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解決編
25.
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解決編『1』~『4』の、晴人のバイトに関する辺りの蓮視点になります。
●●●
(side 切藤蓮)
順調な日々が変化したのは、6月頃。
晴がバイトをする事になったのが始まりだった。
一緒にる時間が減るのは不服だが、そこは美香さんとの約束なので我慢するしかない。
本音を言えば晴を働かせてたくないし、それを可能にする為に俺は医者になる選択をしたんだが。
好きな時間まで寝て、好きな物食って、好きな物買って。
家事なんて一切やらなくていいから、ただ俺の帰宅を家で待っていて欲しい。
身体がキツイなら、鳴かせるのは毎晩じゃなくても我慢できる。…多少は。
だから、『大学卒業まで限定のセレブ生活だから、慣れないようにしないと。』なんて今の生活を一時的なものと捉える晴には少し不満だ。
『俺が晴の全てを賄う。』
子供の頃から俺の夢だったそんな生活は、流石に無理だと理解してる。
晴は養われる事を良しとしないし、自分でも働きたがるだろうし。
でも、離れて暮らすような選択肢は存在しない。
晴の気配が常にする空間での生活を知ってしまったのに、それを手放すなんてできないから。
この先も、一生二人でーー。
そんな思いを込めた『卒業してからもこの水準で生活させてやるって。』と言う俺の言葉に、晴は曖昧に笑うだけだった。
本気にしていないようなその態度は、俺の心を簡単に乱す。
晴にとってそれは『不確かな未来』なんだと言われたみたいでーー。
ギュッと後から抱き締める腕に力を込めて、髪の匂いを吸い込む。
この腕の中から、晴がいなくなる…?
「ありえねぇわ。」
「…えっ?」
思わず溢した言葉に、晴がビクッと身体を震わせた。
いつもより低い声のせいで怯えさせてしまったらしい。
「…居酒屋はありえねぇ、酔った客とか絡んで来たら困んだろ。」
遥によく指摘された『黒いオーラ』が出てる気がして、晴のスマホ画面を指して急いで取り繕う。
バイトの求人が丁度居酒屋のページになってたのも功を奏して、上手く誤魔化せたらしい。
緊張していた晴の身体から力が抜ける。
危ねぇ…。
上手くリカバリーできた事に、内心で安堵の溜息を吐いた。
弛緩した身体を優しく抱え直して、そのまま何て事ない会話を続ける。
過去の諸々から、自分の執着が尋常じゃない事は十分理解してるつもりだ。
大学に入学したばかりの段階で『一生』の話をするのは、一般的には重いんだって事も。
それが原因で晴を追い詰めてしまったら目も当てられない。
自重しなければと、繰り返し自分に言い聞かせた。
1週間後、面接に受かった晴がファミレスで働き始めた。
勿論、従業員に変な輩がいないかは調査済みだ。
実際に店にも顔を出して、男の店員が草枯れた店長だけだと言う事にも安堵した。
人当たりのいい晴に接客は向いてるのか、楽しそうに働いている。
心配なのは、エプロンから覗く細い腰にムラッと来てるのが俺だけとは、到底考えられない事。
その日の夜、『あ!間違えて持って帰って来ちゃった!』と、鞄から出てきた制服に慌てる晴を宥めすかして…何をしたのかはご想像の通り。
終わってからめちゃめちゃ怒られたけど『バイト中思い出したらどうすんだよぉ!』と言う理由には大変満足した。
晴が俺の事を考えてるって事象は、いつだって気分がいい。
夏休みに会ったクロと中野からは『過保護すぎる!』なんて言われたが、夜はバイト先に迎えに行くようにしてる。
自分が出歩くなら時間の概念なんか無いが、晴の場合は時空が歪む。
「22時とか深夜だから。」
そう言った俺に、晴は呆れてて。
ただ、口では『もう!心配症すぎ!』なんて言いながらも、バイクで迎えに行くと嬉しそうな顔をするのが可愛い。
バイトのせいで一緒にいる時間は少し減ったが、それでもまだ心の余裕はあった。
「だ、だから…バイトを増やす事に決まりまして…。」
気まずそうな晴に、そう言われるまでは。
どうやら店の人手が足りないらしいが、それは店側が何とかする事だろ。
しかも、店長はビビって他のパートには話しもしてないらしい。
『でも、いい人だ』と庇う晴には悪いが、それは『事なかれ主義』なだけだろ。
「お世話になってるバイト先が大変なら手伝うって、そんなに責められる事?」
「別に責めてねーだろ。後先考えずに感情だけで安請け合いすんなって話し。」
他に確認もせず晴だけが負担するのは不公平だし、その優しさにつけ込まれているようで腹が立つ。
晴も晴だ。
期限すら曖昧なのに、俺に何の相談もなく決めて。
土日も平日もほぼバイトなんて、どんだけ一緒にいる時間が減ると思ってんだよ。
俺は今ですら我慢してるのに、お前は平気なのか?
