、お前は…どうして…」
そんな風に、俺を救ってくれるのか。
欲しい言葉を掛けてくれるのか。
いつだってそうだ。
晴がいるから俺は独りじゃなかった。
何にも興味を持てなかった幼少期、自分と周りを隔てる壁すらどうでも良くて。
だけど、晴がそこを越えて来てくれた。
俺の心を大切に想って理解しようとしてくれる幼馴染は、俺の世界を変えた。
傍で過ごす程に膨れ上がっていったその存在に対する想いは、やがて形を変えて。
焦がれるような愛しさと共に、俺の全てになった。
何よりも誰よりも大切な、晴。
そんな晴を傷付けたのは俺なのに…。
こうやってまた、寄り添おうとしてくれる。
視界がぼやけて、頬を雫が伝った。
「ふざけるなよ!!!」
空気を切り裂く大声にハッとして目を向けると、竹田が暴れながら喚いていた。
吐き出された『幼馴染の婚約者』と言うワードに、晴の表情が曇る。
その肩を抱き寄せると、少しだけ強張りがとれた。
今はまだ、晴の誤解を解いている時間がない。
竹田の話から霊泉家…それも、予想通り慎一郎と繋がりがあるのは確定だ。
更なる被害を出さない為にも、徹底的に潰しておく必要がある。
慎一郎の逮捕を告げると、竹田は分かりやすく狼狽えた。
いざとなったら助けて貰えるなんて、安易に考えていたんだろう。
俺の隣では晴が首を捻ってるが、これも説明は後だ。
「お前も立派な犯罪者だけどな。3年前の罪も今回の監禁も、警察に突き出すのに十分な証拠は揃ってる。」
『警察』の言葉に、竹田は顔面蒼白になった。
「ち、ちがう…!俺は利用されて…!違うんだ!晴人が…!晴人が悪いんだ!」
自分の罪を全て晴の所為にする、罵詈雑言の嵐。
聞くに耐えないそれに、晴の身体が震える。
このクズ、殺してやろうか。
今すぐ竹田を黙らせたいが、手を離したら晴が崩れ落ちてしまいそうだ。
「大丈夫だ、お前は何も悪くない。」
浅く早くなる呼吸を落ち着かせるように声を掛ける。
だけど、晴の呼吸はどんどん苦しそうになって。
「晴、しっかりしろ…晴!」
過呼吸寸前な事を察知して焦ったその時だった。
「晴人のせいにすんじゃねぇ!!!」
中野の一喝が部屋に響いた。
「晴人は何もしてない!晴人は悪くない!
ただ、先輩を…アンタを心から尊敬してただけだ!」
側で晴と竹田の関係を見ていた中野の言葉は、真実だった。
その重みと剣幕に、流石の竹田も黙る。
「啓太…」
声を出したのは晴で、様子が落ち着いた事に安堵した。
対照的に、ガクリと項垂れた竹田は身動き一つしない。
後悔してるのか知らないが、もう手遅れだ。
到底許す事なんかできないし、必ず罪は償わせる。
法的な刑罰はそう重くならないかもしれないが…制裁の方法はそれだけじゃない。
この先、楽に生きていけると思うなよ?
「とにかく、ここを出よう。相川ちゃん達がもう近くまで来てるっぽい。」
クロがそう言って、中野と共に竹田を立ち上がらせる。
2人に腕を担がれて半ば引きづられるようにして出て行く竹田の背中を、晴は最後まで見ていた。
「晴、行けるか?早めに病院でそれ診せねぇと。」
親父の所は今作戦本部だが、晴の治療となれば話は別だ。
差し出した手を取った晴を支えながら、ゆっくりアパートを出る。
歩きながら、俺は決意していた。
晴に全てを話そうと。
遥にそれを言われた時頷けなかったのは、晴を巻き込みたくなかったからだ。
いつ終わるか分からない争いで、晴が狙われるのだけは避けたくて。
だけど、結局晴に辛い思いをさせてしまった。
間接的とは言え、慎一郎のターゲットは間違いなく俺だった筈だ。
晴には、自分が何故こんな目に遭わされたのかを知る権利がある。
霊泉家みたいなクズ一族との血の繋がりを…自分にもその血が流れている事実を、伝えるのは怖い。
他の誰に何を思われてもいいが、晴にだけはほんの少しでも軽蔑されたくない。
きっと俺の本心はそれで、晴が俺から離れてしまう可能性に怯えていただけ。
晴を守りたかったのは不変の事実だが、それと同時に俺は自分の心を守ろうとしていた。
結果として、晴を傷付けて。
俺は、最初から全て間違ってしまった。
ーーまだ、間に合うだろうか。
晴は俺と向き合ってくれるだろうか。
全てを、聞いてくれるだろうか。
『蓮がいなくても大丈夫』なんて言われたけど、俺はそうじゃない。
バイトだと嘘を吐かれて、女といる事を知って気が狂いそうで。
信じたいのに信じきれなくて、嫉妬で酷く抱いてしまった。
挙句には、晴を閉じ込める妄想までして。
俺の執着の重さに、晴は引くかもしれない。
それでもーー聞いて欲しい。
晴の事になると余裕なんてなくて、いつも必死で。
晴が思う『クールな蓮』とは違うかもしれないけど。
だけど、誰よりも晴の事が好きだ。
生涯をかけて、俺には晴だけだと誓える。
すぐに許せなくていいし、そうされるとも思ってない。
どれだけお前を傷付けたか、痛い程分かってる。
だけど…どうか近くにいさせて欲しい。
いつか許して貰えるまで、誠心誠意謝るから。
その為のチャンスを、俺にくれないかーー。
「晴、あのさ…」「…蓮、あの…」
言葉が被って、立ち止まって思わず視線を見交わした。
自然に口許が緩んで、2人で笑い合う。
「…治療が終わったら、全部話す。」
俺の言葉に、晴が目を見開く。
「驚く事も怖い事も腹立つ事もあるだろうけど、聞いて欲しい。もう秘密は無しにする。」
驚いた様子の晴は、それでもしっかり頷いてくれた。
約束の儀式みたいに、どちらからともなく小指を絡めて歩き出す。
それだけで、胸が一杯になった。
「あ!姫とピィちゃんだ!」
少し先から、女子2人が警察を引き連れて駆けて来ていた。
その人数の多さに若干引いてると、スマホが鳴った。
「蓮、俺行ってくる!2人にもお礼言わないと!」
相手が親父だった為、断腸の思いで晴の小指を離す。
『もしもし、蓮。晴ちゃんは見つかったか?』
「あぁ、今は俺の目の届く範囲にいる。」
そう言うと、明らかにホッとした気配が伝わって来た。
『良かった…実はこっちで緊急事態が起こってな。
実は慎一郎の秘書が1人、消息不明になってるんだ。』
「…え?」
ふと、嫌な予感が脳内を駆け巡る。
『普段は石川と名乗っている慎一郎の第一秘書なんだが…替え玉が用意されていたらしい。その所為で気付くのが遅れてしまった。』
それは恐らく、警察を欺く為じゃない。
霊泉家の誰もが、自分達が逮捕されるなんて微塵も思っていなかった筈だから。
つまりこの替玉は…慎一郎が身内の目を欺く為に用意したものだ。
自分が秘書を使って秘密裏に動いている、ある事からーー。
ドクンッと心臓が嫌な音を立てる。
思わず駆け出した前方では、竹田がクロ達を振り切ろうとしていた。
その後ろでは、相川の元へ向かう途中の晴が、竹田の逃亡に気付いてその背中を追って。
「晴、行くな!!」
叫ぶのと同時に、背後からエンジン音が轟く。
慎一郎が秘書を使って、ずっと竹田を見張っていたとしたら。
一族の逮捕を知った其奴は、どうするか。
与一郎の動きを知らない丈一郎は、今回の逮捕について内部告発を疑っているだろう。
保釈と同時に一族内を徹底的に調べる筈だ。
その時、人を使って『当主候補』を殺そうと企んだ事が露見すれば、慎一郎の立場は危うい。
協力した秘書も、勿論の事。
ならば、どうするかなんて決まってる。
竹田を殺して、その口を塞ぐ。
そして、もう1人ーー
「晴ッ!!!」
振り返った晴が、車に気付いて目を見開く。
走れ!早く!もっと早く!!
脚が壊れても構わない。
どうか、間に合ってくれ!!!