「蓮は冷たいよな。皆んながそんな考えじゃ、職場なんて上手く回っていかないじゃん。」
そう言われて、カチンときた。
冷たいとか、おまえが言う?
「蓮が何と言おうと、土日も平日夜もバイトするから!」
話しは終わりだと背を向ける晴を引き止める。
「終わってねぇよ。だいたいなぁ、夜はお前…」
その先は言えなかった。
晴が夜出歩くのを過剰に配するのは…高校の時の事件があるからだ。
男に襲われかけて震える晴の姿は、ずっと俺の脳裏に焼き付いてる。
万が一、またあんな事があったら…晴はどうなってしまうのかーー。
本人はその辺りの記憶が薄いようだが、それは自衛本能から来るものだ。
それ程忘れたい、悍ましい記憶。
思い出させたくなくて流れた沈黙をどう解釈したのか、晴が口を開いた。
期限の設定と、人員確保の催促をすると言う。
「課題もちゃんとやるし、家事もしっかりやる。
って言うか、飯はバイト先で食ってくる事になるから各自にしようぜ。それ以外の家事は分担しよ。」
…違う、俺が気にしてるのは家事の分担とか、そんな事じゃねぇんだよ。
俺はお前とできる限り一緒にいたいし、好きだからこそ心配だし、嫌な思いもして欲しくない。
だけど、お前は…
「そしたら蓮も自由な時間増えるだろ?
友達とか…先輩とかと飯でも行って来なよ。
蓮がいなくても俺は大丈夫だし…な!」
俺がいなくても、大丈夫ーー。
晴のその言葉は、揺らいでいた心にガツンと突き刺さった。
それは、晴もそんな時間が欲しいって事か?
俺のいない自由な時間が…。
「えっ…と?じゃあ、家事の分担決める?」
沈黙する俺に、少し戸惑った様子で晴が提案してきた。
「…いや、いい。家事はテキトーに気付いた方がやろうぜ。」
そう言って、課題を理由に自室に逃げた。
そうしないと、思いの全てをぶつけてしまいそうだったから。
自分と晴の熱量が同等だとは思ってない。
それは晴が俺を好きだと言うのを疑ってるわけじゃなく、片想いの期間の長さからしても、俺の方が想いが強いのは当然で。
それは分かってる。
あまりに一方的だと晴を苦しめる事も、過去の経験から学んだ。
だから俺なりに我慢してきたつもりだったが…
「まだ、足りないのか…。」
晴にとって現状が『不自由』なのであれば、変えなければ。
変わらないといけないのは、俺だ。
ーーどうしてこうもままならないのか。
ただ一緒にいられるだけで、気持ちを受け入れてくれただけで満足していたのに。
どうして、同じだけの『好き』を求めてしまうんだろう。
決定的な違いがあるのを、たった今思い知ったのに。
『蓮がいなくても、俺は大丈夫。』
それは別に『俺の存在がいなくても』と言う意味じゃないのは分かってる。
いない状況があっても大丈夫だと、そう言う意味で晴は言ったんだろう。
だけど…自分でも驚く程堪えてしまった。
俺は、そうじゃないから。
如何なる時でも、晴に傍にいて欲しいから。
「…ダセェよなぁ…マジで…。」
自嘲する声が、独りの部屋にポトリと落ちた。
それから、数ヶ月に渡るすれ違い生活が始まった。
精神的に…と言うより、物理的な意味合いでも。
晴はガチで忙しくて、家では寝てるか課題をしてるのしか見かけない。
そのくせ、家事は俺が終わらせておいても、豪語した意地なのかその先までやってる形跡があって。
こんな時こそ頼って欲しいが…晴は頑固な所がある。
特に今回は言い合いになった事で『絶対にやりきる』と言う決意にブーストがかかってしまったんだろう。
反対した手前迎え行く事もできず、夜はずっと落ち着かない。
もしもの時の為に晴のスマホに入れたておいたGPSアプリが、こんな所で役立つとは思わなかった。
22時頃、店を出た赤い印がマンションまで辿り着くのを睨み付けるように眺めて。
控えめな『ただいま』が聞こえたら、ようやく胸を撫で下ろす。
顔を見たいが、グッと我慢して課題をする。
疲れた様子を見てしまえば、絶対に『もうやめろ』と言ってしまうから。
晴がそれを望んでないのは分かってる。
シャワーの音が止まって、物音がしなくなったら部屋を出て。
リビングのソファで寝落ちする晴を抱き上げて、一緒に寝室へ向かう。
起こさないように頬や額にキスして、腕に閉じ込めて。
これが最近唯一の、俺の癒しの時間だ。
晴が起きる時間にアラームをセットしてやって、眠りにつく。
翌朝晴が目を覚ました時には、俺はもう家を出てるから顔を会わせる事は無い。
そんな日々の中、溜息が多くなった俺を心配したのか、大介が交流会に誘って来た。
所謂『顔繋ぎ』として重宝される交流会だが、俺には必要ない。
父親や兄の関係で必要な所とは十分に繋がりができてるから。
まぁでも、晴はどうせバイトだし…一回くらいは顔出しとくか。
そう思って参加したはいいものの、その日はハズレだったのか、いつもそうなのか…。
居酒屋でのそれは、ほぼ合コンと言える内容だった。
「切藤君が来てくれて嬉しい♡」
睫毛をパチパチさせる女の群れに辟易して、金輪際参加はしないと固く誓う。
話を無視する建前に弄ったスマホで、何気なくGPSを起動して。
…晴が、家にいる?
今日はバイトの筈なのに、まだ20時を過ぎた所だ。
まさか、体調不良で帰ってきたのか?
直ぐに帰る旨を伝えて、渋る大介に万冊を押し付けて外へ出た。
急いで帰宅した家には、ソファに横たわる晴がいた。
熱や脈拍を確認するが、どうやら寝ているだけで安堵する。
でも、このままじゃ風邪引くな。
「蓮…。」
いつも通りベッドへ運ぶ途中、晴が目を開ける。
久しぶりに見るブルーグレーに胸が疼いた。
「蓮、ごめんな…。」
そう言って甘えるように肩口に額を擦り付けると、直ぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。
「…晴、俺もごめん。…好きだよ。」
耳元で囁いて、少し空いた唇に口付ける。
夢の中にいる筈の晴が微笑んだ気がして、久しぶりに心が鎮まった。
それから数日後、陽子からモデルのバイトの誘いがあった。
場所はイタリアで、期間は年末から冬休みの終わりまで。
『晴ちゃんも一緒に!』との事だったが、晴は年末年始もバイトだろう。
念の為リビングのテーブルに放置されていたシフト表を確認したが、やはりそうだった。
飛び飛びで数日休みはあるけど…イタリアは無理だな。
そう判断して断ろうとしたが、意外にも陽子は食い下がった。
どうやら、手配していた現地モデルの1人が骨折したらしい。
今からまたオーディションをする時間は無いし、大幅なサイズ直しも厳しい。
暗礁に乗り上げた時、長い付き合いのチーフマネージャーが閃いたそうだ。
『蓮君がいるじゃないですか!』と。
…余計な事思いつきやがって。
『蓮と骨折君の体型が違いから、直しが殆どいらないのよ!お願い、蓮!』
珍しく必死な母親の願いを聞いてやりたい気持ちはあるが、俺にも譲れないものがある。、
『あ~、その間晴が1人にならないようにできるか確認するわ。』
優先順位第一位の安全確保、及び寂しさの解消ができるなら考えない事もない。
そうして電話した先の憲人さんは、事情を聞いて笑った。
『放っといて平気だよ。寂しくなったらこっちに帰って来るだろうし。』
『いや、でも…』
『蓮君、晴の事甘やかさないで。たった1、2週間も一人で過ごせないようなら実家に戻すわよ。』
げ、居たのか美香さん…。
『帰省してくるのは大歓迎だけど、バイト先から遠いって理由で私達が晴の方に行くのは無し。
そもそもバイト入れすぎなのは晴の自己責任だもの。蓮君も気にせずイタリア行きなさいね。』
『あ、蓮君!イタリアのお土産ね、ヴェ…』ブツッ
はい決定!とばかりに言い切ると、通話は切れた。
憲人さん、まだ喋ってる途中だったけど…。
美香さんがあの調子じゃ、萱島家のサポートは期待できないだろう。
むしろ俺がイタリア行きを断ったら、本気で晴を実家に連れ戻しかねない。
…はぁ、仕方ねぇか。
近い将来、晴との関係を認めてもらう為にもマイナス評価は避けたい。
対極と言っていい性格の夫婦から生まれた息子に思いを馳せながら、陽子の番号を呼び出す。
『イタリア行くわ。』
スマホの向こうから陽子以外にも大勢の歓声が聞こえて、もう撤回はできないと悟る。
晴に伝えたら、どんな反応をするだろう。
『いなくても大丈夫』だと笑って見送られるなら…言うのはギリギリでも構わないよな。
因みに、これが撮影ではなくランウェイでのウォーキングだと知るのは現地に着いてからの事。
それにより壮絶な親子喧嘩が繰り広げられる事を、俺はまだ知らない。
●●●
母がこの性格じゃなかったら、晴はかなりのワガママボーイに育ってたかも笑
●●●
(side 切藤蓮)
順調な日々が変化したのは、6月頃。
晴がバイトをする事になったのが始まりだった。
一緒にる時間が減るのは不服だが、そこは美香さんとの約束なので我慢するしかない。
本音を言えば晴を働かせてたくないし、それを可能にする為に俺は医者になる選択をしたんだが。
好きな時間まで寝て、好きな物食って、好きな物買って。
家事なんて一切やらなくていいから、ただ俺の帰宅を家で待っていて欲しい。
身体がキツイなら、鳴かせるのは毎晩じゃなくても我慢できる。…多少は。
だから、『大学卒業まで限定のセレブ生活だから、慣れないようにしないと。』なんて今の生活を一時的なものと捉える晴には少し不満だ。
『俺が晴の全てを賄う。』
子供の頃から俺の夢だったそんな生活は、流石に無理だと理解してる。
晴は養われる事を良しとしないし、自分でも働きたがるだろうし。
でも、離れて暮らすような選択肢は存在しない。
晴の気配が常にする空間での生活を知ってしまったのに、それを手放すなんてできないから。
この先も、一生二人でーー。
そんな思いを込めた『卒業してからもこの水準で生活させてやるって。』と言う俺の言葉に、晴は曖昧に笑うだけだった。
本気にしていないようなその態度は、俺の心を簡単に乱す。
晴にとってそれは『不確かな未来』なんだと言われたみたいでーー。
ギュッと後から抱き締める腕に力を込めて、髪の匂いを吸い込む。
この腕の中から、晴がいなくなる…?
「ありえねぇわ。」
「…えっ?」
思わず溢した言葉に、晴がビクッと身体を震わせた。
いつもより低い声のせいで怯えさせてしまったらしい。
「…居酒屋はありえねぇ、酔った客とか絡んで来たら困んだろ。」
遥によく指摘された『黒いオーラ』が出てる気がして、晴のスマホ画面を指して急いで取り繕う。
バイトの求人が丁度居酒屋のページになってたのも功を奏して、上手く誤魔化せたらしい。
緊張していた晴の身体から力が抜ける。
危ねぇ…。
上手くリカバリーできた事に、内心で安堵の溜息を吐いた。
弛緩した身体を優しく抱え直して、そのまま何て事ない会話を続ける。
過去の諸々から、自分の執着が尋常じゃない事は十分理解してるつもりだ。
大学に入学したばかりの段階で『一生』の話をするのは、一般的には重いんだって事も。
それが原因で晴を追い詰めてしまったら目も当てられない。
自重しなければと、繰り返し自分に言い聞かせた。
1週間後、面接に受かった晴がファミレスで働き始めた。
勿論、従業員に変な輩がいないかは調査済みだ。
実際に店にも顔を出して、男の店員が草枯れた店長だけだと言う事にも安堵した。
人当たりのいい晴に接客は向いてるのか、楽しそうに働いている。
心配なのは、エプロンから覗く細い腰にムラッと来てるのが俺だけとは、到底考えられない事。
その日の夜、『あ!間違えて持って帰って来ちゃった!』と、鞄から出てきた制服に慌てる晴を宥めすかして…何をしたのかはご想像の通り。
終わってからめちゃめちゃ怒られたけど『バイト中思い出したらどうすんだよぉ!』と言う理由には大変満足した。
晴が俺の事を考えてるって事象は、いつだって気分がいい。
夏休みに会ったクロと中野からは『過保護すぎる!』なんて言われたが、夜はバイト先に迎えに行くようにしてる。
自分が出歩くなら時間の概念なんか無いが、晴の場合は時空が歪む。
「22時とか深夜だから。」
そう言った俺に、晴は呆れてて。
ただ、口では『もう!心配症すぎ!』なんて言いながらも、バイクで迎えに行くと嬉しそうな顔をするのが可愛い。
バイトのせいで一緒にいる時間は少し減ったが、それでもまだ心の余裕はあった。
「だ、だから…バイトを増やす事に決まりまして…。」
気まずそうな晴に、そう言われるまでは。
どうやら店の人手が足りないらしいが、それは店側が何とかする事だろ。
しかも、店長はビビって他のパートには話しもしてないらしい。
『でも、いい人だ』と庇う晴には悪いが、それは『事なかれ主義』なだけだろ。
「お世話になってるバイト先が大変なら手伝うって、そんなに責められる事?」
「別に責めてねーだろ。後先考えずに感情だけで安請け合いすんなって話し。」
他に確認もせず晴だけが負担するのは不公平だし、その優しさにつけ込まれているようで腹が立つ。
晴も晴だ。
期限すら曖昧なのに、俺に何の相談もなく決めて。
土日も平日もほぼバイトなんて、どんだけ一緒にいる時間が減ると思ってんだよ。
俺は今ですら我慢してるのに、お前は平気なのか?
「蓮は冷たいよな。皆んながそんな考えじゃ、職場なんて上手く回っていかないじゃん。」
そう言われて、カチンときた。
冷たいとか、おまえが言う?
「蓮が何と言おうと、土日も平日夜もバイトするから!」
話しは終わりだと背を向ける晴を引き止める。
「終わってねぇよ。だいたいなぁ、夜はお前…」
その先は言えなかった。
晴が夜出歩くのを過剰に配するのは…高校の時の事件があるからだ。
男に襲われかけて震える晴の姿は、ずっと俺の脳裏に焼き付いてる。
万が一、またあんな事があったら…晴はどうなってしまうのかーー。
本人はその辺りの記憶が薄いようだが、それは自衛本能から来るものだ。
それ程忘れたい、悍ましい記憶。
思い出させたくなくて流れた沈黙をどう解釈したのか、晴が口を開いた。
期限の設定と、人員確保の催促をすると言う。
「課題もちゃんとやるし、家事もしっかりやる。
って言うか、飯はバイト先で食ってくる事になるから各自にしようぜ。それ以外の家事は分担しよ。」
…違う、俺が気にしてるのは家事の分担とか、そんな事じゃねぇんだよ。
俺はお前とできる限り一緒にいたいし、好きだからこそ心配だし、嫌な思いもして欲しくない。
だけど、お前は…
「そしたら蓮も自由な時間増えるだろ?
友達とか…先輩とかと飯でも行って来なよ。
蓮がいなくても俺は大丈夫だし…な!」
俺がいなくても、大丈夫ーー。
晴のその言葉は、揺らいでいた心にガツンと突き刺さった。
それは、晴もそんな時間が欲しいって事か?
俺のいない自由な時間が…。
「えっ…と?じゃあ、家事の分担決める?」
沈黙する俺に、少し戸惑った様子で晴が提案してきた。
「…いや、いい。家事はテキトーに気付いた方がやろうぜ。」
そう言って、課題を理由に自室に逃げた。
そうしないと、思いの全てをぶつけてしまいそうだったから。
自分と晴の熱量が同等だとは思ってない。
それは晴が俺を好きだと言うのを疑ってるわけじゃなく、片想いの期間の長さからしても、俺の方が想いが強いのは当然で。
それは分かってる。
あまりに一方的だと晴を苦しめる事も、過去の経験から学んだ。
だから俺なりに我慢してきたつもりだったが…
「まだ、足りないのか…。」
晴にとって現状が『不自由』なのであれば、変えなければ。
変わらないといけないのは、俺だ。
ーーどうしてこうもままならないのか。
ただ一緒にいられるだけで、気持ちを受け入れてくれただけで満足していたのに。
どうして、同じだけの『好き』を求めてしまうんだろう。
決定的な違いがあるのを、たった今思い知ったのに。
『蓮がいなくても、俺は大丈夫。』
それは別に『俺の存在がいなくても』と言う意味じゃないのは分かってる。
いない状況があっても大丈夫だと、そう言う意味で晴は言ったんだろう。
だけど…自分でも驚く程堪えてしまった。
俺は、そうじゃないから。
如何なる時でも、晴に傍にいて欲しいから。
「…ダセェよなぁ…マジで…。」
自嘲する声が、独りの部屋にポトリと落ちた。
それから、数ヶ月に渡るすれ違い生活が始まった。
精神的に…と言うより、物理的な意味合いでも。
晴はガチで忙しくて、家では寝てるか課題をしてるのしか見かけない。
そのくせ、家事は俺が終わらせておいても、豪語した意地なのかその先までやってる形跡があって。
こんな時こそ頼って欲しいが…晴は頑固な所がある。
特に今回は言い合いになった事で『絶対にやりきる』と言う決意にブーストがかかってしまったんだろう。
反対した手前迎え行く事もできず、夜はずっと落ち着かない。
もしもの時の為に晴のスマホに入れたておいたGPSアプリが、こんな所で役立つとは思わなかった。
22時頃、店を出た赤い印がマンションまで辿り着くのを睨み付けるように眺めて。
控えめな『ただいま』が聞こえたら、ようやく胸を撫で下ろす。
顔を見たいが、グッと我慢して課題をする。
疲れた様子を見てしまえば、絶対に『もうやめろ』と言ってしまうから。
晴がそれを望んでないのは分かってる。
シャワーの音が止まって、物音がしなくなったら部屋を出て。
リビングのソファで寝落ちする晴を抱き上げて、一緒に寝室へ向かう。
起こさないように頬や額にキスして、腕に閉じ込めて。
これが最近唯一の、俺の癒しの時間だ。
晴が起きる時間にアラームをセットしてやって、眠りにつく。
翌朝晴が目を覚ました時には、俺はもう家を出てるから顔を会わせる事は無い。
そんな日々の中、溜息が多くなった俺を心配したのか、大介が交流会に誘って来た。
所謂『顔繋ぎ』として重宝される交流会だが、俺には必要ない。
父親や兄の関係で必要な所とは十分に繋がりができてるから。
まぁでも、晴はどうせバイトだし…一回くらいは顔出しとくか。
そう思って参加したはいいものの、その日はハズレだったのか、いつもそうなのか…。
居酒屋でのそれは、ほぼ合コンと言える内容だった。
「切藤君が来てくれて嬉しい♡」
睫毛をパチパチさせる女の群れに辟易して、金輪際参加はしないと固く誓う。
話を無視する建前に弄ったスマホで、何気なくGPSを起動して。
…晴が、家にいる?
今日はバイトの筈なのに、まだ20時を過ぎた所だ。
まさか、体調不良で帰ってきたのか?
直ぐに帰る旨を伝えて、渋る大介に万冊を押し付けて外へ出た。
急いで帰宅した家には、ソファに横たわる晴がいた。
熱や脈拍を確認するが、どうやら寝ているだけで安堵する。
でも、このままじゃ風邪引くな。
「蓮…。」
いつも通りベッドへ運ぶ途中、晴が目を開ける。
久しぶりに見るブルーグレーに胸が疼いた。
「蓮、ごめんな…。」
そう言って甘えるように肩口に額を擦り付けると、直ぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。
「…晴、俺もごめん。…好きだよ。」
耳元で囁いて、少し空いた唇に口付ける。
夢の中にいる筈の晴が微笑んだ気がして、久しぶりに心が鎮まった。
それから数日後、陽子からモデルのバイトの誘いがあった。
場所はイタリアで、期間は年末から冬休みの終わりまで。
『晴ちゃんも一緒に!』との事だったが、晴は年末年始もバイトだろう。
念の為リビングのテーブルに放置されていたシフト表を確認したが、やはりそうだった。
飛び飛びで数日休みはあるけど…イタリアは無理だな。
そう判断して断ろうとしたが、意外にも陽子は食い下がった。
どうやら、手配していた現地モデルの1人が骨折したらしい。
今からまたオーディションをする時間は無いし、大幅なサイズ直しも厳しい。
暗礁に乗り上げた時、長い付き合いのチーフマネージャーが閃いたそうだ。
『蓮君がいるじゃないですか!』と。
…余計な事思いつきやがって。
『蓮と骨折君の体型が違いから、直しが殆どいらないのよ!お願い、蓮!』
珍しく必死な母親の願いを聞いてやりたい気持ちはあるが、俺にも譲れないものがある。、
『あ~、その間晴が1人にならないようにできるか確認するわ。』
優先順位第一位の安全確保、及び寂しさの解消ができるなら考えない事もない。
そうして電話した先の憲人さんは、事情を聞いて笑った。
『放っといて平気だよ。寂しくなったらこっちに帰って来るだろうし。』
『いや、でも…』
『蓮君、晴の事甘やかさないで。たった1、2週間も一人で過ごせないようなら実家に戻すわよ。』
げ、居たのか美香さん…。
『帰省してくるのは大歓迎だけど、バイト先から遠いって理由で私達が晴の方に行くのは無し。
そもそもバイト入れすぎなのは晴の自己責任だもの。蓮君も気にせずイタリア行きなさいね。』
『あ、蓮君!イタリアのお土産ね、ヴェ…』ブツッ
はい決定!とばかりに言い切ると、通話は切れた。
憲人さん、まだ喋ってる途中だったけど…。
美香さんがあの調子じゃ、萱島家のサポートは期待できないだろう。
むしろ俺がイタリア行きを断ったら、本気で晴を実家に連れ戻しかねない。
…はぁ、仕方ねぇか。
近い将来、晴との関係を認めてもらう為にもマイナス評価は避けたい。
対極と言っていい性格の夫婦から生まれた息子に思いを馳せながら、陽子の番号を呼び出す。
『イタリア行くわ。』
スマホの向こうから陽子以外にも大勢の歓声が聞こえて、もう撤回はできないと悟る。
晴に伝えたら、どんな反応をするだろう。
『いなくても大丈夫』だと笑って見送られるなら…言うのはギリギリでも構わないよな。
因みに、これが撮影ではなくランウェイでのウォーキングだと知るのは現地に着いてからの事。
それにより壮絶な親子喧嘩が繰り広げられる事を、俺はまだ知らない。
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母がこの性格じゃなかったら、晴はかなりのワガママボーイに育ってたかも笑
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※こちらの作品はpixivとムーンライトノベルズにも投稿しています。
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もし、運命の番になれたのなら。
天井つむぎ
BL
春。守谷 奏斗(α)に振られ、精神的なショックで声を失った遊佐 水樹(Ω)は一年振りに高校三年生になった。
まだ奏斗に想いを寄せている水樹の前に現れたのは、守谷 彼方という転校生だ。優しい性格と笑顔を絶やさないところ以外は奏斗とそっくりの彼方から「友達になってくれるかな?」とお願いされる水樹。
水樹は奏斗にはされたことのない優しさを彼方からたくさんもらい、初めてで温かい友情関係に戸惑いが隠せない。
そんなある日、水樹の十九の誕生日がやってきて──。
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