流れる景色がスローモーションに見えた。
突っ込んで来る車に呆然とする晴に、手を伸ばす。
ドンッッ
突き飛ばしたその身体が車の進行方向から僅かに逸れるのと同時に、背中に強い衝撃を感じた。
鋭い痛みと、浮遊感
硬い何かに叩き付けられて軋む身体
真っ暗になる視界
何も、聞こえない
(side 黒崎悠真)
連行した竹田が暴れ出したのは突然だった。
『顔と肋骨何本か折ってるから。暴れたらそこ狙え。』
アパートを出る前に、蓮に囁かれた言葉。
絶対に晴人君には聞こえないようにしてたけど、この人怖すぎるでしょ。
そんな満身創痍の男の、何処にこんな力があったのか分からない。
痛みを麻痺らせるアドレナリンの効力は、俺が思ってるより絶大だったみたいだ。
「待て!」
逃げる竹田を追いかけようとして、晴人君の姿に気付く。
その手が竹田の背中に触れるかどうかって時。
「晴ッ!!!」
猛然と飛び込んで来る蓮の背後には、黒い車体。
危ない!!
声に出てたかどうかは定かじゃない。
ドンッと言う大きな音がした数秒後には、俺も啓太君も走り出していた。
それぞれの、親友のもとへーー。
「蓮ッ!」
道路の反対側まで跳ね飛ばされた蓮に駆け寄って、恐怖に凍り付く。
蓮の状態が…良くないんだと、一目で分かったから。
ガードレールに激突した蓮は、そのまま凭れるようにして脚を投げ出していた。
衝撃で変形したそれを、頭からの鮮血で真っ赤に染めて。
閉じた瞼は、ピクリとも動かない。
利き腕である左手はグニャリとあり得ない方向に曲がっていて、肉が抉れたような傷から出血している。
あまりの状態に、言葉を失う。
なんで…なんでだよ。
やっと、悪い奴から晴人君を奪い返せたのに。
俺は詳しい事は『後で説明する』としか言われてないけど、蓮と晴人君の間に何かあったのは分かってた。
だからさっき、チラッと振り返った2人が笑い合ってて心底安心したんだ。
これでハッピーエンドの筈だったじゃん…。
「目ぇ開けろッ!!蓮ッ!!!」
側に寄って、必死に叫ぶ。
何度もそうして、声が枯れ始めた頃。
蓮の長い睫毛が、僅かに震えた。
ゆっくりと開いた目は、瞳が左右に揺れてる。
もしかして、見えてない…?
「蓮!しっかりしろ!」
呼び掛けると、蓮の口が開く。
何か言おうとして、ゴホゴホと咽せた口の端から血が伝った。
「蓮、喋るな!」
酷く苦し気な様子に静止するけど、蓮は尚も何かを伝えようとする。
慌てて口元に寄って耳をそば立てた。
「……ッ、晴……は…?」
異様な呼吸音の中の、囁くようなその言葉に唇を噛み締める。
泣いてる場合じゃないのに、涙が止まらなかった。
蓮、お前って奴は
こんな時でも
自分が死ぬかもしれないって時でも
晴人君が優先なんだな
その愛と想いの大きさに、喉奥から熱い何かが込み上げる。
「晴人くん!!早く来て!!」
涙を撒き散らしながら、ありったけの大声で叫んだ。
どうしようもないほど一途な親友の、願いを叶える為に。
(side 萱島晴人)
啓太の肩を借りながら、叫ぶサッキーの方に急いで向かう。
不安に心臓が嫌な音を立てて、息が苦しい。
ようやく辿り着いた先の光景を見て、全身が凍りつく。
「そんな…」
そこには、変わり果てた蓮の姿があった。
「蓮ッ!!!」
転がるように駆け寄ると、縋りつこうとした俺をサッキーの手が押し留める。
「動かしちゃダメだ!」
「蓮ッ!蓮ッ!!!」
どうしてもっと傍にいかせてくれないの?
蓮が…、あんなに苦しんでるのに。
俺が…俺が、傍に行かないと…!
「…、は…る…」
囁くような声が聞こえたら、もうダメだった。
阻む手を思いっ切り押し退けて、蓮の元へ向かう。
「蓮…ッ、大丈夫だから、俺が付いてるから!」
必死に叫ぶと、蓮の右手が僅かに動いた。
俺の背中にほんの少し触れるような弱々しさ。
抱き寄せようとしてるんだと気付いて、飛びつくようにその胸に顔を埋めた。
血の匂いと苦し気な呼吸の蓮は、それでも温かい。
「…晴、ケガ…は…?」
掠れた声でそう聞かれて、涙が溢れた。
蓮がどれだけ俺を大切に想ってくれてるのかが、わかったから。
「ッだい…、じょうぶ…!」
しゃくり上げて上手く喋れないけど、懸命に伝える。
「蓮が、守ってくれたから…!」
そう言うと、蓮の左目から一筋涙が流れた。
「晴…ごめんな…」
そして、もう開けてられないみたいにゆっくりと閉じていく。
その後に続いた言葉は、聞き取れなかった。
ほんの僅かに残っていた力が、その全身から抜けてーー
「蓮ッ!ダメだ…蓮ッ!!!」
(side 切藤蓮)
「目ェ開けろ!蓮!!」
衝撃で失っていた意識が浮上したのは、クロの声が聞こえたからだった。
身体中が酷く痛んで、ぬるりとした感触から頭部から出血して事を悟る。
酷く息が苦しくて、左手の感覚が無い。
目の焦点が合わず、視界は真っ白だ。
だけど、そんな事はどうでもいい。
晴はどうなった?
それだけが気掛かりなのに、声が上手く出せない。
漸く絞り出した言葉に反応したクロが、晴を呼んでいる。
僅かに動く右手を動かすと、ふいに胸が温かくなった。
見えなくても、直ぐに分かった。
晴がここにいるんだ、と。
その瞬間、痛みが引いて呼吸が楽になる。
怪我は無いか、何処か痛くないか。
その問いかけは声に出せただろうか。
「ッだい、じょうぶ…蓮が守ってくれたから…!」
涙声の言葉に、胸が詰まる。
こんな状態になるのが、お前じゃなくて俺で良かった。
だからって、お前を守れた事にはならないけど。
それでも、晴がそう言ってくれるならーー。
「晴、ごめんな…」
傷付けてごめん、巻き込んでごめん。
秘密を作ってごめん。
意識が沈んで、音が遠のいていく。
自分の身体の状態からして、次に目覚める保証は無いだろう。
これが最期になるかもしれない。
なのに、声が出せなくてもどかしい。
伝えたい事が、沢山あるのに。
薄れゆく意識の中で思い出すのは晴の顔ばかりだ
楽しそうに話す顔
輝くように笑う顔
揶揄われて拗ねる顔
小さな喧嘩で怒る顔
キスの後、照れて見つめてくる顔
その全てが愛おしい
こんな気持ちを教えてくれてありがとう
何も無かった俺に
幸せを教えてくれて、ありがとう
愛してるよ
晴
●●●
メリバ(バドエン?)ならここで完結ですが、まだ続きます!
242
お気に入りに追加
1,066
あなたにおすすめの小説

言い逃げしたら5年後捕まった件について。
なるせ
BL
「ずっと、好きだよ。」
…長年ずっと一緒にいた幼馴染に告白をした。
もちろん、アイツがオレをそういう目で見てないのは百も承知だし、返事なんて求めてない。
ただ、これからはもう一緒にいないから…想いを伝えるぐらい、許してくれ。
そう思って告白したのが高校三年生の最後の登校日。……あれから5年経ったんだけど…
なんでアイツに馬乗りにされてるわけ!?
ーーーーー
美形×平凡っていいですよね、、、、

【完結】別れ……ますよね?
325号室の住人
BL
☆全3話、完結済
僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。
ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

それ以上近づかないでください。
ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」
地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。
まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。
転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。
ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。
「本当に可愛い。」
「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」
かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。
「お願いだから、僕にもう近づかないで」

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

からかわれていると思ってたら本気だった?!
雨宮里玖
BL
御曹司カリスマ冷静沈着クール美形高校生×貧乏で平凡な高校生
《あらすじ》
ヒカルに告白をされ、まさか俺なんかを好きになるはずないだろと疑いながらも付き合うことにした。
ある日、「あいつ間に受けてやんの」「身の程知らずだな」とヒカルが友人と話しているところを聞いてしまい、やっぱりからかわれていただけだったと知り、ショックを受ける弦。騙された怒りをヒカルにぶつけて、ヒカルに別れを告げる——。
葛葉ヒカル(18)高校三年生。財閥次男。完璧。カリスマ。
弦(18)高校三年生。父子家庭。貧乏。
葛葉一真(20)財閥長男。爽やかイケメン。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる